タクトの心
少年は少女となった。そして今、見知らぬ世界で、タクトという出会ったばかりの青年と旅をしていた。
「なあ、タクト・・・・」
「ああ?」
タクトは正面を向いたままダルそうに答える。
「この世界はずっとこうなの?」
「いや、違うね。この荒野のずっと先には、ユートピアと呼ばれるこの世の楽園がある。そこには水も植物も果物も、何だってあるらしい。俺はそこを目指している」
少女は首を傾げた。ユートピアなる場所など、聞いたことがない。自分が少年であった時に住んでいた街は、別に楽園ではなかったが、衣食住に困ったことなど一度もなかった。毎日ひたすら同じことを繰り返すだけの、平凡で無味乾燥な世界であった。
「なあ、ところでお前名前は?」
「えっ・・・・?」
タクトの言葉に少女は戸惑った。いつも使っていた自分の名前が思い出せないのである。暮らしていた場所や、通っていた学校の名前は出てくるのだが、自分の名前や家族の名前が思い出せない。少女は仕方なく、自分が通っていた高校の名前、双葉高校から名前をもらうことにした。
「双葉・・・・」
「ああ?」
「双葉」
タクトの動きが止まった。そして双葉と名乗った少女の方を振り向いた。
「以外に可愛い名前だな」
「はあ・・・・どうも」
いつの間にか日が暮れて、空は水色から橙色に、そして今は星すら見えない黒一色になっていた。タクトは馬を止めると、双葉を降ろして、自分も降りると、持っていた白い袋から、寝袋とワイン、そしてライ麦のパンを取り出した。そしてパンを二つに千切ると、片方を双葉に渡した。
「悪いな。連れができるとは思わなかったから、食料はこれだけだ」
「あ、ありがと」
双葉はパンを受け取ると、ハムハムと食べ始めた。男であった時よりも口が小さくなっているためか、がっつくことができない。結果、小動物のように食べる羽目になった。その姿を見て、タクトは笑っていた。
「何、笑ってんだよ?」
「いや、お前さあ、口の割に可愛いな」
「はあ?」
双葉の背中に鳥肌が立った。男に可愛いと褒められるのは大嫌いだからだ。事実、高校に通っていた時は、女顔であったため、周囲に舐められがちで、一々喧嘩で、自分の強さを証明していた。
「ところで。お前は何であの酒場にいたんだ?」
「実は、俺、家が分からないんだ」
「記憶喪失か?」
「違う、記憶はある。ここじゃない何処かの世界で、俺は普通の男として生きていた。でもある日、こんな良く分からない世界に・・・・」
双葉は言いながら涙ぐんでいた。そして涙が手に持っていたパンを濡らす。
「泣くなよ。というかお前、エロいな」
タクトはパンを片手に、双葉の胸元を指した。男に襲われてから、そのまま出てきているため、Yシャツははだけたままで、その後、馬上で付けたブラ(付け方が分からないので、すごく時間がかかった)のおかげで、裸ではないものの、風が吹くたびに、Yシャツの間から、緑色のブラがチラッと顔を見せるのである。
「おい、見るなよ馬鹿」
双葉はYシャツで胸元を隠した。
「遅えよ。もう何回も見てる。これは夢に出るな」
「おい、俺のことをオカズにしやがったら許さないからな」
「何言ってんだお前?」
タクトは言葉の意味が分からないようで、やれやれと首を横に振りながら溜息を吐くと、立ち上がって夜空を見た。
「だけど、お前は俺の昔の恋人にそっくりだな。性格はガサツだが、顔だけは似ている。もしかしたら、我慢できなくなるかもな」
タクトは悪戯っ子のように、照れ臭そうに笑った。それを見て、双葉も同じように頬を緩ませた。
「とにかく、今日はもう寝よう。寝袋はお前にやる」
タクトはそう言うと、地面の上に横になった。
「ま、待ってよ。それじゃ悪いだろ。キモいから、本当は嫌なんだけど。お、同じ寝袋で寝るぞ、この野郎」
何故か双葉は怒っていた。タクトは顔を赤らめると、彼らしくなく声を荒げた。
「お、お前なあ。俺を信頼しすぎだ。一つの寝袋なんかで寝れるかよ。お前は男だとか抜かしてたがな。俺から見たら、お前は女にしか見えねえ。それもかなり可愛い。そんな奴が隣にいたら、俺だってどうなるか分からんぞ」
タクトの言葉に、双葉は「なるほど」と頷いた。
「そうだな、俺も逆の立場だったら。たぶんヤバイことになってる。男だから仕方ないよな」
「随分と理解があるんだな」
「もちろん、俺男だし。それに地面の上で寝れるわけないだろ」
「じゃあ、良いのかよ」
「ああ・・・・」
「夜中に変なことしちまうかも・・・・」
「やったらアッパーな」
「いや、やっぱり地面で寝る」
結局タクトは地面の上で眠ることにした。そして長い夜が明けた。
次の日の早朝、二人は既に町を目指して、草木の生えぬ荒廃した荒野を馬と共に進んでいた。
「双葉、悪い。飛ばすぜ」
タクトは背後をチラッと見ると、何かを警戒するように顔を強張らせた。そして馬の手綱を引いて、一気に荒野の上を駆けた。すると背後から、怒鳴り声が聞こえた。
「おい、タクト待て」
双葉が後ろを見ると、馬に乗ったスキンヘッドの男が、恐ろしい表情で追って来ていた。
「な、誰だあいつらは」
「俺の追手さ。最悪だ。こうなったら叩くしかないな」
タクトはポケットから銀色の拳銃を取り出すと、スキンヘッドに向かって発砲した。
「うわああ」
双葉はタクトの背中をギュッと強く掴んだ。そしてスキンヘッドの男を見た。弾丸はスキンヘッドの額目掛けて飛んでいたが、目の前で突然粉々に砕け散った。
「い、今の見た?」
双葉は震え声で、タクトの背中を叩いた。
「ああ、見たぜ。加速を使うとはやるな。こいつは少し厄介だ」
加速と言う耳慣れない単語に、双葉は不思議そうにしていた。それが伝わったのか、タクトが面倒臭そうに説明を始めた。
「加速は、俺の一族に伝わる秘伝の技術だ。この世のあらゆる現象を加速させることができる。あいつは劣化の加速を使ったんだ。これは物体の寿命を速めることができるんでね、俺の弾丸を腐らせやがたんだ。形あるモノはいつか壊れる。上手いことを考えやがるな。昔の偉人はよお」
タクトは馬の手綱を強く引いた。
「そして、俺が使うのは、馬力の加速」
タクトと双葉の馬が、急に雄叫びでも上げるように鳴くと。凄まじい速さで、スキンヘッドの男が見えなくなるまで、馬は一心不乱に走り続けた。そして完全に見えなくなったところで止まった。
「これが加速だ」
「うあ、すご・・・・」
双葉は青い顔で口元を手で押さえていた。馬酔いなんて初めての経験だったのだ。