第一章 『松下一樹(事件)』 1
こんばんは mrtkです。
やっと、『神隠しから生まれし少女』の本編が始まります。
「いくら何でも買い過ぎだ、母さん。重過ぎる」
松下一樹は前を歩く母親に文句を言った。高校2年生の彼はスリムな体形で、身長も高い部類に入る。少々呆れた表情を浮かべた顔も整っている。クラスに一人は居る『その気になればモテる奴』に分類されるだろう。
だが、大きな米袋を抱えて、しかも両手には買い物袋をぶら下げている今の彼は本来の性格そのままに所帯じみていた。ファッションには無頓着なのか、服装はありふれた安売り店の特売品だった。
だから、同世代の目の肥えた女子から見た場合、彼の『イケてる』度は、体型と外見に助けられても辛うじて『まぁマシ』程度だった。
彼と母親は近所の食品スーパーからの帰りだった。国産牛の焼肉用バラ肉と宮城県産『ひとめぼれ』10kgが4時からのタイムサービスで特売だったので買い込んだのだ。一樹が持つ買い物袋の中には、その他にも一人一本限定特価のミネラルウォーター2リットル入りペットボトル2本も入っていた。野菜も含めた全てを足すと17kgを軽く越えているだろう。彼はデートから帰って来ると、待っていた母親に強引に連れ出されていた。歩いて5分も掛からないからと、自転車に乗ってこなかった事を後悔していた。
それに対して、息子とそっくりな母親の松下榛菜が持っている荷物は買い物袋一つだった。しかも買い物袋の中身は焼肉のタレふたつとお菓子だけだった。いや、ピーマンも入っている。バランス調整と言いながら、最後の最後に一袋だけ自分の買い物袋に移し替えたのだった。
息子の一樹の抗議を聞いて、榛菜は涼しい顔で言い返した。
「どの口が文句を言うの? 陽菜はダイエット中だし、お父さんも最近は小食になったから、それだけのお肉やお米を買っても半分近くはその口に入るのよ?」
「よく言うよ。自分もたいがい食べるくせに」
「私はいいの。食べても太らない体質だから」
「陽菜が聞いたら怒るぞ、そのセリフ」
「仕方無いじゃない、体質なんだから」
「へーへー。陽菜も母さんの体質を遺伝出来なくて可哀想にな」
「でも、お父さんに似たおかげで可愛いわよ。あんたは私に似たから、可愛げが無いのよねぇ」
「自分の息子に可愛げが無いなんて言うか、普通?」
「事実だから嘘は付いてないわ。お父さんに似てくれたら可愛かったのに」
「我が親ながら、困ったおばさんだな」
器用にステップを切り替えて、後ろ向きに歩きながら榛菜が皮肉っぽく言い放つ。
「僻むな青年。悔しかったら、お父さん以上の良い男になって、私以上の良い女を奥さんにする事ね」
一樹は目を逸らして言った。
「その性格の悪さは探しても、簡単に見つからんな」
「目を逸らすのは負けを認めた証拠だぞ、一樹」
一樹の返事は立ち止まって、肩をすくめただけだった。
町内会会長の吉田さん宅の塀の上の雌猫がそんな彼らを興味無さそうな顔で見下ろしている。三毛猫の彼女はよくここで日向ぼっこをしていた。発情期はうるさいが、こうして日向ぼっこをしている彼女は少し可愛げが有って、一樹は嫌いでは無かった。
吉田さんの家には他にもおとなしいセントバーナード犬も居て、小学生の時には散歩中によく触らせてもらったものだ。今では年老いて益々おとなしくなっていた。
平成20年5月3日土曜日午後4時半頃。ゴールデンウィーク中の平和な光景だった。
そして、こんな会話を交わす松下親子だが、決して仲が悪い訳では無かった。むしろ仲は良い。その証拠に母親に付き添って買い物の荷物持ちをしてくれる高校2年生の息子など世の中にあまり居ない。
だが、この家族の恐ろしいところは結婚して18年経つにも拘らず、母親の榛菜が夫の浩史にぞっこんだった事だった。自分に対する軽口は許しても、父親に対する反抗だけは絶対に許さなかった。
なんせ、口癖が『あんた達が、そこそこ良い顔で生まれたのも、頭が良いのも、もてるのも、全てお父さんのお陰なんだから。私だけで産んでいたら、どうなっていたか分からないわ』だった。
もちろん榛菜はアメーバーではないので、『私だけで産む』事が可能なはずは無かったが、彼女の夫に対する感情が分かる言葉だった。
その理由を小学校5年の時に訊いてみたが、『お母さんを救ってくれたのがお父さんだから』と繰り返すだけで、詳しい話は教えてくれなかった。どうしても知りたい話でもないし、この母親なら話し出したら止まらないから、敢えて突っ込んで聞く事もなかった。
「さあ、とっとと歩いて。直ぐに支度しないと可愛い二人が飢え死にするわ」
先に歩き出していた榛菜は再度一樹の方へ振り返ってそう言うと、急に大きな声を出した。
「優衣ちゃん、久し振り!」
一樹の連れ、早川翔太の二つ下の妹の名前だった。大阪の人間らしく『そんなアホな』と突っ込もうとしていた一樹はタイミングを外された。
うん、地味です(^^)
ちょっと壮大な感じのシリーズプロローグに比べて、本編は地味な作品だったりします(^^;)