spirit
地下へと続く階段には所々に小さな蛍光灯が灯っている。一つ、切れかけて、ちかちかと不規則に明滅するのが、心臓の鼓動を鬱。
「今日は口数が少ないわね、イヴィー。どうかした? それともやっぱり不安?」
透けるような白い肌は、闇の影に静かに重みを帯びる。蕩けるような笑みから、そっと目を逸らして闇を飲み込む。呟く。
「――不安、と言えば、不安なんだろう。どうしても五年前のことが思い出されて、ならない……また誰か死んでしまうのではないかと」
「ちっちゃいのに色々考えてるのね……」
白くのびた指がふいに闇から浮かび上がって、右だけ長くのばした金髪をなでた。上からかけた眼鏡のレンズがそっと蛍光灯をはじいた。
「アルベルティーナ」
「アイヴィー——蔦の名が泣くわ。あの子たちを信用していないの?」
「そういうわけでは」
「なら、」
すっと伸ばされた足が底を捉えた。
「――心配は無用の長物。そうでしょう? 留美」
古き良き倫敦の色の髪は優しく揺れて答えた。黒に寄り添う十二本の足は一対宙を彷徨う。
「先鋒、地下部隊、いつでも構いませんよ」
「もう始まっていてもおかしくないけれど。聞こえない? ――木切里」
「さあな」
双子の銃口は鈍色を響かせあう。
「――そういう心配性なところ、本当に変わらないわね。その火傷の痕も、五年前から、ちっとも」
「おかしいと思うか」
「いいえ。――行きましょう。始まりも終わりも、すぐそこ」
「あいつはまだ起きて来ねえのか……なんて図太い神経をしてやがるんだ、まったく」
静かに瓶の中の海を構成していたウォトカが勢いよく混沌の小宇宙に飲み込まれていく。肩口で拭うと、大きく息を吸う。
「おい、てめえら! いつまで飯食ってんだ、さっさと持ち場につきやがれ!」
有象無象が激しい音と共に全員立ち上がる。幾人か引っ繰り返った。
「っさーせん、聖司さん!」
「まともな返事をしろ馬鹿野郎ッ」
「さーせん!」
空飛ぶ蜘蛛の子たちは騒がしく散り散りになっていく。座り直すと、思わず口の端からエクトプラズム。
「聖司、そんな強いのイッキしちゃ駄目だよ」
「うっせえ」
虹彩の違う右目を貫く十字は優しく歪められた。隣の首に巻きつけられたロザリオとは別の意味を背負っていた。
「お前も早く行けよ、レフ」
「そのウォトカくれたらね」
飛行機雲は哀歌を唄っている。
鷹の目は鋭く空を見据える。銃に施された金の装飾は光線を跳ね返してその目を射る。
青い空に白銀の銃弾が弧を描いていく。
海の詰まった瓶を手に十字傷の男は立ち上がった。
「……お早うございます、聖司、……さん」
「――遅せえぞ雨音」
並んだ男女は戦闘機に至って前後となる。
巨大な鉄板を引き裂くような轟音にヘッドセットで小粋に対応。骨を通して直に伝わる声はいやでも心臓を収縮させる。無造作にかきあげた黒髪。下からのぞく三日月は頬の脇に穴をあけて不敵に嗤う。
『――っあー、あ、あ。総員、聞こえるか? 聞こえるよな。確認しねえぞ』
磨き込まれた二十四の鉄の塊はやかましく出陣を待つ。
鉄の匣の蓋がゆっくりと開いていく。白い光はゴーグルで遮断。
小気味いい音はその声の範囲が切り替えられたことを教える。振り向かずに、燃えるような赤い髪をした男は、後部座席で引き金を握りしめる細い手に自分の手を重ねる。
『気負うな。お前にとっちゃ初陣だ、緊張するのはわかる。――だがな、思い出せよ。俺は誰だ?』
『……十川聖司隊長、《数珠十字の制裁》、天才操縦士、十年に一度の逸材』
『その通り。――で、お前は?』
『紫藤雨音、《日本式施条銃》、新米狙撃手』
赤は揺れた。紫煙を吐き出すのは形のよい唇。
『――足りねえな。お前は、俺の惚れ込んだ射撃センスの持ち主だ。そうだろ?』
『――はい』
『なら、大丈夫だろうが。――【地図から消された国の民】としての誇りを胸に。行くぞ』
『はい!』
殺されたLauraは天使のように頬笑む。
『いいか――俺たちはIMR飛行部隊だということをゆめゆめ忘れるな。その旗印の下に必ず戻ること。命令はひとつ、死ぬな。以上だ。――総員突撃!』
第三次中央人民独立戦争、勃発。
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Prelude de la porte heroigue du ciel