ありがとう
おばあちゃんは遺跡好きで、エンジェルヒルズにはそれが特に多い。実家の近くには有名なスレイント遺跡群があって、おばあちゃんはそれをマティ・パ国定遺産にしようと運動していた。ここらにあるひときわ大きなワングランド教会は、教会の教えより遥かに古い時代の遺跡をそのまま流用して作られている。
遺跡時代は、口承されていたクルーゼ神話や王族の由来が初めて文書にまとめられた神話時代でもある。当時の歴史が神話として形を変え、ある程度残されているところが面白いんだ。
マティ・パ各地に残っている大きな古代遺跡は中央教会と王族が立入禁止にしているので、そこには王族にまつわる秘められた歴史があるのかもしれない。おばあちゃんからその話を聞いた時、僕の胸は熱くなった。そう、ロマンってやつだ。
★★★★
ファナン国、デルフト国、遺跡、神話。おばあちゃんが関心を持っていたものは全て関係がある。
おばあちゃんが学生だった第三次抗天戦争中に習った歴史は、マティ・パの教会や王族に有利になるように作り変えられていて、それに倣って当時は神敵で支配地域だったファナンやデルフトを見下すのが当然だったとおばあちゃんは言う。実際戦争時にデルフトにいたおじいちゃんは今もそんな感じだ。
しかし戦後はエンジェルヒルズの遺跡が色彩などデルフトの遺跡と同じ様式であることが多いことから見て、様々な文化や言葉がそこから渡ってきたと言われるようになった。人種だって古代に混じり合って今じゃほとんど見た目じゃ区別がつかないくらいだ。
古代マティ・パに最初にできた文明は文献が残っておらず、早くから文字文明が発達していたファナンの古文書からしかわからないのだ。
だから見下すのはちょっとねえ……とおばあちゃんは言った。
おばあちゃんはその持ち前の好奇心で歴史を学び直したのだ。わかっていてもなかなかできることじゃない。学校や世間で習った価値観を変えることは難しいんだから。既存の言葉を自分で捉えなおすんだ。おばあちゃんの凄い所はそこだ。ただ、本人は「あんまり役には立たないけどね」と言うのだけれど。
病室で、おばあちゃんとマティ・パや世界の歴史の話をする。そうしていると、ぼんやりしていたおばあちゃんの意識がはっきりする。興味や関心のあることは、たとえ苦しかろうと話したいのだ。僕も同じ。
その前の晩、そんなところを父親は「お前はおばあちゃんに似てる」と僕に言った。あの男にしては珍しく良いことを言ったね。
「ウバ」
僕は父親と目を合わせたくないから、手持ちの本をチェックするのに忙しいフリをする。
「俺は母さん――テンおばあちゃんには似てないだろう?」
「そう……かな」
面倒臭いからさっさと何処かへ行ってくれないかなって思った。
「俺は前の戦争中に父さん――クマザサおじいちゃんに拾われたんだ。デルフトで、本当の親に捨てられててな。だから、似てるはずないんだ」
辛気臭いなあ。
勿論、初耳だった。秘められていた真実というのは意外とあっさり告げられるものだね。
「うん、それで? デルフトに帰るの? 帰りたいならいつでも帰っていいよ、どうぞどうぞ」
父親はバカ野郎と小さく呟いた。
★★★★
おばあちゃんはベッドで動けない間、夢か現かの境界で考えていた歴史の話をしてくれた。
「ファナンやデルフトの歴史を調べると、親孝行とか法術とか、マティ・パにない良いところが一杯あるのだけど、でもやっぱりタンキン思想には悪いところがあるねえ」
「うん。士尊札卑とかねえ」
「そうよ。札術師を人と思わないところがあるでしょう。それに女も人と思わない……」
おばあちゃんが時々使う、その槍のように鋭い言い方は好きだ。札術を使う女は昔は珍しかったらしいし、色々あったんだろう。
「でもファナンの人は老人に優しいんでしょ?」
「そうよ。ロングロングティップに旅行した時に危なくないように背中を押さえてくれてねえ……」
(うん、うん。それが嬉しかったのか意外だったのか、おばあちゃんは昔からよくその話をするよね)
「そう、これは学説でもなんでもなくて、全くの私の妄想だけど」
おばあちゃんは胸に手を当て目を閉じたまま、前置きして話し始めた。
「デルフト山ってあるでしょう。ナユタン三峰の中で一番高い。あれはどうしてかデルフト国と名前が同じでしょ。マティ・パの地名にデルフトって名前があるなんてビックリするけど」
僕はおばあちゃんの手を握って頷く。
「昔、古マティ・パに奴隷として連れてこられた古デルフト人がいて、その人達が登山して、頂上からデルフトの国が見えたか、それとも故郷が見えてほしいと思ったか、それでデルフト山って言うんじゃないかって……これは私の全くの妄想なのだけど」
「うん、そうだよ。たぶん」
それからおばあちゃんはまた何か話そうとしたけれど、息苦しそうなので僕は慌てて止めた。
「あんたは頭が良いのだし、天地が震えるような大きな学説を打ち上げなさい……それが読めないのは残念だけどね」
「ううん、おばあちゃん、大丈夫だよ。また……また話しにくるからね」
結局、歴史の話を再びすることは無かった。
★★★★
翌日――僕がエンジェルヒルズに滞在していた最終日、送り屋で葬式についての段取りなどを聞きに行くことになった。ロンジン伯母さんや父親やおじいちゃんと一緒に向かい、そこで話を聞いているうちにタイムリミットが来た。
ドラゴンテールへ帰る蛇道の最終時間に間に合うよう、僕は途中で抜けることになったんだ。
帰り際、ロンジン伯母さんが「本当にありがとう」と言ってくれた。
何だかここ数日間の修羅場をくぐり抜けてきた戦友のような気持ちがする。
靴を履いていると、父親が慌ててやってきた。
「お前、蛇道の代金はあるのか?」
お金をくれた。そんな働いているかどうかもよくわからない人からなけなしのお金を貰うのはどうかと思われるかも知れないけれどさ、その時の僕は受け取りたい気分だったんだよ。
「うん、ありがとう。僕、おばあちゃんに感謝してるんだよ、これでも。何かやってあげたくてさ」
父親はいまだかつて見たこともない顔になった。
まあ、この男を前にして真顔でそんなことばかり言ってられないので、僕はすぐに出た。
「ウバ」
呼び止められて僕は振り返る。急いでるってのに。
「……いや、何でもない。お前、背、伸びたか?」
何だそれ。
「成長期はとっくに過ぎてるよ。じゃあね」
最寄りの駅から蛇道に乗って、それが地下穴に入って身をくねらせながら加速し始める頃、父親から通停魔が来た。父親は札術を使うのが下手なので、その文面もぎこちない。
「ロンジンおばちゃんが、ウバが、いなくなって、がっくりしています。ウバよく頑張ってくれて、ありがとう」
この男にありがとうなんて言われたのは初めてかもしれなかった。思わずその文面を二度見した。
(「ウバ、ありがとう」って。「ウバ、ありがとう」って。あの男が――父さんが? はは)
蛇道が通る地下トンネル内は真っ暗。申し訳程度に備え付けられたランタンが唯一の光。でも石質のせいか、岩壁はまるで水面のように光を反射するんだ。
僕は頬杖をついて、そこに映る自分の顔を見つめる。父親にそっくりな自分の顔を。ドラゴンテールに着くまで僕はずっとそうしていた。
帰ってから、おばあちゃんの呼吸が停止したという連絡を受けた。彼女の魂はこの星の風になった。
数日後、葬儀に行く前におばあちゃんが言っていたデルフト山の話を調べた。
やはり多くの人がおばあちゃんと同じくそう考えたらしいけれど、当然マティ・パ南部にあるその山から海を隔てたデルフトは見えるわけがないので、その説は信憑性がないということだった。
でも見えないからといって、名前がつかないというわけじゃない。「見えてほしい」という希望があるからそう呼んだのかもしれないじゃないか。実際のところがどうあれ、そう呼びたくなったら呼べばいいのだ。
そうか。
僕の札術は新しい段階に進む。モノの呼び名は「そうあってほしい」という希望で呼んでもいいのだ。本気で呼んだなら、それは応えるのだ。
デルフトから離れた山をデルフト山と呼ぶように、あるいはどこかの誰かを父さんと呼びたいのなら。
まあ、おばあちゃんはそこの細かいところを気にするだろうけどさ。
読んで頂きありがとうございました。よろしければ感想などよろしくお願い申し上げます。