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G492 ひとつの終わりと始まり 中編

「我、レグラスの死を予言する」

 その騎士には正しい位置に首が無く、腰に自らの首を下げ、なぜかそこから声を発していた。

 騎士の足下には、首の無い領主の死体が転がっている。

 さらにその周囲では、何かに悪魔が群がっている。目をこらしてよく見てみると、誰かの死体を悪魔が貪っているのだ。

 ここは何処だ。

 あたりを見渡すと、どうやら領主の館の吹き抜けらしい。手前の階段に立つ首の無い騎士がレグラスに語りかける。

「貴様がこの館に来なければ、その村人達は死なずに済んだ」

 首無し騎士はすらりと剣を抜いた。ということは、悪魔に喰われている死体は彼らに殺された村人だろうか。

「貴様はそれで騎士のつもりか?

 ――ならば、貴様には誰も守れない。ただ、挫折と死が待ち受けるのみだ」

 首無し騎士は剣を手にゆっくりとレグラスの元へと歩み寄ってくる。

「そんなことは無い! オレはいつも最善を尽くしたつもりだ」

 レグラスは叫ぶ。だが首無し騎士は歩みを止めずに答えた。

「最善だと?

 貴様がしたことといえば、綺麗事を並べ立てて事を荒げただけではないか」

 首無し騎士の言葉にレグラスは動揺していた。自分は今まで、紳士でもある清く強い理想の騎士の姿を追い求めてきた。彼が騎士となった一番の動機は金だったとは言え、騎士という職業そのものは彼の憧れであった事に代わりはない。その騎士になるからには騎士らしくあるべきだと思ったのだ。

 己の考える騎士道精神のままに動き、騎士の言葉も真似た。

 だが、それは上辺だけの行為ではなかったかと胸を張って言えるのか?

 首無し騎士の言うとおり、綺麗事を並べ立てて、その奥底は醜い欲望で満たされていたのかもしれない。

 しかし、それでは彼が騎士として嫌っていた人々と同じではないか?

 騎士の心というフィルタを通さなければ、レグラスはその彼らをも認めていたのだろうか。――思い出せない。

 そうしている間にも、首無し騎士は近づいてくる。

 ふと、レグラスは自分の周りに何人かの人間が倒れていることに気付いた。

 一人は自分と同じ騎士の鎧を、一人は聖職者のローブを、もう一人は、黒いローブを身にまとった魔術師風の姿。

 そして、そのどれを見ても首から上が無くなっている。

 騎士がレグラスに向けて何かを投げる。床にずしりと落ちて、少し転がる。それは仲間達の生首だった。

「貴様には、誰も救えない――」

 目の前で首無し騎士の声が響いた。その直後、想像を絶する速さで彼の剣が振り下ろされる。

 レグラスには防御のために両手を動かす暇すら無かった。

 何かが潰れたような音と共に首を冷たい物が走ったと思うと、直後にその部分が熱を帯びていく。熱くてたまらない。同時に、レグラスの視線は意志に反して上を向き、そのまま一回転して地面へと落ちてゆく。

 頭が地面に落ち、意識が暗転して行く中、レグラスは視線の先に首のない自分の体がゆっくり倒れていくのを目にしていた。


「うわァァァァッ」

 己の叫び声に目を覚ますと、レグラスは思わず胴と頭が繋がっていることを確かめた。

 どうやら頭はちゃんと枕の上に、体はベッドの中にあり、二つはしっかり繋がっているようだ。

 安心して周囲に意識を向けると、窓からは朝陽が差し込んでいる。遠くからは甲高い鶏の鳴き声が聞こえてきた。

 ハークスの村には、昨日までの重苦しい雰囲気が嘘のように見えるほどのどかな朝が訪れている。

 昨日、意気消沈として領主の館を出た四人は、ラウンの判断によってひとまず村人に危険が去ったことと、領主が助からなかったことを告げ、自分たちの疲労が極限に達しているので明日、もう一度代表の前で詳しい話をする事を伝えて宿で休んだのだ。

 死の宣告に激しいショックを受けていたレグラスは、眠れず、かなり遅くまで起きていたのだと思うが、結局疲れに負けて眠りに就くことが出来た。

 おかげで披露は回復したものの、眠っている間悪夢を見続けたために精神的にはすっかり参ってしまった。

 げっそりとしつつも朝の支度を整え、ファズ、ラウン、リーフルの三人と合流して詰め所まで歩き、例の村人代表の男を待った。

 彼が到着すると、ようやくといった調子でラウンによる事件の説明が開始される。

 これは村への説明だけでなく、当事者でありながらこの事件の詳細が未だによく分かっていないレグラスとファズの二人への説明も兼ねている事は雰囲気で読み取れた。

「まず、例の首無し騎士の事から説明しようか」

 ラウンは、椅子に座ったまま、机にもたれかかるような体勢で口を開いた。

「あの騎士は、一般的にはデュラハンと呼ばれているが――物語などでもたまに登場する、幽霊だとか精霊だとかいった類の者だ。

 彼について詳しいことは知られていないが、剣術にかけては恐ろしい手練れであること、騎士道精神を重んじるものであること――」

 彼はそこまでをゆっくり淡々と話し、ひと呼吸置くと、レグラスに目線を走らせて先を続けた。

「――人間の死を予言し、予言した日取りを違えることなく、その人間を自らの手で討ち取りに来るという伝説が有名だ」

 この言葉にレグラスは少しびくりとした様子を見せた。

「そして、領主は間違いなくそのデュラハンによって殺され、館には同じくデュラハンによって斬られたと思われる"悪魔"の死体が散乱していた。

 このことから推測するに、結論はひとつしかあるまい」

 ここまでラウンが言い終えるか言い終えないかのうちに、ファズが口を挟む。

「つまり、あの悪魔は領主様を守るためにデュラハンに斬られたと言うこと?」

「話を聞く限り、領主は騎士の駐留を断られたらしいが、傭兵を雇うにも同じ理由で不可能だったであろうし、何より金の問題もある。 徐々に追いつめられていく中で、領主は禁断の魔術に手を出すしかなかったのだろうな。

 あれは"悪魔"でも何でもない、魔法で生み出された哀れな魔物に過ぎぬ」

 ラウンはそこまで言うと、話は終わったといわんばかりに机から体を離し、椅子の背もたれへと身を預けた。そんな彼にまたもファズが口を挟む。

「けど、あの悪魔の邪気がオッサンの神聖魔法で浄化されたのはどういう訳だよ?」

 ただ報告を理解することに必死な代表の男や上の空で窓の外を見つめているリーフル、それにレグラスは発言をしていないために、この一室はほとんどラウンとファズの質疑応答の場となっていた。

 前の二人はともかく、普段積極的に意見をぶつけているレグラスが黙ってしまっているのはデュラハンの死の宣告や彼に敗北を喫したこと、それに夢の中でのデュラハンの言葉などが脳裏を支配し、話は聞いていても意見を出すには至らなかったからだ。

「失礼なことを言うな。"悪魔"ではなくとも魔法の力で生み出された生物、不浄な存在である事に違いはないわ。

 尤も、あの場はお嬢さんに任せた方が適任だったかもしれんがな」

 ラウンはファズの質問に答えるとずっと窓の向こうを眺めているリーフルの方に目をやる。

「いえ……、生み出された魔法生物にたいする解除魔法はありませんから、――分解消去の魔法でも唱えればいいんでしょうけど……。

 それよりも、それほど魔術に詳しかったと思えない領主様にあれだけの魔法生物を作れた事が疑問です」

 リーフルは顔をこちらへ向けようともせず、落ち着いた、しかしどこか夢を見ているかのような口調で答える。ラウンは逆に投げかけられた問いにウーンと唸ってしまう。

「確かに、誰か強力な魔術の使い手が背後に立っているとしか思えんな。

 領主の知り合いにあのような物を呼び出せるほどの魔術師がいたかどうか、それだけでも分かればいいのだが――」

 と、ラウンは代表の男に目線を向ける。

「領主様にそのような知り合いはおりませんッ」

 男は反射的に立ち上がり、大声を張り上げてしまい、ふと魔術師であるリーフルの姿を認めてハッとする。

「しっ、失礼しました。――とにかく、領主様と魔術学院関係の方が関わっていたなどという事はありません」

 三人が彼の大声に思わず顔を上げたにも関わらず、リーフルは相変わらず窓の外を眺めており、自分達魔術師が蔑視されたことすら気付いていないようにも見える。

 しかしこの男、よく見ると目が赤い。おそらく領主の訃報を聞いて昨晩は泣きはらしたのだろう。よほど彼を慕っていた事が伺える。

「だが、魔物が現れたのは周知の事実。何らかの形で領主が魔術師と接触していたと考えるほかあるまい」

 ラウンはもはや呟くように言う。しばらく、静寂が続く。

「ひとつ、気になっていたんだが――」

 沈黙を破ったのはファズだった。

「領主様がメリアの会合に出席した時、あんたは付いていかなかったのか?」

 代表の男は一瞬何故そんなことを聞くのかと言う顔をし、答える。

「会合の間は騎士様の護衛が付いておりますから、安心だろうと信じておりましたので」

 この男は領主の暗殺を心配しながら、騎士の中に暗殺者が潜んでいる可能性は考えていなかったのだろうか、ファズはこの男に聞いてみたかったがやめた。おそらくそこまで考えていなかっただろうし、レグラスに「騎士たる者そのような事はせぬ!」などと言われるのもつまらない。

 昨日からずっと落ち込んでいるレグラスにその反論をできるだけの余裕があるかどうかを試してみるのも面白いが。

「なら、考えられる可能性はメリアでの接触しかないだろ」

 ファズはそう言うと同意を求めるようにラウンを見た。ラウンは大きく頷き、答える。

「では、メリアで情報を集めてみるしか無いようだな。

 ――やれやれ、帰ってからも余計な仕事ができてしまったようだ」

 以前と同じ面倒そうな口振りだが、今はどうやら本心からそうは思っていないように感じられる。事の重大さと、彼らの中に生まれた少しの連帯感がそうさせたのだろう。

「では、領主に最後の祈りを捧げてからメリアに帰るとしようか」

 ラウンは席を立ち。会合は終わった。

 既に太陽は一日の内で最も高い位置にあり、どこからか昼食の良い香りが漂ってきた。


  * * *


 葬列は長く、墓地へと続いている。

 この葬儀はラウンが取り仕切って領主の館で行われる予定だったが、館内の状態があまりにも酷い為にすぐに行うことはできず、村人達による大清掃が行われた結果、葬儀が始められるころにはもう日も暮れかかっていた。

 結局、一行はもう一晩この村へ泊まることになってしまった。

 そうしてようやく開かれた葬儀の場で、一同は祈りを捧げた。

 儀式が終わると領主の亡骸は村はずれの墓地へと運ばれる。

 この地方では土葬が一般的であり、運ばれた遺体はそのまま土に埋められて大地へと還るのだ。

 ラウンは葬儀を仕切る都合で埋葬の列に同行したが、二人の騎士と一人の魔術師は詰め所へと戻ることにした。その葬列には親しい親族や世話になった者などが参列するべき場だからである。しかし、その列には村人達のほぼ全員が連なっており、領主への領民からの信頼がいかなるものであったかが伺われる。

 詰め所へ戻る途中、ファズは何度もレグラスへと話しかけた。どうやらレグラスを励まそうとでもしているらしい。

 だが、当のレグラスは耳を貸さずにふさぎ込んでいるばかりか、詰め所に着くと「一人にしてくれ」と言い残して宿舎へと行ってしまった。

 結果、ファズとリーフルの二人が残り、しばらくの間奇妙な沈黙が流れた。リーフルは相変わらず手近な椅子に腰掛けて窓の向こうを眺めている。

「ねえ、リーフルさんは、どうしてずっと、あっちの空ばかり眺めてるのさ」

 ファズがたどたどしく問いかけると、例によって彼女はまったく振り向かずに答える。

「南の大地が騒いでいるんです。

 ――きっと、何か、何か恐ろしいことが起こっているんでしょう」

 南の空では幾多の星の中で、一つの真っ赤な星が一際明るい輝きを見せていた。

 一方、レグラスも宿舎の一室でベッド脇の椅子に腰掛け、窓から同じ夜空を眺めていた。

 デュラハンに死を宣告されてからの自分は、まるで全ての誇りを失ってしまったかのように思える。

 それと同時に、今まで封じ込めてきた自己への疑問が次から次へ沸いて来るのだ。騎士とは何か、型どおりに騎士道精神を重んじる事が騎士なのか、そして自分は本心から騎士道精神を持っていたと言えるのか。

 偽りの騎士道精神はただの偽善でしかなく、誰かを守ったりなど、いや自分を守ることすらできるはずがない。事実、レグラスは誰一人守ることが出来なかったどころか、魔物を刺激して被害を拡大させてしまったのだ。

 自分の行った事を考えると、わざわざ背伸びして騎士言葉を使っていた事すら恥ずかしい。

 デュラハンに宣告された一年後の死。死ぬことは怖い。今この瞬間も死への恐怖に体のふるえが止まらないのだ。

 しかし、自分は騎士ではないか。死など恐れず、残された一年を本当に正しい事に使ってみてはどうだろうか。

 あの領主のようにいかにそれまで善政を敷いていたとしても、毎日を怯えて過ごしたり、魔物の力に頼ったりしていては駄目だ。

 誰かの助けになること、それはやがて自分の助けになるだろう。それは騎士としてでは無く、レグラス自身の意志から生まれた考えだった。

 自分自身の力で最後まで力強く、そして正しく生きていきたい。残された一年を正しく生きる、それは実は視野の狭かった自分に対して神が定めた運命なのではないか。

 そうであっても無くても、そうする事が自分に残されたただ一つの救いの道に違いない。

 だが、やはりその先に待つ死は怖い。まるで頭の中が無限に続く回廊を巡っているかのようだった。

 いつしかレグラスは無限の回廊の催眠によってか、ウトウトと眠りに就いていた。

 こうした状況でも眠れるのは騎士としての心構えなのか、単なる田舎者の神経の太さなのかどうかは誰にも分からない。おそらく、レグラス本人にも分かっていないだろう。

 窓の外には星空が広がり、その下には平和な村の屋根が連なる。

 領主に対する最後の祈りを終えたラウンも詰め所へと帰り、村の家々に灯る明かりは段々と消えていった。

 そして、彼ら――いや、全てのグランドール国民にとって最後の平和な夜が更けていく。

 静寂が世界を支配し、そしてまた新しい朝が帰ってきた。


  * * *


 一台の馬車が帰路を行く。

 今朝、ハークスの村を出発した一行はメリアへと向かって走っている。

 まだ、戻ってから行うべき課題が多く残っているとはいえ、ようやく自宅へ戻る気分だった。程度の差こそあれど、一同は帰路につく喜びを噛みしめていたのである。

 出発から数時間、日陰で外界よりは若干涼しい馬車の中からようやくメリアの城壁が見えるようになった時のことだった。

 メリアの上空で何かの群れがたかっていた。

 それはカラスのように羽ばたいているが、カラスにしては遥かに大きい。

「またか!」

 驚きと恐怖の入り交じったような声で、ラウンは呪うように叫んだ。そう、その群れを構成する怪鳥は、かつて彼らが領主の館で目にした魔物と同じ物であったのだ。彼はすぐさま怯む御者に鞭を入れさせる。

 突然激しく揺れだした馬車に気持ち悪さを感じつつも、一行はそれ以上の気味の悪さに身を固くしていた。

 あの魔物は、昼間であっても屋外を自由に出歩くことが出来る。

 ハークスの場合、領主がデュラハンを倒すために極秘裏に魔物を囲い、警護に当たらせていたので、人目に付かせないためにその行動を夜間に限定していたのだろう。

 しかし、一度は悪魔と勘違いしていたこの魔物が、陽の光に弱いとされる悪魔と違って昼間も行動できるという事実、それに、これまでとは異なる行動を見せたことに、あの魔物はまだ隠れた力をいくつも持つ、悪魔以上に強力な存在なのでは無いかという想像を呼び起こしたのだ。

 やがて馬車は城壁付近に辿り着いたものの、上空の魔物の群れはその数をどんどん増しているようにみえる。

 ラウンが市門へ向けて馬車を走らせると、その市門の内から二匹の悪魔が姿を現した。

「まったく真っ昼間からご苦労さんだよね」

 ファズは言うと、御者が馬車を大きくUターンさせて止めるタイミングに合わせてそこを飛び降りる。レグラスもその後に続き、二人は抜刀して眼前に迫る敵に向かった。

 既にこの魔物とは大量の数を相手に戦った経験もあり、その攻撃パターンはもう二人の体にたたき込まれている。彼らに何か隠された力が無い限り、苦戦することはないだろう。

 そして、魔物達が隠れた力を示すことは無かった。

 ほどなくして二匹の悪魔は討ち取られた。


 市門へと駆け寄ると、内部には信じられない光景が広がっていた。

 通りに魔物が溢れかえっているのだ。

 そして、かつて騎士や魔術師、僧侶であっただろう人の死体が幾つも転がっている。ここから見通すことは出来ないが、至る所で戦闘が行われているらしく、ここ数日で聞き慣れてしまった、武器を打ち合わせる音や、肉の引き裂かれる音が、魔物達のキィキィという叫び声に紛れて無数に聞こえてくる。

「レグラス、こういう場合、俺達はどうすればいいかな?」

 あまりの敵の多さに市門から先へ進めずにいるファズがいつになく焦った声で呟く。

 最良の手段は近隣の村へでも助けを呼びに行くことだ。二人の騎士に、ラウンとリーフルが加わったところでここを突破することは容易では無いだろう。先日のような籠城戦とは勝手が違うのだ。

 近隣の村に駐屯している騎士達の中には、この異変に気付いていない者もいるかもしれない。

 そうでなくとも村人にさらに遠くへの伝令を頼むことができる。方法としては一番確実だ。

 しかし、目の前で今も戦い続けている誰かがいるのに、それを見捨てて逃げることができるのか。今ここを離れたら、ハークスの村の時のようにまた犠牲者を増やしてしまうかもしれないのだ。

 騎士としての自分は、確実な方法を取ることも、この身一つで敵に戦いを挑むこともどちらも正しいと教えている。

 ――どちらを取るかは、騎士としてではない本当の自分が決めなければならないのだ。

 レグラスは数秒の沈黙の後に、言った。

「このまま行く。一人でも多くの仲間を救えたらいい」

 これを聞いたファズは一瞬呆気にとられた後に聞き返す。

「正気か? この状況では、救うどころか俺達が生き帰ることすら難しいと思うよ」

 レグラスはファズの方を振り向きもせず、前だけ見つめて強く言った。

「オレは、生きる。生きて必ず帰ってみせる!」

 ファズは呆れながらも、レグラスならそう答えるだろうと期待していた。そして、自分の背中を押してくれるだろうとも。

 彼は満足げに頷くと、追いついたリーフルと共に三人で町の中へと飛び込んだ。

「リーフルさん、ラウンのオッサンはどうしたんだ?」

 目の前に見える魔物を片っ端から切り払う。

「あの人は、馬車で周辺の村を巡ってみるそうです」

「なるほど良い判断だ」

 リーフルはぶつぶつと呪文を唱えながら両腕を複雑に動かし、炎を作る。完成した炎はリーフルが手を振ると一直線に飛んでいき、一匹の魔物に命中してその体を消滅させた。

「お前の判断は間違ってはいなかったようだな」

 ファズは攻撃の合間に横で戦うレグラスを見る。自分たちがどちらの判断をしたにせよ、ラウンは伝令の役に回ってくれたのだ。

 だが、レグラスは返事もせずにひたすら斬っては走りを繰り返す。

 いつしかレグラスが敵陣を崩して先へ進み、その後でファズとリーフルが後始末をするという構図が出来上がった。

 初めは魔物も油断していたらしく、この無謀な突撃も十分以上の戦果を上げていたのだが、彼らはあまりに無謀だった。


 町へ入ること数十分。三人は町の中央の噴水広場に立ちつくしている。見事に囲まれてしまったのだ。

 倒しても倒しても魔物は次々と現れ、その数は減ることが無い。この広場には三人の他に二人の騎士がいた。――既に二人ともが帰らぬ人となっていたが。

 レグラス達が駆けつける直前に魔物の一撃で絶命したのだ。そのうち一人は騎士団の中でも割と仲の良かった騎士だ。駆けつけてきたレグラスを見て一瞬気がゆるんだのだろう。

 レグラスはその騎士の名を叫びながら、しかし無意識のうちに騎士の周囲にたかる魔物達を薙ぎ払った。

 この時三人が気付くべきだった事は町の入り口側にも新たな魔物が回り込んでいた事だった。前に見える魔物達を全て倒した所で、後ろから現れた新手に気付いたのだ。

「ここまでか……」

 ファズが肩を落とす。魔物側も多少の知能があることは前に述べたが、彼ら三人の強さを分かっているらしく、周りを取り囲んでもすぐには襲いかかってこない。

 だが、結果的にはそれが仇となった。

 町の奥側の通りから、金属がぶつかる音――戦いの音が近づいてきたのだ。魔物達はこの異変に気付いたらしく、新手に邪魔されて機会を逃す前にとでも考えたか、捨て身で三人に襲いかかる。

 戦い慣れた三人にはこの魔物は単体相手なら敵ではないが、何しろ数が多い。しかも、あらゆる方向からこちらへと向かってきているのだ。

「ファズさん、少しの間頑張ってもらえますよね」

 リーフルがぼそりと呟いた。ファズが「えっ?」と振り向くと、リーフルは何歩か後ろに下がっていつも以上に真剣な表情で呪文を唱え、激しい手振りで魔力を練っている。

 その間にも魔物は襲い来る。やむなくファズとレグラスの二人で応戦することとなった。

 二人はリーフルを囲むように背中合わせの陣を組み、周囲の敵に当たる。ある程度の衝撃は覚悟した上で側面からの攻撃は鎧で受け、正面の敵を斬っては別の敵にあたる。

 そうした事を続け、致命的な打撃こそ受けることは無かったものの、敵の数の多さに二人は所々に傷を負い、この壁を魔物が突破しかけた頃、

「二人とも、私の後ろに下がってください」

 リーフルが大声で叫ぶ。

 静かな雰囲気のリーフルから発せられた強い口調に少し驚きつつも、レグラスは周囲を取り囲む魔物達に牽制の一撃を加えると、大きくステップを踏んでリーフルの後ろへと下がった。同じくファズも後ろへ飛び退く。

 それを確認したリーフルは、大きく両腕を振りかぶると腕の中で作られた魔力の結晶体を勢いよく敵に向けて投げつける。

 どうやら広範囲に渡る魔法のようで、リーフルは標的の一番多い町の入り口へとつながる中央通りを狙う。この狙いは逆方向から近づく仲間と思われる一隊を巻き込まないためでもあった。

 その効果は魔法が彼女の腕から離れた瞬間から現れた。

 腕の中の魔力の結晶体は彼女の目の前で大きく広がると、そのまま一直線に市門を貫いた。

 激しい衝撃波が周囲を襲い、光が視界を進む。

 魔力の拡散が収まり、その効果が終わりを告げると、リーフルは苦しそうにしゃがみ込んだ。

「まだ、私にこの魔法は難しかったみたいですね」

 彼女の目の前から市門に至るまで、一直線にえぐれた地面があり、そこにはあれだけいた魔物の姿が一切見あたらない。さらに、魔法は城壁にまで巨大な穴を開け、そのしばらく向こうまでえぐれた地面が続いていた。

 彼女が昨日、魔法生物には一番効果的だと語っていた、分解消去の魔法だ。その表情からすると、魔法の発動は完全では無かったようだが、それは効果範囲の制御が上手くいかなかったということか、あるいはもっと強力な破壊力を引き出せたということか、それは分からなかった。

 しかし、その不完全な威力でさえ魔物を怯ませるには十分であった。動物的な本能からか、魔物達は後ずさって様子を伺う。

 余裕が出来た三人は、町の奥の通りから聞こえていた戦闘音が段々と途切れがちになっている事に気付いた。

 苦しそうにうずくまるリーフルをファズが抱きかかえ、魔物が退いた隙に背後のその通りの様子を伺う。

 すると、どうやら戦闘音の減少は見知らぬ仲間の敗北ではなく、彼らの勝利を意味していたらしく、いくつかの人影がレグラス達三人の方へと駆け寄ってきていた。

 魔物達もようやく正気を取り戻したらしく、レグラス達へと再度襲いかかろうとする。

「町の外へ出ろ。生存者はもういない」

 朗々とした良く通る声で、こちらへ駆け寄る人影のひとつが叫んだ。

 レグラスとファズはその声に聞き覚えがあった。二人は頷き合うと、立った今リーフルが描いた地肌の上を走って入り口を目指した。

 このとき疲労で動けないリーフルを背負ったファズはまともに戦うことができず、実質の戦力はレグラス一人。

 隙だらけのこの三人に、魔物達は翼をはためかせながら追い迫る。

 だが、魔物達にとって不幸だったのは、この三人に気を取られて新手に背中を向けたことだろう。

 新手のリーダー格と思われる、使い込まれた騎士の鎧に身を固めた壮年の男は、魔物の群れに追いつくと手にした剣の重さを物ともしないかのように振り回し、次々と魔物達を薙ぎ払った。

 例のデュラハンほどではないが、この男も相当の手練れである。レグラスはもちろん、さすがのファズでさえ彼には及ばぬだろう。

 その後に続く五人の騎士もこれに習い、魔物を相手に剣を振る。この騎士達はお世辞にも手練れとは言えないが、レグラス同様この状況を生き残ってきただけあって慣れた手さばきである。

 さらにその後から、二人の騎士と、その一人に背負われた老人が現れる。

「ほれ、こら、そんなに揺らしては腰を痛めるであろう」

 老人は自分を背負う若い騎士へしつこく文句を垂れている。

「フン、魔術師風情が……、どうせ、この忌々しい魔物達も、お前らの……、はあ、ハア」

 もう一人の何も持たずに走る騎士は魔術師への文句を垂れているが、息切れが激しくて聞き取ることができない。

 鎧が無ければ騎士とは分からぬほどにでっぷりと太った中年男、走ればすぐに息切れしてしまうのも無理はない。

「これ、これ、速度をゆるめたら後ろが追いついてしまうではないか、少しは考えたらどうじゃ」

 遅れがちな中年騎士に合わせて速度をゆるめた騎士に対し、老人はそう言うと、片腕を高く上げて手首の先をぐるぐると動かした。

 すると、老人の手の中に炎が生まれる。そのまま、老人は振り返りもせずに炎を後ろに放り投げると、炎は慌ててしゃがみ込んだ後ろの中年騎士を乗り越え、ものすごい勢いで地面を走り、数歩進む程の時間で背後に迫っていた魔物達を塵に変えた。

 さらに、この炎は威力こそ徐々に弱まってはいるものの、次々と魔物へと燃え移っていく。

 だが、建物などに引火することは決してない。なぜなら、彼がそういう風に作り上げた炎だからだ。

 二人の騎士と一人の老人は先を急ぐ騎士達が開いた道を通って市門へと急ぐ。彼らが市門に辿り着く頃には、町の中にはレグラス達が踏み込んだ時とさほど変わらない量の魔物がもう群れていた。

 先ほどはあちこちで聞こえていた戦闘音はもうどこからも聞こえない。


 レグラス達三人が市門を出て、しばらく走っていると、丁度ラウンの馬車が戻って来た所に出会った。

 しかし、その馬車にはラウンと御者以外の人物が乗っている気配はない。また、後続の何かが居るわけでもなさそうだ。

「オッサン、応援を頼みに行ったんじゃないのか?」

 馬車が三人の姿を認めて止まるのを見計らい、ファズが尋ねる。

「それが、どの村の騎士も既にメリアへと向かったらしいのだ」

 ラウンはすっかり落胆した表情を見せる。

「村人に聞いたところ、どうやら他の村にいた騎士達も大部分がメリアへと戻っていったらしい」

 おそらく襲撃はだいぶ前からあったのだろう。周囲の村々に駐留していた騎士達は勇敢にもこれへ駆けつけ、そして散っていったのだ。

「メリア地方騎士団の力を持ってしても奴らの侵攻を防げなかったというのか……」

 レグラスは悔しそうに肩を震わせる。

 彼の脳裏に、自分の姿を認めて嬉しげな表情を浮かべながら絶命した騎士の姿が浮かぶ。溢れ出そうになる涙を押しとどめる。悔しさと悲しさに押し潰されそうなのは自分だけではない。

 その時、背後から声がかかる。

「早め早めに手を打ったのが裏目に出たようだな。

 メリア地方騎士団は我々を残して全滅だ」

 先程の壮年の男――メリア地方騎士団長のロンバルトが四人の元へと追いついたのだ。

 その後ろには、五人の騎士と副団長ルドルフ、そして魔術師学院の老魔術師ガルハヌスと、ファズとレグラスにとっては懐かしい顔が並んでいた。

「団長、カイゼルがやられちまった!」

 騎士の中でも一倍大きな体を持ったいかにも力強そうな男が言う。

 レグラスもこの男には何度か稽古を付けて貰った事がある。頼もしい先輩だ。その彼も今は満身創痍で疲労の色を濃く滲ませている。

 カイゼルという騎士をもレグラスは知っている。決して積極的な方ではないが常に周りのフォローに回るような人物で、周りへの気遣いが良くできる男、と感じていた騎士だ。

 おそらく、彼らの脱出を助けるためにその命を捧げたのだろう。

「また一人、やられたか」

 ロンバルトはメリアの方を振り返って目を伏せる。

「市民は今も魔物の恐怖に怯えているというのに、我々は何もできなかった……」

 ロンバルトの剣術がいかに素晴らしくとも、無数に沸いてくる魔物を相手にしてはどうしようも無かった。それは本人も分かっていることだろう。

 だが、彼の部下達の大半を彼は救うことが出来なかった。それだけが事実である。

 年の功か、見た目には落ち着いて見えるが、その心の底では後悔と懺悔の嵐が吹き荒れているに違いない。

「団長、"今も"とは?」

 馬車にリーフルを寝かせて馬車を降りたファズがこれを聞いて尋ねる。

 あの魔物にかかれば民衆の命などひとたまりも無いに違いない。――それこそ、ハークスの村人達のように。

「あの魔物は、民衆には手出しをしていないのだ。

 ただ、奴らに敵意を見せた者だけが命を奪われている」

 ロンバルトはあくまで声を荒げることなく、静かに言う。その口調が却って彼の悲壮さを際だたせていた。

 彼は、魔物の侵攻を知るや迅速にその対処に当たったのだろう。そのために騎士団のほぼ全てを失っている。

 そして、それだけの部下を失ったにも関わらず、自分だけが生き延びていることに憤りを感じないような男ではない。

 ――副団長のルドルフならば、保身に必死でそんなことは考えていないのだろうが。

「まさにボディガードだな。しかも、守る対象は侵略した町ときたか」

 ラウンは言う。ハークスの村の事件でも魔物は領主を守るために生み出されていた。

「あれほどの数じゃ、そこらの魔術師の仕業ではないわい」

 騎士の背中から地面に降りたガルハヌスも相変わらずのしわがれ声で話し始める。

「あの軍勢の後ろに誰かが立っておる。そして、そやつは何か大きな目的を持っているに違いないわ。

 ヒッヒッ。面白くなってきたの」

 そこまで話すと俯いてクックッと笑い出す。これを見た騎士達は一瞬殺気立ったが、ロンバルトの「ガルハヌス殿はこういう方だ」との一言で渋々心を落ち着けようとする。

 確かにこの老人は一見、この憂うべき事態を楽しんでいるように見えたが、それはよく見るとどこか寂しげな笑いに思えた。

 レグラスには、偏屈な彼の気持ちがほんの少しだが理解できる気がする。

 彼もまた、大切な何かを守ることができなかったのではないだろうか。


  * * *


 レグラスとファズ、そして五人の騎士にメリアへ向かう騎士を見つけたら王都へ行かせるよう命令し、騎士団長ロンバルト、副団長のルドルフ、魔術師ガルハヌスの三人はラウンの馬車を借りて王都へと向かった。彼らには国への報告という上役としての義務があるのだ。

 ラウンとリーフルは彼らとの相談の後、自由意志でその場に残り、レグラス達の手伝いをすることになった。

 生き残りの騎士を探すと言っても、もうそれほど残っていない数人の騎士を虱潰しに探すのも無理な話だ。

 一行は二手に分かれて南から西へのルートと東から北へのルートを取り、近隣の村へここを通る騎士に詰め所の伝言を見るよう伝え、詰め所にはこれまでの経緯とこれからの行動などを書いた手紙を用意しておくことにした。

 前者のルートは五人の騎士、後者のルートはレグラス達四人の担当となり、それぞれの任務のために旅立った。


 まずはほとんど南に近い村から、東の村々を回りつつ北へと、レグラス達は任務を無難にこなしていった。

 ある村では、たまたまメリアへと駆けつけようとしている騎士に出会った。

 男は、自らの体の限界を超えているのでは無いかと思うほどの疲れきった形相でメリアへの道を歩いていたが、レグラス達の姿を認めると安心したようにその場に倒れこんでしまった。

 おそらくメリアからの応援要請だけでなく、周囲でさまざまな噂を聞いたのだろう。騎士団全滅といった噂すら聞いたかもしれない。それを示すようにどこの村にも騎士がいないときて、彼は心配のあまり休むこともなくずっとメリアへの道を歩いていたのだろう。

 ようやく見つけた仲間に安堵し、「メリアは無事であったか……」と呟く彼を前にレグラスは一言、「メリアは落ちた」と言い捨てた。

 男の顔が一瞬にして凍りつき、しばらく時間を置いて先ほど以上に疲れ切った表情へと変わる。

「メリアは落ちぬ。私達の騎士団は無敵ではないか……」

 男は声にならない声で叫ぶと、よろよろと立ち上がって歩き始めた。が、すぐに倒れかかり駆け寄ったファズに支えられる。

 だが、男はファズの手を振り解いて再びよろよろと歩き出す。

「もしもメリアが落ちたのならば……、私も共に死ぬのみ」

 もはやうわ言のように呟きながらメリアを目指して歩いていく。その行く手をレグラスが遮る。

 レグラスは男の正面に立つと、いきなりその顔面に拳の一撃を食らわせた。

 男は吹っ飛び、地面を引きずりながら後ろに倒れる。呻き声を上げてはいるが、今の衝撃で命にかかわるようなことは無いだろう。

 レグラスは男を見下しながら呟いた。

「それじゃあ、何の意味も無いんだよ」

 男はしばらく倒れたままの姿勢でいたが、頭を抑えながらゆっくりと半身を起こすと、地面に座ったままの格好で涙を流した。

「王都で団長が待っている。必ずそこでまた会おう」

 レグラスはそれだけ言うと、背中を向けて次の村へと歩き始めた。

 後続の仲間たちはしばらく呆気に取られていたが、男の様子を遠目に気遣いつつも、レグラスについて村を出た。

 そして、メリアに一番近く、また北のフイアンへの街道沿いにある村にまで来てひとまず彼らの任務は終わりを告げた。


 王都グランへの道の途中にある商業都市、フイアンまでは歩いて四日ほどの距離があったが、噂の伝達はどうやらレグラス達よりも早いらしく、前へ進むにつれてより不吉な噂が彼らを取り巻いていった。

 聞くところによると、メリアが落とされてから間もなく周辺のいくつかの小都市も落とされたらしく、どうやら確実に魔物の侵略は進んでいるらしい。

 そのせいか、村によっては住人のほとんどが避難してしまった所もあり、ひっそりと静まりかえった不気味な空気になっているという。

 それを語ったある宿の老人は「先祖代々の土地を捨てるわけにはいかないよ」と笑ってレグラス達を送り出した。

 実際、フイアンへとたどり着くと、そこは各地から集まった避難民であふれかえっており、噂が真実であったことをはっきりと物語っていた。

 この都市ではいつになく物々しい警備体制が敷かれており、フイアン地方騎士団やその下で働く傭兵部隊が所狭しと歩き回っている。

 まさかそこまでは想定して作られた訳ではなかろうが、こんな時にグランへの第一歩の町であり、また冒険者の町であるフイアンの存在は強い。

 傭兵部隊には次々と志願者が現れるし、グランへと赴く不審者はここでストップをかけられるからだ。しかし、この状態もレグラス達にとっては全く迷惑な話で、フイアンの市門では長い検問を受け、おまけに宿屋はどこも一杯になっていて泊まれない。

 結局ラウンの口利きで神殿の一室を借りられる事になったが、――まったくラウンには世話になりっぱなしだ。

「予想以上に事態は切迫しているみたいだね」

 ファズが言う。今四人が居るこの広場でも、戦況を語る情報屋やそれを聞いて恐怖に震える町民、そして次なる行動を決める冒険者達など、数分おきに全ての人間が入れ替わっているのではないかという程に慌ただしい。

 平時であれば見られるはずの果物屋や古道具屋などといった屋台も今日ばかりは姿を見かけない。

 商売にならないと思って休んでいるのか、はたまた混乱の予兆を感じてどこかへと旅だったのか。

 穏やかな午後の陽気が広場を包んでいるというのに、その下では殺気だった民衆や冒険者達が次から次へと訪れる情報に耳を澄ませていた。

 そこへ、一人の情報屋が新たな情報の到来を叫びながら走ってきた。あの侵略者達にまた何か動きがあったらしい。

「おい、今度は何が起こったんだ?」

 レグラス達の目の前でいかにも冒険者らしい、熊のような体格の男が情報屋を呼び止めて尋ねる。

「おっと、兄ちゃん、情報をただでもらおうなんて大人のすることじゃねぇなぁ」

 情報屋はさすがに上手い。高すぎず安すぎずといった額を指で示しながら言う。

「それとも、他の誰かが払ってくれるのかい?」

 周囲には幾人かの市民や冒険者がいたが、この男が情報料を払う物と信じて財布のひもをゆるめる気配は無い。

「クソッ、お前ら。――ほら、持ってけ。畜生」

 気が短いのか、周囲の期待に応えざるを得なかったのか、男は叩きつけるように言われたとおりの金額を払う。

「毎度あり。

 さて、それでだ。聞くところによると、ついにここフイアン以南の名だたる都市が全て侵略者の手に渡ったらしいぜ」

 情報屋は声をひそめて言う。レグラス達もこの情報には思わず耳を傾けていた。

「まさか。メリアだけでなくカティアやルーンズまでもが落とされたというのかあ?」

 熊のような男が素っ頓狂な声をあげる。

 ちなみに、カティアやルーンズといえば、フイアンからの街道が通じている、それぞれメリアと同じかそれ以上の大都市だ。

「フン。貴様に誘われて傭兵家業に手を出そうにも、これは負け戦ではないか」

 誰かが男に声をかける。よく見ると、熊のような男の影に隠れて、背は低いが体格の良い樽のような男が立っている。

 大都市ではそれほど珍しく無い、ドワーフと呼ばれる種族だ。

 彼らの集落は洞窟の中で生活していると言われるが、レグラス達にとっては町の片隅で繊細な細工品を売る頑固な職人のイメージが強い。

「まったくガントの言う通りだ。負け戦どころか、このままでは国から出ることすらままならないじゃねえか」

 熊のような男が言う。一応付け加えておくが、この男は体は大きくとも紛れもない人間であり、北に集落を作っていると言われる巨人族の類ではなさそうだ。

 ガントと呼ばれたドワーフはぶつぶつと悪態をついていたが、その様子を見た情報屋が付け加える。

「兄ちゃん兄ちゃん、負け戦と決めつけるのはちぃと早いんじゃないの?」

 何、と熊男が反応すると情報屋はキョロキョロと周りを見渡してから、指で数字を描く。男は舌打ちをしながらも追加の金貨を情報屋に渡す。

 情報屋はさらに声をひそめて小声で言う。というのはどうやら情報の希少性を匂わせるための演技のようで、実際にはレグラス達にも聞こえるぐらいの声だった。元来声の大きい方の人間らしい。

「こいつは内緒なんだけどね、――侵略軍が従えているあの悪魔、段々と数を減らしているみたいだぜ」

 そこまで言うと、周囲の困惑する表情を楽しむように眺めてから先を続ける。

 情報屋にも色々あって、純粋に金を取ることを目的とする者もいれば、報道すること自体に命を賭けている者もいる。この情報屋は後者のようで、合間合間に取る情報料さえ手に入れば、金を払った当人以外に情報が渡っても構わない、いや、それが渡るまでもなく、周囲にも聞かせることを目的としているかのようだ。

「魔術師学院でちょこっと聞いてきたんだけどな、あの悪魔は魔法で生み出された生物らしい。魔術師というのは魔法で悪魔を生み出すたびに疲労していくんだとよ。

 おまけに、奴らと戦った連中に聞いてみるとどうやら個体の戦力は小さな物らしい。生命力は強いが、動きはあっさり見切れるんだと。

 そんな状況で、奴らは数に物を言わせた攻め方をしている。――いずれ魔術師の体力が尽きて生産が追いつかなくなるって寸法さ」

 情報屋は自分の知識をべらべらと熱っぽくまくしたてると、周囲にあごで情報料を催促した。今までと違い、具体的な金額を示さないのは、これ以上の情報を持っていないことを示している。つまり、今までの情報に価値を認めたならば金を払えという事だ。周りから金銀の貨幣が情報屋に向けて投げ込まれる。

 レグラス達も持っていた金のいくらかを投げ、熊のような男もまた渋々と、今度は銀貨を投げると、しばらく考え込んでしまう。

 その間に、情報屋は店じまいと言わんばかりに報酬を拾い集めるとその場から走り去り、やがて人だかりも解けていく。

 残った男とドワーフはその場でぼそぼそと会話を続けているようだ。

「しかし、あの情報屋の話は信用していいものかな?」

 誰にともなくラウンが呟く。とはいってもリーフルに向けた質問であることは間違いないが。

「確かにあの情報屋の推測は正しいと思います。

 ――しかし、敵が人間の魔術師とは限りませんから」

 リーフルもそれを察したか、質問に答える。

「エルフ族などの異種族の方々は我々とは違った形でより強力な魔法を使えますし、伝説に語られる異界の魔王などは無限の魔力を持つと言われています」

 確かにそういった伝説はよく耳にする事があったが、割と多くの種族を見られるこのグランドール王国でも、エルフは滅多に見ることは無く、ましてや異界の魔王などを目にする機会は全く無い。

 まさか敵がそのような軍勢とは想像し難かった。

「ああ、話を聞く限りは五分五分だなあ」

 ファズが気の抜けた声で言う。おそらく彼もエルフや異界の魔王が敵などとは思っていないのだろう。

「さすがにフイアンのこの軍を突破できるほどの魔物は現れないと思うけど」

 周囲で相変わらず警備を続ける騎士達を横目に呟き、少し市内を見回りたいと言って彼は商店街の方へと歩いていく。

「確かにここも気がかりだが、まずは上官への報告が先だろう、レグラス」

 レグラスの様子を見てラウンが言う。彼の予想通り、レグラスにはこの軍勢の中に入って共に戦いたい気持ちがあった。

 これだけの人数の中、自分一人の加勢で何かが変わるとはとても思えないが、考えてみれば集団はそもそも個人の集まりであり、一人一人の力が大事になるはずなのだ。

 しかし、ここでレグラスが参戦してしまうと、ロンバルト団長への報告が途絶えるか、あるいは今までの仲間と別れることになる。

 ラウンとリーフルの二人は最初はただの協力者としての仲間ではあったが、今では信頼しあえる仲間である。

 もっとも、リーフルとは相変わらず上手く話すことはできていないのだが。

 しかし、仲間としての深い絆を感じているこの二人とは別れたくない。レグラス個人の心の声が騎士の心というフィルタを越えてレグラス自身へと語りかけてくるのだ。

 思えば初めてファズと戦い、敗れたときもレグラスは騎士とでは無くレグラス個人の心としてファズの事を憎んでいた。

 あの時は騎士の心で自らを正当化していたが、今は違う。

 騎士の心は意識しても、自分自身の心をもさらけ出していきたい。

 この仲間達と別れずに、かつ騎士として為すべき事、それはこれまでの旅路と、このフイアンの現状をロンバルト団長に報告することだ。

 当然王都とフイアンの間では情報の交換は何度も繰り返されているだろうが、レグラス達の意見が役に立たないことは無いだろう。

 そして今は、メリアの時のように目の前の仲間を助けるかどうかの差し迫った選択ではなく、目の前の戦いに参加するかしないかを選ばされているのだ。

 戦い死に急ぐことだけが騎士の役目ではないし、ましてや人の定めでも無い。自分はもっと大きく周囲を見渡さなければならないのかもしれない。

「明日の朝、一番にグランに向かおう」

 レグラスは、目の前の戦いには参加しない事を決めた。

 やがて、騒がしい町の一夜が明けると、神殿から一台の馬車が王都グランへと向けて走り去っていった。


  * * *


 王都グランの周囲は広大な農業地帯となっており、街道を歩けば畑と町とを交互に眺めることになる。

 この辺りは北の大山脈の影響で高地になっているため、野菜などの生産が盛んなのだ。グランで栽培された東洋キャベツやナス、それにトマトなどはどれも近隣諸国の間では有名な食材である。

 リーフル曰く、グランのトマトは甘みが強くてとても美味しく、煮込んでスープにすれば絶品なんだそうだ。

 レグラスとファズはその話を聞いて唾液を飲み込んだが、リーフルが料理好きという事実に息をのんだので唾が器官に入ってむせてしまった。

「もうすぐ夏ですから、美味しいトマトが出来ます。――じゃがいも、にんじん、なすにピーマン。どれも色んな料理ができて、とっても美味しいんです。

 そうです、じゃがいものケーキって凄く美味しいんですよ。それから――」

 どうやら趣味の事を話し出すと止まらないらしく、彼女は道中延々と喋り続けた。リーフルがこれだけ熱っぽく話すのを見るのは初めてだった。きっと美味しい料理を作るのだろう。

 そうしてのどかな街道を馬車で一日と半分ほど走ると、段々と周囲も建物の割合が増え、やがて堀と巨大な城壁に囲まれた王都グランが見えてくる。

 その壁は端が見えないほど長く、辛うじて微かに見える監視塔がその距離を示している。

 レグラスの記憶によれば、この監視塔は四角形に作られた王都の城壁の四隅にあり、それぞれ王の近臣達の指揮下にあるという。


 やがて馬車は城壁の南門へとたどり着く。

 検問を通ってこの城壁の中へと入ると、そこには複雑な通路で仕切られた城下町が広がり、その向こうには国王の住まう王城が見える。

 王都グランの外壁には東門、南門、西門の3つの門があり、王城はやや北寄りの中央に配置されており、南門はほぼその真正面にある。西門は南寄り、東門は北寄りにあるが、地理的な状況からすると東門が一番王城に近いと言われている。

 仮にも貴族の子息であるファズはどうだか知らないが、レグラスにとっては初めて訪れる首都だ。こんな状況下での参上とはなってしまったが、初めて見る首都の華やかさにレグラスは思わず目を奪われていた。

「あんまりキョロキョロするなよ、田舎者丸出しじゃないか」

 ファズが思わず嘆いたのも無理はない。

 城下町は、これが流行のファッションとでも言うのか、男女ともにきらびやかな衣服に身を包んでおり、フイアンで見られたそれとはまた別の上品な活気に満ちあふれていた。

 フイアンは宿屋に武具屋、そして酒場が建ち並び、冒険者達や商売人の熱気に満ちた、どちらかといえば戦場のような雰囲気であるのに対し、この町は優雅な料理店や宝石店、服飾店などが目立ち、通路の一部に作られたテーブルでは貴婦人が談笑している。

 時折騎士とおぼしき姿の者が走り回っている様子を見かけるが、これは恐らくレグラス達と同じ地方からの伝令に走る者であろう。

 この様子から推測すれば、ここ王都グランではフイアンに比べると事態をあまり重く見ていないようだ。

 初めはただただ品のある風景に目を奪われ、何も考えられなかったレグラスだったが、このことに気づき始めると、悠々とした王都の民に段々と苛立ちが募ってくる。

 思わず愚痴のひとつもこぼしたくなってくるが、その頃には王城の手前にそびえる城門にまでたどり着いており、取り次ぎの兵が近づいていたので控えておくことにした。

 その兵にラウンが用件を伝えると、彼はしばらく傍らの小屋で待つようにと、一行をそこまで案内してから城内へと消えていった。

 小屋の中にはちょっとした椅子と机がおいてあり、近くの書棚には法典や聖書など、とりあえず暇が潰せるようにといった書籍が置かれている。

 そんな本を手に取る気にはなれず、小屋の入り口から外を眺め、始めての王都に思いを馳せてみることにした。

 王城の周りは堀で囲まれており、その内側を囲むように城壁が築かれている。

 その城壁の中にはこの小屋を初めとしたいくつかの塔や建築物があり、それらに囲まれて国王チャールズ一世がおわす王城がそびえ立っていた。

 王城は長さの違う巨大な円筒と立方体とをいくつも組み合わせて並べたような形状をしており、それぞれの円筒の上には丸味を帯びた円錐の屋根が乗っかっている。そしてその経年変化で灰色味を帯びた白い壁面には華麗な古代絵画の紋様がいくつも彫刻されていた。

「さすがだなあ」

 レグラスはすっかり感心していた。

 以前ほどではないにしろ、レグラスは騎士としての心構えを常に意識している。それによれば騎士にとって君主は絶対的存在であり最高の礼を奏する相手であるという。

 今まで絶対的存在とは意味が分からず、ただ「国王とはもの凄い存在であるから従わねばならない」といった曖昧な認識しか持っていなかったが、この居城を見るに、国王の存在がいかに大きいかをはっきりと知ることができた。

 ――騎士にとってもっとも大きな存在。

 まさか国王に拝謁する機会は無いだろうが、レグラスはその存在の近さに心を高鳴らせていた。

 ただ型通りの教えではなく、こうして間近に国王を感じることで心の底から彼の存在を敬えるようになったのだ。

 ついこの前までのレグラスが追いかけていた、本当の騎士らしさというものは、こうして徐々に身に付いていくのだろう。背伸びしても仕方がない。

 ほどなくして小屋に先ほどの取り次ぎの兵が一人の男を連れて戻ってきた。

「団長殿、ご無事で何よりです」

 まず口を開いたのは取り次ぎの兵とも会話していたラウンだった。

「ラウン殿も二人をよく連れてきてくださった。感謝する」

 取り次ぎの兵に連れてこられた男――ロンバルトが答える。

 これはレグラスの勝手な願望かもしれなかったが、団長にはこの王城の偉大さが、メリアなどという地方都市よりもふさわしいように思えた。

「なに、私など何もしておりませぬわ」

 ラウンは謙遜する。こういった言葉の掛け合いはいつの時代も儀礼的にあるのだろう。実際にはラウンがいなければこの旅は困難を極めたに違いない。

「ファズとレグラスも、よく戻ってきてくれた」

 ロンバルトは感慨深げに言う。彼のみならず周囲が影ながら目をかけていた二人だけに、メリア陥落後もこうして行動を共に出来ることには先輩としての喜びがあるのだろう。

 もちろん、人としても優れているこの騎士団長は、たとえ二人が他の無名な騎士であっても、その名を呼び、同じように本心から喜んだに違いないが。


 その時、城門に向かって一頭の騎馬が走り込んできた。騎乗の騎士は激しく傷付いており、所々へこんだ鎧やだらりと垂れた片腕が激しい戦いの後を伺わせる。

 またその馬の疲労も激しいものと見え、騎士の鞭にも速度をあげようとしない。

 城門の中程までに至って騎士が馬の歩みを止めると、馬は疲労の限界に達したのか横倒れに倒れ込んでしまう。騎士は辛うじて地面に飛び降りたものの、全身に負った傷は深いらしく、立ち上がれずに腰を落としてしまう。

 近くにいた取り次ぎの兵が慌てて彼の元へ駆け寄る。

「あれは、アロール殿では無いか?」

 その光景を見ていたロンバルトが理解しがたい疑問を口にするかのように呟く。ファズやラウンも同じように信じられないといった表情で騎士の方を見ている。

 ――リーフルだけは相変わらず、興味がないのか小屋の奥で大人しく座って読書をしていたが。

 レグラスが聞き覚えのない名前に事態が飲み込めずにいると、隣でファズが呟く。

「アロール団長。フイアン地方騎士団の団長だよ」

「何だって?」

 まさに今魔物との激闘をしているはずのフイアン地方騎士団。その大将であるアロール騎士団長がこんなところへ現れるということは、ただ事ではない。

 無事勝利したとの知らせか、苦戦の末の援軍要請か、あるいは敗残兵としてか……。

 騎士に駆け寄った兵はしばらく何かやりとりを交わしたらしく、大慌てで周囲の兵に彼の介抱を頼むと、こちらの方へ駆けてきた。

「ろ、ロンバルト団長、申し訳ありませんがご同行願えますか?」

 この取り次ぎの兵は明らかに平静を失っている。さっきまでは健康的に職務をこなしていたその顔も今は真っ青だ。

 アロール団長のもたらした報告がレグラスが想像した中での最悪の事態であることはどうやら疑う余地が無さそうだ。

「ということだ、ラウン殿。済まないが私の部屋で皆と待っていてくれないか?」

 ロンバルトは答える。彼もまた聞くまでもなくアロールの報告内容は分かっているのだ。

 それから、ロンバルトは思い出したように付け加えた。

「私の部屋は王城の二階にある。途中までは案内しよう。付いてきなさい」

 それだけ言うと真っ青な取り次ぎの兵をなだめるようにゆっくりと王城へ向けて歩き出した。

 その後にラウンが続き、レグラス、ファズ、そして思い出したように立ち上がったリーフルが続く。

 一行はそのまま王城の扉まで歩き、そこでロンバルトは衛兵の一人に案内を頼むと謁見の間へと急いだ。

 ロンバルトには王城内に私室を持っているが、これは国王チャールズ六世が、彼を近衛騎士団に招致したいが為に、近衛騎士と同等の私室を与えたことに由来している。

 王城内に私室を持てる近衛騎士というものは騎士団中でもえり抜きの騎士に限られており、尤も位の低い近衛騎士と大差ない地位である地方騎士団長に対しては破格の待遇であることは言うまでもない。

 ただ、それにもかかわらずロンバルトは堅く丁重にこれを辞退し、しかし彼の王城内の私室も彼以外の誰かにあてがわれることなく、今日の日を迎えるまで使われることが無かった。

 非常事態とは言え、その部屋が使われているという事は、彼は近衛騎士の誘いを受けてしまったのではないか。団長はそういった点で義理堅い人物である。

 今は敵の手に渡ってしまった都市とはいえ、我らがメリアの誇るロンバルト地方騎士団長がいなくなってしまうのは部下のレグラスとしては少し寂しい。

 衛兵の案内で辿り着いたロンバルトの部屋には既に先客がいた。

 ――メリア地方騎士団副団長のルドルフと魔術師のガルハヌスだ。

 当然ながらこの二人は会話が合わなかったらしく、不機嫌そうに部屋の端と端に離れて座っており、部屋に入ったレグラス達を見ても関心が無さそうに一瞥を送ると、すぐに目をそらした。

 レグラス達は気まずい雰囲気に困惑しながらも、とりあえず部屋の中央あたりにある机の周りの椅子へと腰を下ろした。

 部屋の中にはこの机と椅子の他に、ガルハヌスが腰掛けているベンチのようなものがあり、またその反対側にはルドルフがもたれかかっている出窓がある。

 それ以外には鎧を掛けるための人形やら豪華な壺やらといった、こういった部屋にありがちな物がある程度の、至って普通の王城の一室だ。

「フイアンすら落とされるとはな」

 ひとまず部屋に入った物の、ルドルフとガルハヌスの間に漂うきまずい空気に押しつぶされそうになった頃、ラウンが耐えきれなくなったように呟いた。

「ふん。我らメリア地方騎士団ですら勝てぬ相手に、フイアンのへたれ騎士や蛮族冒険者共がかなうわけがないわ」

 その呟きを耳にしたルドルフは当然だというように言い放つ。

「ヒッヒッヒッ。目の腐った副団長にはそう見えたかい。

 わしはようやく敵の本隊が動いたとみたがね」

 ガルハヌスもそれを受けて言う。どうやらこの一言でルドルフの目にますます怒りの色が宿ったようだ。

 だが、そもそも、メリア地方騎士団の実力はレグラスも信じているが、それはこの男の実力ではなく、むしろ足を引っ張っていたと言っても過言ではない。その彼が胸を張って騎士団の実力を主張する事は理解しがたかった。

「本隊?」

 レグラスが老人の言葉を復唱すると、意外にもリーフルがそれに答えた。

「私たちは侵略者が"あの魔物"であるという幻想に捕らわれすぎていたのかもしれません。

 魔物を操る魔術師だけでなく、その周囲により強力な魔物や騎士団が編成されている可能性もあったわけですから……」

「そうじゃそうじゃ、リーフルはよくわかっとるわいヒッヒッヒッ」

 老人は意地悪く笑う。

「しかし、気付くのが遅すぎました……」

 リーフルは俯く。彼女自身には何の責任も無いのだが、どうやらフイアンでの自分の発言を後悔しているらしい。

「いや、まだ遅くない」

 リーフルを励ますつもりなのだろう、ファズが立ち上がって言う。

「まだこの国は生きてるんだ。フイアンが落ちるとは思わなかったけど、おかげで敵の総力も掴めた。

 グランの近衛騎士や生き残りの地方騎士団、それに傭兵部隊を結集させればまだまだ挽回のチャンスはあるよ」

 両手を広げて力説する。その様子を冷静に見ていたラウンが淡々と話し始める。

「負け戦が続けば士気は下がる。おまけに今まではどう見ても敵のほうが一枚上手だ。

 奴らはここを落とす新たな戦略ぐらい、既に用意しているだろう」

 そこまで言うと、一同全員を見渡してから、先を続けた。

「それでも、私は最後まで戦うつもりだが」

 レグラスやファズがそれに呼応する声を上げようとすると、ラウンは付け加えて言った。

「私はもう四十も半ばを過ぎた。人生七十年とはいえ寄る年波にはかなわん。国だの政治だのそんなものには興味がない。――ただのんびりと養生していたいのが私の夢だった」

 真意を測りかねるその話題に全員が理解し難げな視線を送るが、ラウンはかまわず続ける。

「幸い私は過去にいくつかの栄光があったために、それを後ろ盾として司祭職で甘い汁を吸って生活していた。

 面倒なことは適当に処理し、後始末は他の者にやらせた。他人の汚職は無関心で過ごした。

 そうして腐っていきつつあった私を再び冒険に連れだしたのが、ファズとレグラス、そしてリーフル嬢だった」

 ひととおりの身の上話を終えると、ラウンは大きく息を付いた。

「こんな状況で言うべき言葉では無いかもしれんが、ここまで君達三人と旅を出来て本当に楽しかった。

 私は忘れていた何かを思い出すことが出来た。

 ――その恩返しに私が出来る事は何か、それを今考え付いたのだよ」

 ラウンはレグラス、ファズ、リーフルの顔を一人ずつ眺めて言った。

「私は君達の意志を受け継ぎ、持てる力の限りを尽くして敵と戦う。

 代わりに、君達はここから逃げて、生き延びてくれないか?」

 ラウンは静かに話を終えた。

 その話を聞いたレグラスの心中ではひとつの葛藤が沸き起こっていた。

 確かに、フイアンでの「五分五分」との予想はフイアンの陥落によってもはや四分六分、いや三分七分、あるいはそれ以下にまで落ちているだろう。そして、ラウンの行動は今までレグラスが繰り返してきた誰かを守るための行動よりも何より人間らしい意味のある行動に思える。

 ――だが、だからといってその申し出をあっさりと受けるわけにはいかない。

 騎士として王国を守るために戦わなければいけないし、それ以上に、大事な仲間のラウンを置き去りにして自分たちだけが逃げおおせるわけにはいかないのだ。

「馬鹿なオッサンだな」

 しばらく続いた沈黙を破ったのはファズだった。

「恩返しなら、道中さんざんしてくれたじゃないか。

 それに、俺達にとってはオッサンだって大事な仲間だ。置いて逃げられるわけがないだろ」

 ファズが言い終えると突然ガルハヌスが笑い出す。

「ヒッヒッヒッ。青臭い茶番を見せてくれるね。

 王都より北は魔の大山脈、南は魔物の支配下だ。逃げると言っても一体どうやって逃げるんだい?

 ――戦うしか無いんだよ。ヒッヒッ」

 その言葉にラウンは言い返そうと顔を上げる。しかし、その言葉を遮るようにレグラスは立ち上がって言った。

「ラウンさんの気持ちは嬉しい。だけど、私達がここから逃げ出したところで何も変わらないとも思います」

 レグラスは脳内で言葉をまとめ、少しずつ紡ぎ出していった。

「私は騎士でありたい。誰かを犠牲にして逃げ回ったり、任務を前に逃げ出すような事は決してしない。

 ――それに、メリアでもフイアンでもその他の場所でも、多くの人達が悔いを残して死んでいったんだ。私は……、いや、オレは奴らを絶対許したくない」

 ラウンはため息をついた。レグラス達を説得することが不可能なのが分かったのだろう。

「だが、ひとつだけ聞いておく。リーフル嬢はどうするのかね?」

 ラウンは言った。あくまで仲間一人一人への気配りを忘れていないのだ。周囲が加熱している中、リーフルだけはどこか冷ややかな口調で、しかしこう答えた。

「構わないでください。私も、友や愛する人を思う心ぐらいは持っています」

 しばらくして、室内に現れたロンバルトの口から予想通りの戦況が伝えられると、レグラス達四人は迷うことなく彼に参戦を志願する旨を伝えた。

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