青木さんてさ、はっきりものを言わないよね
「はじめまして加藤美咲です。初めての東京なのでちょっともたついちゃいました。きょうはよろしくお願いします」
きちんとした挨拶で一礼してくるのでぼくも慌てて頭を下げた。
「本日は『でーと倶楽部』をご利用くださいましてありがとうございます。本日担当させていただきます青木珠緒でございます。加藤様からご依頼の」
「はい、ストップ。堅苦しい挨拶はそのくらいでいいでしょう。母のところにいく前に、せっかく東京まで出てきたんですからお台場に寄っていきたいんです。そのくらいかまいませんよね。それとも契約に入っていないのかな?」
じつは入っていない。
依頼された内容は、待ち合わせてぼくと依頼者が対面して依頼の内容を確認しあった時点で契約が遂行される。
契約が終了するまでに発生したアクシデントや突発事故に関するトラブルは、井上さんが契約している弁護士によって精査され、料金に反映される。だから、この場合のように、きゅうに予定が変更された場合は井上さんのほうに連絡を入れて、加藤美咲さんに電話をかわり、見積料金が変更になるむねを承諾してもらうことになっている。
「ゆりかもめって、駅の反対側でしたよね」
歩きだした美咲さんの背中を慌てて追った。
「あの、加藤さん、ちょっと、会社のほうに電話を」
「えっと、こっちは西口だから汐留口のほうにまわればいいのよね。あ、こっちだ」
初めての東京というわりにはスイスイ人混みをぬって歩いていくので、会社に電話をいれるタイミングを逃してしまった。
ふりふりと揺れるミニスカートのお尻にくぎずけになりながらあとを追い、SL広場の反対がわにある新橋駅前のゆりかもめ新橋駅のエレベーターに乗って、改札前の窓口で切符を買い、ホームに出た。
ゆりかもめは音も振動もなく走る電車だけど、だからといって珍しい乗り心地ちというわけではない。車窓を流れる景色だって特に目新しいものはない。でも美咲さんは満員の車両も気にせず熱心に車窓の景色を眺めている。
「やっぱり都会はてえもねえわ――ビルがてえもねえ」
つぶやいた声がかすかに聞こえたけど、ぼくには美咲さんがなにを言ったのかわからなかった。
台場駅でおりてフジテレビの見学コースをまわって展望台にのぼり、お台場海浜公園の向こうに林立する高層ビル群を眺めたあと、屋上庭園のレストランで休憩した。
時間は午後四時を回っていて、ぼくは気が気ではなかった。
美咲さんはのんびりアイスコーヒーを飲みながら周りを眺めているけど、今日の目的は、美咲さんが小さいころに別れたお母さんに会いに行くことで、ぼくの拘束時間は午後六時までとなっているからだ。東京の台場駅から神奈川県の川崎大師駅まではだいたい一時間ちょっとかかると思う。下手すると、川崎大師について美咲さんのお母さんの家を探しているうちにタイムリミットの午後六時を過ぎちゃいそうだ。そうすると超過料金が加算されることになる。
美咲さんにそのことを話したら、残りのアイスコーヒーを一気に喉に流し込んで立ち上がった。
「早く言ってくりゃーせ! のんびりしてられせんがな。追加料金なんて払えんがね。わたし、帰りの新幹線代しかもっとりゃせんもん! そんなことならお台場なんかにゃ来んかったわ」
チッ、と舌打ちされて思わずひるんだ。
美咲さんはバッグを掴むとぼくのことを置いてきぼりにする勢いでレストランの出口に向かって歩きだした。
レジで会計している間に姿がなくなっている。慌ててエレベーター前で追いつくと、かわいい顔を恐ろしげにつりあげて睨みつけてくる。
「青木さんてさ、はっきりものを言わないよね」
きゅうに標準語のタメ口になった美咲さんが、プリプリしながら大勢の人たちと一緒にエレベーターの中に吸い込まれ、ぼくはというと、かろうじてドアぎりぎりに乗りこむことができた。
「そんなふうじゃお客のわたしが困るじゃないの。六時になりましたからぼくはこれで失礼します、とか言われたら、わたしはどうすればいいのよ」
エレベーターを降りて、台場駅へ向かう道すがら、我慢できないと言うようにしゃべりだす。
ぼくは「はあ」とか「すみません」とかの返事しかできなくて、気弱な態度がさらに彼女の神経をいらだたせたようだ。
「わざわざ新幹線に乗って、小学生の頃に別れたお母さんに会いたくてやってきたのよ。それが、ちょっと寄り道していただけで時間切れなんて、アホらしくてやってられないわよ。目的も達していないのにお金だけふんだくるんじゃサギでしょ」
「い、いやあ、サギって違うと思うけど」
「サギでしょ。午後六時まであと一時間もないのよ。五十三分でお母さんのところに連れていってくれて会わせてくれるの?」
「や、あの、それは無理かも。川崎大師につく頃には完全に六時を回っているよね?」
「ね? ってなに。ね? って首傾げてもかわいくないし気持ち悪いだけなんですけど。だいたい青木さんて、年いくつなのよ」
「十、九、歳です」
「わたしより一つ上なだけじゃない。信じらんない。一つしか違わないわけ。たった一つ」
呆れたように首を振る美咲さんの三歩後ろをついて歩きながら台場駅から新橋駅に戻って、都営浅草線で京浜急行の川崎駅方面に乗った。
電車の中でも美咲さんの舌鋒は休むことなくぼくを攻撃し続けた。
京浜急行川崎駅に着いて、大師線に乗りかえれば川崎大師までは三駅だ。
真っ赤な車体に白線が入った紅白のおめでたい感じの車両も混んでいて、川崎大師駅につくまでのあいだ、美咲さんはぼくのことをうんざりするほどグチり続けた。いくら気が弱くて軟弱なぼくでも我慢の限界がある。
「あの、超過料金はぼくが払いますから、もう勘弁してください」
ついに泣きを入れてしまった。
「当然でしょ。わたしが悪いんじゃなくて、青木さんのミスなんだから、青木さんが責任とるのは当たり前よ。さいしょから川崎大師に来ていたらこんなことにはならなかったんだもの」
「だからそれは加藤さんがお台場に行きたいって言ったから」
「そのときに止めなかった青木さんが悪いって何度言えばわかるの。ほっ――んとにアタマ悪いよね。こんな仕事ぶりじゃ、そのうち会社を首になるわよ」
「かまいませんよ! どうせバイトだし!」
「バイト! バイトだからっていい加減な気持で働いているようじゃ、きびしい就職難の時代にどこの会社も相手にしてくれないからね。世の中、そんなに甘くないんだから」
「年下の高校生に言われたくないですね。ぼくはこれでも大学生ですから、しっかり勉強して正統派の会社員になるんです! 加藤さんこそ、そのきつい性格を何とかしないと嫌われますよ。友達いないでしょ」
「大きなお世話よ。ちょっと言われたぐらいでピイピイ泣いているようじゃしょうがないじゃない。青木さんこそ、子供みたいに口尖らすのやめなさいよ。男のくせにみっともない。めがねも替えた方がいいわよ。小さい顔にめがねばかり大きくて似合わないわ。そのめがね、何年使ってるの。だいぶ古そうね。流行遅れ」
だめだ。
この人とは合わない。
折り合う点は一つもない。
何か言えば十倍になってかえってくる腹立たしさは、ぼくの周りにはいないタイプだ。
かわいい顔してるけど、ぼくはかわいくておっとりした優しい女の子がいい!
心の中で叫んだとき、電車は川崎大師の駅に着いた。
お正月になると必ず明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師と名を連ねてたくさんの参拝者を集める有名な私鉄駅は、こんなに小さいの? と言いたくなるくらいこぢんまりしていて殺風景だった。
駅前の、横断歩道の信号が点滅する道路の左手がお大師様の参道になっていて、正面から右手にかけてはコンビニやパチンコ屋があってさらに総合病院のビルが並ぶ。
時刻はやはりというか午後六時半を回ってしまって、参道には照明がともされ、商店やビルからこぼれる明かりがまぶしく感じられるほど辺りは暗くなっていた。
風も冷たくなってきていて、美咲さんは肩をすぼめている。
駅の改札前に立ち止まったまま、夜になってしまった知らない町の佇まいに心細さを覚えた。
美咲さんが携帯を取り出しながらぼくから離れた。
「もしもし、わたし。うん――それがドジな子でよう、今頃やっと川崎大師についたんだわ。どえりゃあ疲れたわ。こんなに暗くなってもうて、お母さんの家、探せるかな。わかっとる。わかっとるって――うん、じゃ」
本人は声を潜めて話しているつもりなのだろうけど、丸聞こえだ。
ひどい言われようだが怒る元気もなかった。
ぼくも井上さんに電話を入れて簡単に状況を説明して時間がずれ込んでいることの報告をしたたあと、ポケットから地図を出して美咲さんのお母さんの住所の、印を付けた場所を確認した。
美咲さんも疲れているだろうけど、ぼくだって疲れていた。
電話を終えた美咲さんが戻ってきた。
「行きますか」
声をかけて促すと、無言で頷く。その様子に、年相応の頼りなげな幼さがかいま見えた。




