『松下浩史(夫婦)』 8
生き延びた浩史さんが仕掛ける計画とは?
瑠菜が続きを話し始めた。
「『榛菜』はみゆきと芳江の親から死神とののしられても、もう心を痛める事も無かったわ。だって、その通りだもの。『榛菜』と仲良くなった人は全員が死んでしまう。いえ、殺されてしまうの。例え犯人が赤の他人でも、原因は全て『榛菜』なんだわ。でも自殺だけは出来なかった。『榛菜』は誰かに殺されるべき存在なの。自分で死ぬなんて楽な死に方をすべきじゃない。そう思っていたのに、『ヒロさん』が目の前に現れたの」
浩史は心の中で呟いた。
『ヒロさんか。懐かしいな。昨夜も聞いたが、十何年ぶりだな』
彼の計画がどうやら成功しそうな公算が高くなって来た。
「東京の大学を出て、今の会社に就職後しばらくしてから母さんが入社してきたんだ。美人だからみんなの注目を浴びていたけど、誰も声を掛けられない雰囲気が有ったな。実は彼女はコネ入社なんだ。副社長がおばあさんの短歌仲間だったらしい。だから入社してきた彼女を見て、副社長が心配して僕に面倒を見るように頼んだのさ。仕事もそうだが個人的な悩みも聞いて上げてくれってな。歳が近いのが僕しか居なかったせいもあるがね。まあ、こっちも美人の相手は嫌いじゃない。だがこれが大変だった」
浩史は昔を思い出すような目になった。本当に大変だった。
「なんせ、ほとんどしゃべってくれないんだ。『はい』と『いいえ』が会話の9割を占めていた。残り1割も仕事上の言葉が一言だけだった。自慢じゃないけど、僕は他人の心や感情を読むのは人より得意だ。特技と言ってもいい。だから他人と仲良くするだけなら、どれだけ頑固な人でもしばらくすると何とかなったものだが、母さんだけは駄目だった。目を見ても、何を考えているか分からなかった。確かに感情は有るようなんだが、敵意の方が大きくて、掴み切れなかった。正直な所、あの頃は母さんに少し殺意を抱いていた」
「そらそうや。あの頃の榛菜さんは誰かに殺して欲しくて仕方無かったんや。敵を作れば作るほど殺してもらえると思ってたんやで、仲良く出来るかいな。と言うても年頃の女の子や。心が乱れてたんも事実や」
菜々が答えた。彼女だけは普通の口調に戻っていたが、表情は暗かった。
「悪戦苦闘をしていたけど、総務課と人事課恒例の全員参加の合同忘年会が転機になった。居酒屋の2階に有る小さな座敷を借り切っていたが、調理場で火事が起きたんだ。煙が充満する中、皆が窓から飛び降りているのに母さん一人だけが動こうとしない。挙句に『ほっといて。やっとチャンスが来たのに邪魔しないで』って言うんだ。初めてまともにしゃべった言葉がこれだったんだからな」
浩史はその時を思い出したように声を出して笑った。そのせいで顔をしかめた。
瑠菜が心配そうに『大丈夫?』と訊いた。
「ああ、大丈夫だよ。話の続きだが、最初で最後だと思うがその時に初めて女性を殴った。しかも握りこぶしで。みぞおちを狙ったんだが、悶絶して食った物を戻すし、暴れるしで、マンガのように行かなかったよ。後で調べたら、あまりお勧めの方法じゃ無かったな。首筋もそうだが、人間は簡単に気絶しない。むしろ弊害が多いから一樹は真似するなよ。でもその時はこっちも必死だったからな」
「さすがに榛菜さんも予測出来んかった、あれは。ほんとに死ぬかと思うたで。しかも息が出来んのに無理やり抱えて2階から飛び降りるんやからな」
初めて聞いた4人は笑っていいのか、感動した方がいいのか分からなかった。
「それからだよ、ぽつりぽつりと昔の事を話してくれたのは。僕が最初に理解出来たのは、あの当時の母さんは半分自分を殺していて、簡単に死を受け入れるという事だった。でも、気が付けばどうしても結婚したくなっていたのだから人生は分からないな。まあ、車で事故って入院した日に泣きながら病室に入って来た母さんを見た時に心を決めたような気はするがな」
「あん時は見舞いをしたら直ぐに自殺する気やった。それやのに」
「顔を見た途端に、『死んでもらっては困る。今、君に死なれると僕が殺したような気になるから絶対に死ぬな』って怒りだすんやもんな」
「そうね。超能力者かと思ったわ」
「あの時の母さんは死の誘惑に捕まっていた。見た瞬間に分かったよ。後でつくづく自分の特技に感謝したな」
「事故っていつしたの? そんな話は聞いた事がないけど」
一樹が訊いた。
「母さんが入社した1年後の4月だ。信号無視の車に突っ込まれたんだ。右足と右手の骨折だけで済んだが、車は全損したな。結構改造に金を突っ込んでいたから、骨折よりそっちの方が痛かったな。それからは別の理由もあって、仕事以外では車に乗らない事にしたんだ」
「父さん、僕の人生が短くなっても構わないって言葉を覚えてる?」
陽菜が浩史に訊いた。昨夜、浩史が意識を取り戻す前に呟いた言葉だった。
「ああ、それはプロポーズの言葉だ。事故の2ヵ月後だ。仕事帰りの喫茶店で親友二人を亡くした後のつらかった時期の話を聞き出した後で、夜の公園に連れ出したんだ。結婚して欲しいといきなり言い出したのは良かったが、断られてね」
「覚えているわ。あの時私は『うちの大事な人はみんな死んでいく。だから、もう誰も好きにならんようにしたんや』って断ったわ」
瑠菜が答えた。もう『榛菜さん』でも『榛菜』でも無かった。
「だから、『その人達は君を嫌いだったのかい?』と訊いたら、『でも不幸にしてしまう』と言われたんだ。そこで『他人の人生を不幸と決め付ける権利が君に有るのかい?』と畳み掛けて、やっと僕のペースになったんだよな」
陽菜はある意味感動していた。まだまだ恋愛初心者の彼女にとって、プロポーズはロマンチックなものだった。
両親とは言え、これほど生々しいプロポーズの話を聞くのはドキドキする経験だし、並みのドラマよりも臨場感が有った。瑠菜が続けた。
「そうね、もうその頃には反論する余裕が無くなっていたから、首を振るしか無かった。追い打ちを掛けるように『君の大事な人達の思い出は笑顔の方が多くなかったかい?』と言われた時には、頭が真っ白になってしまって、思わずうなずいたの」
浩史と葉瑠菜の4人は無言になった。耐え切れずに陽菜が大きな声で言った。
「あー、早く続きを教えてよ。大事な所で止めるなんて卑怯よ」
「あ、すまん。つい、あの頃に浸っていた。でも面白いか? 両親のプロポーズの話なんかを聞いて」
「面白いに決まってるじゃない。なんで未だにラブラブなのかの秘密が分かるかもしれないのよ。二人にとっては過去の話だけど、私にとっては将来の話なの。参考になるかもしれないじゃない?」
「そうかな? かなり特殊だと思うけどな。とにかく、母さんの肯定を引き出したので更に畳み掛けたんだ」
葉菜がみんなにかろうじて聞こえる声で呟いた。
「『僕の人生が短くなっても構わない。僕の寿命がどれ程残っているかは分からないけど、君の傍に居られるなら、それを受け入れるよ』」
みんなの心の中にその言葉が落ち着く間を空けてから、浩史を見ながら葉菜が続けた。
「まさか、そんな事を言い出す人間がおるなんて考えて無かったし、心を開いてしまった男性を死なす訳にもいかんし」
「でも榛菜さんが、もしかしたらこの人なら死神の私に勝てるかも、と考えたのも事実や。本気かどうかを確かめるために顔を見たら本気で言うてんねん。榛菜さんは喜んでいたで。自分にとっての最後の希望かもしれんとな」
「もう後一押しと思ったから、僕が次に言った言葉は『ああ、十分に価値が有ると思う。まぁ、せめて子供の顔くらいは見たいけどね』だったな。そして止めにもう一回『だから結婚して欲しい』と言ったんだ。今なら分かるが、妻の感情はすごい嵐のように荒れ狂っていた。どっちに転ぶか分からなかったな」
「『うちより長生きしてくれるなら・・・ もし先にあんたが死んだら、直ぐに後を追うで』」
また葉菜が呟いた。彼女の顔は思い出の中に居る事を表していた。
続いて瑠菜が言った。彼女も思い出に浸っていたが、葉菜ほどでは無いようだった。
「結局、ヒロさんに自分の運命を預けようと思ったの。もしヒロさんが死ねば今度こそ後を追って死ねばいいと思った。だからヒロさんが傍に居てくれる限り、生きていていいんだと結婚するまでに自分で自分を洗脳したわ」
「おかげで、マイカーを諦めたり、禁煙したり、アルコール以外の誘惑を断ち切った甲斐があった。こんなにいい子供二人を持つ事が出来るなんて、幸せ以外の何物でも無い。もっとも何度も死にそうな目に遭ったがな。ここの院長先生達と知り合ったのも、何度もここに担ぎ込まれたせいだったんだよ」
話を聞き終わった4人は言葉が無かった。
ある意味、松下榛菜は信じがたいほどのロマンチストだった。
と同時に、とんでもないエゴイストだった。子供を産んだ後も夫が死んだら後を追う気でいたとは今まで気付かなかった。
「だからか・・・ いつでも死ねるように、俺らに一人暮らしの基礎を小学生の時から叩き込んだのは?」
一樹が呆然とした声で聞いた。瑠菜が答えた。
「そうよ。でも、あなた達が生まれた後は誰が死んでも後を追うつもりだったの。だから、簡単には死なない子供に育つようにして来たわ。ヒロさんが甘やかす事も禁止してね」
一樹も陽菜も初めて理解した。
母親には勝てないと何処かで思って来たが、榛菜は常に自分の命を掛けていたのだ。
知らない方が幸せだったかもしれなかった。
何故なら、自分の命に母親の命が上乗せされている事を断言されたからだった。
如何でしたでしょうか?
なんとなく分かっているつもりの家族の裏面を覗いてしまうのは結構ヘビーですよね(^^;)




