第三三章 藤田先輩の左耳
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
大阪府秋季大会の最終結果──
坂海工は接戦の末 『1-0』 で勝利し、第3位 を獲得した。
しかし優勝・準優勝ではないため、学校側から特別な発表はなし。
一方で、大阪府コンクールで金賞を受賞した男子合唱団や、惜しくも銀賞だった吹奏楽部には、大きな横断幕が校舎に掲げられて祝福されていた。
坂海工野球部の秋季大会「第3位」については、
昼休みの校内放送でほんの一言触れられただけ──
そんな扱いだった。
その日の夜。
大会を終えて宿舎に戻った林友達と日空南極は、野球部の二年生たちが全員、宿舎の広間に集まっているのを見た。
中西先輩が二人に声をかける。
「白井と片岡が、ここで集合って。これから反省会らしいぞ。」
そして思い出したように中西は続けた。
「そうそう、友達・南極! 今日は一年生から風呂使っていいって佐久間が言ってたぞ。安心しろ、俺ら二年はあとで入って片付けとくからな」
南極の肩をぽんぽん叩き、
なぜか友達にだけ 妙に悪い笑顔 を向けてくる。
友達は不審そうに中西を見るが──
「友達、お前そろそろ皆の前で裸見られるの慣れろよ〜。ケチケチすんなって、男同士なんだし、ケツもチ◯コも見られて困ることないだろ?」
「中西先輩、その発言は普通に変態ですよ。」
友達がジト目で言うと、中西は「へへへ……」と笑い、今度は南極へ。
「な、南極。お前も友達に言ってやれよ? 男同士裸なんて気にするこ……」
南極は完全に悪気なく言う。
「友達のチ◯チ◯なんて、みんなもう見たよ?」
「はっ!? い、いつの話だ! 俺見てねぇぞ!!」
「ほらこの前、ユニフォーム着替える時に俺が友達のズボン一気に下ろしたらさ、パンツまで──
いった!! 友達ごめんって! 置いてかないで友達〜!!」
南極が“あの日の事件”を無邪氣に蒸し返した瞬間、
友達は真っ赤になって南極の頭を叩いて逃走。
南極は慌てて追いかける。
二人の後ろ姿をぼんやり眺めた中西は、呆然とつぶやいた。
「む、村瀬……どうしよう。俺より先に友達のチ◯チ◯見たやつ、こんなにいるなんて……」
「バカ言うなよ、お前……」
村瀬は苦笑し、中西の首根っこを引っ張る。
「今はそんなこと考えてる場合じゃないだろ。ほら、また遅れたら白井に走らされるぞ。
……お前、今週また補習ラン6周増えてるだろ?」
村瀬智也は中西亮太のことが好きだ。
友達としても、部屋の相棒としても。
だけど──生活態度も成績も、毎日何かしら“やらかす”この男には、いつも頭を抱える。
けれど、驚いたり怯えたりする中西の表情がやけに面白く、
結局いつも笑ってしまうのだ。
そこへ広間の扉が開き、
「中西、村瀬。何してる? 反省会始めるぞ。早く入れ。」
「「はいっ! 白井先生!」」
二人は慌てて姿勢を正し、広間へ駆け込んだ。
白井先生と片岡先生が、突然中西と村瀬のすぐ後ろに立っていた。
二人は飛び上がるほど驚き、慌てて広間へ入り、空いている席へと急いで座った。
照明がすっと落ち、坂海工野球部・秋季大会の反省会が始まる。
片岡先生がプロジェクターを操作し、まず一回戦の映像が流された。
試合映像は三年生が録画したものや、保護者会の保護者が客席から撮影したものが混ざっている。
映像を一通り見終えると、片岡は佐久間に合図し、灯りが再びつく。
片岡はホワイトボード上のダイヤモンド図を指しながら、先程の映像内容を解説し始めた。
「はい、今のプレーですが──相手校は明らかに藤田の球が打てないと判断して、短打戦術に切り替えています。
この場面、バントされた球は三塁側にゆっくり転がり、一塁走者は二塁へ向かって走る。
ここで私たちが見るべきなのは……」
──その頃。
「こういう場面、やっぱり苦手だなあ。」
誰もいない大浴場で、身体を洗い終えた日空南極は湯船にぷかぷか浮かびながら、髪を洗っている友達の背中を見つめてぼそりと言った。
坂海工野球部では、毎日の入浴時間にちょっとした「順番」がある。
基本的に人数の多い二年生が先に大浴場を使い、次に一年生──。
もちろん、宿舎の一般生徒はいつ入っても構わないのだが、皆が暗黙のうちに野球部へ時間を譲っている。
この独特の部内ルールは、階級的な雰囲気もあるが……
林友達にとっては正直、救いでもあった。
日本に来て何ヶ月も過ぎたが、彼はまだ「大勢の前で裸になる」というのが苦手だ。
南極と二人きりの浴室なら少しは気が楽だが、それでも身体を洗う時はどこか居心地が悪い。
「どうしたの、日空? ミーティングって、やっぱり苦手なんだ?」
「…まあ、ああいうのもさ、強くなるために必要っていうか。
どこを直せばいいかも分かるし。
俺たちも二年になったら、先輩みたいにちゃんと話し合いしなきゃいけないしさ。」
友達が言うと、南極は湯船の中でごろんとうつ伏せになり、わざとお尻だけ湯から出して遊んでいた。
冷たくて温かい感覚が好きなのだと言う。
そして南極は、ぽつりと昔の話をした。
「南極基地ではね、"ミーティング"って言われるとロクなことなかったんだよ。
みんな急に真剣になってさ、顔つきも怖くなるし。
たまに……誰かが死んだって知らせが来ることもあった。」
「だ、誰か死んだ!? なんで!?!?」
頭を洗い終わった友達は、思わず立ち上がり、泡だらけのまま南極の方へ振り返った。
──そして致命的なことに、
タオルで前を隠すのを 完全に忘れていた。
南極の視界には、友達の可愛いサイズのモノがばっちり。
彼は目をぱちくりさせ、心の中でひそかに思った。
(あ……友達のって、僕より小さくて……なんか可愛い形してる……)
「まず“緊急ミーティング”の警報が鳴るんだ。
そしたら全員がすごい勢いで集まって、みんな急に顔つきが変わってさ……
基地の中を行ったり来たりして、難しい言葉をいっぱい話し始めるんだよ。
で、その騒ぎが落ち着く頃には──
“避けられない事故が起きて、行方不明になった”とか“もう戻ってこない”とか、そういう話を聞くんだ。」
「自衛隊のお兄さんたちだけじゃなくて、日空博士……えっと、うちの母さんみたいな研究者もね。
何か起きると、そのまま二度と会えなくなる人もいた。
そのあとで、偉い人が皆の前に出てきて、
“上に報告済みです”“ご家族にも連絡しています”“国内ではすでにニュースになっています”
──そんなふうに言うんだ。
で、しばらくの間は外出禁止で、基地の中でしか動いちゃダメってなる。」
南極は湯の中でぽちゃんと小さく波を立てながら言った。
“会議”という言葉には、彼にとって悪い記憶しかない。
友達は、思っていた以上に重い話で、どう返せばいいのか分からなかった。
しばらく黙ったまま南極を見つめ、必死に何か慰めになる言葉を探していた。
「と、とにかくさ……学長や先生たちのミーティングは、誰かが死ぬとか、そういうのじゃないから……。
南極、日空だって強くなりたいんだろ? だったら、あれはそのための会議なんだよ。」
「まあ……そうだね。──あ、友達、その毛すっごい長い!」
南極の視線がするどく降りる。
腋の下だけじゃなく、下の方も、脚の毛も、予想外にモジャモジャ。
そして、彼の頭に電撃のようにひらめきが走る。
「──あっ!
“チンチン小さく見える”のって、毛が長すぎるせいだったんだ!!」
「み、見るなって言ってるだろ!!」
友達は真っ赤になりながら股間を隠し、慌てて湯の中へ沈んだ。
だが南極は容赦なく近づき、にこーっと笑って言う。
「ねぇ友達、毛ちょっと整えたら、チンチンもっと大きく見えるよ?」
「いいから黙れぇ!」
** ** ** **
秋季大会で三位に入った阪海工にとって、その順位は近畿大会では実に微妙な立ち位置だった。
近畿大会は、近畿地方の高野連が主催し、大阪・京都・奈良・兵庫・和歌山・滋賀の六府県を中心に行われる。例年の傾向として、学校数が多く競争が激しい府県は3枠、その他は2枠となることが多い。
学校数もレベルも高い大阪府は、ほぼ毎年3枠を得ているが、それでも絶対ではない。枠数は各府県の実力や前年度の成績、学校数のバランスによって調整される。つまり、秋季大会で優勝か準優勝を取らない限り、近畿大会出場は確実ではないのだ。
「――まあ、とにかく。なんとか近畿大会には出場できることになった。」
片岡先生がそう告げる。
秋季大会の良いところは、決勝と三位決定戦が終わったその日のうちに、代表校がすべて決まる点だ。今年は優勝・大阪桐蔭、準優勝・興国、そして三位・阪海工の3校が、大阪代表として16校制の近畿大会に挑むこととなった。
二年連続の近畿大会出場。阪海工にとっては、十分すぎるほど大きなアピールポイントだ。
――そう思った矢先、片岡の考えを遮るように白井が口を開く。
「近畿大会に出られるからって、浮かれるんじゃないぞ。あそこに集まる学校は、どこも神宮を狙えるレベルだ。三年の田中たちも、去年は近畿大会で本当に苦しい思いをしたんだからな。」
そもそも去年、阪海工が春の選抜高校野球大会――いわゆる“春の甲子園”に出場できたのは、明治神宮大会で大阪桐蔭が優勝し、そのおかげで近畿地区に“神宮枠”が一つ追加されたからに過ぎない。
桐蔭のおこぼれで拾われた、と言われても反論できない事情だった。
実際、三年の田中央一たち自身も、自分たちの実力で勝ち取った切符ではないことを痛いほど理解していた。
「どうせあの学校、桐蔭の恩恵で出られただけだろ」
春の甲子園で、どこかの学校の生徒がそんなふうに話しているのが耳に入り、阪海工の選手たちは悔しさで胃がねじれるような思いをした。
必死に積み上げたはずの努力も、結果も、他人から見ればすべて“棚ぼた”扱い。
それがどれほど屈辱か、彼らはよく知っている。
そして今年も、大阪桐蔭を倒して自分たちの力を証明する――その願いは、またしても届かなかった。
だからこそ阪海工の選手たちは、勝手に、そして一方的に桐蔭を“絶対の宿敵”だと思い込んでいる。それはチームの戦略というより、もっと私的で、個人的な感情に近い。
そんな中、今年の夏の甲子園を制したのは、神奈川の名門、東海大相模だった。
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「じゃあ今日はここまで。ミーティングで出た課題――何を鍛えるか、どこを補うか――全部“自分から”やるんだぞ。
小学生じゃないんだから、コーチに言われてから動くなんてことはするな。
わからなければ聞け。できなければ学べ。いいな?」
「ウッス!」
白井先生の言葉に、二年は一斉に声を揃えて返事をした。
近畿大会は十月中旬から十一月上旬。ちょうど阪海工の学園祭(十月末)と丸かぶりになる。
日本の学園祭は、授業への影響を避けるため、大抵は金・土・日の三日間。
金曜は準備、土曜が初日、日曜は他校や地域の一般客も入れる日だ。
つまり、この期間に野球部が試合に入れば――
二年生は全員、学園祭には参加できない。
一年と引退した三年だけが参加できる、というスケジュールになる。
「すみません、田中先輩。受験の準備で忙しいのに、こんな手伝いまでさせてしまって……」
「いいっていいって。ずっと勉強だけなんて、正直つらいからなあ。」
田中央一は笑いながら、壊れた九宮格ボードを丁寧に打ち直していた。
榮郎は胸を撫で下ろす。
もしこれを見つけたのが“あの”龍二先輩だったら――と思うと、ぞっとする。
一年が調子に乗って遊び倒して壊したなんてバレたら、片岡先生の説教だけじゃ済まない。
静かに釘を打ち、角度を確認している田中先輩の横顔を見て、榮郎は思った。
――やっぱり、一度キャプテンまで務めた人は違う。
……落ち着き方が“大人”だ。
「なあ、金井。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」
「はい、何ですか先輩?」
央一は九宮格ボードを見つめながら、後頭部をかき、照れくさそうに笑った。
「……これ、ちょっと投げさせてもらってもいいか?
我慢できないというか……めちゃくちゃ投げてみたい。」
投手という生き物は、年齢に関係なく“球を投げたい病”から抜け出せないらしい。
林友達と一年が考えた“九宮格ストラックアウト”は、白井・片岡の二人から予想外の高評価を受けた。
企画書で見てはいたが、完成品は想像以上の出来。
しかも材料のほとんどが野球部倉庫の余り物で、ぬいぐるみも家政部との協力で低コストに収まる。
全体の予算管理と制作の統括をしたのは――金井榮郎。
その働きぶりを見て、片岡はふっと呟いた。
「この子……経理に向いてる気がするな。」
職員室で書類を整理しながら言った片岡に、白井が眉を寄せる。
「金井は元々頭も悪くないし、成績もトップだ。でも……あいつは“野球がやりたい側”の人間だ。
片岡先生、もし金井をマネージャーに据えるつもりなら――」
それはつまり。
金井榮郎を、選手から外すという意味になる。
「そのつもりはあるわ。でも、もう少し様子を見るつもり。」
片岡は包み隠さず、自分の考えを口にした。
その言葉に、白井はわずかに眉をひそめる。
それを見て片岡は続けた。
「前にも言ったでしょ、白井。私は“全員を平等に見る”より、
阪海工が結果を出して、甲子園に近づけるかどうかの方が大事なの。
また“楽しく野球を”なんて持論で反論するつもりなら……
たとえ口喧嘩になっても、私は引かないわよ。」
人を追い詰めるような物言い。
だが白井は、片岡里子という人間がこういうタイプだと、もう理解している。
正面から押し返しても無駄だ。
ならば――と、白井は言い方を変えた。
「つまり……あなたは“育てられない選手は切り捨てる”ってことですか。
ずいぶん立派な教育方針ですね。」
「白井先生。」片岡は笑みだけ深くなる。「そういう挑発は効かないわよ。」
「挑発じゃありません。ただの事実ですよ。」
白井も笑みを返す。
「なら、こちらも一年生のメニューをもっと重くして構わないってことですね?」
「え? 俺、何か文句言いました?」
白井が淡々と言い終えると、
パタン!
と大きな音を立てて、片岡がノートパソコンを勢いよく閉じた。
「……今日はもう帰るわ。他の仕事もあるし。
あとは一人で見てて、白井先生。」
そう言い捨てると、ヒールの音を響かせながら事務室を出ていった。
(……ほんと、何をするにも怖い女だ。)
白井は思う。
さっきは、彼女がいつも自分にやる“言葉の刺し方”を真似してみただけなのに――
こんな風に返ってくるなら、もうやめておこう。
もし本当に片岡が本気を出して練習量を跳ね上げたら、
疲労困憊の選手たちに愚痴られるのは結局自分だ。
選手の愚痴はいいとしても……保護者会に文句を言われたらさすがにしんどい。
白井はため息をついた。
そして窓の外を見ると、
田中央一が、金井榮郎と並んで九宮格ボードの調整をしている姿が目に入る。
(……確かに、片岡の言うことも一理ある。)
榮郎のプレーは目立たない。
正直に言えば、選手として強みが見えるタイプではない。
だが、まだ一年。
伸びる余地はいくらでもある――白井修吾は、そう信じたい。
大阪府秋季大会が終わり、近畿大会までのインターバルはたった一週間。
片岡と白井が用意した五日間のメニューは、朝から夜までぎっしり埋まっていた。
サボりの天才・村瀨でさえ、逃げ場ゼロ。
几帳面な川原は、自分の自主トレ時間と丸かぶりして混乱していた。
だが――
このハードスケジュールのなかで、一人だけ目に見えて状態を上げている選手がいた。
** ** ** **
カーンッ!
鋭い音を残して白球が弾け飛ぶ。
田中龍二は、藤田迅真や他校のエース投手をイメージしながら、ひたすら内角球を打ち込んでいた。
正直に言えば——
大嫌いな片岡の打撃メニューが、悔しいほど効いている。
自分でも驚くほど、手応えがあった。
同じく、はっきりと成長が見えるのが捕手・佐久間だった。
もともと藤田の動きや癖、日常の様子まで一番把握している佐久間は、白井の助言を受けて、
「藤田が“投げるだけのエース”で終わらないよう、
“キャプテンとしての責任”も思い出させる」
という役割まで意識し始めていた。
「佐久間。どうしてあの場面、お前が藤田の代わりにボールを処理したんだ?」
白井が問いかけた。
映像に映っていたのは、相手の絶妙なバント。
三塁線へ転がり、一塁走者はスタートを切る。
本来なら、位置的にも距離的にも——
最も早く処理できるのは藤田。
佐久間が声をかけ、藤田が二塁へ送球 → そのまま一塁へ転送。
ダブルプレーが狙える局面だった。
しかし佐久間は自ら面を外し飛び出し、
間に合わず二塁送球を諦めて、一塁へだけアウトを取った。
決して“悪い”選択ではない。
ただ——
佐久間が、藤田の仕事まで肩代わりしてしまった。
「藤田。」
白井は淡々と、しかし核心を突く口調で続ける。
「お前はチームのエースであり、キャプテンだ。
状況判断を人任せにしてどうする。
佐久間に頼りすぎだ。」
「……はい。」
「このままだと、投球の首振りまで佐久間に決めてもらうことになるぞ?」
静かだが、重みのある言葉。
普段ほとんど叱られることのない藤田に対しての指摘に、
周りの部員たちは思わず息をのむ。
藤田は小さく頷き、
「改善します」と短く答えた。
だが——
藤田が注意されると、佐久間の胸はざわつく。
普段冷静な捕手・佐久間圭一が、
あからさまに落ち着かなくなるのが誰の目にもわかった。
実のところ、佐久間自身もそれには気づいていた。
過去のバッテリー時代の癖なのか、藤田迅真のこととなると、つい無意識に“管理”してしまう。
試合中でも、普段の生活でも。
とはいえ——
「藤田を放っておく」という選択肢が、佐久間にとっては逆に落ち着かない。
というのも、藤田迅真という男は、
時間の概念も“ここまで”の線引きも一切ないタイプだからだ。
自主練を一人で夜十時半までやり、
誰もいない真っ暗な風呂場で電気や釜を切ってから、
水風呂にザバッと入り、
全裸のままベッドにダイブして即寝。
翌朝になって「あ、宿題忘れてた……」と思い出す。
そんな迅真の一挙一動をずっと見てきた佐久間は、
「オレが管理しなかったら、この人は本当にダメだ」
という諦めにも似た責任感でいっぱいだった。
結局のところ——
佐久間がここまで“コントロール”したくなるのは、
藤田自身にも、反省すべきところが山ほどあるからだ。
** ** ** **
この日、林友達は学園祭の準備で学校に残っていた。
南極は……あまりに騒がしく、しかも準備では役に立たず、
友達にやんわりと「帰ってくれ」と“お願い”されて退散した。
南極は南極で、これ以上騒げば友達が本気で嫌がると察したのだろう。
素直に宿舎へ戻っていった。
こういう「空気を読むところ」——
言葉にしなくても互いの限界がわかってきた距離感に、
友達は最近、不思議な“呼吸の合い方”を感じることがあった。
……まあ、南極が突然背後から抱きついてきて、
驚いた友達が反射的に急所を攻撃してしまい、
南極が床に転げ回る、という事件もあるにはあるが。
「……あ、藤田前輩?」
「お、おう……びっくりした。やっぱり友達か。」
沈んでいく夕陽に染まる校舎の廊下。
窓の外をフラフラ歩く影に気づいた友達は、
すぐにそれが藤田学長だとわかり、声を掛けた。
返ってきたのは、相変わらずよく分からない藤田の反応だった。
「友達に似てる別の誰かかと思った。」
「何言ってるんですか、前輩。変ですよ。」
思わず笑ってしまう。
しかし、この時間に制服姿の藤田が学校にいるのは珍しい。
「この時間、前輩っていつも球場か宿舍にいるんじゃ?」
「まあ……そうなんだけどな。
近畿大会も近いし。」
藤田はそう言うと、どこか浮かない表情だった。
「藤田前輩、大丈夫ですか? どこか具合悪いんですか?」
いつもと様子が違う気がして、友達は思わずそう聞いた。
すると藤田は友達の顔をじっと見つめ——
何か悩みを打ち明けるのかと思いきや、口から出たのは全然別の言葉だった。
「友達、新しいスポーツドリンク……飲みたくないか?」
「えっ?」
意味がわからないまま戸惑う友達の腕を、藤田はそのまま掴んで、自販機の方へ連れていった。
校舎裏の少し古い自販機。
藤田はようやく、大谷翔平がCMしている例の新しいスポドリを見つけ、二人分買った。
友達が飲みながら「おいしい」と呟いた、その時だった。
藤田がぽつりと本題を切り出した。
「友達……ちょっと聞きたいんだけど。もし……あくまで“もし”なんだけど……
お前と南極が……なんていうか、ちょっと拗ね合ってるというか……
なんかギクシャクしてる時……どうやって話せば……いいと思う……?」
ふわっとした質問をふわっとしたまま終わらせる藤田。
その瞬間、友達は 0.8秒 で核心を突いた。
「藤田前輩、佐久間前輩とケンカしたんですか?」
「えっ、え、ええ!? ち、ちが……いや違わないけど、違うんだよそれは……!」
図星すぎて声が裏返った藤田。
動揺しすぎて何を言ってるのか自分でもわからない。
(じゃあ、どう違うんだ……?)
友達は頭の中でつぶやく。
日本語が難しいとかじゃない。
野球部の先輩たちの会話だけ、もはや別の言語だ。
藤田のしどろもどろな説明を必死に繋ぎ合わせて、
友達はようやく二人の“最近のギクシャク”を理解した。
どうやら——
佐久間は藤田に
「球場でも私生活でも、もう少し自分で判断しろ」
と言っているらしい。
けれど藤田が自分で決めたことには、
また佐久間が文句を言う。
その繰り返しで、今日はとうとう
ガチの大ゲンカになったらしい。
(……全然わからん。何それ?)
友達は二人の“真剣なケンカ”の内容を理解する気を早々に放棄した。
ただ、藤田が本気で落ち込んでいるのだけは分かったので、
「でも藤田前輩、いつも佐久間前輩とケンカしてません?
今回大ゲンカだったとしても……きっと佐久間前輩だって、
明日になったらいつも通り……」
と言いかけた瞬間——
「それは分かってる!!」
藤田が突然、友達の言葉を遮った。
あまりにも珍しい反応で、友達は思わず目を丸くする。
藤田迅真は、人の話を遮るタイプじゃない。
ましてや声を荒げるなんて滅多にない。
「……でも俺、あいつに……ひどいこと言っちゃってさ……」
しゅん、と肩を落とす藤田。
一方そのころ、宿舎の別の部屋では——
(……結局こうなるんだよ、あの野球バカは)
佐久間は、練習中に藤田が口走ったあの一言を思い出していた。
藤田自身も言った瞬間に
「しまった」という顔をしていた。
それから何も言わず、練習を切り上げ、
逃げるように球場を飛び出したのだ。
「まったく……あいつは……」
怒りと疲れが混ざったようなため息が漏れる。
わかってるなら言うなよ。
言って後悔するくらいなら最初から黙ってろ、この阿呆。
コンコン。
「佐久間、ちょっといいか?」
田中龍二がドアの外から声をかけ——
返事を待たずにずかずか入ってきた。
「……今、俺は機嫌が悪い」
低い声でそう告げる佐久間。
——今ふざけたことを言ったら殺すぞ。
という圧力がこめられていた。
(……だから俺は来たくなかったんだよ!!)
龍二は心の中で叫びながらも、顔には出さない。
今日の二人のケンカは二年全員が目撃していた。
白井先生にも当然怒鳴られ、
「明日までに反省文出さなきゃ、お前ら二人とも試合に出さない」
とまで言われている。
口では文句を言い合っても、
二人は小学校・中学校からずっと一緒に野球をやってきた仲。
本気で仲が悪いわけじゃない。
だからこそ、心底心配なのだ。
話はそうなんだけど、
俺、別に白ネズミになるって言ってないからな!?
外で待っていた連中に背中を押されて佐久間の部屋に放り込まれ、
田中龍二は心の底からそう思った。
普段はデカい声でケンカ腰だが——
黙ったまま、ジッと睨んでくる佐久間の方がよっぽど怖い。
村瀬がよく言う
「佐久間は“藤田の極道妻”」
という例えが今日はやけに刺さる。
とはいえ、ここまで来たら腹を括るしかない。
「藤田はさ、あれただの八つ当たりだよ。
あいつだって分かってる。あの件、お前のせいじゃないって。」
そう言うと、佐久間は
“何が分かるんだ、お前に”
という目で睨みつけてきた。
(ヒィッ……やっぱ怖ぇ……!)
だが龍二も、これまで散々佐久間を怒らせてきた男だ。
ここで怯んだら逆にまずい。
「とにかくさ、藤田見つけたら、ちゃんと話せよ。二人で。」
そう言って出ていこうとしたその時——
「見つけたら? 俺、今どこにいるのか知らねぇよ?」
佐久間がぼそりと呟いた。
(は?)
振り返ろうとした瞬間、
部屋の外から別の声が飛び込んでくる。
「お前が知らないわけねえだろ。」
入ってきたのは、普段いちばん温厚な男——
吉岡大河。
大河は珍しく真剣な顔で佐久間を見据えた。
「そんな強がり言うなよ。
お前が分からないなら、野球部の誰にも分かんねぇよ。」
二人が無言で見つめ合う。
空気が、一気にキリッと冷えた。
(ちょ、なんで大河が火に油を……!
川原、日下!!お前ら大河のルームメイトだろ止めろよ!!)
(無理だよ!お前も大河のルームメイトだろ!!)
廊下の川原と日下は青ざめた顔で固まるだけ。
誰も動かない。
その空気を破ったのは、意外にも木村だった。
おそるおそる部屋に入り、大河の腕を掴もうとした——
その瞬間、
佐久間がすごい勢いで立ち上がる。
「やべっ!!」
龍二は反射的に木村と大河の前に飛び出し、
「おい!殴るなよ!!殴るなって!!」
と叫んだ。
しかし佐久間は、三人の横をただ通り過ぎただけだった。
すれ違いざま、
冷たい視線を一瞬だけ向けて——
ジャケットを羽織り、ひと言。
「……誰がお前なんか殴るか、バカ。」
そう吐き捨て、階段へと降りていった。
「…………佐久間この野郎!!
戻ってこい!!ぶっ飛ばしてやる!!」
「落ち着け!落ち着けって龍二!やめろって!!」
今度は木村が龍二を押さえる番になった。
騒動が一段落したところで、
村瀬が欠伸をしながらぼそり。
「だから言ったろ。夫婦喧嘩なんてよくあるんだよ。」
そう言いつつ、
さっきまで彼自身も廊下に張り付いていたのは言うまでもない。
そして村瀬はふと気づいた。
(……あれ? 中西どこ行った?)
「お、なんでみんな廊下にいんの? え、え、俺なんか面白いの見逃した?」
「学長、みんなここにいたんですね! 俺、中西学長と食堂行ってました。今日の晩ご飯、とんかつっすよ!」
騒動が一段落した頃、
二年の中西と一年の南極がのんきな顔で戻ってきた。
まるで寮で何が起きていたか一ミリも知らない顔。
それを見た村瀬は心の中で思った。
——これが俗に言う「能天気な人ほど幸せ」ってやつか。
** ** ** **
友達は、藤田が「佐久間にひどいことを言ってしまった」と漏らしたのが気になっていた。
けれど藤田が言う「すごく重い一言」が何を指すのか、全然分からない。
そのときようやく藤田迅真も思い出した。
——あ、こいつ(友達)には、俺と佐久間の“昔のこと”を話してなかった。
藤田はふっと息をついて、
自分の左耳につけていた小さな装置を外した。
友達はそれが何なのか、ずっと気になっていた。
練習用の何かだと思っていたが、どう見ても違う。
藤田が手のひらに乗せたそれを見つめていると、
藤田は静かに説明した。
「これは補聴器。
俺、左耳があんまり聞こえないんだ。
これ付けてないと、普通に会話するのもキツい。」
そう言って、藤田はまた補聴器を耳に戻した。
だが友達は余計に混乱した。
——補聴器?
——佐久間先輩?
——藤田先輩?
この三つがどう繋がるんだ?
話すのが得意ではない男が、
それでも何とか言葉を探すように、ゆっくり続けた。
藤田は、困ったように後頭部を掻いた。
彼は普段、感情や事情を言葉にするのが苦手な男だ。
それでも、友達にはちゃんと伝えようと、ゆっくり話し始めた。
「……ある事故があってな。
本当は佐久間のせいじゃないんだけど……それでも、あいつはずっと自分を責めてる。」
それは、そう昔の話ではない。
藤田迅真と佐久間圭一が、
まだ岬阪中学の野球部にいた頃——
中學野球部で起きた、あの“事故”のことだった。




