時間戦士は永遠の夢を見るのか・番外編「酔っていたのは」
これは「時間戦士は永遠の夢を見るのか」本編の第11話「夜の露天風呂で」の「* * *」の部分に挿入される内容になります。未来から来た女性タイムトラベラーであるアミカナは、自身がアンドロイドであることを隠して、大学生の志音と行動を共にしています。本編では描き切れなかった、互いに惹かれていく二人の心の触れ合いやすれ違いを描いています。本編未読でも、少しは楽しんで頂ける……ことを願っています。
<金曜日>
「……今日はこのくらいにしておこうか?」
ペンとメモをテーブルの上に置いて、志音が言った。
「……そうね……」
アミカナは呟いた。アンドロイドだというのに、彼女は強い疲労を感じていた。脳ですら量子頭脳となっている彼女にとって、疲労は、機械の体に移植された彼女の精神が感じているのだろう。
ふと、仲居が敷いていった布団に目をやる。二つの布団はしっかりとくっつけてあった。思わず、志音と目線が合わない方向に視線をそらす。彼も布団の状態を見たのか、気まずい沈黙が流れた。
「あ~あ、疲れた!」
急にそう言うと、志音はタオルを手に取った。
「僕は、露天風呂に入ってくるよ」
縁側の扉に手をかけ、振り返る。
「一緒に行く?」
アミカナはにっこりと微笑んだ。
「い・か・な・い!」
彼は肩をすくめた。
「わかった。先に寝てくれていいよ」
そう言い残して、彼は庭の露天風呂へと出ていった。
彼女は、改めて並んだ布団に目をやった。近すぎる。一昨日も昨日も、二人で並んで寝てはいた――正確には、眠ったのは志音だけだったが――。だが、あの時はTシャツにジーンズだった。今日は違う。この浴衣という衣類は、胸元も裾も無防備すぎる。容易くはだけることができるのだ。そして、この布団の近さ……
……これって、オッケーって言ってるようなものじゃないの?……
そう、少なくとも、拒絶の意志が感じられない。
……もしかして、その昔、江戸が世界的な大都市だった理由って、この浴衣のせい?……
ふと、周囲を見回す。志音の存在が消えると、急に足元が揺らぐ感覚を覚えた。昼間から感じていた、水の上に浮くような、不安定な感覚。それが、夜になって部屋の隅々に暗闇が宿ると、一層増幅されるような気がした。時間転送前、老舗の旅館に滞在するシチュエーションは事前学習していなかった。畳、襖、障子、床の間、そして布団。その存在は、知識としては知っていたものの、この空間は、彼女にとって、更に百年ほど過去に時間転送されたような、これまで以上に異質な空間だった。昼間に、志音は「何だか落ち着く」と言っていたが、彼女にとってはそうではなかった。『不思議の国』で迷子になったようだ。そして、環境に馴染めない自分の精神の方がおかしいような気になる。気が触れる、という訳ではない。何というか……例えば、この浴衣姿をあられもないと思う自分の方が、布団の距離が近すぎると思う自分の方が間違っているような……慎みなどどうでもよくなるような、くらくらするような感覚だ。夢……というよりは、酔っている感覚に近いのかも知れない。
……離すべきよね……
酩酊感に抗って、彼女は立ち上がった。敷布団に手をかける。ただ、水曜日の夜のことが思い浮かぶ。初心な女だと思われることには抵抗があった。そして、その意思表示は、志音を傷付けることになる。
でも……志音も『酔って』いたらどうしよう?
屈んだまま、逡巡の時間が続いた。
……私は、どうしたいの?……
頭に血が上ることなどありえないのに、アミカナは眩暈を感じた。ふらついた彼女は思わず腰をつく。
「もう!」
アミカナは仰向けに倒れ込んだ。胸元も裾も大きくはだける。内腿がひやりとする。もし、今志音が帰ってきたら、はしたない姿を見せてしまうことになる。まあ、それがここでのルールなら、それでもいいか……そんな気分になる。
……わかった……匂いだ……ここの匂いは、この世界のどことも違う……長い時を重ねた建材や調度品から醸し出される、脳髄が痺れるような匂い……
彼女は飛び起きた。急いで浴衣の乱れを直す。
……しっかりして!……
アミカナは布団の中に体を滑り込ませた。眠ることのできない体だったが、寝たふりをすることにした。そうすれば……志音の判断に委ねることができる。ずるいやり方だ……。
布団の中は冷たかった。冷たい肌なのに、どうしてその冷たさを感じられるようにできているのだろう。後ろめたさなのか、緊張なのか、四肢が一層冷たく感じられる。いや、冷たさの正体は、『不思議の国』から受ける疎外感なのかも知れない。精神まで変調させるような疎外感に、心が縮こまっていく。
……熱が欲しい……
ふと、ミカとの抱擁を思い出す。彼女の温かさは、私の存在を優しく包んでくれた。それから、ペットショップでの子猫の温かさ。あれが、生きている証。そして――
神社で触れた志音の手。あの温かさは、彼の優しさの象徴だった。その熱の伝わりが、私がここにいることを許してくれている気がした。彼の手に触れたい。彼の熱を感じたい。そうすれば、私も生きていることを実感できるのかも知れない。全身で彼の熱を受け止められるのなら……。距離感が曖昧になるこの空間では、それも許されるはずだ……。
背後で縁側の扉が開いた。慌ててアミカナは寝息を立て始めた。不自然ではないかが気になり、緊張で息が震えそうになる。
……落ち着いて!……
波音が微かに聞こえる静寂の空間に、彼の衣擦れの音がやけに大きく響く。何かが喉につかえたようになり、息がしにくい。ダメだ、喉が音を立てそう……
やがて、彼が布団へと近づく気配がした。アミカナは浴衣の胸元をゆっくりと握り締めた。息をしているのに――いや、正確には、アンドロイドの彼女に呼吸は必要なかったが――窒息するような気がする。呼吸のペースを上げたい……そんな欲求に、彼女は辛うじて耐えていた。
そして、隣の布団に手がかかり――
大きく畳と擦れる音がした。
彼女は目を見開いた。睫毛が震えた。息を忘れそうになる。握った浴衣がきつく絞り込まれ過ぎて、ギリギリと音を立てそうになった。
志音は、引き離した布団に入ったようであった。
『あと、隣で美女が寝ていても、手を出さないような人だから!』
……分かっていた。最初から……
必要のない寝息を立て続ける。さっきまでとは違う意味で、息が震えそうになる。
ふと、彼女は微笑んだ。
……酔っていたのは……私だけか……
機械の体なのに、身震いしそうになる。
……寒い……
彼女はゆっくりと膝を丸め込んだ。自分の存在が揺らいでいく。『不思議の国』がぐるぐると回るような錯覚に襲われて、アミカナは目を閉じた。
……アリスは、どうやって自分の世界に帰ったのだろう?……
思ってから、アミカナは苦笑した。
……帰る場所なんてなかったわね、私には……
体の芯が凍り付くようだった。何もかも、思うようにならない。こんな気持ちで、また長い夜を過ごすのか……
気が付くと、志音は隣で寝息を立てていた。
「……そうだ、温泉……」
ふと呟いて、彼女は布団から出た。
お読み頂きましてありがとうございます。次の番外編に関しては、再びミカの話になります。「時間戦士は永遠の夢を見るのか・時系列まとめ」で[1/28公開予定]という箇所を探して下さい。ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。




