領主の息子と商人の娘
フォルクマン商会が領地に滞在する数日間、カイルはクロエと行動を共にすることが多くなった。
きっかけは、カイルの母、エレノアの提案だった。
「グスタフ様とのお話、長引くのでしょう? その間、クロエ様がお一人では退屈なさるでしょうから。カイル、あなたが城下町を案内して差し上げてはいかが?」
母としては、同い年の子供同士、仲良くなってほしいという親心からの、何気ない一言だったのだろう。
だが、その結果として始まった二人の散策は、大人たちの想像とは全く違う、子供の遊びとは程遠いものとなった。
彼らは、他の子供たちが広場で追いかけっこをしているのを横目に、町の経済活動の中心地へと足を運んだ。
鍛冶屋が槌を振るう工房、薬草を乾燥させるための倉庫、そして、様々な品物が行き交う市場。
クロエは、その小さな手帳を片時も離さず、まるで熟練の査定人のように、鋭い視線を周囲に巡らせていた。
「カイル様。この領地の主な産業は、やはり鉄鉱鉱石と薬草ですの? 他に特産品はございますか?」
クロエは、キラキラした瞳でカイルを見上げる。
その問いは、単なる子供の好奇心ではない。
新たなビジネスの種を探す、商人としての探究心に満ちていた。
「そうだね。あまり知られていないけれど、北の山で採れる水晶は、魔術的な純度が僅かに高いんだ。ただ、今のヴァルモットにはそれを正しく鑑定し、加工する技術がないから、今はただの綺麗な石として、二束三文で取引されているけど」
カイルが、まるで世間話のように、しかし意図的に情報を漏らす。
その一言に、クロエの蜂蜜色の瞳が、カッと見開かれた。
「まあ! それは初耳ですわ。魔術的な純度が高い水晶……! もし、それに適正な鑑定書を付け、カットを施すなどの付加価値をつける技術があれば……王都の魔術師たちが、高値で買い付けるかもしれませんわね……!」
クロエは、手帳にすさまじい勢いでメモを取りながら、その場で頭の中に事業計画を組み立て始める。
彼女が尋ねるのは、子供らしい遊びの話ではない。
サプライチェーンの構築、帝国へ向かう際の物流コストの計算、そして、市場の需要と供給のバランス。
そんな専門的な話ばかりだった。
カイルは、そんな彼女の質問に、前世で培った経営コンサルタントのような知識と、【神眼】がもたらす正確なデータ分析を交えながら、的確に答えていく。
「その水晶を王都へ運ぶなら、陸路よりも、少し遠回りでも南の河川を使って水運に乗せた方が、結果的にコストは三割ほど抑えられる。ただし、そのためには、河川を管理している南の領主との交渉が必要になるだろうね」
「薬草も同じだ。今はただ乾燥させて売っているだけだけれど、これを薬効ごとに分類し、簡単な一次加工を施すだけで、単価は今の五倍以上になる。問題は、そのための加工施設と、品質を管理できる人材の育成だけど」
それは、七歳の子供が語るには、あまりにも的確で、示唆に富んだ内容だった。
最初は、領主の息子としての英才教育の賜物だろう、とクロエは考えていた。
だが、会話を重ねるうちに、彼の知識が、単なる座学で得たものではないことに気づき始める。
まるで、二十年先の未来から市場を眺めているかのような、恐ろしいほどの先見性。
そして、その言葉には、決して揺らぐことのない、データに裏打ちされた絶対的な確信が満ちていた。
(この方、一体……? 本当に、わたくしと同い年ですの……? お父様や、他の大商人たちでさえ、これほど明確なビジョンを語ることはできないというのに……)
彼女は、目の前の、物静かでどこか掴みどころのない少年に、畏敬の念すら抱き始めていた。
その蒼い瞳の奥には、自分などでは到底及ばない、計り知れないほどの知性が眠っているように思えた。
一方、カイルもまた、クロエの商才と探究心に舌を巻いていた。
彼女は、カイルが漏らす情報の断片から、瞬時にビジネスの種を見つけ出し、頭の中でそろばんを弾いている。
その思考の速さと、リスクとリターンを的確に見極める嗅覚は、まさに天性のものだった。
前世で出会った、優秀なプロジェクトマネージャーたちを彷彿とさせる。
(すごいな、彼女は。僕がシステムの仕様書(情報)を提示すれば、彼女はそれを元に、最高のビジネスモデル(実装プラン)を組み上げてみせる。まさに、最高のパートナーだ)
彼は、いつか実現させようと思っている「白いパン」の事業計画を、彼女になら打ち明けられるかもしれない、とさえ思い始めていた。
互いに、その底知れない才能を認め合う。
領主の息子と商人の娘。
立場は違えど、二人の間には、子供の友情とは少し違う、不思議な信頼関係と、知的な共感が芽生え始めていたのだった。