対処法は詐欺師と同じはずだった
エニシャは子爵家の娘である。
エニシャには家柄も身分的にも丁度いい事だし……という理由で結ばれた婚約者がいる。
相手は子爵家令息のヒューイ。
二人の仲はまぁまぁ良好であった。
貴族たちが通う事となっている貴族院に二人も通う年齢となった時、二人はそこまで気負ってはいなかった。
二人があと三年早く生まれていたら学院には王子様と王女様も通っていたし、公爵家の令息もいたので色々と気を張り詰めなければならなかったかもしれないが、二人が通う時には卒業し、一番家柄が良いのは侯爵家の令息であったからだ。侯爵家の令息は先輩にあたり、一つ上の学年と最高学年にそれぞれいるけれど、同学年で一番身分が高いのは伯爵家の令息である。
令嬢であれば、一つ上の学年に公女様がいらっしゃるけれど、子爵令嬢でしかないエニシャからすれば関わる機会はまずもってない。
するつもりがなくてもうっかり失礼を働くかもしれない……と考えると、顔を合わせる機会がないのは二人にとっても気が楽になったのであった。
程々に気楽で、それなりに楽しい学生生活。
そう信じていたのだが、しかしどうやらそうもいかなかったらしい。
エニシャは同じクラスの友人から「ルルシェ嬢についてご存じ?」と聞かれたが、生憎貴族院に通う前は領地でのびのび過ごしてきたので、都会の流行だとか情報には疎いのもあり首を横に振るしかできなかった。
「お気をつけなさい。あの女に下手に近づいてはなりませんよ」
気をつけろ、と言われても、エニシャはルルシェというのがどこの誰かもわからない。
なので正直に友人にどんな方? と問いかけた。
そうしたら友人は「知らないとか本気で……!?」と困惑していた。
えっ、もしかしてとても有名な方なのかしら……!? 知らないと駄目なの? とエニシャも友人と同じように困惑した。
「ゆ、有名ですのよ!? とても」
「とても」
「えぇ、私たちの一つ上の学年にいる方なのですけれど。
一言で言うのなら女の敵ですわ」
「女の敵」
……あれ?
「その方は男性ですの?」
「いいえ」
「女の敵」
「そう」
いやあの、女の敵って言われる時、相手は大抵男性なのではないかしら?
そんな疑問を困ったように口に出せば、友人は彼女も女の敵ですと言ってのけた。
なんでも見目の良い男性に近づいて、親しくなろうとするのだとか。
「婚約者がいないから学院で作ろうとしている、という事でしょうか?」
「婚約者はいないわ。男爵家に引き取られたけど、その前は平民だったのよ」
「まぁ」
確かにそうなると婚約者を……というのも難しいのかもしれない。
エニシャは納得したが、友人は眉間に皺を寄せたままだった。
「去年は相当荒れたらしいのよ。複数の令息が手玉にとられたとか」
「その上でお相手が決まりませんの?」
きょとん、とした表情で言えば、友人は思わず吹き出していた。
「確かにそうなのだけれどもね。えぇ、去年彼女はお目当ての男性に当て馬にされて終わったのよ」
「まぁ」
聞けばなんでも見目良く身分の高い令息には必ずと言っていい程付き纏っていたとか。
身分の低い異性にも近づいたりはしていたようだが、それは最初の頃だけで恐らくはそうして知り合った相手の伝手を使い徐々に身分の高い令息たちと知り合う機会を得たのだろうとも。
友人の語った内容はどれも伝聞なので所々ふわっとしていた部分もあったが、侯爵家の令息も言い寄られたらしい。
貴族になったばかりで色々とわからない事が多くて……と周囲に擦り寄り、他の令嬢たちよりも近い距離感やころころ変わる表情、素直に思った事を口に出すあたりが生まれてからずっと貴族として育ってきた者からすれば珍しく思えたのか、一部の令息たちはルルシェを助けてあげようとか、親切にはしていたらしい。
頼られて、凄い凄いと持ち上げられ、すっかり気を良くした令息たちと仲良くなったルルシェは、去年常に周囲に誰かしら侍らせていたのだとか。
中には婚約者を持つ令息もいた、と言われてエニシャは思わず「えっ」と声を上げる。
「婚約者の方はそれを良しとしていたのですか?」
「まさか」
当然の疑問に友人は即答だった。
「いい気分はしなかったでしょうね。だからまぁ、令嬢たちは彼女に貴族としての常識を教えたのですが……」
「ですが?」
「それを虐められたと」
「まぁ」
「嘆かわしい事に、その言い分を信じて仲違いをした者たちもおりますのよ」
「それは……」
「でも、去年彼女が狙っていた相手は結局のところ婚約者に対して不誠実な事はしておりませんでした。困っているから助けてほしい、という言葉を快く聞いてあげただけで距離感はきちんと保っておりましたの。
でも、中には婚約が駄目になった家もあるようです」
「では、慰謝料とかそういうものが……?」
「いいえ。令息たち有責で破棄になったところもあるようですが、貴族になって日も浅い娘にいいように転がされるようでは、成人したところで……と各家思われたようで、後継者の変更や婚約の解消、白紙化、契約の見直しなどでプラスになった家も多かったようですので。
命拾いしましたのよ」
「でも令息たちからすると恨みを買ってますわよね」
「ですわね。でも、平民になってしまった相手ですから。王都に留まるにしてもロクな資産もなければ日々の生活に困りますでしょう?
かといって、領地へ戻ったところで籍を抜かれた以上そちらでも生活は難しい。
彼女にいいように転がされていた者たちは、新天地を求めて西の大陸の開拓に向かったとか」
ふむふむと頷いていたエニシャに友人は言う。
「去年の事があるので流石に今年入学した令息の方々も何も知らずに引っ掛かる、なんて事はないと思いますが」
でも、と友人はそこから声を潜めた。
「こういう言い方はなんですけれど、今年は高位身分の優良物件はあまりいらっしゃらないでしょう?
去年であれば身分違いの恋だなんだと囃し立てられたりもしたようですけれど、今年はそうはならないとしても、であれば身分差はほとんどないわけです。
去年やらかしておきながら、未だに彼女が学院にいるのは言ってしまえば試金石。彼女も後がないとはわかっているでしょうから、コロッと引っ掛かった殿方と婚姻に持ち込んで……なんて可能性もありますわ」
特にエニシャのようにずっと領地にいて学院に通うとなってようやく王都にやって来たような相手は狙い目だ。
そう言われて思い浮かべたのは自身の婚約者、ヒューイである。
「貴方の婚約者、見目はとっても良いのだから気を付けた方がよくってよ」
「あぁ、そういう事ね」
最初から友人は忠告するつもりでこの話題を出したのか、と遅れて理解する。
去年、上手い事やっていたのならもしかしたら本当に玉の輿に乗れていたかもしれなかったが、それに失敗したからこそ後はない。今年は高位身分の者に目をつけるのは難しいが、同時にルルシェも高位身分の者に睨まれる事はほぼないわけで。
同じくらいの身分の相手であれば、略奪なんて事もあり得るのだと暗に言われてしまえば。
エニシャとしても、友人が忠告してくれた意図は理解できる。
ヒューイは黙っていれば確かに見目は相当良いので。
友人はルルシェの去年行っていた手口もある程度話してくれた。
下手に彼女に関わるような事になれば、変に曲解されて注意は嫌味に変換されるという事も一応理解はできた。
そのまま彼女に近づこうものなら、実際何もしていなくても通りすがりざまにすっ転んで足を引っかけられただのと言いがかりをつけられる可能性もある、というか実際に去年やった以上、今年やるとしたらもっと巧妙になっているかもしれない。
「でも、多分だけれど」
「うん?」
「私からその問題の彼女に近づく事ってなさそうなのよねぇ……向こうから近づこうにも、私の事を向こうが認識できるかどうか……」
「あぁ、貴方、影薄いですものね……私も最初苦労したわ。目の前にいるのに気付けない事が多すぎて」
そう。
エニシャは地味だとか目立たないとかいうわけではないのだが、何故だか気配が希薄すぎてちょっと気を抜いていると身内ですら気付かなかったりするのだ。
なのでヒューイと一緒にいたのなら周囲の視線はヒューイが掻っ攫っていくのでエニシャ? いたかなぁ? となってしまうのもザラ。
けれどもヒューイはきちんとエニシャの存在に気付いているので別に何も問題はない。
――そんな会話を友人とした数日後。
エニシャは見た。
授業が終わった後の休憩時間、中庭を移動しているヒューイに近づくピンクブロンドの女を。
ちなみにエニシャのクラスは特に移動する事もなかったので、エニシャは自分の教室の窓からその光景を見下ろしている。
エニシャがじっと見下ろしている光景に気付いた友人が近づいて同じように窓から中庭を見下ろす。
「あっ、あの人」
小さく声を上げた友人に一度だけ視線を向けて、すぐに戻す。
普通に声をかけるものだと思っていたエニシャの想像を裏切って、ルルシェは少しばかり小走りにヒューイの元へと駆け寄ろうとして……
「きゃあ」
なんて言って足がもつれた振りをしてヒューイの胸元へ倒れ込もうとしたようだった。
何も知らなければ彼女の不注意や単なる事故だと思った令息が受け止めて、大丈夫かい? なんて声をかける場面なのかもしれない。
だが――
シュッという音が聞こえてきそうな勢いでヒューイの身体が遥か後方へ跳んだ。飛び退った、という表現が正しいのかもしれない。
その結果、軽くよろけただけのはずのルルシェは支えてくれる誰かの助けを得られず――
「いった……!」
どたっ、という音を立てて見事にすっ転んだのである。
ぷっ、と小さな音がエニシャのすぐ近くでした。
見れば友人が笑いをこらえきれず吹き出したようだ。
小さい頃ならいざ知らず、ある程度成人間近な年齢になってあんな風に転ぶというのはそもそも有り得ないしみっともない、という認識であるので、友人のその反応もエニシャとしては理解できる。
淑女としてマトモな教育を受けていれば、命を狙われているでもない限りあんな風に走ったりしないので。
一斉に爆笑した、というわけでもないのでルルシェは笑われているという事に気付く事もなく、一体何が起きたのか理解できないとばかりに起き上がり周囲を見回している。ヒューイの姿はどこにもなかった。
しばらくその場で固まっていたルルシェはしぶしぶといった様子で立ち上がり、それからやっぱり小走りでその場を立ち去った。周囲を見回していたので今のを誰かに見られているかどうかを確認したのだろう。ただ上まで確認しなかったあたり、詰めが甘い。
ともあれ、これがエニシャが友人と共にルルシェをマトモに目撃した最初の出来事である。
これ以降、友人と共にエニシャがルルシェを見る事はなかった。
友人と共に見かける事はなくなったが、ヒューイといる時によく現れるようになったのである。
そうは言っても、ルルシェはエニシャの事を認識できていないようだった。
彼女の目はヒューイだけを映している。
下手に話しかければ言葉尻を悪く捉えてやれ虐められただの、危害を加えられそうになっただのと言って周囲の同情を買おうとする事もある、というのを既に聞かされた後であったため、エニシャはルルシェに声をかける事はしなかった。たとえ近くにいたとしても、エニシャはただじっと周囲の空気に溶け込むようにして一連の出来事を眺めている。
ヒューイもエニシャがそうしているというのを理解した上で、ルルシェがやってくればすぐさま対ルルシェとばかりに行動を開始していた。
行動を開始、といっても別に自らにこやかに挨拶をするなんて事ではない。
ヒューイはルルシェが視界に入った時点で速やかにその場を立ち去るのだ。
言ってしまえば逃げているのである。
ヒューイもルルシェの事を知っているようで、絶対に巻き込まれたくないし目を付けられたくないと言う気持ちが行動に出すぎていた。
既に去年、身分が上の令息に狙いを定め、それまでに手玉にとってきた令息たちは「そんなつもりはなかった」などの言葉で切り捨てたがために、今更それらの令息たちが彼女と結びつくような事はない。
既に一度捨てられたも同然であるのだ。仮にもしここであの時の事は間違いだったんだよな……? なんて血迷ってルルシェとやり直そうなんて事になったとして、結婚後に他に素敵な男性がいた場合そちらに言い寄りでもしたら……?
既に一度やらかしている以上、無いとは言い切れないのだ。
その時は二度も弄ばれたという事実が残り、周囲からは「だから言ったのに」なんて言われるのも想像に容易い。もし本当にそうなりでもしたら、屈辱どころではないだろう。
彼女の手口は去年既に出ているので、新たな技法を編み出すでもない限りは対処法も知られている。
彼女の毒牙にかかった去年の令息たちは当主としては不適格、当主でなくとも今後重要なポストに就くには不向きであるという烙印を押された。まぁそうだろう。あまりにもわかりやすすぎるハニートラップなのだから。
たとえ若気の至りであっても、いくらなんでも流石にアレはない。
恋に溺れた者として多少同情の余地があったとしても、冷静な目で見ればお粗末すぎるハニトラなのだ。
早期にそういった不向きである、とされる者たちが発見された事で令嬢側の家々がルルシェにはまだ利用価値があるとされたから、こうして学院に残る事を許されているに過ぎない。
もっとも、ルルシェがその事実を果たしてどこまで理解できているかは不明だが。
けれども去年のような優良物件が今年はほぼいないとなっている挙句、ルルシェをちやほやとする令息たちも今年はほとんどいないと言ってもいい。
事態を把握できていなくても、流石に何かが不味いとはルルシェも感じ取っているのだろう。
ルルシェが学院に通えるのはあと一年。
結婚相手を見繕うという点ではあと一年の猶予があるが、新入生、つまり年下がルルシェを妻として選んでくれるかは疑わしい。年下の方がコロッと騙しやすそうではあるけれど、騙された時点で家が令息の立場を変更させるかもしれないのだ。
ルルシェの悪評は既にほぼ周知されているので、来年下手をすれば新入生から行き遅れのおばさん扱いをされるかもしれない。二つしか年が離れていなくとも、醜聞振りまく女という認識である以上そういう扱いを受ける可能性はとても高かった。
であれば、あと一年猶予があると思われるが、実際のところ後がない。今年のうちに娶ってくれる相手を見つけなければ、卒業後ルルシェは家の駒として扱われるのは確実で。
去年の出来事のせいで既に家はルルシェの価値をかなり下方修正している。平民に戻して放り出さないのは、利用価値があるから置いておきましょうという、本来被害に遭っていた令嬢たちの家が言ったからでそうでなければルルシェはここにいる事を許されなかったのだ。
政略結婚で愛が無い場合であっても、家同士の繋がりがあるからと内心でしぶしぶ受け入れるしかなかった家はルルシェが令息を誑かしてくれたおかげでこれ幸いと婚約を解消する方向に舵を切る事ができたし、互いに愛があったはずのところは男の心変わりとあまりにも見え見えなハニートラップに引っ掛かった事で愛が冷めたなんてところもあった。
令嬢たちとて夢は見るが、それ以上に現実を見据えていたのだ。
その上で、互いの関係が良好であろうとそうでなくとも、この先彼と結ばれると苦労するだろうなとなったのは言うまでもないし、最終的に家の方にも迷惑がかかりそうだと思える出来事になったからこそ実に多くの婚約が見直される形となったのである。
つまりは、とっても都合の良い馬鹿を炙り出す存在としてルルシェはこの学院で利用されている。
そんなルルシェに目をつけられているヒューイとしてはたまったものではないけれど、しかし彼はルルシェに靡かなかった。
靡く以前に関わりを絶っていたという方が正しい。
下手に会話をすればそこから知り合いすっとばして友人扱いされかねないし、そうなればずるずると付き纏われて友人以上恋人未満みたいな関係だと周囲に思わせようとルルシェが更なるやらかしをする可能性はある。
ヒューイにはエニシャという婚約者がいるのでルルシェと親しくするつもりはどこにもないし、エニシャが邪魔だとルルシェが思ったなら、間違いなく排除しようと動くだろう。
家の力を使う事はルルシェにはできないので、精々が今までと同じように嫌味を言われただとか、虐められているといった虚偽でヒューイを味方につけようとするくらいだろうとは思うけれど……
やられた時点で対処するのがとても面倒なのは言うまでもない。
故に徹底的にヒューイはルルシェを視界に入れないし、彼女の声に耳も傾けなかった。
低位身分の貴族の中で見目が良く、一番有望株っぽく見えているヒューイにルルシェが狙いを定めるのは言ってしまえば当然の流れだったのかもしれない。
だがしかし、そのせいでエニシャに虐められているんですう、なんて言葉が飛び出ようものならやはり不快に思うわけで。
ただそれは、ヒューイとルルシェがそれなりに関わりを持った時であればそうではあるのだけれど。
ルルシェが関わろうとしていてもヒューイは一度もルルシェと言葉をかわしたわけでもない。
無関係な相手が突然貴方の婚約者に虐められているんですなんて言い出したところで、だからなんだという話になるだろう。
それが通用するのは、ヒューイとルルシェがそれなりに親しい間柄で、二人の仲に嫉妬して、とかそういう理由が言える時に限る。
そうでもないうちからルルシェがそんな事を言いだせば、クラスも違うし学年も一つ下の女に虐められてるとか一体どうしてそんな事に? と思われるし、仮にヒューイとの関係がなんて言い出したところでヒューイとルルシェは無関係である。
ルルシェとエニシャに何らかの確執があったとしても、女同士の争いに男を巻き込むなとヒューイなら言い出しかねない。
「熱心ですわねぇ、彼女」
「そこまで執念を燃やす意味がわからない」
最初の頃は可愛らしくふんわり笑って近寄ろうとしていたルルシェは、しかし今では血走った眼で獲物を狙う狩人そのものだった。
軽やかに駆けよって、ちょっと足がもつれて相手に倒れるようにして受け止めてもらって……なんて考えていた初期の頃とは違い、今となってはヒューイの姿を見かければ全力ダッシュで突進してくるのだ。
いくら相手がそれなりに鍛えている男性であっても、あれだけの勢いでぶつかってこられては怪我をするかもしれない。仮に怪我をしなくたって、その勢いでぶつかってきたルルシェの方が怪我をするかもしれないのだ。
「恐らく彼女の今の狙いは当たり屋として慰謝料を請求だとかになっているかもしれない」
「いえ、単に意地になってるだけかと」
「あと最近授業が終わると学舎の前で出待ちしてる事が常でな」
「まぁ、どうにかして接点を作ろうと必死ですのね」
「怪しい宗教勧誘とかされるかもしれないと思ったから、裏口から最近は出る事にしている」
「まぁ」
本当ならクラスの前で出待ちするのが確実なのだろうけれど、学年が違う以上嫌でも注目を集める事になりかねない。その場合注意をされるのはルルシェで、これ以上問題を起こせば家の方からも厳しい叱責がされるかもしれない……とは理解しているようで、だからこそ玄関付近で待ち構えているのだろう。
エニシャも血走った目で誰かを探しているらしきルルシェの事は何度も見た。
というか、悠々と目の前を通り過ぎている。
エニシャがヒューイと関わりがある、と知られていたなら自分を踏み台にヒューイとお近づきになろうとしたかもしれないが、エニシャは気配を薄めて周囲に紛れているので気付かれる事はなかったのである。
他に何らかの接点――例えば生徒会とか――があれば教室まで出向くのもおかしな話ではないのかもしれないが、それすらないために教室までは近づけない。周囲もヒューイがルルシェに狙われていると理解しているから、下手に取りつごうなんてお節介はしなかった。
「それから最近、手紙が机に入っている事があるんだ」
「まぁ、人がいない時に忍び込んだ、という事ですの?」
「だろうね。放課後とか人がいなくなってからじゃないかな」
「帰って学んだことの予習復習でもした方が余程有意義なのでは?」
「そう思うけど、それで声をかけて接点が生じるのもイヤだ」
「わかります」
「手紙の内容は放課後学舎裏で待つ、といったものでね」
「まぁ、娯楽小説で見た事がありますわ。告白するために呼び出すアレですわね」
「果たし状だと思って決して学舎裏には近づかない身体になったよ」
「もしかして今も待っているのかしら?」
「どうだろう? 三日おきくらいに手紙が入っているからそうなのかもしれない」
「努力の方向を間違えておりますわね」
「流石に手紙の枚数も洒落にならなくなってきたから、寄り親でもあるフォークス家に相談だけはしておいた」
「そうなのですね」
「あの男爵令嬢の家が属している派閥とフォークス家とは敵対しているわけではないけれど、同派閥というわけでもないからね。何らかの情報を探ろうとしているとか疑いをかけるのは容易だけど」
「だけど?」
「最近はハニートラップ以前になってきてるから。去年迷惑をこうむった家の方々も、これではもう利用価値はない、と思ったようで」
「では、いよいよ学院から追放されてしまいますの?」
「今後は騎士団預かりになるって」
「……なんて?」
「騎士団預かり」
ちょっと何言ってるのかわからないな……となって聞き返したエニシャではあったけれど、一言一句違わずに繰り返された言葉はやはり聞き間違いなどではなかったようで。
「どうして……?」
たっぷり五秒程沈黙した後、エニシャが言えたのはその一言だけだった。
恐らく後がない事をルルシェも正確にかふんわりかはさておき、気付いてはいるのだと思う。
このまま学院を卒業できたとして、貴族との縁談は望み薄。裕福な平民の家に嫁ぐのだって今のルルシェにとっては充分すぎるものではあるのだけれど、貴族の家に引き取られて平民でなくなった以上、結婚相手が平民である、という部分に不服を抱いているのかもしれない。
であれば、学院にいられる間にどうにか結婚相手に選んでもらうしかないわけで。
けれども、折角いい男を手に入れられると思った矢先に実際はそんな事がなかったわけで。
それでも一度は手に入るかもしれないと思った相手よりも言い方は悪いが――ランクが低い相手に手を出したいとは思えない。
思い切り推測でしかないが、今までのルルシェの行動からそんなところではないかなぁ、というのがヒューイの見立てである。
しかも今年の新入生の中には高貴な身分の令息は少なく、いたとしても彼女のお眼鏡に適わなかった。
妥協に妥協を重ねている状態で、それならばと低位身分の令息の中で選ばれたのがヒューイだ。
けれどもヒューイはルルシェと一切接触をしないように気を付けていた。
せめて接点ができて、多少なりとも仲良くなれればまた彼女の行動も違う何かに変わったかもしれないが、相手にされていない時点でまずは知り合うところから始めなければならないわけだ。
だがそのスタート地点にすら立てない日々。
ここで素直にヒューイを諦めて他の令息に狙いを変えれば違う道があったかもしれないが、そうはならなかった。この時点でヒューイは逃がした魚ですらないのである。
逃がした、というのなら一度は捕まえたという実績があるわけで。
だが逃がす以前に捕まえる事すらできていない。そんな状態で他に狙いを変更したところで、ルルシェの中ではその後もしかしたらあとちょっと頑張ったら知り合えたかもしれないのよね……なんていう考えがこびり付き続けるかもしれないのだ。
接点ができて、少しでも関係を作り上げた上で振られるのなら諦めもつくが、しかしそれ以前の状態ではふとした拍子に「もしも」の可能性を考えてしまう。
恐らくそういった考えが、いっそ執念と言ってもいいくらいになったのかもしれない。
並の相手なら根負けして関わりを作ってしまいそうではあるけれど。
しかしヒューイは徹底していた。
最初はちょっとしたハプニングを演出し、そこで出会いを作ろうとしていたルルシェはしかしあまりにも回避され続けた結果、軽やかにぶつかるだとか足を縺れさせバランスを崩し倒れ込もうとするだとかの、去年も何度か使ったであろう手口が不発に終わり続けたため、ムキになった結果ヒューイを見かけた時点で突進してくるレベルにまでなっていた。
並大抵の相手なら回避し損ねてぶつかって一緒に倒れ込みそうなものではあるけれど、ヒューイは一度たりとて接触を許さなかった。むしろどこぞの精鋭隠密みたいな勢いで姿を消していた。
その結果ルルシェは更にムキになって、方向性を変えるなどの方針転換をはかるでもなくフィジカルを鍛えるという脳筋戦法を選択したのである。
そうしてそろそろヒューイの方も厳しくなってきたなぁ、と思ったあたりでヘルプコールを出したのだ。
「完膚なきまでに無視し続ければ諦めてくれるかなぁ、と思ってたんだけどね。
詐欺師と同じように相手にしなかったらほかに行くと思ったんだけど」
「詐欺師」
「相手をするから取っ掛かりが生じる。けれどそれがなければ、取っ掛かりを作るところから始めないといけない」
「あぁ、確かに」
「仮に向こうが無視されているんです、なんて周囲に泣いて訴えたところで僕には婚約者がいるから誤解を招きたくないから関わらないとか、堂々と関わりたくなかった、と周囲に話す事が可能。なんの問題もない相手ならともかく、去年やらかしてる実績がある相手だ。周囲だって一方的にこっちが悪いなんて言い出せないだろう」
「そうですね」
「その結果何が何でも関わってやる、みたいに闘志を燃やされるとは思わなかったけど……
結果として、学院にはこれ以上いても価値がないと判断されて、騎士団へ」
「話が飛びすぎではありませんか?」
「そうかな?
騎士団にもそれなりに良い男はいるし、独身も多い。
いっそそっちに行けば出会いとチャンスはまだある」
「……そう、なのですか?」
「表向きは」
「あっ」
そう言うという事は、その表向きの理由が真実ではないのだと嫌でも気付いてしまう。
「彼女のフィジカルが中々鍛えられて瞬発力とか凄いから、騎士団で訓練に取り入れようって事になったらしくて」
「は、はぁ……」
なんで? どうして?
そんな疑問がエニシャの中で一斉に芽吹いた花々のように増えていく。
「とりあえず限られた範囲内で彼女と対峙し捕まってしまったらデート一回」
「はい?」
「知り合おうと思ってもできなかった今回と違って、デートに持ち込めさえすればどうにかなると思ってるようだからチャンスがある分先がありそうだよね」
「えぇっと……」
「騎士団の方でもルルシェ嬢に関して知られてるから、その上でくっつくとなれば相当だとは思うけど」
「それもう未来詰んでませんか」
「誰が、とは言わないけどね」
ルルシェの事が把握されているのであれば、そんな女性に靡く相手が果たしているだろうか? という疑問は当然浮かぶ。騎士とて妻に迎える相手に既に瑕疵がついてるような者を選びはしないだろう。既にいくつかの貴族の家に目をつけられてるようなものなのだから、最悪自身のキャリアにも響いてくるかもしれないのだ。
望みがありそうで望みなんて実際ほぼないルルシェの未来は素直に平民に嫁いだ方がマシであるような気がしてくる。
それでももし。
万が一。
騎士の夫を手に入れる事ができたとして。
事情を分かった上で彼女を選んでくれるような相手である、というのは、表面上だけ見れば真実の愛のようではあるけれど。
とんでもなく物好き、もしくは変わり者である可能性も高い。
ルルシェがアクの強い男でも受け入れられれば問題はないかもしれないが、自身の婚約者に言い寄ろうとしていた姿や、友人から聞いた彼女の数々のアレコレを聞く限り、ルルシェの異性の好みにそういった相手は含まれていないような気もする。
「今までこういった事がほとんどなかったから、対処するにしてもどれくらいのものが適切なのかで色々と話し合いが行われたみたい」
「そうなんですか」
「近々法律とか色々増えたり改正されたりするって話だよ」
「まぁ……」
なんて話をした数日後には、件のルルシェ嬢は学院から姿を消していた。
今頃は元気に騎士団でデート権をかけた鬼ごっこでもしているのかしら……なんて、エニシャは窓の外に広がる空を見上げながら、思いを馳せてみるのであった。
次回短編予告
転生した女はある日自分が聖女になった事を知る。
だがしかし、なんだろう。なんか思ってたのと違う……(´・ω・`)
聖女ってなんかこう、もっとさぁ、こう……ねぇ???
次回 神様、それ救済措置とは言わないと思うんですよ
それ別に聖女じゃなくてもよくなくなーい?




