表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/18

エピローグ 守るべき笑顔

凄まじい轟音が過ぎ去った後、森はまるで何事もなかったかのように、元の静寂を取り戻していた。

ただ、先ほどまで鳥のさえずりが満ちていた空間は、今は息を潜めたような沈黙に支配されている。

そして、空気中にはまだ、舞い上がった土埃の匂いがうっすらと残っていた。


舞い上がる土煙が風に流され、ゆっくりと収まった後も、マリアはしばらく呆然と、地面にへたり込んだまま動けなかった。

彼女の思考は、今しがた目の前で起きた、あまりにも現実離れした出来事を、まだ処理しきれずにいるようだった。

カイルは、ゆっくりと立ち上がると、自らの服についた土を払い、震える膝を叱咤しながらマリアに歩み寄った。


「マリア、大丈夫かい? どこか怪我は?」


その声に、マリアは呪縛が解けたように、はっと顔を上げた。

そして、ゆっくりとカイルの方を振り返る。

その生命力にあふれた翠色の瞳は、今、複雑な光を宿していた。


死の淵を覗き込んだことからくる純粋な「恐怖」。そして、それ以上に、信じられないものを見るような「驚き」と、まるで伝説の賢者を前にしたかのような「畏敬の念」。

それらが混ざり合って、彼女の瞳を大きく見開かせていた。


彼女の頭の中で、先ほどの出来事がスローモーションのように再生される。

崖に向かって駆け出す自分。

それを止めた、カイルの必死の叫び。


金色の蝶という、突拍子もない話。

けれど、その時のカイルの顔は、嘘をついているようには見えなかった。

何かに怯え、自分を必死に守ろうとしている、真剣な顔だった。


そして、自分が崖から離れた瞬間に起きた、あの大崩落。

偶然?

いいや、違う。点と点が、彼女の素直な心の中で、一つの線を結んだ。


『すごいよカイル! まるで未来がわかってたみたい!』


ようやく絞り出した声は、少しだけ震えていた。

だが、そこに含まれていたのは、非難や疑いの色ではない。ただ純粋な、子供らしい賛嘆と尊敬の念だった。

無邪気に自分を英雄のように褒め称えるマリアに、カイルはなんと返せばいいのか分からなかった。


(未来がわかっていた、か。間違ってはいないけど……)


「神眼」のことも、彼女が無残に死ぬはずだった未来のことも、話せるはずがない。

この六歳の少女に、世界の残酷な真実と、自分の背負った秘密の重さを理解しろと言うのは、あまりにも酷だ。

彼は、必死に頭を回転させ、最も当たり障りのない答えを探す。


『……そうだね。本当に、危ないところだった』


結局、カイルは曖昧に笑い返すことしかできなかった。


『なんだか、地面が少し揺れているような気がしてね。嫌な予感がしたんだ』


と、もっともらしい嘘を付け加える。マリアは「そうだったんだ!」と素直に納得してくれたようだったが、その瞳の奥の尊敬の光は、少しも揺らいではいなかった。


カイルは、そんな彼女からそっと視線を外し、崩れ去った崖に目を向けた。彼の胸の中には、確かな感情が、まるで嵐の後の陽光のように、じんわりと広がっていた。


安堵だ。

心の底からの、安堵。


彼女の命を、彼女の笑顔を、守ることができた。

あのビジョンが現実にならなかった。目の前で、彼女が生きている。

その事実が、何よりも、何よりも嬉しかった。


(この力は、呪いじゃない)


ベビーベッドで死を予見した時、彼はこの【神眼】を呪いだと思った。

これから先、数え切れないほどの絶望を見せつけられるのだと。

だが、違う。


見たくもない未来を視ることは、確かに苦痛だ。

だが、その未来を知るからこそ、変えることができる。絶望の淵にいる誰かの手を、引くことができるのだ。

カイルは、隣にいるマリアの、少しだけ汚れた横顔を見つめた。


(こうやって、大切な人を守るために使うんだ。そのために、僕はここに生まれ変わったんだ)


彼は改めて、その小さな胸の中で固く決意した。

この日を境に、マリアの心の中にも、大きな、そして本人もまだ気づいていない変化が生まれていた。


いつも少し気弱で、読書好きで、自分の一歩後ろを静かについてくるだけだと思っていた幼馴染。

危なっかしい自分を、いつもハラハラしながら見守ってくれている、少し頼りない男の子。


それが、今日、覆された。

彼は、自分の知らない何かを知っていて、自分を正しい方へ、安全な方へと導いてくれる、まるで物語に出てくる賢者のような、不思議な力を持っている。


その尊敬と信頼にも似た特別な感情が、やがて淡い恋心へと姿を変えていくことを、まだ彼女自身も気づいてはいなかった。

ただ、今までとは違う、胸が少しだけ温かくなるような、それでいて少しだけ切なくなるような感情が、芽生え始めていた。


「……帰ろっか、カイル」

「うん」

「……手、繋いで」


マリアが、少しだけ照れたように、小さな手を差し出してくる。

いつもは彼女がカイルの手を引っぱるのが常だったが、今日初めて、彼女はカイルにそれを求めた。

カイルは、その小さな手を、優しく、そして力強く握り返した。


崖崩れの危機は去った。

だが、二人の関係は、この忘れられない誕生日の一件をきっかけに、もはや単なる「幼馴染」ではない、新たな段階へと、確かに進み始めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ