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G492 ひとつの終わりと始まり 前編

 木々の間から漏れる夜明けの光を手がかりに道ならぬ道を歩いていくと、森から抜けた。

 そこは切り立った崖の上らしく、数歩先で地面が途切れて無くなっていた。そのおかげで、遥か彼方にある戦場の様子を見渡すことが出来る。

 ほんの数時間前には、自分もあの場所で戦っていたのだ。


 戦いの行く末はもう見えている。もう、どうすることもできない。仲間達の多くとは散り散りになってしまった。彼らは無事生き延びることができているだろうか。

 同じ戦場で共に戦った仲間達の姿が脳裏に浮かんでは消えていく――。


 ふと気付くと、歌を口ずさんでいた。今まさに歴史から消えようとしている、愛する祖国の歌を。


 そうして彼方の地上を見つめていると、いつしか戦闘は収まっていたようだ。様子を見る限り、予想に違わない結末だったのだろう。これからは新たな歴史が始まるのである。


 ――いや、あの平和な国を歴史から消してしまって良いはずが無い。たとえ国が消えても、その国を愛する心はまだ残っている。その心は決して消え去ることは無いだろう。


 崖の上に一人の騎士がいる。


 まだ真新しい鎧を身につけた、どこか田舎臭い顔立ちだが騎士らしい凛とした雰囲気を持つ男だ。崖の奥の森では、彼の、もう随分と数の減ってしまった同行者達が彼を見守っている。

 騎士は遥か遠くに見える母国を、涙を浮かべた目でじっと睨みつけながら呟いた。


「力が、欲しい」


  * * *


 世界の中心に位置すると謳われるディストリア大陸。この大陸では他のいくつかの大陸がそうであるように幾つもの国が栄え、時に争い、ひとつの歴史を形作っていた。

 そんな幾多の国の一つに、グランドール王国と呼ばれる国がある。

 国が興ってより四百年を越え、五百年にも及ぼうとしている長命な王国だ。もっとも、王国の名を揺るがさない範囲内では政変、革命が幾度も起こっていたのだが。

 事実、現国王チャールズ六世の父親、チャールズ五世はほんの三十年前に内乱の末に即位している。

 このグランドール王国には、地方騎士団の存在という他国とは違う特徴がある。

 本来騎士といえば、ある程度の血筋か、特別の功績のある者にのみ許される階級であり、いくらかの領地を持つ貴族である事をも意味しているが、この王国では騎士団を王宮騎士団と地方騎士団の二つに分け、前者を先の古典的な貴族階級、後者を資格試験による公募制の階級として騎士団の人員増加を計り、戦場に於ける民兵の存在を可能な限り排除していた。その理由は恐らく、非戦闘員であるはずの一般民が戦場では先頭に立たされる事の矛盾に気付いたか、あるいは外敵からの防御を第一に考え、地方では能力のある戦闘員としての騎士を集めたかったのか、といったところであろう。


 グランドール王国王都であるグランは、北の大山脈から二日ほどの距離にある高地に位置している。

 北の大山脈はこの大陸に於ける難所の一つとも言われ、そこへ踏み込んだ者は道に迷うか、足を踏み外すなどするのだろうか、生きて帰ることはほとんどない。また、吟遊詩人の歌によれば、そこはドラゴンの餌場でもあるという。

 その大山脈を越え、さらに北へ進むと身長が3メートル近くもある種族――巨人族の集落があるとも言われるが、大陸自体がこの山脈によって分断されているために、山脈以北とは全くと言っていいほど交流が無い。

 山脈から南、王都グランを中心とした一帯がこの国の主な領土となっている。グランを中心にした横長の楕円を描き、その上半分を山脈に添って切り取った形状がそれに近い物となる。


 グランより街道に沿って南へ向かい、途中の村々で宿を借りつつ三日ほど歩くと、グラン最大の商業都市フイアンへと辿り着く。

 海に面せず、港を持たないグランドールに於いては王都に近く、地方からもさほど遠くないこの土地が商売には持ってこいなのである。地方との交易の盛んさを証明するかのように、この商業都市からは街道を通って様々な地方都市へと向かうことが出来る。

 自然、地方からの情報は王都へ入る前にここへと集まるため、この街では交易による商売だけでなく、冒険者ギルド等の様々な冒険者向けの施設も揃っている。そのギルド群の充実に伴って冒険者向けの武器や道具などを売り出す商人も集い、冒険者達の聖地として一層の繁栄を見せている。

 資金に余裕があるか、旅路を急ぐ者であればここで馬を調達しておけば快適な旅が保証されるだろう。


 商業都市フイアンから東に走る街道に一歩踏みだし、初めの分岐を南に折れ、四日ほど歩くと城壁に囲まれた一つの都市が目に入る。

 この都市の名はメリアと言う。この都市からさらに南に下れば隣国フレーリアとの国境へとたどり着く。

 王国歴492年を迎える現在、グランドール王国ははフレーリア、いや、北の大山脈以北を除く近隣諸国全てとは友好関係を結んでおり、外敵による侵略の恐怖には晒されていない。

 そのためここ十五年ほどの地方騎士団の役目は大きな物で内乱の阻止、小さな物では村人の雑用手伝い程度に留まり、ある程度の資格――グランドール剣術三級の認定を受けること――さえあればほぼ誰もが入団できる事もあり、地方騎士団勤務は楽な上、運良く手柄を立てれば貴族の仲間入りが出来るおいしい仕事として激しい人気となっていた。

 無論、このメリアを中心に活動しているメリア地方騎士団も例外ではなかった。


 それまで只の村人に過ぎなかった一人の少年――レグラスもこの噂に踊らされたクチである。

 もともと騎士ごっこが好きだった彼は、近所の道場生と喧嘩しながら日々剣の稽古を付けていたのだが、たまたまそこへ現れた道場主に筋が良いと誉められたのを良いことにこれへ師事し、グランドール剣術三級認定を受けるとすぐさま荷物をまとめてメリアへと踏み込んだのである。

 だが、当然の如く同じ噂に踊らされた入団志願者は多く、メリア騎士団では異例の"入団テスト"を行っていた。

 このテストは実に単純な物で、入団して半年になる先輩騎士と戦い、一定時間内にこれをうち負かすか引き分けに持ち込むことが出来れば合格という物だった。

 入団半年では大した仕事もこなしておらず、剣術の腕はレグラス達志願者と大差ないという前提でのこのテストだったが、今回に限っては相手が悪かった。

 レグラスはこの時、ファズという騎士に敗れ、次の入団テストまで待たなくてはならなかったのだ。

 結局、三ヶ月後の冬期募集によって彼は入団出来たのだが、後々聞いてみるとこのファズという男、貴族の息子という事で無試験合格こそしているが、その腕前たるやいずれ剣豪の名高いメリア騎士団長ロンバルトをも凌ぐのではないかと噂されているほどの手練れだという。

 さらにこれは余談なのだが、レグラスがファズに敗れたあの試験の模様をこのロンバルト団長が見ていたらしく、その時合格したどの騎士よりも、不合格のレグラスは見込みがある男だったと誉めていたという噂があり、これを聞いて彼は密かに誇りに思う反面、憤慨もしていた。

 あのテストでファズとさえ当たらなければ、彼はその時点で確実に騎士となっていたはずなのだ。

 他の誰よりも強く、騎士らしい心を持ってテストに挑み、またそれが団長にも認められていたというのに、ファズという男のせいで3ヶ月もの時間を無駄にさせられた。そんな悔しさをバネに、レグラスは彼への復讐をいつか果たしてやろうと考え、日夜稽古を続けていた。


 やがて冬も終わり、新しい春がやってきた。騎士団の春期募集テストも終わり、草木が青々と茂ってきたもののまだほんのり肌寒い季節の事だった。

「何事かと思って呼び出しに応じてみれば、これはなんだ? 決闘の真似事か?」

 メリア騎士団詰め所の庭に、二人の男が対峙した。一人はレグラス。短く刈った髪に平凡な若者らしい顔つき、身長は高くも低くもない平均通りの丈だ。田舎者らしく農作業で鍛えられた体に真新しい騎士の鎧を身につけ、稽古用の木剣を構えたその目は相手を睨み付けて離さない。

 呼び出された側であるもう一人の男――ファズは、身長こそレグラスと大差ないが、耳までかかった長めの髪に典型的な美男子の甘いマスク、華奢にも見えるほどスマートな体に使い込まれた鎧を身につけ、一切の構えは取らずにやる気が無さそうな表情を浮かべて突っ立っている。

 彼らの所属するメリア騎士団では、都市内や周辺の町などにいくつかの詰め所を持っており、これらの詰め所にはある程度の期間毎の交代制を取って詰めることになっている。

 そして、二日前よりレグラスはある町の小さな詰め所をファズと古参の騎士二人と共に担当することになっていた。

「まさしく、決闘の真似事だ」

 レグラスはその姿勢を変えずに言い放つ。

「随分な新入りも居たものだ。

 どんな目的があるかは知らないが、仲間内で私闘を申し込むなんて、騎士道に反するとは思わないのか?」

 一方のファズは気のない様子でこれに取り合おうとしない。

「己の名の為に屈辱を削ぐことは騎士道の一つの形であると信じている。

 そう、入団試験の際に受けたあの屈辱、忘れはせぬ。

 ――ファズ殿の方こそ、決闘の申し込みを前に逃げ出すことは騎士道に反すると思われるが」

 理屈は無茶苦茶であるが、レグラスは真剣であった。ここで勝てばいつかの汚名は返上され、負けたなら負けたで相手の腕に納得ができる。率直に言えば、騎士らしい口上でタテマエを並べてみたが、単に悔しさを根に持っているだけなのだ。

 しかし、この機会を逃してしまえば次はいつこの好機が訪れるとも限らない。これから先何年もこの男に恨みを抱いて生きなければならないかもしれないのだ。

 高貴な騎士が仲間内で恨み合っても仕方ないと判断した結果、この決闘申し込みである。

 人の騎士としての決意をただのやんちゃ坊主のように扱って貰っては困る。

 しかし、今の一言で相手も合点がいったようだ。

「そうか、お前はあの時の……。

 ならば、今度は手加減無しで戦ってみるのも面白いかもしれないな」

 ファズは近くの壁に立てかけてある、レグラスのそれと同じ木剣を手に取り、横に構えた。それは、彼独特の剣術の型で、グランドール剣術や近隣諸国で使われる様々な剣術の型とはどれとも一致しない。

「新入り、始めの合図は任せる」

 双方が構えた上で、立会人のいないことに気付いたファズがそう付け加える。まさか、この私闘に古参の騎士達を立ち会わせるわけにもいかない。

「ならば、この片足が踏み出されたら開始だ」

 レグラスはすぐさま間合いを詰めるべくその片足を踏み出した。

 その勢いで一気に詰め寄り、二人の距離が剣の間合いにまで詰まると、レグラスは両手で持った木剣を一閃させた。当然この一撃は勝負を賭けた物ではない。不意打ちで相手の防御を崩す為の誘いが必要なのだ。グランドール剣術の奥義にはいくつかのフェイント技も含まれている。それらを駆使しながら相手を段々と追いつめていくつもりだ。

 しかし一方でファズは防戦一方で反撃の様子を見せない。

 というのも、先の言葉とは裏腹に、ファズはこの男――自分を除いてここ数年では最も団長に賞賛された男――の腕前がいかなるものか、その攻撃に対してどれだけ耐えることが出来るかを楽しんでいたのである。

 確かに、レグラスという男の剣はなかなかのもので、教科書通りの型から、おそらく独自に身につけたであろう技までを見事に繰り出している。最初は相手の攻撃を受け流すことを楽しんでいたファズであったが、やがて打ち合いがしばらく続くとある事実に気が付いた。

 ――相手の剣を防ぐことは容易い。が、相手に討ち入る隙がほとんど無いのだ。

 ファズがもしグランドール剣術の使い手であったならばこの試合は引き分けに終わっただろう。

 この、王国の名を冠した剣術を用いた戦いに於いては、レグラスの剣さばきは最強と言っても良かった。

 ――だが。

「新入り。団長の言うとおり、お前の腕前は普通じゃないな」

 ファズはその腕にある木剣を泳がせた。言葉通り、木剣は泳ぐように動き、レグラスの剣を絡め取ると、その胸板の前に剣先を突き付けて動きを止めた。

 団長やその知り合いの剣術研究家の類に言わせても、剣が蛇のように動くこの型は今までに類を見ないものだという。

 数秒そのまま静止し、相手に反撃の余地が無いことを確認すると、ファズは相手の胸に突き付けた木剣をさっと引いて傍に放り投げ、呆然としているレグラスに向かって言った。

「――だが、グランドール以外の剣術にも触れておくことが大切だと、俺は思う」

 思い当たる節があったのか、レグラスはその言葉にはっとする。

 彼は子供の頃からこの剣を習う道場生との対決を繰り返してきた為、グランドール剣術と呼ばれるそれ以外の剣術という物は名前こそ聞いても見たことは無かったのだ。

「今の地方騎士団の中堅程度でなら、このままでも十分通用するだろう。

 だが、王宮騎士団や近衛騎士団の騎士達は誰もが独自の家流を獲得しているような連中だ。

 ――それ以前に、いざ実戦になった時には敵国の騎士はもちろん、ゴブリンだってグランドールの剣技は使わない」

 一通りの講義を終えて一息ついた後、付け加える。

「手始めに、俺の剣の稽古にでも付き合って研究してみると良い。

 お前のような奴がいれば俺の稽古にも一段と身が入る気がするよ」

 そしてファズはもう用は終わったと言わんばかりに回れ右をして、詰め所の中へと帰っていった。

 レグラスはその場で立ちつくしていた。

 騎士の型ばかりを真似ていた自分と、ファズとが根本的に違っていたことを思い知らされたのだ。

 二人の間では田舎育ちの騎士気取りと貴族の騎士というだけでは決してない、高い壁が感じられる。

 決闘前には、この決闘に負けたら負けたで諦めようと思っていたレグラスだったが、今はまったく違う考えへと変わっていた。

 あの男に、勝ちたい。


* * *


それから一ヶ月経つか経たぬかという内に、この二人の名前はメリア騎士団中に知れ渡ることとなった。

レグラスの戦闘に関する学習能力は大したもので、数度の戦いで相手の攻撃の特徴を見極めると、的確な反撃手段を見せる。最初はいい遊び相手になるだろうとタカをくくっていたファズですら、今では苦戦する程だ。彼には同じ攻撃は通用しないのだ。

 そんな二人がまたある時、同じ詰め所の担当になった時の事だった。


 季節は段々と暑さを増し、夏はもう間近と思われる頃。

 メリア郊外、ハークス村の詰め所に一人の村人が人目を忍ぶように現れた。

「騎士様。どうか、私の話を聞いてはくださるまいか」

 その村人は中年に差し掛かった年齢だろうか、腰は低く、いかにも苦労人といった言葉が相応しい出で立ちで、額には玉のような汗を浮かべているが、それを拭こうともしない。

 幸か不幸か、その場にはファズとレグラスの二人しか居なかった。共に詰めている他の二人の騎士は周囲の見回りに出たところで、戻るまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

「とりあえず、話してみたらいいよ」

 村人に応えたのはファズだった。彼は大抵の相手には軽い調子で話しかけるが、それは決して相手を見下している訳では無いことをレグラスは知っていた。無論ある程度正式な場ともなればそのような真似はしないが、そもそも彼は伝統やしきたり、礼儀というものをあまり気にかけていないのだ。

 師に教わる伝統の剣術ではなく、自ら野に出て独自の剣術を作り出すあたりもその性格を反映しているのだろう。

 この点では、今も騎士の偶像を追いかけずにはいられない自分とは根本的に異なっているとレグラスは感じていた。

「私は、つい半年ほど前まで領主様の元へと勤めていたのです」

 村人は静かに語り出した。どうもこれは話が長くなりそうだと思った二人は姿勢を改める。

「領主様はとても素晴らしいお方でした。真に農民の為を思ってこの村を治められていました。無駄に我々から税を搾り取るような真似はしないどころか、農民達の農作業を手伝ってくださることすらありました。

 ――それが、一年ほど前からです。ある日を境に、領主様は突然何かに怯えたように振る舞われるようになったのです。

 もちろん、私にも怖い物はありますし、いかに領主様とはいえ何かを怖れるのは決しておかしいことだとは思いません。

 ですが数日、数月、時が経つほどに領主様はますます怯えの色を強くするようになっていったのです。

 それでもその間、領主様は表面上では今までと変わらず、善政を続けていたのです。

 ただ、その頃、一度だけ領主様は使用人の中でも古参の私に向かって一度呟いたことがあったのです。

 『何とかして、幾人かの騎士をこの館へ招くことはできまいか』と――。

 当然そのような事は容易ではありませんし、その場ではあまり深く考えず、すぐに忘れておりました。

 しかし、そのうちに領主様の顔色はますます優れなくなり、ついにある日、領主様から使用人全員の解雇が言い渡されたのです」

「なかなか面白いミステリーじゃないか。彼をそこまで怖れさせたものとは一体何か?」

 ファズがおどけた調子で茶々を入れる。だが、決してふざけている訳ではないことはその眼を見れば分かる。

「騎士様、話にはまだ続きがあります。

 ――その後、領主様は各地の騎士団に人員を要請していたようなのです。が、その……、畏れ多いのですが、領主様といえども国全体では決して高い位にあるとは言えません。自らの館に騎士を置くなど、とても許された物ではありませんでした。

 もしかすると、このような詰め所がありながら何を望むか、反乱の兆しかとお疑われになっていたかもしれません。騎士団からの人員派遣はもちろんありませんでした。

 そうしたことを繰り返す内に冬は過ぎ、春となり、領主様がおかしくなられてから一年が経とうとしているのですが、――騎士様。ここからが本題なのです。

 私は今でも領主様の人柄に惹かれているのです。

 ですから、故郷に帰ることもせず、この村に家を持ち、領主様のお側で日々暮らしています。

 いや、はっきりと申しましょう。

 領主様はなんらかの理由で暗殺の危機に瀕していると私は判断しましたので、毎日、領主様の館に出入りする者、近づく者を見逃すまいとしていたのです。

 けれども領主様の館に近づく者はまったくおらず、領主様自身も先日、メリアでの会合に出かけた以外は館に閉じこもっておられました。

 しかし、五日ほど前からの事です。

 館に近づく者は無いにもかかわらず、何か不気味な雰囲気が館を取り巻き始めたのです。

 初めはただ、自分が疲れているのだろうと思っただけでしたが、翌日も、またその翌日も、館からは不気味な空気が感じられます。

 時たま、館の窓に不気味な影が映る事もありました。そして今朝、その影の正体をついに見てしまったのです。

 ――あの姿が目に焼き付いて離れないのです」

 村人は両目を覆うように押さえ、俯いた姿勢で呻くように続けた。

「悪魔だ――。聖書で語られし不浄の存在。――それらが何匹も、領主様の館を這い回っていたのです……!

 領主様は暗殺者などには狙われていなかった……、悪魔の裁きを怖れていたのです。

 でも、あの素晴らしい領主様が何故……」

 村人はそのままの姿勢で動かなくなった。泣いているのだ。

「悪魔ときたか。これはまた厄介な話だよね」

 ファズはため息をつく。グランドール国教では悪魔を不浄の存在としているが、その存在から逃れる術は語られていない。

 唯一、神に仕える僧侶ならば何らかの対処は出来るだろうと思われるが、その助力を乞うには一度メリアへと戻らなければならない。

 メリアまではここハークスの村からだと大体一日はかかる。往復すれば二日だ。 今朝、まだ悪魔が領主の館にいるとすれば、おそらく領主はまだ無事なのだろう。裁きを終えた悪魔がいつまでも地上に居座る理由が無いからだ。

 この村人の言う不気味な空気を悪魔の気配とすれば、既に悪魔が現れてより少なくとも五日が経過している事になる。これに加えてこの先二日間、領主が無事であるという保証はあろうか?

 と、それまで黙って話を聞いていたレグラスが突如口を挟んだ。

「ファズ! 不浄なる存在を目前にしてただ眺めているなどと言うことが出来ようか!?

 すぐに支度して館へ乗り込もう。そして我々の正しき剣で裁き返してくれよう」

 相変わらず何かを勘違いしたかのような騎士ぶりだが、熱意だけは感じられるその言葉を言うと、レグラスは腰に掛けられた剣を「出番だぞ」とばかりに手の平で軽く叩き、潜入行に向けての準備を始めた。

「そうだな。事は急を要するみたいだし、とりあえず俺達二人で偵察にでも行ってみるか」

 諦め顔で呟くのはファズ。最悪の場合、自分だけでも逃げればいい。……と、言うは易し、だが。

 ファズもレグラスに続いて支度を始めたが、ふと忘れていた事を思い出して、未だ嘆いている村人に言付けする。

「もうすぐここに二人、騎士が帰ってくる。彼らにさっきの話をもう一度繰り返して、メリアに増援を頼むように伝えてくれないか?」

 村人はようやく落ち着いたのか、顔を上げて返事した。その返事を合図としたかどうかは定かではないが、ファズとレグラスは支度を終え、領主の館へと向かった。


 領主の館はハークスの村を中心に詰め所と正反対の位置にあり、その間には多少の距離がある。

 時刻は日も暮れ、農民達が仕事を終えて家へと帰る頃。今、レグラスとファズの二人は村の中心寄りの酒場にいる。店の奥の目立たない席で領主救出の計画を練っているのだ。

 とはいっても、詰め所を出てからずっとこの店へいるという訳ではない。実際、二人が館へとたどり着いたのは日が暮れるにはまだ早い昼過ぎ頃だったし、その時はろくな計画も立てていなかったのだ。

 ここで、話は数時間前のその時に戻ることにする。


 先程の男の言葉通り、領主の館には遠目から見ても分かるほど不気味な雰囲気がたちこめていた。

 まだ外は明るく、晴れているというのに、その一帯だけが曇り空の立ちこめた夜のように感じられる。

「こりゃ、本物だな」

 ファズはしきりに感心している。

「ああ、悪魔が現れたとしか言いようがない空気だ」

 レグラスは真顔だ。不浄なる悪魔は忌むべき存在である。そう心の底から信じてやまないのだ。

「とりあえず……、少し中を探ってみるとしよう」

 二人が館の入り口へと向かって行くと、まずレグラスが不審に気付いた。

 門が開け放たれている。

 こういった場所の領主は、ほとんどの場合部外者を邸内に入れようとはしない。

 その為、日頃は門前に見張りも兼ねた取り次ぎの者を立たせ、門は閉じておくのが普通である。

 だが、この館には見張りもいなければ門も開いている。その門に近づいてみれば、やはり人の気配は無い。使用人全てを解雇したとの話は先刻聞いているが、それにしても入り口を開け放っているのは異常なことだ。

 二人は互いに見つめ合うと軽く頷き、腰の剣を抜き取ると慎重に門の中へと足を踏み入れた。

 門から館までは数十メートルほどの距離があるが、どうやらその間に人や悪魔の気配は無いらしい。

 ――いや、悪魔に気配というものがあるのかどうかは分からないが。

 だが、二人の読みは特に間違っていなかったらしく、館までは難無く辿り着くことが出来た。

 少し近づいた頃に分かったのだが、この館の扉も半開きになっている。

 明らかに、何者かが館へ侵入している。

 ファズは剣を構えつつ、躊躇することなくその扉を蹴って開けた。

 ――辛うじて中が見渡せるほどの薄明かり。扉の向こうは大広間のようだ。この手の館にありがちな間取りである。広間の奥には二階への階段があるようだ。少し上に目を移すとその二階が見える。また、二階のどこかにもうひとつ階段があるのだろうか、更にその上に三階がある事が分かる。要するに、この広間は吹き抜けになっているのだ。ありがちな一階の間取りに対し、珍しい吹き抜けの天井とは気の利いた設計だ。

「こりゃあ、攻めにくい館だな」

 ファズは何かを見るたびにうんうんと頷いて感心している。まるで状況を楽しんでいるかのようだ。

 彼の言うとおり、二階や三階、特に三階に弓兵を配置しておけばたとえこの館が外部から攻められる事になったとしても、どこか、恐らく隠れた位置にある三階への階段を守りつつ、眼下の敵へと弦を引けばいい。

 おまけに、敵は悪魔であるかもしれない。悪魔といえば聖書では大体が禍々しい翼を持った姿で描かれている。この場所でもしも彼らが二人を害そうとしているのなら、この吹き抜けは彼らにとって絶好の地形と言えるだろう。

 では、と視点を下に移してみる。大分目が慣れてきたせいか、先程は分からなかった隅の扉や家財品が確認できる。そうして入り口の扉から離れぬよう、周囲を見渡していると、階段の脇あたりに誰かがうずくまっているのが見えた。

「人がいる。階段の影になっているあたりだが、分かるか?」

 レグラスはファズの肩を叩いて教える。ファズもそう言われて、それが人間であることに気付いた。

 だが、その人間はぴくりとも動く気配はない。むしろ、階段にもたれかかって倒れているようにも見える。

 ――これが領主の末路か?

 言葉には出さなかったが、二人とも同じ思いを抱いてその人間へと向かっていった。駆け寄るレグラスに対し、ファズは慎重に周囲を伺いながら歩いていく。

 だが、その二人の進行はすぐに止まってしまった。正面の人間の姿が正確に見て取れたからである。

 その人間は、頭から、こちら側とは逆の腕にかけて斜めに切断されていた。丁度首を経由して鎧の継ぎ目を狙っており、折角の鎧もなんら役に立っていない。

 そう、目の前の死体は鎧を着ていたのだ。レグラスやファズと同じ、騎士の鎧を。

 見回りに出ていたはずの二人の騎士も、やはりこの館を異様と見なしたのだろう。そのうちの一人は、ここで何者か――恐らく、悪魔の仕業によってこの世を去った。

 レグラスは、目の前の死んだ男の名を呟くと黙祷を捧げた。ファズもそれに習う。

 その時、物音ひとつ無く静まりかえった館の中で、バタバタという羽音が微かに聞こえてきた。

 上の階から何かが降ってくる!

 身を引いてかわすと、それは床に激突してバラバラに散らばった。何かが潰れるような音を立てた後、金属の破片が転がる音が響く。

 ――たった今降ってきた物が、もう一人の騎士であったことは疑うまでもなかった。

 それに続いて、キィキィという硝子を爪でひっかいた時のような声と共にまた何かが急降下してきた。

 目を凝らすと、それは異様なシルエットの怪物だった。それも1匹ではない。――三匹いる。

「貴様等が悪魔か! 不浄なる者! 先輩達の仇、討たせてもらう」

 レグラスは急降下してきた内の一体の最初の一撃を防ぐとすぐさま反撃を始めた。

 相手の初撃は両腕の鋭い爪によるものであった。また、相手は翼を持っており、飛び上がられるとこちらが不利だ。そこまで判断したところでレグラスは相手に猛攻をかけ、体勢を立て直すチャンスを作らせないことにした。

 先程の死体からも分かるとおり、敵の爪には大変な殺傷能力があり、また、相手の弱点を読んで攻撃をかけるだけの知能は持っているようだ。

 だが、敵は防御に関してはこと弱い。人間の皮膚とは違い鱗のような物が身体を覆ってはいるものの、鎧のような防御力はない。こちらが相手の攻撃をうまく逸らして鎧で受け流せばいいのに対し、向こうはこちらの攻撃を避けるか爪で受ける以外に防御することはできない。

 レグラスは悪魔が自分の首へ向かって両腕を大きく振り下ろしてきたのを見ると、これの片方を肩で受け、もう片方を剣でなぎ払った。怪物の片腕が切断され、振り下ろされた腕の勢いもあって闇の彼方へと飛んでいく。片腕だけになった悪魔を息の根が止まるまで斬り続けるのは、難しい仕事ではなかった。

 ピクピクと動いていた肉片の動きも止まり、確実に悪魔が息絶えたことを確認すると、レグラスはファズに目をやった。

 ファズはレグラスよりも速く、2匹の悪魔を相手に勝利していたようだ。

「戦場では、もう少し周囲に気を配ってくれよな。後ろから斬られるよ」

 ファズがやれやれといった調子でレグラスに向き直る。

 レグラスは全く気付いていなかったが、一匹目の悪魔と戦っている時、もう一匹の悪魔が彼の背後から奇襲をかけようとしている所を見つけたファズは、目の前の相手に素早い斬撃を与えるとすぐさま身を翻してその悪魔を斬りつけたのだ。レグラスの背後を取った悪魔のさらに背後をとった形になる。滑稽な図ではあるが、実戦では生き延びることが何より大事だ。

「ありがとう――」

 、ファズ。と言いかけてレグラスが口をつぐんだのは、またもやキィキィという鳴き声が聞こえてきたからだ。それも一匹や二匹ではない。――大量の。

「ひとまず、戦線離脱しておくかな」

 ファズの一言を合図に、二人は素早く館を抜け出した。

 どれほどか、正確には分からないが、敵は少なく見積もっても十匹はいただろう。ここでそれだけの数を相手にしては、いくら剣の腕では一目置かれている二人とはいえ勝つ可能性は少ない。

 さらに、レグラスに取ってはこれが初めての実戦であったのだ。思わぬ不覚を取る可能性も無かったとは言えない。現に、先程の戦いですら彼はファズによって命を救われているのだ。

 無駄死には騎士の役目ではない。レグラスは一人で勝手に納得した。

 館を抜け出した二人は今後の対策を練るべく、酒場で夕食を取りつつ相談しているという訳である。


「もはや、領主がどうとかいう問題じゃないだろ。俺達ではどうしようもない。――それに、奴らは領主を裁くどころか、俺達にまで襲いかかってきたじゃないか」

 悪魔は剣でも倒すことが出来た。もう敵の正体は分かっている。今すぐ領主を助けよう――と主張するレグラスと、相手の数が多すぎる、日数はかかってもメリアへ応援を頼みに戻るべきだと主張するファズの議論が続いていた。

 議論といっても、義を主張するレグラスと策を主張するファズでは話が噛み合わず、平行線を辿っているのだが。

 そうして数十分の時間を無駄にしてから、ようやくファズは無駄に気付いた。

「では、二人で今すぐ領主を助けるとして、レグラスはあの大量の悪魔に対して、何か秘策があるのか?」

「そ、それはだな」

 敵の手の内は読めた。覚悟を決めて再び挑めばばなんとかなるだろう。そうは思ってみても、それは根拠のない自信でしかなかった。

 レグラスもようやく自らの意見の欠陥に気付き、話はあっさりと決着がついた。勇猛果敢に戦う自分の姿だけを追いかけていて、ファズの意見はただの逃げ腰だとしか思っていなかった自分を恥じる。

「二人で闇雲に突っ込んでも勝ち目があるとは思えない。ここは悪魔に詳しい司祭様や魔術師の助けを得るべきだろう」

 ファズの一言によってこれから取る行動が決まり、二人は店を出るとメリアに向けて歩き始めた。

 ここで馬を使えば良いと思われるかもしれない。だが、ファズやレグラスのような新参の下っ端地方騎士が騎士の象徴である馬を扱うなど、如何なる場合でもそうそう許される事では無く、また地方の農村に早馬が常備されているとも限らないと言うことを一言補足しておく。

 万が一馬の用意があり、ファズが強硬にこれを使うことを主張したところで、レグラスが騎士の名誉を盾に意地でも譲らなかったであろう事も補足しておくべきか。幸か不幸か、この村に馬の備えは無かった。


  * * *


 日が昇り、段々と大地が熱を増してきた頃、二人はようやくメリアの城壁へ辿り着いた。

 計算上ではこのペースを維持できればメリアとハークスを一日で往復することも可能なので、体力に自信があるならば一度挑戦してみるといい。

 レグラスとファズの二人は初夏の日差しにすっかり汗だくになり、夜通し歩いたせいで疲労も極限に達していた。

 市内へ入った二人は朝食を摂りつつ体を休めると、疲れた身体に鞭打って騎士団本部へと戻って事の次第を報告し、さらに国教会と魔術師学院へと赴いて助力を依頼することに決めた。

 本部ではロンバルト団長は急用で席を外しているとのことで、代わりに副団長のルドルフが応対した。

 彼は団長のように実力のある人物ではなく、単にこの地方最大の貴族の一家である事と長年勤めている事だけを理由に、ここまでの地位を得た男である。禿げ上がった頭に脂肪で大きく膨れ上がった体でふんぞり返ったその姿は、どこから見ても大した人物ではない。

 それを裏付けるように、二人の報告についても面倒そうに「勝手にしろ」と一言答えたのみで、失われた騎士の穴を埋める事や、その他の対策については一切触れなかった。

 メリア地方騎士団の上層部がこんな人物ばかりだから、ロンバルト団長は未だに地方騎士団長の座に留まっているのだろうか。噂に拠れば、彼は王国騎士団や、近衛騎士団からさえも誘いの声がかかっているらしいが、何故かそれらの申し出を受けずにいる。

 無能な地方騎士団を放っておけないのか、それとも単に出世欲が無いだけなのか……。

 とにかく、文字通りの報告に終わってしまった本部を後に、二人は助力を求めに町を歩くことにした。


 始めに赴いた国教会は、何やら慌ただしい様子でなかなか二人を取り次いでくれなかった。

 しばらく待って、ようやく一人の司祭が話を聞きに現れたが、この男がまた大したことの無さそうな中年親父で、一応司祭のロープは身にまとっているものの、冴えない赤ら顔に冴えない表情を浮かべ、中年太りで腹がぷくりと膨れている。いかに権威のある教会の司祭とはいえ、どれほどの実力があるのかが疑わしいほどの人物だった。

「おやおや、騎士様が二人も揃って珍しい。一体どんな用事があるというのだね?」

 中年親父は陽気に話しかけてきた。

 いかに怪しげであっても、彼の身なりは司祭であることを示している。二人は一応信用して事の次第をうち明けた。すると、中年親父は顎に手を当ててしばらく考え込む。

「申し訳ないが、最近南方で良からぬ事が起こっているらしく、そちらに人手を取られている状態なのだ。

 一応都合の付きそうな者は探しておくが……、明日また来てくれないか?」

 申し訳なさそうに言うが、その反面、面倒を抱え込んでしまった事を嫌がっている風にも見える。

 ハークス領主の命がかかっているせいもあり、あまり悠々としてはいられないと怒鳴りたくもなったが、この中年親父が馬車を用意し、それに乗るに相応しいだけの人物をなんとか探し出すとまで言うので渋々承諾し、教会を後にした。


 次に立ち寄った魔術師学院は、ひっそりとして静まりかえっていた。取り次ぎの者に話を聞いてみると、南方に不吉な兆しが現れたとの事で、ほとんどの教師や生徒が南へと旅立ってしまったらしい。

 不吉なだけで旅立つというのもおかしな話だが、もともと魔術師学院は変人が集まっているので何もおかしくはない。

 神官ならば神の言葉に従って行動しているが、魔術師は自然の言葉に従っているといったところか。春の花がまだ咲かないからと生徒全員で登山し、自然現象を観察したりといったことは日常茶飯事なのである。

 従って、二人は特に気にすることなく、学内に残っている人物を誰か貸してくれないかと尋ねた。

 取り次ぎの者が校舎に入り、しばらくすると二人を奥の部屋へと案内した。

 その部屋にいたのは、腰が曲がり、皺だらけで鉤鼻のいかにも偏屈魔術師といった感じのじじいだった。

 先程の教会に続き、運が無いとは思ったものの、一応事の次第をうち明けてみることにした。

「成る程。だが、それは悪魔なんかでは無いぞえ」

 じじいは掠れた声で二人の話の感想を述べた。

「魔術師様、悪魔でないと言われるなら、あれは一体何だったのでしょうか?」

 レグラスはこういうじじいの前でも礼儀作法を忘れない。

「それはいずれわかるじゃろうて……、ヒヒヒッ」

 じじいは意味ありげな言葉を吐くと、今まで座っていた椅子から立ち上がり、よれよれと部屋の中を徘徊し始めた。

 「お主らは魔術師の助っ人が欲しいようじゃが……、適任者がいるぞえ。それはワシじゃ」

 お断りだ。確かに怪しい魔法を使わせれば右に出る者はいないだろうが、その老齢では却って足手まといになるだけだ。と、言葉には出さなかったが、二人の考えはほぼ同じだった。実際ファズは言いかけた。

 ただし、足手まといになることが、老人への負担と考えるか、自分への迷惑と考えるかの点で二人の考えは違っていた。

「と、言いたいところじゃが、何分この身体、思うように動かんわい。ほれ、リーフルや」

 じじいは部屋の奥の扉の所まで歩くと、扉を叩きつつ、誰かの名を呼んだ。

 ほどなくして、扉が開く。

 中から現れたのは、ファズやレグラスとほぼ同年代に見える女性だった。

 ――ということは、十七、八くらいだろうか。若干幼くも見えるが綺麗に整った顔立ちに、肩まで伸ばしたブロンズの髪やローブの上からでも分かるスタイルの良さは、普段二人や他の誰もが魔術師に抱いているイメージとは裏腹に、相当の美人であった。

 騎士気取りのレグラスはともかく、ファズは明らかに目つきを変え、好奇と驚きの目でその女性を見つめている。

「リーフルや、話は聞こえておったじゃろう。この男達の手助けをしてやってはくれないかね」

 じじいはそう言うと、そそくさと部屋から出て行ってしまった。否定の余地を与えないやりかただ。

 ――なんて話だ。

 騎士団には同年代の女性と知り合う機会は意外と少ない。

 半年に一度のダンスパーティに参加すれば、騎士様は女性達の憧れの的なのだが、それ以外での出会いではほとんど無いといっていい。

 そんな騎士二人だけに、この女性が同行するという話は衝撃的以外の何物でも無かった。嫌でも異性というものを意識せざるを得ない。

 後に残されたリーフルと呼ばれた女性は、じじいの後ろ姿を見送っていたが、彼が視界から消えてしまうと二人の方を振り向いた。

「なんだかよく分かりませんが、あなた達の手助けをすることになりました、リーフルと申します」

 そして、軽くお辞儀をする。やはり魔術師だというところか、どことなくつかみ所の無さそうな印象を受ける。

 騎士二人の方も突然の美女出現によく分からず混乱しているが、目標であった助っ人はどうやらこれで安心だと判断することはできた。

 彼らはリーフルに詳しい事情と明日の朝、広場に集合する事をしどろもどろに伝えると、魔術師学院を後にした。

 ちなみに、リーフルの師でもある先程のじじいはガルハヌスといい、高名な大魔術師である。

 騎士二人がまったくそれに気づかなかった点は彼らの勉強不足であり、誠に遺憾ではあるが、彼の偉業は本筋とは全く関係が無いため、ここで語ることは避けておく。

 このグランドール王国の歴史を語る上では覚えておいた方が良い名前である、かもしれない。


 その後、疲れ切った二人は騎士団本部の寮へと辿り着くと泥のように眠り、翌日の朝一番に教会へと再び赴いた。

 二人を出迎えたのは、やはり例の赤ら顔の中年親父だった。

「で、どうでしたか? 誰か見つかりましたか?」

 単刀直入にファズが切り出す。だが、中年親父の顔色は優れない。

「色々と努力はして見たのだが、どいつもこいつも忙しいときている。申し訳ないが、私が同行するという事で勘弁しては貰えないか」

 中年親父は心の底から申し訳なさそうな様子は見せるが、相変わらず付き合うのが嫌だという事も顔に出ている。

 レグラスとファズは一瞬顔を見合わせたが、他に手空きの神官がいないというなら仕方ない、と彼の申し出を受けることにした。

「こう見えても私はそれほど身分の低い者ではない。私の馬車に君達を乗せても咎められることはないだろう。しばらく待っていてくれ――」

 中年親父はその場を離れ、少し経つと一台の馬車を引いて戻ってきた。

「私はラウンと言う。少しの間だけだが、よろしく頼む」

 その後、広場へ立ち寄ってリーフルと合流し、互いに自己紹介などをしつつハークスの村へと向かった。


 ハークスへと戻ったのはその日の昼過ぎだった。レグラスとファズの二人が最初に館に踏み込んだ時も日暮れ近かったので、ほぼ二日が経過している計算になる。

 移動中の会話により、各自の性格などは大体把握出来ていたが、最も驚かれたのはラウンの話だった。レグラスにとっては教会関係者と言えば、純粋に神を崇める者か、権力の為だけに存在しているような者が想像される。

 ラウンの場合は明らかに悪魔退治を嫌がる態度からして、後者だろうと思っていたのだが、この男はどちらにも属せず、むしろ一般人に近いような男であることが分かった。

 今回の件も単に彼が面倒くさがりであったり、「怖いから嫌」といった事が原因のようだ。

 それ以外にも、聖職者にはあるまじきギャンブル体験談や巡礼と称した各地の旅行、酒の話など、悪どいというか、俗世間的というか、とにかく変な中年である。

 おまけに、どういった人生を送ってきたのか、女性慣れもしており、なかなかリーフルに話しかけられない騎士二人の仲介役になるといった事も幾度かあった。

 ただ、彼女へ向ける視線が実にいやらしい好色な物である点は気になったが。

 そんなラウンがただの変人で無い事が分かったのは、村へ到着してすぐの事だった。

「騎士様! ようやく戻られましたか!」

 馬車から降りた一行の元に現れたのは例の村人であった。初めは気付かなかったが、この男は元館勤めということもあって村の代表のような立場に立っているらしい。

「突然この村から消えてしまった時はどうなるのかと……。

 しかも、騎士様がここを離れてからというものの、夜な夜な悪魔が村へと現れるようになったのです。

 既に、二つの家の者達がその手にかかって……。

 騎士様が何か悪魔の怒りに触れるような事でもしたのではないかと噂する者もある始末でした」

 村人は悔しそうに言葉を詰まらせた。最後の方には無礼な言葉もあり、レグラスは反射的に苦い顔を見せたが、事態が事態だ。彼のことは不問に帰しておこうと考えた。

 あの悪魔が館を出て村を襲ったというのは驚くべき事だが、それ以上に驚いたのは、二人がこの村を立ち去った直後から悪魔が活動を始めたという事だった。

 自分たちのせいで悪魔達があの館の外へと攻撃目標を変えてしまったのか。それならもう少しここに滞在していたら死んでしまった村人達を救えたのかもしれない。

 ――しかし、そうしていたら自分が命を失っていたかもしれない。

 レグラスも悔しかった。村人を救えなかった自分と、死を怖れている自分が。

 もちろん、過去へと戻ることは出来ない。終わったことよりもこれからの事を考えることが重要なのだろう。

「"悪魔"か。明らかに不浄な空気が漂っている事は分かるんだがな」

 ラウンは一行を馬車に乗り込ませ、館の方へと走らせた。


 館へ着くと、その周囲は二日前にも増して邪悪な空気が漂っている。馬車からいくつかの荷物を抱えて降りたラウンは、それを広げて館の前に簡易の祭壇を作り上げた。

 聖職者の使う神聖魔法は祈りによって神の力を借りる魔法である。

 神への交信方法はただ念じることから生け贄を捧げることまで様々であるが、その中でも効果的な手段の一つが祭壇を用いることである。

 祭壇から発せられる特定の波長と合わさると神へ祈りが届きやすい……などと言った科学的な根拠があるのかどうかは不明だが、旧文明を思わせる彫刻の祭壇等の前で使われる神聖魔法は明らかに威力が違う。

 王都にあるグラン神殿のような大規模の神殿ともなると、神殿自体がひとつの巨大な祭壇のようになっており、駆け出しの神官でもその神殿では強力な神の加護を得ることができるというから不思議なものだ。

 ラウンは祭壇の前でしばらく黙ったまま祈りを捧げていたが、突如立ち上がり、何かの言葉を叫びだした。それは恐らく神の言葉に近い上位言語などといったものであろうが、そちらの方の教養がないレグラスやファズには理解することはできない。知識人である魔術師のリーフルなら多少は分かるのだろうか。

 その叫びが終わると、今度は館めがけて突き出したラウンの指先から強力な光が放たれた。

 しばらくの間まばゆい光が続き、やがてそれが薄れていく……と共に、館を包む邪悪な空気は一掃されていった。

「不浄なる物を浄化する初級の神聖魔法だ。館の中の"悪魔"もいくらかは巻き添えを食ったのではないか」

 ラウンはこの季節、厚いローブを着込んでいる。それに加えて今の魔法だ。本人の言うとおり、今の魔法は神官のよく用いる初級の神聖魔法に違いはないだろうが、祭壇や本人の能力により相当威力が増幅されている。それを使用した時の疲労は決して少なくはないはずだ。

 ――にも関わらず、ラウンは汗ひとつかかないどころか、呼吸も落ち着いている。レグラスとファズが感心して彼をずっと見つめていると、それに気付いたか、二人を見つめ返して応えた。

「言っただろう? 私はそれほど位の低い者では無いと――」

 ただ一人、リーフルだけは馬車に腰掛けて退屈そうに南の空を眺めていた。

 しばらくして、ラウンが祭壇を片づけ終わると、赤く染まりかけた西の空に目をやりながら呟いた。

「大分、時間を取ってしまったな。夜は奴らの活動時間――、今日は館の近くで休み、明日潜入するのが得策だろう」

 さきほどの神聖魔法の威力で彼の実力を認めたのか、その意見は何の反論もなく一行に受け容れられた。

 四人は村の者に頼み、館に三番目に近いという民家を借りて泊まることになった。

 一番、二番に近い民家は前二晩に悪魔に襲われ、哀れにも皆殺しにされた家である。

 三番目に近い民家の住民は、次は我が身かと恐れおののいていた所だった事もあり、無条件に借りることができたのだ。

 当然、今夜悪魔に狙われるであろう場所である。ラウンが結界を張ればそれを追い返すことはできるが、代わりに他の村民宅が狙われる危険がある。さすがのラウンも村全体をカバーするだけの結界を即座に張ることはできない。領主の館を閉じこめる形で結界を張る案もあったが、そのために一晩中詠唱を続けることでの体力消耗を考えると、たとえ襲撃があっても少しでも休める現在の案が採用されることとなったというわけだ。

 また、四人での初めての戦闘を、敵を誘い出す事で有利に進め、敵を見極めたいという事情もある。

 民家の内部に糸を張り巡らせ、侵入者があるとすぐに気付くように罠をしかけた上で、交代で見張りを勤めることを決め、四人は順番に眠ることにした。

「なぁ、どう思うか?」

 浅く眠っていたレグラスに突然話しかけたのは相棒のファズだった。

「ん……、何がだ」

 起きようとする心と眠りたい心がぶつかって、ふにゃふにゃとした言葉になる。

「知らないオッサンと年頃の女の子、そして俺達の四人が同じ部屋で眠っている現実についてだよ」

 どうやら今はファズが見張りの番らしい。いくら暇だからとはいえ、体を休めている仲間を起こすことは無いだろうに。

 騎士は休める時に休み、戦う時は華麗に戦うものだろう。どうもファズにはレグラスの騎士道精神が理解できないらしい。

「悪魔を倒すための事じゃないか。別に何も思わないが」

 ようやく体を起こしたレグラスだが、少し腹が立ったのでぶっきらぼうにそう言うと再び横になって眠ることにした。

 もっとも本当は、何も思わないというよりは、理由をつけて何も思わないようにしていると言った方が正しい。

「だからな、なんというか、その、一目惚れとでも言うのかな」

「えっ、あのオッサンにか!?」

 驚いたレグラスはまた体を起こしていた。

「違うに決まってるだろ。もう一人の方だよ。

 なんだか、最初に会ってからずっと気になっているんだ」

 ファズはぼそぼそと言う。これが冒険の夜効果というものなのか。見知らぬ土地へ行き、夜を迎えた時、不思議と各人が本音で語り合う会が始まるという話は有名だ。

「だ、だから何だ。どうせ普段女性に接していないからそう感じるだけだろう」

 冒険の夜効果に驚きながらもレグラスは分かったような振りをする。そういう自分も女性経験はゼロどころかマイナスになる程なのだが。

「いや、そんなことは! これでもご婦人からの誘いは多いんだよ。でも、そういうのとは違って……。

 ああ、しかし、あのオッサンもああ見えて実は凄い奴だったよな」

 ファズは突然話題を変えた。自ら話題を振っておきながら、発展させづらい話であったらしい。

 これを読みとったかどうかはともかく、レグラスは新たな話に乗ってあげることにした。

 しかし、騎士団中でも実力があり、同性から見ても容姿端麗であると認めざるを得ないほどのファズが、自分と同じく異性に無縁であるはずが無いことぐらい考えてみればすぐに分かることではあった。

 つまり、彼は言葉の軽さ以上の一目惚れをしているらしい。

「あれだけの力があるからこそ、毎日を悠々と過ごしていられたのだろう」

 話題は中年司祭に移っていた。彼は間違いなく一角の実力者だった。そんな彼の自由な振る舞いに対して文句を言う者は、これまでにいなかったのだろう。

 そう考えれば、楽に過ごせる神殿を離れ、この仕事に駆り出させられた事に不満を感じても仕方がないだろう。

 事実、本人は馬車の中で堂々とその事を言い切っていたのだ。

 しかし、彼には命を捨ててまで誰かを助けようという意志などは存在しないのだろうか?

 自分自身は人生を楽しんでいるようだが、他人の幸せなど考えていないようにも思える。レグラス自身は騎士として他人の幸せを第一に考えているが、ファズはどうだろう。

 ――ファズもラウンと同じ匂いがする。実力のある人間は知らず知らずのうちに他人のことを考えなくなるのだろうか……。

「星が綺麗だ」

 しばらく無駄話を続けた後、レグラスは窓の傍へと歩み寄った。もうすっかり目が冴えてしまっていた。

 窓の近くにある柱には、家中に張り巡らされた複数の紐の先端が場所別に分けられて繋がっている。紐に侵入者の体の一部でも引っかければ、これがほどけて床に落ちるという訳だ。

 その時、説明通りの原理で、紐が床へ落ちた。だが、その罠はあまり意味をなさなかったと言っても良い。

 突然ガラスの割れるような音が響き、例のキィキィという鳴き声が聞こえたのである。

「皆起きろ! 悪魔が来たよ」

 椅子に座っていたファズは勢いよく立ち上がると、大声で仲間達に呼びかけた。だが、その声を聞くまでもなくレグラスは起きていたし、リーフルは悪魔の鳴き声を聞いた途端に起きあがっていた。

 この時真っ先に廊下へ剣を向けていたファズはともかく、レグラスはあまりに素早い彼女の動作に思わず彼女をジッと見つめていると、彼女はレグラスに目を合わせ、

「ずっと起きてましたから……」

 恥ずかしそうに俯いた。魔術師には本当に変人が多い。

 ただ一人、ラウンだけが唸りながらゆっくり上体を起こして伸びをした。

 その彼がようやく立ち上がった頃にようやくキィキィと騒がしい音が間近に聞こえ、それと共に部屋の扉が蹴破られると忌まわしき不浄の存在が姿を現した。

 だが、この一匹目の悪魔は待ちかまえていたファズによって一撃で両断されてしまった。

 ラウンはのそのそと神聖魔法を唱え、両断された悪魔を無へと帰す。その時、今度は窓ガラスをうち破ってもう一匹の悪魔が部屋へと入り込んできた。

 すかさずレグラスはこれに斬りかかるが、さらにもう一匹が割れた窓から侵入し、彼に向けて大きく両腕を振りかぶる。

 悪魔の腕が今まさにレグラスへ向けて振り下ろされようとする瞬間、室内が一瞬オレンジ色のまばゆい光に包まれると、彼に向けて振り下ろされるはずの腕は消え去り、その代わりに黒煙と焦げ臭い匂い立ちこめた。リーフルの放ったファイアーボールの呪文だ。

 ちらりとリーフルに目をやると、彼女は驚くほど真剣な表情で複雑な身振りをしながら何かの呪文を唱えている。

 レグラスは視線を敵に戻すと、最初に仕掛けた悪魔にとどめを刺した。両腕の消えた哀れな悪魔は既にラウンの放った気弾によって原型を無くしている。

 悪魔は次々と現れたが、一つの部屋を拠点に戦う四人を攻め落とすことは不可能に終わった。

 後々思い返すと、総勢十数体程の悪魔が現れたようだが、その全てを倒し終えた頃には既に東の空が明るくなっていた。

 おまけに、部屋中体中にどす黒い液体がべったりと塗りつけられている。これは気色が悪い。

「戦いに一番必要なのは、衣服かもしれんな。この匂いには耐えられんわ」

 ラウンが忌々しげに呟いたのも無理はない。


 一行は早々とその家を出ると、近くの川で適当に服を洗って汚れを落とすことにした。

 これを提案した時、ラウンは何かをファズに耳打ちし、彼は大いに期待を抱いたらしいが、残念なことにリーフルは上着のローブすらほとんど汚れておらず、助平共が彼女の水浴びシーンを拝むことは叶わなかった。

 民家の柵に腰掛け、南の空を退屈そうに眺めているリーフルを眺めながら、ファズとラウンは舌打ちする。そんな二人をレグラスは騎士として冷ややかに見つめていた。

 ――本心から冷ややかであったかどうかは分からない。

 世間慣れしたラウンのからかうような助平心よりも、抑圧された自分のそういう感情の方が、よほど不適切であるのかもしれない。

 しかし、騎士にとって女性とは守るべき存在であり、好色な感情を抱くべき存在では無いのだ。レグラスの心の中に住む真の騎士はそう教えていた。


  * * *


 近所の店で朝食を済ませ、一通り準備を整えるとようやく一行は館へと踏み込むことになった。

 昨日のラウンによる魔法によって周囲に漂う邪悪な空気は全て浄化されているが、館の内側からにじみ出るそれは未だ健在である。

 何より、昨夜の襲撃こそが彼らの息の絶えていない証拠でもあった。

 不浄の領域へ踏み込む緊張感で、レグラスの胸は高鳴っていた。おそらく他の三人も同じだろう。

 剣を構え、慎重に、一歩ずつ、無事に館の中へと侵入したまではよかったが、そこは以前とは違う異様な空気で満ちていた。

 ――血の臭いが充満しているのだ。

 真っ暗な室内をラウンがライトの魔法を使って照らすと、その理由はすぐに分かった。

 バラバラになった悪魔が床一面に散乱している。

 吹き抜けの一階がまるで洪水の後のように赤黒い血液に浸っていた。

「こ、これは……」

 最初に異変を指摘したのはファズだったが、さすがの彼もこの光景には驚いたようだ。

 とにかく、足の踏み場も無いほどに肉塊が飛び散っている。常人ならば正視できないほどの事態に違いない。

 昨夜の戦いの後に残された十数体の悪魔の死体も壮絶な物であったが、それですら比較にならないほどの凄惨さだ。事実、レグラスはこの光景には激しい嘔吐感を覚えていた。

「どうやら領主様はこのために"悪魔"を呼んだらしいな」

 その言葉に二人の騎士は驚いた目つきでラウンを振り返る。

「早く領主様を捜した方がいいでしょう。今ならまだ間に合うかもしれませんね」

 その後ろで様子を伺っていたリーフルも、ラウンがのしのしと駆け出した後を控えめに追いかけていく。

「どういうことなんだ?」

 ファズの問いかけにラウンは足でビチャビチャと音を立てながら、

「この"悪魔"はな、領主様が誰かから自分の身を守る為に雇った傭兵なんだよ」

 そのまま館の奥へ奥へと進んでいく。

 ファズとレグラスは納得はできなかったが、とりあえず二人の後を追うことにした。

 一行は急ぎ足に邸内を調べて回った。とはいえ、この追跡行はそれほど難しいものでは無かった。

 何者かが戦いながら奥を目指して進んだらしく、その道筋には悪魔の肉塊が落ちている。その死体を追っていくことで、侵入者と同じ進路を辿ることができたのだ。

 しかし、追跡行を続ける内に、この館への侵入者は恐るべき手練れであることが分かってきた。

 落ちている悪魔の死体は、そのどれもが確実に弱点への一撃を加えられており、的確に切り刻まれている。悪魔の生命力は恐ろしい物で、どれだけ斬っても起きあがっては襲いかかってくる事は過去二度の戦いで経験として知っていた。

 だが、今、周囲に転がっている死体は、腕を落とし、胴体を両断することで動きを封じ、心臓への一撃で絶命させている。三太刀と言ったところだろうか。

 その他にも足や翼を斬り落とされた死体もあるが、全てに共通しているのは、与えられた攻撃が必ず的確に体の部品を切り刻んでいる事だ。

 相当の技術と、力が無ければとても出来ない芸当である。ましてや、相手は人よりも固い悪魔だ。

 そうした事実を目の当たりにしては、この先にいるであろう敵に恐怖を覚えずにはいられなかった。

 探索の末、三階奥の「領主の部屋」まで辿り着いた一行は、丁度その時断末魔の悲鳴が室内から漏れるのを耳にした。

 四人が室内へ飛び込むと、そこには座り込んだ領主と、血塗れの剣を手にその正面に立つ甲冑を着込んだ騎士が現れた。

 レグラスはその光景に違和感を覚えた。あまりにあり得ない違和のせいで気付くのが遅れたのだ。

 領主にも、騎士にも、首から上が無かったのだ。

 だが、明らかにもう息をしていない領主と違い、首のない騎士は何事もなかったかのように動き、剣を収めると、たった今切り落としたと思われる領主の生首を抱えて一行のいる扉の方を振り向いた。

 四人は四人とも身動きできずにいた。あまりの光景にただ呆然と立ちつくすことしか出来なかったのだ。

 首のない騎士は、領主の生首を左手で高く掲げると、どこから発せられた声かは分からないが、高らかに宣言した。

「――予言は果たされた!」

 どうやら、その声は騎士の腰に下げられた兜から発せられているらしい。その中に頭が入っているとでもいうのだろうか。

 そんなことを考えるだけの冷静さは取り戻しつつあったが、明らかにこの世のものでない首無しの騎士を前に、次の行動を判断出来るほどの落ち着きは戻る気配が無かった。

 騎士は領主の生首を左脇に抱え、空いた右手で腰の剣を抜くと、その剣先をまっすぐと立ちすくんでいるレグラスに向けた。

 レグラスは反射的に自らの剣を構え、敵の初撃に備える。

 しかし、首無しの騎士は剣を向けたまま、腰の兜からくぐもった声を発した。

「次なる予言。

 一年後、この者レグラスに死を与える」

 ただそれだけを言うと、騎士は剣を降ろし、ゆっくりと部屋の入り口へと歩き始めた。レグラスを除く三人はその威圧感に、思わず後ずさって道を空けてしまう。

 だが、レグラスだけはその剣を構えたまま、膝を振るわせながら首のない騎士と対峙していた。

「わ、私が死ぬなどと……、戯れ言を!」

 恐怖に駆られた人間が取る行動は二つしかない。その恐怖から逃げ出すか、立ち向かうかだ。

 そして、レグラスは騎士だ。騎士であろうとしている。この非現実的な光景に加え、死の宣告までをも受けたレグラスは、騎士として恐怖に立ち向かうしか無かったのだ。

 彼は仲間の制止も聞かず、大きく剣を振り上げ、首のない騎士へと斬りかかった。

 ――だが、何が起こったのか、一瞬後にはレグラスの剣は宙を舞い、首のない騎士はその足取りを一歩も乱すことなく、部屋の外へと歩き去った。

 騎士はそのまま吹き抜けの手すりを乗り越えると、一気に一階へと飛び降りた。レグラスの剣が二つに折れて床に落ちる音が沈黙の中に重く響き、少し遅れて騎士が一階へ着地したことを示す軽い音が届く。

 レグラス以外の三人が思わず騎士に注目していると、騎士は三階からの着地のダメージなど無かったかのように立ち上がり、ゆっくりと歩いて館の外へと消えていった。

 しばらく後に馬の嘶きと蹄の音が聞こえ、やがてそれも遠ざかっていく。

 後には、一人の敗北感に打ち震える田舎騎士と、驚きのあまり声も出ない三人の仲間達が残った。


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