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第八章:書店という名の、彼のホームグラウンド

里美との一件から数日後、翔平は、大学近くの古書店「BOOK AGAIN」でのアルバイトに精を出していた。ここが、彼にとって唯一、名前の重圧から完全に解放される場所だった。


彼の仕事は、本の整理と在庫管理、そして時折のレジ打ちだ。一見地味な仕事だが、翔平はここで、統計学で培った分析力を遺憾なく発揮していた。


「大谷くん、またやったね!」


店長が感嘆の声を上げた。翔平は、棚の隅で埃を被っていた、絶版になった哲学書のシリーズを、特定の場所に移したばかりだった。


「はい。先月の売上データと、SNSのトレンドワードの非線形回帰分析をかけたら、特定のサブカルチャー層の需要が突発的に伸びていることが分かったので。在庫の陳列位置を『視線の動きが滞留する確率の高い場所』に変更しました」


翔平にとって、本棚は巨大なデータセットだった。どの本が、どの客に、どの時期に売れるか。それは全て、彼の頭の中で、複雑だが美しい相関関係として処理される。彼はこの場所で、「大谷翔平」という名前ではなく、ただの「優れた分析者」として認められていた。


この日、彼の能力が試される出来事が起きた。一人の常連客が、二十年以上前に発行された、特定シリーズの抜け落ちた一冊を探しに来たのだ。


「探しても、どこにもないんだよ。もう諦めようかと思ってね」客はため息をついた。


翔平は、慌てず冷静にデータを分析した。


(この客は、歴史系の学術書と、特定のミステリー小説を好む。この出版社は、二十年前、ミステリー小説の売れ行きが悪かった時期に、そのシリーズの在庫を歴史書の別倉庫に間違って送ったという記録がある)


翔平は、店長も知らない奥の倉庫の、歴史書の段ボールの山を指差した。


「失礼ですが、そこの段ボールの五番目。中身は『中世ヨーロッパの城塞』と記載されていますが、内部のデータに重大な非ランダム誤差があり、探されている本が混入している可能性が高いです」

結果、その段ボールの中から、客が探していた本が完璧な状態で発見された。客は心から感謝し、店長は目を丸くした。


「大谷くん、君は本当にすごいよ。君の予測は、まるでホームランだ!」店長は興奮して言った。


翔平は、その「ホームラン」という言葉に、一瞬顔を曇らせたが、すぐに笑って誤魔化した。


(ホームラン…、ね。俺のホームランは、バットで打つものではない。ただのデータと論理で、非ランダムな世界に、確実な法則を見出すことだ)


里美との共同作業で得た前向きな気持ちと、バイト先での地味だが確かな成功体験。大谷翔平は、野球の神様が作った「外れ値」の名前を背負いながら、自分自身の平凡なフィールドで、自分なりの「法則」と「個性」を証明し始めていた。彼の日常は、静かに、しかし確実に、変化のデータを取り込み続けている。


※非線形回帰分析:直線ではなく、曲線や複雑な関数でデータの関係を表す分析法

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