保と国安さんは親子です
「お帰り」
やけのように焼き肉を食べ過ぎて、はちきれそうなお腹をさすりながら家に帰ったら、いつものように国安さんが台所に立って茶碗を洗いながら声をかけてきた。
「ただいま」
ぼくは国安さんに挨拶を返して冷蔵庫から冷たい麦茶を出して飲んだ。台所と茶の間を仕切る襖を全開にした茶の間で、保が行儀悪く片膝を立てて座布団にすわり、座卓に肘をついた姿勢でビールを飲んでいた。
座卓の上には保の好きなクラゲとキュウリとカニ缶の中身を入れた甘酢の酢の物や、国安さんが漬けているナスの糠漬けや手作りの豚の角煮などがこまごまとのっている。
青木保はぼくの従兄弟で町工場の板金工場で働いている。二十歳になっていて酒が飲めるから、十九歳のぼくに見せびらかすようにビールを飲むのが好きだ。だけど、ぼくだって来年は二十歳だから、保の嫌がらせは一年ほどで終わりなんだけどね。子供っぽい嫌がらせなんだけど、意外にこれが勘にさわるんだ。
「保、安月給なんだからビールじゃなくて発泡酒に替えたら」
嫌みったらしく言ってやった。
「バーカ、おまえみたいなすねかじりと一緒にすんな。これでも俺はこの家の家計を支えている一員なんだぞ。立派な働き手だ。ビールぐらいどってことないんだよ。おまえは粉ミルクでも飲んでろ」
機嫌よく保はコップのビールをあけた。ぼくは台所で背をこちらに向けて保の酒の肴を用意している国安さんを盗みみた。
だいぶ白髪が目立ってきた国安さんは、背中を向けているから表情はわからない。国安さんと保は親子だ。根本国安と青木保は実の父子だけど姓が違っている。それは保の両親が離婚して、保は母親に引き取られたからだ。
ちょっとややこしいのだが、ぼくの父親の妹の和江叔母さんは、夫の国安さんが働かないでパチンコばかりしているという、まあ、世にいうろくでなしで、愛想を尽かして保をつれて実家の青木家に戻ってきたのが保が小学四年生の時で、ぼくはその時小学三年生だった。
この家は小さな庭付き築四十年のボロ家で、和江叔母さんが保を連れて出戻ってきた頃には祖父母も亡くなっていたので、和江叔母さんと保は祖父母が使っていた一階の玄関横の八畳間に入った。
二階にある二間の一つをぼくが、もう一つの部屋をぼくの両親が使っていた。保とはその頃からのつき合いだから、兄弟みたいなものだ。
和江叔母さんと保とぼくの三人は血が繋がっているけど、国安さんとぼくは血が繋がっていない。当たり前か。そして、ぼくのお母さんと国安さんも血が繋がっていない。あ、いま、変なことを想像しなかった?
和江叔母さんと国安さんとぼくのお母さんとのどろどろ三角関係とか。わ、昼ドラみたくなっちゃうね。でも、そんな心配は全く、完全に、真実、なんにもないんだ。
「珠緒くん、初めてのサークルの集まりはどうだったの」
麦茶を飲み終わったコップを流しに置いたら、国安さんが泡のついたスポンジでそのコップを洗い始めた。紺のサロンエプロンが妙に似合っているのは主夫歴が長いからだ。ぼくと保を育ててくれたのは、このエプロン姿の国安さんだ。
「うん。歓迎会してもらった。焼き肉をいっぱい食べてきた。なんか、へんなサークルなんだ。入ったことをちょっと後悔してる」
「焼き肉食べてから後悔しても遅いかもね。これで退会したら食い逃げになっちゃう」
国安さんがほんわかと笑った。
「珠緒、こっち来いや」
保が呼ぶので行こうとすると国安さんにホタテとバジルのカルパッチョの皿を持たせられた。その皿を保の前に置く。
立ったままのぼくのシャツの裾をジーパンから引っ張りだして何をするのかと思ったら、保は服の中に手を入れてきてぼくの腹をくるくる撫でた。
「何するんだよ」
「すげえ珠緒の腹、パンパンでカエルみてぇ。あはは」
ぼくは保の手を思い切り叩いてやった。
「さわるなよ、押したら口から溢れちゃうだろ」
「きたねー、食いすぎだろ。あんまりよそでがっつくなよ」
「いいんだよ、あんなとこ。まともじゃない連中の集まりなんだから」
「なにそれ、話してみろよ」
「やだね。疲れたから風呂入って寝る」
「ただいま」と、玄関の開く音がした。和江叔母さんが帰ってきた。
和江叔母さんは都内の有名デパートで働いている。我が家の生活費は和江叔母さんと保と、単身赴任しているぼくの母の三人で賄っている。なんだか変則的な家族だよね。
働かないで家事全般をになっている国安さんは、和江叔母さんにすごく気を使っていて、叔母さんが帰ってくると急いで玄関に迎えに行ってハンドバックを受け取ってスリッパをそろえて出すんだ。
ぼくは内心ああいうふうにはなりたくないと思っているが、そんなことを言うと保がイヤな気持ちになるんじゃないかと思って黙っている。
和江叔母さんは四十五歳にしては若く見えるけど、フルタイムで働いているから、帰ってきたときの顔は疲れている。品がよくてしっとり落ち着いた感じの人だ。死んだお父さんと兄妹だけあって、生真面目そうな雰囲気がよく似ていた。
「お帰りなさい」
和江叔母さんはぼくの顔を見て、疲れた笑みを浮かべながら「ただいま」と言って茶の間の座布団に腰を下ろした。テレビから夜九時の金曜ロードショーのオープニングミュージックが流れてきた。
国安さんが今晩の献立をぼそぼそ話して和江叔母さんの前に皿や小鉢を並べるのを横目で見ながら風呂場に行った。
保が何か言ったらしくて国安さんの笑い声がした。ぼくがいなくなったあとで、あの三人は親子水入らずでビールを飲み始め、和江叔母さんは晩ご飯を食べるんだ。
ぼくは脱衣所で服を脱ぎながら、お父さんが死んだ後に働きに出て、今は茨城県に単身赴任中のお母さんのことを思い出す。
湯船につかりながら、ここはぼくの家なんだけどなとため息をつく。
まるでぼくのほうが叔母さんちに下宿しているみたいだ。でも、しかたないか。世の中、どうにもならないことなんて、いくらでもあるからな。ましてぼくなんか、何の力もないし、どうすることもできない。早く大人になって、お金を稼げるようになって、お母さんと一緒に暮らして楽をさせてあげるようにならないとね。ぼくとお母さんは、たった二人だけの親子だからね。
そんなことをぼんやり考えていたら、気持ちいい温度の湯船でうとうとしていたらしい。やけのように食い意地張って食べた焼き肉の満腹感で猛烈に眠くなってきた。髪と体を手早く洗って暖まるのもそこそこに風呂を出て、手早くパジャマを着て台所の冷蔵庫からペットボトルの水を取り、二階に上がった。
階段を上っていると、ビールで機嫌がよくなった国安さんのやけに明るい笑い声が聞こえた。酒が入ると気が大きくなって態度もでかくなるおじさんが、ちょっとだけ悲しかった。
二階のトイレと並んでいる狭い洗面所にあるドライヤーで髪を乾かし、歯を磨いてから廊下の左側の自分の部屋に入る。廊下の右側は保の部屋だ。
ぼくが小学校三年生の時に、離婚した和江叔母さんと保がこの家にやってきた。
その一年後にぼくのお父さんが死んだ。
そうしたら国安さんが和江叔母さんのところに転がり込んできた。
国安さんが転がり込んできたら、ぼくのお母さんは働きに出て、そのまま仕事にのめり込み、夢中で働きまくったお母さんは、意外と出世しちゃったりして、地方に転勤なんかさせられちゃって、そうしているうちに、廊下の向こう側の部屋はお母さんの部屋から保の部屋になっちゃっていたんだ。
お母さんには帰ってくる部屋がなくなってしまった。そのことを思うとぼくは悲しくてたまらなくなる。時々泣いてしまうときがあるくらいだ。とくに、階下から保たち親子三人の笑い声が固まって聞こえてきたときなんか、たまらなくなる。
そういうとき、恋人がいたらな、と思う。いままで女の子と付き合ったことは一度もないので、彼女とか恋人とかにすごく憧れる。
ぼくの彼女になる人って、どんな人なんだろう。
桃香先輩やひより先輩みたいな人じゃないほうがいいな。桃香先輩は「いっやーん、桃香、よく焼けているお肉じゃなくっちゃダメなのぉ。お腹が弱いから、イタイイタイになっちゃうのぉ」とか言って、ちゃっかりぼくが育てた肉をさらって行くし、ひより先輩は肉を焼く網の熱気さえフリーズさせてしまうくらい冷気を放っていたしね。
井上さんは酒の飲み過ぎでただの酔っぱらい親父になっちゃうし、江川先輩はぼくたちとは一線を引いた向こう側で一言もしゃべらずにもくもくと肉を食べ続けているし、和気藹々という雰囲気より、いかに自身が満足するかの競争みたいで、川島君が海にダイブするみたいに焼き網に身を乗り出して肉を口にかきこみだすのを見てぼくも我に返ったんだった。
なんだか歓迎会の焼き肉屋のことを思い出したら前途が不安になってきた。月曜日、大学に行ったら退会するって言いに行こうかな。
でも、焼き肉食べちゃったしね、食べるだけ食べて食い逃げっていうのもきがひけるな。
でも、あのメンバーで、訳の分からないサークル活動をするのは不安だしね。やっぱりやめようかな、やめたほうがいいよね、やめるべきだよね……なんて、ベッドの中でうじうじ考えていたら、いつの間にか眠っていた。




