タクトの過去
タクトは闘っていた。自分の欲望と。この双葉に対する異常な独占欲は、かつての恋人エリスによって植え付けられたものだ。
エリスは弱く、男なら誰もが護ってあげたくなる魅力を持っていた。思えば、その魔の魅力は、彼女のPHIだったのかも知れない。彼女は悪気なく、男を集めてしまうのだ。
「双葉、お前にだけ、俺の過去を知っておいて欲しい」
「え?」
「聞いてくれ」
タクトは静かに目を閉じて語り始めた。
タクトとエリスは、古くからの幼馴染であった。二人とも非常に仲が良かった。それが大人になると、そのまま恋愛対象へと発展したのだ。二人は相思相愛で、誰も付け入る隙はなかった。しかしある日のこと、エリスが高熱を出して倒れたという。
医者の言葉では、エリスの患った病は、治療法が確立されておらず、持って1年が限界とのことだった。彼女はしきりにユートピアが見たいとうなされていた。きっとそこにたどり着ければ、自分の病気も治るだろうと、彼女なりに考えていたのだろう。
タクトはエリスをユートピアに連れて行こうと思ったが、あるかも分からない場所のために、彼女の寿命をすり減らすような旅をするわけにはいかない。結局、タクトは彼女にユートピアのことを忘れさせるように仕向けるしかなかったのだ。
ある夕暮れ時のこと、タクトはいつも通りに、エリスの額を冷やすための氷を運びに、彼女の部屋まで訪れた。そこで見た光景は、とてもおぞましく、彼には耐え難いものだった。
「えへへ、エリス良いだろ・・・・」
「ダメよ、タクトが来るわ」
二人の男女の艶を帯びた会話。タクトは氷を床にぶちまけると、無意識に彼女の部屋の戸を蹴破り、間男を殺した。そして鬼の形相で、ベッドの上で怯えるエリスを睨み付けた。
「違うのよタクト・・・・」
「何が違うだ。俺を騙しやがって。おまけに仮病まで使って、何がしたいんだ」
タクトは彼女の部屋を飛び出した。そしてその後、二度とエリスと顔を合わせることはなかったという。だが、彼女は嘘などついていなかった。間男だと思っていた人物は、彼女の従弟で、二人でいる姿をタクトに見られ、誤解されたくなかったので、エリスは彼を部屋から出そうとしていたのだ。そして彼女の病も嘘ではなかった。事実、その事件から僅か一週間後に、エリスは病気で息を引き取った。
タクトに見捨てられたショックが、病の進行を早めたと言いふらす奴もいた。しかしもう彼には、そんなことはどうでも良かった。
「俺は最低のクズ野郎だ」
「そんなこと・・・・」
双葉はタクトを励まそうとするも、次の言葉が出てこない。この沈黙が彼を傷付けることぐらい分かるというのに、この場を落ち着かせる一言が、彼女は出せなかった。
「そして、お前が現れた時、エリスの生霊かと思ったよ」
「俺は、エリスじゃない」
「知ってるさ」
タクトは自身の衝動が収まってくるのを感じた。彼女を汚すことは自身を汚すことなのだ。
「一つだけ、頼みがある・・・・」
「ん?」
振り向いた双葉の首筋にタクトは、唇を付けた。そして前歯を立てた。
「痛・・・・」
タクトの歯が双葉の首筋から離れると、透明な糸を引いていた。首筋には赤い歯型が刻まれていた。
「何すんだよ。お前は」
双葉は顔を真っ赤にして怒っている。そして痛そうに首筋を押さえた。それを見てタクトは笑った。
「ははは、これでお前に最初に唾を付けたのは俺だ。その歯型を見るたびに、俺を思い出すがいい」
「この変態がああああ」
双葉はタクトの頭部にチョップを喰らわせた。
(くそ、男なんぞにキスされて、俺は何でドキドキしてんだよ。まさか俺ってやっぱりホモ・・・・?)
「おい、そこのお二人さん・・・・」
双葉とタクトの前に、突然、黒い馬に乗った、顔に斜めの、痛々しい縫い跡を付けた男が現れた。そしてニヤリと笑うと、手に持っている銀色の手術用メスを、空にヒョイッと投げた。




