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タマオっていうな!  作者: 深瀬静流
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トヨタって、愛知県の名物だったんだ

 ぼくは今、名古屋の空の下を走っている。お母さんのところに向かっているのだ。保も一緒だ。

 サークルの出頭命令を無視し、渡されたA4の資料をゴミ箱に捨て、いやがる保を荷物のように強引に車に押し込んで自宅をあとにしたのは今朝のことだ。

 お盆休みの最後の三日間をぼくはお母さとすごすことに決めたのだ。

「だから、なんで俺まで行かなきゃいけないわけ? 珠緒の母ちゃんなんだから、珠緒が一人で行けばいいだろ。親子水入らずでさあ」

 朝からずっと保はそのことで腹を立てている。

「珠緒みたいな学生と違って、勤労青年の俺にとっては貴重な連休なんだぞ。それなのに、なんでおまえに付き合わなきゃならないんだよ」

「どうせ家でごろごろしてるだけなくせに」

 言い返すと保のやつが長い足を器用に曲げてわざとらしくダッシュボードを蹴った。

「やめろよな、車に八つ当たりするの。これ、ぼくの車なんだぞ」

「なんで二泊もしなきゃなんないんだよ。俺はあした新幹線で帰るから金出せよな」

「やだね」

 狭い車の中はぼくたちの口喧嘩でがんがんうるさいけど、八月の空はものすごく晴れ渡っていて真っ青だ。

 名古屋だって大都市なのに、どうして東京と違ってこんなに空がきれいなのだろう。

 東京のように超高層ビルがニョキニョキ建っている訳ではないけど、こうして車を走らせていると、都会だなと思う。

 車で走って実感するのが、名古屋の道路はとにかく広いということだ。東京みたいにゴミゴミしていない。

 もっとも、東京は空襲で壊滅したあと、人々が続々と掘っ建て小屋を建てて雨露を凌ぎながら東京を復興させたという経過があるから仕方がないのかもしれないけど、この名古屋は、慶長十七年(1612年)から元和二年(1616年)にかけて徳川義直が清洲から移住するにあたって、地割り、町割りを行ったというのだから、道路は見事な碁盤の目状態の城下町だ。

 道路、くねくねしてないんだよね。なんか信じらんない。

 しかしなあ――ぼくのみたいな軽自動車なんか走ってないよ。みんなトヨタじゃん。

「なんだよ珠緒、急に黙っちゃって」

「おっきい車に代えようかな」

「はあ? なんで車の話?」

「走ってるの、トヨタばっかりな気がする」

「しょうがないさ。愛知県って言ったら名古屋城に長良川の鵜飼いにきしめんに天むすにういろうにトヨタだもの」

「へえ、トヨタって、愛知県の名物だったんだ」

「やっぱ、珠緒はアホで決まりだな」

 どうやら保は機嫌がおさまってきたらしく、ガムを口に放り込んで、ぼくの口にも入れてくれた。

「で、どうすんだよ」

「なにが?」

 信号を左折して伏見通りに入り、名古屋駅に向かいながら返事をする。

「だから、もう昼だろ。腹ヘったんだよ」

「わかってる。いま駅に向かっているから。駅の地下街でお昼にしよう」

「やけにテキパキしてるじゃん」

「うん、まかせろ」

 保があははと笑った。

 保の間の抜けた笑い声は気分がいい。

 アホな犬がアホずらでしっぽ振ってるみたいで、なんか和む。

 東京の八重洲地下街よりも巨大で豪華な名古屋の地下街で、保はよだれを垂らした犬みたいにたくさんのウインドを眺めて、どれを食べようかと迷いに迷って歩き回った。

「京の着倒れ大阪の食い倒れ」と言うけれど、保は大阪まで行かなくても名古屋で食い倒れてしまいそうだ。

 結局肉食系の保は、名物のきしめんではなく特大のステーキを見つけてそれにかぶりついた。

 食後のデザートだといって、おいしそうなたこ焼きを三人前買って車に乗り込むと、鼻歌気分でたこ焼きをほおばり、時々思い出したようにぼくの口にも入れてくれる。

 お母さんとは、仕事が終わる頃勤め先のスーパーに迎えにいって、一緒に帰ることになっているので、もう少し時間をつぶすために車を走らせた。



名古屋の人は、名古屋は見るところがないというけど、もともと観光に来たわけではないから名所なんてわからない。名古屋城は見てきたし、あとはどこへいっていいかわからなくてめんどくさくなって、静かなところで休憩して昼寝でもしようということになり、ハンドルを急遽徳川美術館に向けた。

 ぼくと保は美術館の静かで空調の利いた、座り心地のいいソファで食後のうたた寝を楽しみ、疲れがとれたところで館内を鑑賞して閉館まで粘り、ちょうどいい時間になったので、お母さんのところに向かった。

 お母さんの勤務している今池店は、名鉄名古屋駅から真っ直ぐ東に走ったところにあって十分ほどで着いてしまう。

 道路は真っ直ぐだから、暗くなってきても見通しがよくて、スーパーはすぐに見つかった。

 スーパーの広い駐車場に車を停めてから携帯でお母さんに着いたことを知らせ、保と二人でスーパーに入っていった。

 時間的に会社帰りの主婦で混みあう店内をぶらつきながら、ビールとおやつ兼つまみのようなものを買い込んでいると、お母さんの呼ぶ声がした。

「珠緒ちゃん! 珠緒」

「あ、お母さん」

 お母さんは淡い水色のサマースーツ姿で、パンパンに膨らんだスーパーの買い物袋を両手にぶら下げて小走りで走り寄ってくるところだった。

 ぼくと同じで小柄なお母さんは、すこしぽっちゃりしていて笑うと目尻にしわが寄るけど、ほっぺがつるつるで可愛らしい。

「よく来たわね珠緒ちゃん。それに保君も」

「おばさん、ご無沙汰してます」

 保がぺこりと頭を下げる。

 ぼくがお母さんの荷物を持つと、お母さんは嬉しそうに笑った。

「さあ、帰りましょう。お刺身がいいのが入っていたからいっぱい食べてね。明日はお休みをとってあるから一日遊びましょう」

 お母さんは、ぼくと保を交互に見ながらうれしくてたまらない様子で出口に向かった。

 歩いて通勤しているというお母さんを車に乗せて、スーパーのそばを通っている県道60号線をまたいだすぐのところのコーポまで走った。

 駐車場付きのコーポの二階の左端がお母さんの住んでいる部屋で、「2LDKの間取りは一人暮らしには贅沢なんだけど、珠緒ちゃんが来てくれることを考えると、二間はほしいものね」と、お母さんは笑った。

 家具などほとんどない住まいは、転勤ばかり繰り返しているお母さんの生活の侘びしさを感じさせて、ちょっと悲しくなる。

 でも、女らしピンクのカーテンだとか、キッチンダイニングのリビングスペースにカーペットを敷いて、折りたたみ式のローテーブルの上に飾られた一輪挿しのキンギョソウなどが、一人暮らしの寂しさに優しさを添えて、そういう細やかな心配りを忘れないお母さんは、やっぱり女なんだなと思ってしまう。

 寝室で着替えてきたお母さんは、早速キッチンにたって食事の支度を始めた。

 ぼくが手伝おうとすると、怒ったように座っていろという。

 テーブルに急いでコップを二つ出してきて、冷蔵庫から冷えたビールを出してきた。

「保君、ビール飲めるんでしょ」

「あ、俺たちもビール、買ってきたんですよ。冷蔵庫にしまっておかないと」

「わかったわ。それじゃあとりあえず、ね」

 そういいながら、保に持たせたコップにビールをつぎ、ぼくのコップにもつごうとして一瞬動きを止めた。

「いけない。玉緒ちゃんはコーラだわね」

 保がくすっと笑った。

「自分で冷蔵庫から出すからいいよ。お母さんはご飯の支度をつづけて」

「ええ。そうね」

 お母さんは楽しそうにキッチンに戻った。

 保は、お母さんに話しかけられなければ話には加わらない。気を使っているのだ。ぼくとお母さんが、いっぱいおしゃべりするようにと。そして、ぼくとお母さんは、互いに話さなければいけないことがどっさりあって、それは、離れて暮らしているお互いの生活を埋めあう作業だった。


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