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タマオっていうな!  作者: 深瀬静流
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泣けばすむと思っている根性がきにいらない

 茶の間では、仕事から帰っていた和江おばさんが風呂上がりのビールを楽しんでいたが、美咲さんが入っていくと慌てぎみにコップを置いて、なぜだかテレビのスイッチを消した。

「テレビ消すことないだろ。なに慌ててるんだよ、母ちゃん」

 保が笑いながら、和江おばさんから、突っ立ている美咲さんに向き直ってぺこりと頭を下げた。

「ども。俺、保」

「どうも。わたし、加藤美咲です」

「まさか、珠緒とつき合ってる?」

「まさか」

「だよね、はは」

「はは」

「加藤さん、タオル使って」

 国安さんが熱い紅茶とタオルを持ってきて手渡すと、和江おばさんが自分の部屋から長袖のTシャツと薄手のカーディガンとウエストが調節できるボックスひだの巻きスカートを持ってきてくれた。

「とりあえず着替えない? サイズは大丈夫だと思うけど」

「あ、センスいいですね。色もデザインも組み合わせもいい感じ」

「叔母さんはデパートに勤めているから服を選ぶのはプロなんだよ」

 ついぼくも口を出してしまった。

「そうなんですか。あの、着替えるところをお借りしたいんですけど」

「じゃ、こっちに」

 ぼくは美咲さんを風呂場の脱衣所に案内した。

「なんで、おばさん?」

 脱衣所の引き戸を閉めようとしたら、美咲さんが声をひそめて怒ったように訊いてくる。

「なにが」

「だから、自分のお母さんのことを、なんでおばさんなんて言うのよ。自分の親でしょ。母親をおばさんだなんて、青木珠緒はやっぱり最低だよ」

「ちがうちがう。あの人は本当に叔母なんだ。それから、あのおじさんはとりあえず叔父で、保は従兄弟だよ。あの三人は家族なんだ」

「じゃ、青木珠緒はここに下宿してるの」

「ここはぼくの家だよ」

「じゃ、なんで? 青木珠緒の家族はどこに住んでるの」

「ぼくの家族はばらばらだ。そんなことはどうでもいいだろ。はやく着替えろよ。着替えたら茶の間においで」

 何か言いたそうな美咲さんの顔の前でぴしゃりと戸を閉めて、ぼくも着替えるために二階にかけ上がった。

 先に着替え終わって茶の間に戻ってきていた美咲さんのそばから座布団をひっぱてきて保つの隣に腰を落ち着けた。

 国安さんが食事を持ってきてくれて、ぼくと美咲さんの前に箸置きをおいて箸を揃え、皿小鉢を並べていく。

「ありがとう、おじさん」

 今まで、国安さんに食事を出してもらって「ありがとう」なんて言ったこともないのに、自然に口から出ていた。

「いえいえ、大したものはありませんけど、遠慮なく食べてね。ごはんのおかわりもしてね」

 国安さんは、ぼくに返事を返しながら如才なく美咲さんに気配りをする。

「これ、ひょっとして、おじさんがつくったんですか」

 豚のしょうが焼きにキャベツとトマトを添えた皿と、色とりどりの野菜が入った筑前煮とわけぎのヌタ、とうふとねぎの味噌汁というふつうの献立なのに、美咲さんはえらく感激したようだ。

「おいしいです。すごくおいしい。おじさんはお料理人してるんですか」

 保がぷっと吹き出した。和江叔母さんも決まり悪そうに笑っている。

「おじさんはね、お料理もするし掃除も洗濯も何でもするよ。子育てだってしちゃったんだよ」

 悪びれた様子もなくにこにこしながら話している国安さんに美咲さんは首を傾げた。

「子育てもですか。保育士さんなんですか」

「はずれ。主夫だよ」

「主夫、ですか」

「おじさんの自慢はね、この二人の息子なんだよ。二人とも、とてもいい子に育ちました。珠緒くん、やさしかったでしょ?」

「はあ~? 青木珠緒がですか。保さんはやさしそうですけど、青木珠緒にかんしては、おじさん、失敗してます」

 保がげらげら笑い出し、和江叔母さんも吹きだした。でも、国安さんは目に笑いを滲ませながらも表情は真面目だった。

「珠緒君はやさしいよ。だから、あなたは珠緒君のあとをついてきたのでしょ?」

 不意をつかれたように美咲さんが目を見張った。そして、途中だった食事を無言で再開した。ひとくちひとくち真剣に咀嚼して飲み込むというようなかわった食べ方だった。

 きれいに完食したのを見計らって国安さんが熱い玄米茶を入れてくれた。

 玄米茶をすすったあとで、美咲さんは居住まいを正して国安さんに丁寧に頭を下げた。

「おいしかったです。ごちそうさまでした」

「じゃ、珠緒、駅まで加藤さんを送っていけよ」

 保がのんきに声をかけてくる。

「服はそのまま着て帰ればいいわ。濡れた服はビニールの袋に入れてから紙袋に入れて持って帰ればいいわよ」

 和江叔母さんも美咲さんの負担にならないように軽い感じで言ってくれたけど、美咲さんは携帯で時間を確かめると顔をしかめた。

「どうしたの」

 和江叔母さんがのぞき込むように身を乗り出してくる。

「新横浜の新幹線の最終は行っちゃいましたね。仕方がない」

「新幹線て、あなた、どこからきたの。おうちは遠いの? もしかして、おうちの人に黙って出てきたんじゃないの?」

 和江叔母さんに問いつめられて、美咲さんはちらりとぼくを見た。

「じつは――そうなんです。小さい頃に別れた母に会いたくて、父に黙ってこっそり出てきたんです」

「それなら心配してるでしょうに。電話しなさいよ」

「父はわたしのことなんか心配していません。いつも仕事のことで頭がいっぱいの人ですから」

「そんなことないわよ。ある分けないじゃない」

 呆れたように声を跳ね上げた和江叔母さんに、ぼくのほうが驚いていた。いつも冷静で、感情の高ぶりなんかあらわにしたことのない叔母さんは、死んだぼくのお父さんと同じで口数が少なくて、必要なことしか言わない人だと思っていた。

「すぐに電話しなさい」

「いいんです。兄に迎えに来てもらいますから。川崎駅に着いたとき、青木さんが電話しているとき、わたしも兄に電話しておきましたから。兄は東京の大学に通っていて、こっちのほうに住んでいるんです」

 見計らったように玄関のチャイムがなった。

 国安さんがすぐに腰をあげて玄関に向かう。保ものこのこついていった。

「夜分に申し訳ありませんが、こちらは青木珠緒さんのお住まいでしょうか」

 狭い家だから、茶の間にいても玄関の声がよく聞こえた。

「お兄ちゃんだ。やだ、ハアハアいってる」

 耳を澄ませていた美咲さんがクスッと笑った。

 保が戻ってきて、ぼくの隣に腰を下ろしながら首をひねっている。

「なんだよ保」

「俺、あの人、どっかで見たことあるような気がすんだよな。珠緒、ちょっと見てこいよ」

 そう言っているまに、国安さんに案内されて美咲さんのお兄さんが茶の間に入ってきた。

 敷居のきわに正座して、美咲さんを確認してから、両膝に手を置いてみんなに向かって頭を下げた。

「加藤純市といいます。妹の美咲が大変ご迷惑をかけました」

 駅から駆けつけてきたのだろう、息を乱した純市さんが、美咲と呼びかけ「みなさんにご挨拶しなさい」と叱りつけるようすが、お兄さんらしくてかっこいい。でも美咲さんは、口をとがらせて下を向いている。

「ほんとうにすみませんでした。妹は時々突拍子もないことをしでかして、周りを慌てさせるところがあるんです。今回も、家のほうにはなにも言わずに出てきたみたいで、連絡したら父が慌てていました」

「お兄ちゃん! 電話したがね」

「したにきまってるだろ。これだけおおぜいの人に迷惑かけて、しかも青木さんの携帯をぶんどってお母さんに投げつけてガラスを割って逃げたそうじゃないか」

「すっげー。そんなことしてきたのか。警察に通報されるぞ珠緒」

 保が驚いているのか笑っているのかわからないような茶々をいれてくる。

「まあ! それでお母さんにお怪我はなかったの」

「わかりません。すぐに逃げ出しちゃったから」

 和江叔母さんに返事を返した美咲さんにつかつかと歩み寄った純市さんが、美咲さんの頭を拳骨でおもいきり叩いた。

「美咲! おまえって奴は! 高校三年生にもなって」

「うっわあ――ん!」

 美咲さんが頭を両手で抱えて泣き出した。

「泣くんじゃない。なんでも泣けば許してもらえると思っているおまえの根性がきにいらない。泣くなら帰ってから泣け。一人で自分の部屋で泣いてろ」

 純市さんの叱り方にぼくも保もびっくりしてぽかんとしてしまった。

 純市さんに怒られて美咲さんがますます泣き声を張り上げた。

「まあまあまあ、お兄さん」

 国安さんがなだめにかかったとき、また玄関のチャイムが鳴ったが、すぐにドアが開けられる音がしてどやどやと人が入ってきた。

「美咲!」

「珠緒ちゃん!」

 名古屋にいるはずのお母さんが、以前会ったことのある加藤さんと一緒に茶の間に飛び込んできた。

「お父さんでないがね。なにしにきたがね」

「お父さん、早かったな」

 美咲さんと純市さんが同時に言った。

「おう。純市から電話をもらって、すぐ雅子さんに連絡して新幹線に飛び乗ったんだよ」

「お兄ちゃん、よけいなことせんでいいがね」

 美咲さんの声を弾き飛ばす勢いでぼくは立ち上がった。

「どういうことなんだよ。なんでお母さんと加藤さんがここにいるんだよ。どうなってるんだよ!」

 ここは当然吼えていいと思う。突然乱入してきた加藤さんが、どうやら美咲さんと純市さんの父親らしいこにも驚いたけど、そんなことよりなにより、お母さんのことを「雅子さん」と呼び馴れたように名前で呼んだことに怒りがわいた。

「だから珠緒、俺がさっき純市さんのこと、どっかで見たことがあるっていっただろ。思い出したよ。夏休みに名古屋のおばさんのところに行ったとき、加藤さんが携帯の家族写真を見せてくれたじゃないか。美咲さんだけじゃわからなかったけど、純市さんと並んだら思い出したんだよ。珠緒、覚えてないか」

 ぼくの腕を引っ張って座らせようとする保の手を強く払った。

「見てないよ! そんな写真」

 和江叔母さんが、そっと立ち上がって国安さんのそばに移動し、保に手招きする。保がぼくの後ろをまわって叔母さんと国安さんのところに行った。すると、加藤さんが美咲さんと純市さんのところに移動して座り、お母さんがぼくの隣に来て座った。

 何がなんだかわからないけど、夜も更けてから狭い茶の間に三家族がかたまって顔をつき合わせる形になった。

 加藤さんがばつが悪そうに咳払いを一つして一礼した。

「加藤でございます。娘がこちらの珠緒君に大変ご迷惑をおかけしたと息子から知らせを受けまして、娘の部屋を見てみたら、デート倶楽部という会社から送られてきた書類がありました。代表の井上さんというかたに電話して、青木珠緒さんの電話番号と住所を聞いたんですが教えていただけなくて、ふと、雅子さんの息子さんと同じ名前だと思って雅子さんに電話したんです。雅子さんは珠緒君の名前とデート倶楽部と井上さんをすぐに結び付けました。それで二人で慌てて新幹線に飛び乗ったんです」

 美咲さんと純市さん以外の人が加藤さんに注目するなか、加藤さんがぼくに向き合って改めて頭を下げてきた。

「珠緒君。申し訳ない。別れた妻のところにすぐ電話を入れて話をしました。きみから奪った携帯を投げつけてガラス戸を割ったのは美咲の仕業だと話して、警察に通報するのはやめてもらいました。あちらのご主人はたいへんご立腹だったが、美都子に怪我がなかったのが幸いでした」

「美咲」と、こんどは美咲さんのほうに体を向けた。

「自分のしたことの重大さをわかっているのか。おまえのしたことは、実に陰険で悪質だ」

 ピクリと身をすくめてうなだれた美咲さんは、悔しそうに畳を睨みつけた。

「まず第一に、人めがけてモノを投げつけ、ガラスを割った。これがどんなに危険なことかわかっているのか。ガラスの破片が目に刺さったらどうなる。ガラスのかけらが体に当たったら、あるいは掠ったらどうなる。ガラスで切った切り口を見たことがあるか。皮膚なんかべろりとめくれるくらいざっくり切れるんだぞ。そりゃあ凄いもんだ。美都子をそんな目にあわせてやりたくてやったのか。どうなんだ美咲!」

 ぼくの体がピクンとした。でも、美咲さんは強情そうに唇をかんで俯いたままだ。

「第二は、おまえは自分の携帯を使わずに珠緒君の携帯を使ったことだ。これを陰険で卑怯だというのだ。増田さんは当然警察に通報するだろう。証拠の携帯電話が残っているのだから犯人はすぐにわかる。珠緒君が警察に捕まったとき、珠緒君は正直に事実をはなすよな美咲。珠緒君が美咲を庇う理由なんか何一つないのだから。そのとき美咲はちゃんと真実を話せるか? 珠緒君の携帯を奪って自分がガラスを割りましたっていえるか? そうしたら、こんどは美咲が罪に問われるんだぞ。警察の犯罪リストに乗るのは加藤美咲の名前なんだぞ。警察が怖くないのか。犯罪を犯したんだぞ。すこしでも怖いと思うなら、自分が珠緒君にどんなにひどいことをしたかわかるだろ。お父さんは美咲が恥ずかしい」

 美咲さんが息を呑んだ。

「そして、美咲の父である自分を恥じる」

 誰も何も言えなかった。父親に恥ずかしいといわれた娘は悔し涙を一粒畳にこぼして反抗的に肩を震わせているし、自分を恥じると言った父親は怒りの中で悔しそうに娘を睨みつけていた。

 ぼくはいたたまれなかった。

 確かに美咲さんのしたことは最低だ。

 でも、たった一人の親に恥だといわれた娘の気持ちはどうしたらいいのだろう。

「どうして、ですか――」

 考えるより先に言葉が出ていた。


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