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タマオっていうな!  作者: 深瀬静流
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合コンコースご一行様

「タマオ、いまどこに居るんだ」

 携帯を耳に当てたら井上さんの開口一番がそれだった。

「家ですけど」

「仕事だ、出てこい」というので「井上さんのところのバイトはとっくに辞めましたから」と言ってさっさと携帯を切ろうとした。

「切るんじゃねえぞ、コラ。江川を迎えにやったからもうすぐ着く頃だ」

 速攻で切った。そして机の上から財布をとって階段を駆け降りた。

 保と取っ組み合いの喧嘩をしてから一週間が過ぎていた。

 一見何事もなかったような生活に戻っていたが、それは保や和江叔母さんや国安さんたちが意図的にそう振る舞っているからで、ぼくにとっては自分からまいた種とはいえ、気詰まりでならなかった。

 ぼく一人だけが三人の輪の中からはみ出して一人で拗ねているガキみたいだけど、保たちは三人で気を合わせてふつうにしているということ自体が三対一の疎外感でおもしろくなかった。

 慌ただしく玄関でスニーカーをはいていると、国安さんが茶の間から「出かけるの?」とのんきな声で訊いてくるので無視し、ちょうつがいの油が切れてギイギイうるさい玄関ドアを開けて外に出たら、目の前に江川先輩が立っていた。

 逃亡に失敗したぼくは、思わず両耳を手でかばってのけぞった。

 江川先輩は、酔っぱらってぼくの耳をむしゃむしゃ食べたことは覚えていないらしかったが、ぼくの方の記憶は鮮明だった。

 相変わらず美貌の江川先輩は、無造作にカットしたよう見えるサラサラの髪を太陽の光に輝かせて無表情にぼくを見ていた。

 鎖骨が見える襟刳りのあいたデザインTシャツに股下の長いストレートジーンズ。ありふれた格好なのに人目を引く。

 顔をつきあわせている至近距離の状態で、ぼくは江川先輩の頭二つ分は高いところにある顔を見上げて見つめてしまった。

 き、きれいだ。

 吸い込まれそうだ。

 いけない雰囲気になったらどうしよう。

 ドキドキ。

「タマオー。江川先輩に見とれてないで、行こうぜー」

 江川先輩の背中から川島君がひょいと顔をだした。

「あ、川島君、いたんだ。江川先輩に隠れて見えなかったよ」

「ふざけんなよタマオ。おまえ、とんずらする気だったろ。そうは行かないんだよ。逃がさねえぞ」

「あ、江川先輩が行っちゃったよ」

「あ、ほんとだ。行こうぜタマオ」

「しかし、あの人、しゃべらないよね」

「だからひより先輩が俺について行けって言ったんだよ。あの人だけだと一言もしゃべらないからって」

「でもさ、そういうひより先輩だって、単語しかしゃべらないよね」

「桃香先輩は恋人の愚痴しか言わねえしな」

「井上さんは酒乱だしね」

「まともなのは俺たちだけだぜ」

「まあね……」

 ミンミン蝉からツクツクホーシの鳴き声に変わる季節になっていた。

 夏の終わりの炙るような日照りのなか、何を考えているのかわからない江川先輩の背中を眺めながら、川島君と二人、どうでもいいことをぐたぐたしゃべりながら歩いていく。

 駅についてカードで改札をくぐってホームに入ってきた登りの電車に乗り、車内の冷房で汗を乾かして新宿で降りた。

「で、今日の仕事って、なに」

 ぼくが訊くと、川島君はアルタの巨大スクリーンの下を目で示した。

 待ち合わせの人たちで混雑していても、ひときわ目立つグループがいた。

 ぼくはびびって逃げ出しそうになったが、川島君が腕をがっちり掴んで足を踏みしめていたので逃げられなかった。

「一人で逃げようと思うなよ。俺を置いていったら殺すからな」

 川島君のドスの利いた声が恐ろしかった。

「きゃあーん、タマちゃーん。川島くうーん。江川ちゃぁーん。こっちこっちよぉー」

 コスプレ系のピンクのふりふりスカートにくるくる巻き毛のロングヘアーのお人形さんのような桃香先輩が盛んに飛び跳ねながら両手を振っている。

 周りの人たちが桃香先輩を見てる。恥ずかしい。

 その桃香先輩の隣には、残暑の熱風さえブリザードに変えてしまいそうなひより先輩がにこりともしないでこちらを見ている。

 きょうのひより先輩は癖のない黒髪のロングヘアーをセンターで分けて、黒のボートネックのぴったりしたTシャツに真っ白なスリムジーンズだ。細くて背が高いから遠目でもすてきだ。

 井上さんは珍しく紺の安物のビジネススーツに紺のネクタイをしめて、汗をだらだらかきながら、バスガイドさんが持っているような黄色い三角の小旗を持っていた。

 小旗には「合コンコースご一行様」と書いてあった。

 どういうことなのか首を傾げる暇もなく、その旗の周りに集まっている六人のおじいちゃんおばあちゃん連中に肝が冷えた。

 年齢は七十から八十歳くらいのおじいちゃん三人とおばあちゃん三人だ。

 一人のおじいちゃんは、頭にかぶった手ぬぐいの上から黒の学生帽をかぶり、窮屈そうな白の半袖の学生開襟シャツの突き出た腹をベルトで絞めて、黒の学生ズボンをはいて、靴は上野のアメ横あたりで売っていそうな、白黒茶色のまだら模様の蛇皮だ。

 もう一人のおじいちゃんは、首に手ぬぐいを巻いていて、この人はなぜだか高下駄を履いている。

 もう一人のおじいちゃんは腰に手ぬぐいをぶら下げているだけで、三人のおじいちゃんの中では一番まともな学生老人に見える。

 おばあちゃんたちは、しわしわの顔にコテコテと化粧をしていて、黒く染めた髪にピンクや赤のリボンを蝶々結びにして止めている。着ているものは、どこから調達してきたものやらスカートが足首までとどきそうに長いセーラー服で、手に持っているバックは巣鴨の身代わり地蔵の仲店通りで売っていそうな代物だ。

 おばあちゃんたちの化粧は汗で流れてホラー状態になっているし、頭に手拭いをかぶっていたおじいちゃんが帽子をとって手拭いでつるっぱげを拭いている様子はヤカンを磨いているみたいっだたし、ほかのおじいちゃんたちはにこにこしながらたばこをプカプカやってるし、たばこ、迷惑だろが! と、怒鳴りたかったけど、どうせこんな年寄り、肺ガンになるより先に寿命で逝っちゃうからいいかと思い直したり、ぼくの頭の中は完全に土砂崩れ状態になっていた。

「じゃ、みんなそろったところで、出発しまーす」

 井上さんが旗を振って声を張り上げると歩きだした。

 そのあとをおじいちゃんとおばあちゃん連中が続き、次にひより先輩と桃香先輩が横並びで続き、そのあとを江川先輩が我一人という感じで続き、そのあとをぼくと川島君が横並びで続くという、いつものパターンで都庁に向かって歩きだした。

 先頭を歩いていく井上さんが、旗を振りながら大きな声で都庁の説明をするものだから、すれ違う人がみんな振り返ってぼくたちを見ていく。

 都庁の高速エレベーターは日本一早いから、みんな気圧の変化についていかれず、展望台につくとトイレに駆け込んでゲーゲー吐くんだとか、展望台の有料望遠鏡で向こうのビルを覗くと、どこかの窓でオフィスラブの不倫現場をのぞき見できるとか、女子更衣室の生着替えを見られるとか、嘘八百を並べ立てるのを年寄りたちはグハグハ笑いながら歩いていく。

「この人たち、いったい何なの」

 こそこそ川島君に訊けば、川島君も声を潜めた。

「合コンに憧れてるんだってさ。じじばばたちの人生は苦労続きの働きづめで、楽しいことなんかろくになかったんだって。学校だって中学しか行ってないから、今時の大学生に憧れていて、合コンというのを体験したいって依頼が来たんだってさ」

 「でもさ、デートクラブってふつう風俗とおもうよね。どうしてまともな仕事が来るのか不思議だよ」

「これがまともかよ。タマオ、頭おかしくね?」

「てか、なんで年寄りばっかなんだよ」

「てか、なんで年寄りに反応するんだよ」

 都庁のある新宿東口は、冷たく堅い印象の堂々とした怜悧なオフィス街で、繁華街の西口と違って歩いている人はあまりおらず、いたとしてもスーツ姿がほとんどだ。

 眠らない街新宿として全国に名を馳せた歓楽街をもつ新宿のもう一つの顔がここにある。

 永田町が政治の心臓部なら、大手町が経済の心臓部、しかし、新宿東口から信号を渡って紛れ込んだ高層オフィスビル群は、圧倒するほどの企業のパワーを見せつける。

 将来、ぼくもこんなビルで働いてみたい。そんなことを考えながら首が痛くなるほど高いビルをキョロキョロしているうちに都庁に着いた。

 井上さんが言っていた高速エレベーターで北展望台に行き、たくさんの人たちにじろじろ見られながら、有料望遠鏡でほんとにむこうのビルの窓に焦点をあわせて騒いでいる年寄りに背を向けて、ぼくたち連れじゃありませんからというようにこそこそ逃げ回り、おみやげを買い終わるのを待って都庁見学を終了し、次に井上さんが連れていったのはボーリング場だった。

「なんでボーリングなの」

「知るかよ」

 川島君はもうぼくの質問に答える気はなさそうだ。

 ここでもぼくたちは注目を浴びた。

 先輩たちは全く気にしていないみたいで、というか、この人たちは空気を読む能力のない変人ぞろいだから、自分たちがどう思われているかとか、笑い者になっているとか、いっさい頭にない。

 だから桃香先輩などは、きゃわきゃわ年寄りたちと笑い転げている。

 ひより先輩は人間ブリザードだし、江川先輩は我一人の無言マイペース人間だし、井上さんはめちゃくちゃなアホ人間だし、桃香先輩は誰彼かまわずフリフリぶりっこニャンニャン人間だから、見ているととにかくすごい。

 はげ頭のおじいちゃんなんか、ボーリングのボールの穴から指が抜けなくてずどんと足下にボールを落としてガーターに転んじゃうし、別のおじいちゃんなんか、何を勘違いしたのか砲丸投げみたいに肩に担いでぶん投げてレーンの板に穴をあけそうになっちゃうし、おばあちゃんなんか「よっこらしょ」と掛け声をかけてボールを床におろして押し出すように転がすし、しかもそのボールが、どういうわけかひどくゆっくり転がっていってシケたストライクをかましてくれるし、そうするとおじいちゃんおばあちゃんたちが腰の曲がり始めた老体で、飛び上がって大騒ぎをするし、ほんとにイヤだ! かっこ悪い、恥ずかしい。

 でも、逃げ出したくなっているのはぼくだけみたいで、井上さんなんか腹を抱えて笑っているし、ひより先輩も氷の微笑を浮かべているし、桃香先輩なんかおじいちゃんおばあちゃんたちと手を取り合ってはしゃぎまくっているし、江川先輩だってカッコつけて組んでいる足の先を機嫌良さそうにくるくるしている。

 まさか川島君も楽しんでないよね、と思って隣を見ると、川島君は目に涙をためてうるうるしていた。

「田舎のじいちゃんとばあちゃんに会いたくなったよ。俺、じいちゃんばあちゃん子だったんだ。じいちゃんはいつも飴くれたし、ばあちゃんは腹へると握り飯作ってくれたんだ。俺が大学出るまで、生きているかな」

「川島君のおやつって、飴と握り飯だったんだ。すごいね、それじゃあ、上京してマックとかケンタ食べたときは感動したでしょ。これがテレビで見るマクドナルドにケンタッキーフライド」

「てめえ! 田舎者だってバカにするなよ! 田舎にだってマックもケンタもあるよ」

「自転車こいで三十分のところにか?」

「それはコンビニだ。マックとケンタは車で三十分だ!」

 冗談で言ったのに、どんだけ田舎なんだよ。

 ぼくはこれ以上川島君の田舎生活にはつっこまないことにした。

 時刻は居酒屋に繰り出してもいい頃になっていた。


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