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タマオっていうな!  作者: 深瀬静流
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大人同士の話し合いをしよう

 自宅に帰って夕飯をすませ、風呂から出たら和江叔母さんが仕事から帰ってきていた。

 頭をバスタオルでゴシゴシしながら茶の間に入っていくと、和江叔母さんは卓に広げられたお土産の数々を手に取りながらぼくに笑顔を向けてきた。

「義姉さん元気にしていたみたいね。こんなにお土産をいただいちゃったわ」

「うん。お母さんがよろしくって」

「地酒もいただいたんだよ。冷蔵庫で冷やして明日みんなで飲もうよ」

 国安さんが、和江叔母さんの晩ご飯を出しながら話に加わってきた。

「守口漬けもだそうぜ。あの大根漬け、試食したらうまかったんだ」

 お茶を一口飲んで箸をとった叔母さんが、保に身を乗り出すようにした。

「で、その加藤さんっていう人、どんな感じだった」

「珠緒は死んだおじさんに似ているとか言ってたけど、俺はそんな感じしなかったな」

「似てるの、兄さんに?」

 せき込むような叔母さんの声に、冷蔵庫から麦茶を取ろうとしていた手が止まった。

「いや、だから、珠緒はそう言うけど、俺の覚えているおじさんは暗い感じの印象だったけど、加藤さんていう人は明るくて活動的な人だったんだよね」

「そのころの兄さんはいろいろ大変で苦しんでいたから暗いって思うのかもしれないけど、兄さんはもともと陽気な人だったわ。そう、義姉さんもやっとそういう気持ちになったのね」

「そう言う気持ちって、どんな気持ちなのかな、和江叔母さん」

 冷蔵庫を乱暴に閉めて突っかかるように言ったぼくを、三人はぎょっとしたように振り向いた。

 気の弱い国安さんが台布巾で意味もなく卓の端を拭きはじめる。和江叔母さんが困ったように口元に笑みを作った。

「兄さんが亡くなって十年たつのよね。珠緒くんにとっても義姉さんにとっても長い十年だったでしょう。でも、義姉さんはまだ若いから、そろそろ次の幸せを考えてもいい頃だと思うのよね」

「次の幸せってなに。そんなこと、和江叔母さんには関係ないじゃない。そんなことより、叔母さんこそ、いつまでうちに居座っているつもりなの。叔母さんと保はまだわかるけど、なんで離婚したはずの国安さんまでこのうちに住んでいるんだよ。何年住み続けるつもりなんだよ。おばさんたちが出ていかないから、お母さんはこの家に帰ってこれないんじゃないか。だからぼくとお母さんは未だに離ればなれで暮らさなくちゃならないんじゃないか。ぼくのお母さんの幸せをどうのこうのいう前に、三人ともこの家を出ていってくれないかな」

 ちゃぶ台を拭いていた国安さんの動きが止まった。和江叔母さんは驚いたように目を見開き、保も呆気にとられて口をぽかんとあけた。

 たとえ思っていても、こういうことは言ってはいけないと自制していたはずだ。そのくらいの分別はあるつもりだった。

「珠緒、おまえ、ずっとそう思っていたのか。おまえと伯母さんが一緒に暮らせないのは俺たちがここに居座っているからだって」

 だから保が、静かな中にも激しい怒りをにじませながら睨みつけてきたとき、後悔とやましさをごまかすように言い返していた。

「そうだよ。だってそのとおりだろ!」

 保は傷ついたように顔をゆがめた。

「珠緒が親父のことをバカにして軽蔑しているのは知ってたよ。俺からみても自慢できる父親じゃないから仕方がないと思っていたけどさ、伯父さんが亡くなって一年後に親父が転がり込んできたとき、おまえは十歳だったよな。そのときからずっとおまえの面倒をみて、おまえを育ててくれたのは俺の親父だったんだよな」

「恩にきろっていうのかよ。それだって、国安さんが転がり込んでこなかったら、お母さんは働きになんかいかなかったんだ。この狭い家の中に、他人の国安さんが入ってきたから、おかあさんはいられなくて外に働きに出たんだ」

「珠緒くん」と和江叔母さんがきりっとした表情でぼくに向かい合った。

「いい機会だからちゃんと話しましょうか。珠緒くんも大人になったんだから、大人同士で話をしましょう」

「なにを話すって言うんだよ」

「いや、珠緒くん。おじさんが悪いんだよ。おじさんがダメだから、きみや雅子さんに迷惑をかけてしまって、ほんと、あの、すまないね、でも、あのね」

 おろおろとどうでもいいことを言ってくる国安さんを、和江叔母さんが「あなたは黙ってて」と冷たく言って黙らせた。

 こんな怖いおばさんは初めてだった。

「あのころ、この家の中はめちゃくちゃだったわ。覚えているでしょう。訳が分からなくなっていたのは子供の珠緒くんだけではなく、大人たちも同じだったのよ。なぜ兄さんが自殺したのか、原因は何だったのか、自殺を止める方法はなかったのか、義姉さんだけが悩んだわけじゃない、わたしも悩んだし苦しんだわ。でも、現実は容赦なくわたしたちを押し流した。兄さんの遺体を自宅に搬送してもらい、葬儀屋との打ち合わせ、迷惑をかけたところの後始末や、金銭的な保証。みんなわたしが窓口になって動いたわ。義姉さんは訳が分からなくなっていたからね。そして、一年後にこの人が転がり込んできた。働くこともしないでパチンコばかりしているろくでなしなのに、珠緒くんはこの人に懐いたわ。この人は生活無能力者だけど、子供をかわいがって、家の中のことはできた。その様子をみて、義姉さんは働くことを決心したのよ。子供を見てくれる人がいたから安心して働きにでれたの。わたしたちは、みんなで助け合ってここまできたのよ。家族だと思っていたのに、そんなことを言われて、すごく、悲しいわ」

 ぼくは動けなかった。

 わかっているんだ、ほんとうはぼくだってわかっているさ!

 だけど、だけど、独りぼっちだと思うのも事実で、寂しいと思うのも事実で、おばさんたちがいなかったらと思うのもほんとの気持ちなんだ。

「一人で大きくなったつもりでいやがって。こんだけ大きくなったから、もう俺たちに用はないってか。じゃまだから出ていけってかよ。ずいぶん偉くなったもんだな珠緒」

 保つが大きな声をだした。

「なんだと!」

 ぼくは血相を変えて保つに飛びかかっていった。

「やめなさい保!」

 和江おばさんの金切り声が、もつれ合って畳の上を転がって、重い卓にぶつかりサイドボードにぶち当たるぼくたちに投げつけられる。

 ぼくと保は互いの襟首を絞めあいながら顔を真っ赤にして睨みあって茶の間の中を転げ回り、騒々しい音を立ててわめきあった。

 ぼくより背が高くて工場の現場で働いている保は力もあるから、喉首を締め付けられると苦しくて息ができなくなった。

 上に被さってきて、体重で押さえ込まれると動けなくて、悔しくて足をめちゃくちゃに動かして逃れようとしたけどびくともしない。涙がにじむ。

 大きい声で「放せよ保、おまえなんかいなくても平気だ、出てけよ、どっか行っちまえ」と怒鳴れば、保も「上等じゃねえか、おまえこそ名古屋にいる母ちゃんに、保がいじめるって泣きつくんじゃねえぞ、大学生にもなってみっともないからな」といい返してくる。

 悔しくて悔しくて、首を絞められたまま思い切り額をごっちんこしてやった。

「いっってええ! 珠緒コノヤロ、たんこぶができるだろうが!」

 保がひるんで体に隙間ができたので下から腹を蹴りあげてやった。

 うっ、と呻いて保の顔色が変わり、本気でぼくに飛びかかってきた。

「珠緒、てめえ」

「やめなさい保! あんたの方が体が大きいんだから。それにお兄ちゃんでしょ!」

 和江叔母さんがぼくのプライドをばさばさ傷つけてくる。

「こんな奴、お兄ちゃんなんかじゃないや!」

「俺だっておまえのことを弟だなんて思ったことないぞ」

 保が心底腹がたったように馬乗りになってぼくの頭を畳にがんがんぶつけてきた。

 痛いぞ!

 それに目が回る。

 和江おばさんが「やめなさい保」を連発して止めに入ろうとするのを、国安さんが止めていた。

「いいんだ和江。危なくなったら俺が止める」

 がんがん保に頭を叩きつけられながら、国安さんが意外に男らしくきっぱりしていたので驚いていた。

 パチンコ好きで働くのが嫌いな、最低の男だと思っていた。でも毅然とした男らしい態度に和江おばさんがおとなしくなったのを見て、もしかしたら、国安さんを、ぼくは長い間見間違えていたのかもしれないと思った。もしかしたら、この生活無能力者が、和江おばさんと保の根幹を支えていたのかもしれない。

 だとしたら、ぼくという人間を支えてくれていたのは誰なのだろう。

 人というものは、強いようで弱いものだ。どんなに強くても、強さだけでできあがっている人間はいない。そんな人間いるわけない。誰かが、怒りながらも、叱りながらも、愛情でくるみこんでくれるから、人は生きていけるんだ。それでは誰がぼくをくるんでくれていたのだろう。

 畳に頭を叩きつけられながら目を閉じて、ぼくは声をかみ殺して泣いた。

 保が悔しそうに涙をにじませていたとしても、目を瞑っているぼくにはそんなことわからなかった。


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