嘘がつるつるでてくる
「法学部っていうと、弁護士になるんだべ?」
「まままだ、決めてません。法律関係に進むとは限らないし、父のように省庁に就職するかもしれないし、一般企業かもしれないし――」
高雅さんに訊いてください。
「ばあちゃんは気が強いから久仁子さんも気を使ってたいへんだべ?」
久仁子って誰、誰、あ、高雅さんのお母さんだ。
「いや、母は忙しくてほとんど家にいませんから、おばあちゃんに気を使うこともないような――」
どうしよう、嘘がつるつる出てくるよ。
「ほんとのこと言えや」
「えっ!」
家長のおじさんは、ビールを飲みながらこそっと言った。
ばれた?
ばれたの?
「ばあちゃんと久仁子さん、うまくいってないんだべ。うまくいくわけないわな、上品で気位の高い嫁さんと田舎者丸だしのばあちゃんじゃな。けどよ、昭義はなんで今日来なかったんだや。いくら忙しいったって、孫にばあちゃんを押しつけて息子が来ないなんてねえべ。おまえの父ちゃんを悪く言うつもりはねえけどよ、あんなに苦労して育ててもらったんだぞ。親を粗末にしたらバチが当たるべ」
「はあ、すみません。父もいろいろ多忙でして、休みもろくにとれない状態で。そのかわり、父の代わりにぼくがおばあちゃんを連れてきましたので、勘弁してください」
「ほう、親を庇うとは立派な心がけだ。飲めや。こりゃ昭義はいい息子を持ったなや」
喉が渇く。
カラカラだ。
でも、酒はだめだ。
しかたがないから、た、たぬき寝入りでもしようかな。
おばあちゃんがなに食わぬ様子でぼくたちの会話を聞いていた。
知らん顔をしてフンと鼻を鳴らす。
ぼくはそんなおばあちゃんに腹が立った。
おばあちゃんこそ、あんなに息子さんやお嫁さんのことを誉めて自慢していたくせに、その話に合わせようとして冷や汗をかきながら作り話でごまかしているぼくを笑うなんて頭にくる。
おばあちゃんの家族は、おばあちゃんを老人ホームに入れて、「でーと倶楽部」のアルバイトを雇って孫のふりをさせて、田舎の親戚連中さえだましてさ、おばあちゃんはおばあちゃんで、親戚たちにいいかっこしちゃってさ、見栄張って、嘘で塗り固めて、白々しくて笑っちゃいそうだよ。
なんだよ、これ。
すっげえ茶番!
疲労しきって神経ビリビリだった。
親戚のおじさんおばさんたちの笑いさざめく声が潮騒のようにゆるやかに引いては寄せてくる。
ぼくは腹立ちを紛らせるために猛然と食べることにした。
「起きろや。布団敷いたから。風呂にはいってから寝ろ」
おばあちゃんに肩をゆすぶられて眠い頭を上げた。
宴会は終わっていて座敷はきれいに片づけられ、仏壇の前に布団が二組敷かれていた。
襖は取り払われたままだから、十六畳の広間に布団が二組という映像は、悪い冗談のようだった。
ぼくは子供のように食べながら居眠りしていたらしい。口の中にこんにゃくのかたまりが噛み切れずに残っていた。
「風呂、入って来い。廊下を玄関の方に行って、右の廊下を行くと突き当たりが風呂とお便所だ。おめえも疲れたべ。オラは先に風呂に入ったから、もう寝るよ。明日は十時にお寺さんに行くからな」
「あ、はい」
ぼくがうたた寝している間に、広い家の中はすっかり暗くなって静かになっていた。大勢いた親戚の人たちも帰ったみたいで、物音一つしない。
初めて訪れた他人の家というのは落ち着かない。暗い廊下を歩いていて、突然ドアが開いて人がでてきたらびっくりして腰を抜かしてしまうかもしれない。ぼくは怪しい者ではありませんから、ぼくは泥棒じゃありませんから、とかなんとか叫んでしまいそうだ。
他人の家の風呂で、のんびり手足を伸ばせるわけもなく、そそくさと入浴をすませ、洗面所で歯磨きをして部屋へ戻ったら、おばあちゃんはいびきをかいて眠っていた。
仏壇には電気式のろうそくが灯っていて、暗い室内に意外と明るい光を投げかけている。
都会だったらエアコンがなければ寝られないけど、東北の八月の夜は網戸から涼しい夜風が入ってきて、タオルケットをかけていてもちょっと肌寒いくらいだ。
虫の音が驚くほどの近さと大きさで聞こえてくる。
りんりん、じーじー、ちろちろちー。
りんりん、じーじー、ちろちろちー。
眠れない。
眠れないよ。
なんだこの虫の音の大きさは!
ホラーだ。
眠ったらきっと一億一万匹のありとあらゆる虫にたかられて、耳といわず鼻といわず、毛穴からまで体内に進入されて、生きながら内蔵を虫にむさぼり食われて死んでしまいそうだ。
それに網戸の向こうは真っ暗闇な庭で、月明かりがきれいだとかの風流はいっさい無しで、暗がりの闇の中から何かが這い出てきそうで怖い。
網戸だけで寝るなんて、あり得ないでしょ?
不用心どころか、物取りに殺されたらどうするの。
怖い!
いろいろな意味で怖すぎる。
タモツ、たもつ、保、助けに来い!
おまえ、家でのんきにビール飲んで腹だして寝てんじゃねえぞ!
この夜ぼくは、仏壇の灯りに揺らめく天井の木目がつくりだす無数の人物に怯え、地面から沸いてくる虫の音に体液をすすられる妄想に取り憑かれ、隣で寝ているおばあちゃんの、入れ歯をはずして、紐で縛った巾着袋みたいな口の恐ろしさにうなされてなかなか眠ることができなかった。




