第三一章 二人ともエースでいいじゃないか
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
「友達、友達、友達?」
「……反応なし。ほら、こうやって頬をつねっても起きないよ。」
「それ、いじめだろ? スクール・バイオレンスとか。」
「い、いじめじゃないって! ただ友達が全然起きないだけ!」
「別の方法試してみたら?」
「別の方法?」
「うん、例えば――」
「監督、おはようございます!」
「か、監督!? 監督おはようございますっ!」
「監督」という単語と、教室のドアが開く音が同時に響いた瞬間――
完全に爆睡していた林友達は、飛び起きて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「……」
静まり返る教室。
友達は目をぱちくりさせながら周囲を見回す。
そしてドアのところに立っていたのは、監督ではなく――トイレから戻ってきた南極だった。
「……?」
「……ぷっ!」
隣で見ていた青木陽奈と、床に座って笑い転げている流星たち。
次の瞬間、教室中が大爆笑に包まれた。
友達の顔は一瞬で真っ赤になり、あわてて席に座り込む。
今日は珍しく、午前中にグラウンド整備を終えた一年生が学園祭の準備に戻れる日だった。
練習から解放される、いわば「自由の一日」。
安心したのか、友達は手作業の途中でうとうとと眠ってしまっていたのだ。
「やっぱり野球バカを起こすには、野球バカな方法が一番ね。」
陽奈はため息をついて言い、クラスの「阪海工学園祭」準備に戻る。
吹奏楽部の練習も控えている彼女は、主に会計や文書などの事務担当をしていた。
一方、野球部組の友達たちは力仕事班。
ペンキ塗りやロープ結びなどの単純作業を任されていた。
クラスの出し物は喫茶店。
コーヒーや紅茶、クッキーや小さなケーキを販売する予定だ。
装飾やメニュー作りは男子中心で進み、
女子たちは「ハロウィン用の安いメイド服をもっと可愛く飾ろう」と盛り上がっている。
その賑やかさに、男子勢のモチベーションも一気に上がった。
「珍しいなぁ、友友が居眠りなんて。」
ペンキを塗りながら蓮が言う。
「ようやく俺以外にも、授業中に寝る仲間ができた!」
流星は笑いながら友達の頭をぽんぽん叩いた。
「これで俺たちは“居眠りブラザーズ”だな!」
「えっ、やだよそんな兄弟!」
即座に否定する友達。恥ずかしさ全開だった。
「ちょっと待て流星、友達は放課後の作業中に寝ただけ。
お前みたいに授業三秒で寝る奴とは違うからな。」
宇治川が冷静につっこむ。
野球部内では、流星が授業中に寝ないようにするのが一苦労だ。
教員にバレないよう、友達や南極まで見張り役をしている。
「なにぃ! お前らだって休み時間は机に突っ伏して爆睡してるだろ!」
流星が反論し、クラスの笑い声が再び広がる。
南極が近づいてきて、いつものように友達の後ろに座り、背中から抱きついた。
友達は特に抵抗もせず、手を動かしながらロープの結び目を整えた。
「はい、これお前の分。」
そう言って南極にもう一本渡す。
二人は上下で同じようにロープを結んでいく。
その光景を見ていた流星たちは思わず笑い出した。
「なんか……年末特番の“二人羽織”みたいじゃね?」
「友達、これどうやんの?」
南極が不器用に結んだロープを見せる。
「ほら、そこ、結び目が一つ多い。
それだと締まらないよ。まずは平結びで――こうして、こう。」
友達は南極の手を取り、動きを導いていく。
南極はそのまま真似して結び、きれいに整った結び目を見て喜んだ。
「おおっ! 友達、できた!」
「できてないよ。次は自分でやってみな。」
南極は不満そうに友達の頭に顎を乗せて甘える。
「ちょ、重いって!」
「でも、この方が落ち着くんだよな~。」
「俺は落ち着かないんだけど!」
「ははっ、漫才でもしてんのかよ、あの二人。」
蓮と流星は笑いながら見ている。
その横で青木陽奈がちらりと二人を見て、ため息をついた。
「ほんと、男の子って……こういうのには鈍感なんだから。」
彼女はそうつぶやきながら、自分の髪ゴムにリボンを結びつけた。
※※※※
秋季大会が始まる。
開幕前、阪海工業高校野球部は二人の指導者による改革を経て、
チームの練習方針が明確に変わりつつあった。
全体の指導は依然として白井先生が担当。
彼はこれまで「選手自身の判断」を重視していたが、
最近では判断力と決断力を鍛えるため、具体的な場面指導を徹底している。
――一塁への素早いタッチアウト、走者への牽制、
ダブルプレーの構築。
以前なら「自分で考えろ」と言っていた白井だが、
今では「確実にやれ」と明確に求めるようになっていた。
一方、片岡先生は打撃面に重点を置いた。
「得点できる小さな打線」を作ることが、彼女の目標だった。
二年生の田中龍二は、強豪校相手でも通用するバッティング力を持つ。
木村はスイングが焦りがちで、
中西は安定した打点がない――だが二人とも潜在力は高い。
日下と川原は堅実だが平凡。
そして藤田、佐久間、その他の多くは……
片岡の目には「平均以下」あるいは「不合格」と映っていた。
そこで片岡は新しい打順を組み立てた。
先頭は日下と川原。様子を見ながら試合の流れを掴む。
続く中盤は木村と中西で攻勢に出て、
最後は田中龍二で締める。
――強打線ではなく、バランスで勝つ。
これが、今の阪海工が取るべき最も現実的な戦い方だった。
一番から四番までは――
日下尚人、川原慎、藤田迅真、木村陸斗。
堅実に塁を進め、四番の木村が爆発すれば一気に得点につながる。
そして五番、六番は中西亮太と田中龍二。
本来なら田中龍二は「四番打者」として配置されるべきだが、
片岡は打線の“延長線上の火力”として彼を六番に置いた。
彼の打撃は単なるパワーではなく、場面判断の巧さと柔軟性がある。
満塁でも二死でも、最適なスイングを選べる――それが田中龍二だった。
状況によっては、四番・木村との打順を入れ替えることも視野に入れている。
早攻めにするか、堅実に刻むか――それを決めるのが龍二の打棒だ。
七番から九番までは――
佐久間圭一、村瀬智也、吉岡大河。
この三人は、良くも悪くも“読めない”。
安定しているのは佐久間だけで、六番・龍二の後を受けて状況を読むタイプ。
だが八番の村瀬はやる気が見えず、九番の大河は何を考えているのか分からない。
しかし、彼らを完全に侮ることもできない。
二回戦――二死一・三塁の場面。
村瀬の意外なバントヒットでチャンスを作り、
続く大河が内野を抜けるタイムリーを放ち、三塁走者がホームイン。
「よくやった!」とベンチは沸いた。
だが次の試合では、まさかのダブルプレーでチャンスを潰す――。
まさに予測不能な男、それが吉岡大河だった。
片岡も一年生の起用を白井に提案したことがある。
だが白井の答えは明快だった。
「二年生が出られるうちは、できるだけ二年生を使う。」
理由は「体力の安定性」。
確かに一年生よりも二年生の方が持久力に優れている。
だが片岡里子には、その言葉の裏に別の意図が透けて見えた。
――白井修吾は、“生徒に思い出を残させたい”だけなんじゃないか。
体力云々よりも、指導者としての情の方が勝っている。
そう思わずにはいられなかった。
とはいえ――「日空南極」だけは、例外だ。
もし一年生の南極を打線に組み込めば、
田中龍二との“ダブルライン”が完成する。
その瞬間、阪海工は強豪校にとって脅威になるだろう。
だが現状、片岡には白井を説得するだけの材料がない。
今の方針はあくまで「藤田迅真を中心とした守備」
そして「田中龍二を軸にした攻撃」。
他のメンバーの守備と打撃力を底上げする方向で動いていた。
※※※※
放課後の練習は十六時から十九時。
その後、二十一時までが夕食・入浴・学習時間。
二十時からは筋トレや自習会が行われ、携帯電話は禁止。
二十一時以降が自由時間で、二十二時半には就寝。
休日は朝八時から午後四時までみっちり練習し、
その後ようやく自由時間となる。
最初のうちは、誰もが悲鳴を上げた。
「もう無理っす!」という声が寮に響いた夜もある。
だが白井と片岡は生徒の意見を取り入れ、
携帯やパソコンの使用時間、課題・食事・入浴の順序などを緩和した。
寮がもともと古い温泉旅館を改装したものだったため、
大浴場の使用時間も柔軟に対応できたのだ。
――ただし、訓練量に関しては。
片岡里子は一切妥協しなかった。
「この程度で音を上げるようじゃ、甲子園なんて夢のまた夢よ。」
そう言われ、白井も反論はしなかった。
強豪校での地獄のような練習を知る二人には、
その言葉の重みが痛いほど分かっていた。
選手たちも次第にその環境に慣れていった。
だが――授業中の居眠りだけは、なかなか直らない。
見つかった者、先生にチクられた者。
待っているのは、休日の体力トレーニング罰走だった。
この厳しい練習は、確かに結果を生み始めていた。
大阪府秋季大会――。
坂海工業高校は、なんと三連勝で三十二強入りを果たす。
約百八十校が参加する日本最大規模の大会で、
この“公立の無名校”が勝ち進んでいることは、
誰にとっても予想外だった。
連勝を重ねるたびにチームの勢いは増し、
四回戦、五回戦と白星を積み上げ――
ついに坂海工は、大阪府大会ベスト8へ進出。
だが、それでもニュースサイトや野球雑誌では
ほとんど触れられず、
地方紙の小さな見出しにようやくその名が載っただけだった。
坂海工、再び府大会ベスト8進出!
秋季大阪大会、堅実な戦いで強豪を下す
秋季高校野球大阪大会で、岬阪市の坂海工業高校が二年ぶりにベスト8入りを果たした。
坂海工は三連勝で32強入りを決め、その後も勢いを落とすことなく四勝目、五勝目と白星を重ねた。
序盤戦は静かなスタートだったが、五回戦での劇的な逆転勝利が転機となり、坂海工の名が府内で注目を集め始めた。終盤の粘り強さが光る試合だった。
「こんなに頑張ってベスト8まで行ったのに、
記事、これだけ? ちっちゃすぎるだろ!」
「うわっ、藤田先輩の顔写真ある! ……こわっ!」
休日。
野球部の一年生たちは「参考書と文房具を買う」と言い訳して、
岬阪商店街の古い書店――岬阪書店に集まっていた。
もちろん誰一人として真面目に参考書を探す者などいない。
全員が新聞・雑誌コーナーに群がり、
自分たちのチームの記事を必死に探していた。
やっとのことで蓮が見つけた。
スポーツ欄の片隅――ほんの数行だけ。
小さな見出しの「坂海工ベスト8進出」。
他の大部分の紙面は、
岬阪港が“釣りの聖地”として人気急上昇中、
著名な釣り師たちの推薦コメント――など、
まるで野球とは関係のない話題で埋め尽くされていた。
「まあ、釣りと造船が岬阪の経済の柱だからな。」
宇治川は、野球の記事がほんの一コマしかないことなど、
もう見慣れた様子で新聞を折りたたんだ。
他の部員たちも同じだった。
文句を言っていた蓮でさえ、心のどこかでは分かっている。
この町で野球は趣味であって、生業ではない。
彼らの家のほとんどが、漁業か造船に関わっているのだから。
唯一、外から来た二人――林友達と日空南極だけは、
この現実にまだ少し距離を感じていた。
友達は蓮と同じように思っていた。
「もう少しだけでも、記事のスペースが大きければいいのに。」
坂海工に入学した時、学校のパンフレットに載っていた
藤田先輩のピッチング姿――
あの写真に憧れて、彼はこの町にやってきたのだから。
「なんで野球雑誌に坂海工が載ってないの?」
その素朴な声に、全員の視線が集まる。
南極が高校スポーツ誌をめくりながら、首をかしげていた。
その無邪気な様子に、みんな思わず笑ってしまう。
「そんなの載ったら、うち超名門校だよ。」
田中龍二が笑いながら言うと、
蓮も続けた。
「そうそう、こういう雑誌に出るのは、
超強豪の私立か、ドラマみたいな大逆転した弱小校。
あとはちょっと変わった学校くらいだよ。
俺たちみたいな“そこそこ”の野球部は、記事にならないんだ。」
「えー、じゃあどうしたら載れるの?」
南極が眉をひそめ、隣の友達を見た。
「友達、台湾では野球雑誌に出たことある?」
「え? あるわけないよ。」
突然の質問に友達は驚いた。
「台湾には《職業棒球》って雑誌しかなくて、
学生野球を特集するのなんてないから。」
(南極、何を言ってるんだよ……)
そう思いながら、友達は南極が残念そうに雑誌を棚に戻すのを見ていた。
「野球で雑誌の紙面を独占する方法なら、あるよ。」
ふと、ファッション誌を閉じた柴門玉里が口を開いた。
全員の視線が一斉に彼へ向く。
「甲子園に行くことだ。」
「…………」
その瞬間、空気が止まった。
その言葉は、あまりにもまっすぐで、
あまりにも遠い。
阪海工にとって――
“甲子園”とは、夢であり、現実ではない場所だった。
「えっと……みんな、その……そろそろ参考書買わないと、
帰りの時間が……たぶん間に合わないよ?」
金井榮郎が苦笑しながら声をかけた。
彼らは一応、「男子寮で自主学習をする」という名目で外出している。
もし報告した時間までに戻らなければ、
佐久間先輩から体力トレーニングの罰が待っているのだ。
榮郎の言葉に、全員がようやく我に返った。
慌てて文具と参考書を選び、男子寮へと駆け出していく。
今回の「自主学習会」は、
白井先生が一年生の成績の悪さに頭を抱え、
成績上位の部員をチューターとして呼んだのがきっかけだった。
その中でも、林友達の成績は常に“ギリギリのライン”。
「この点数でよく出場停止にならなかったな……ある意味すごい。」
柴門玉里は初めて友達の成績表を見て、
思わず眉をひそめた。
寮でいつも勉強会に参加していると聞いていたのに、
一体どこで何を読んでいるのか。
そして、悪気なくとんでもない一言を放つ。
「台湾人って、勉強あんまり得意じゃないの?」
「ちょ、ちょっと柴門くん!それは失礼だよ!」
榮郎が慌てて止めに入る。
だが小林は落ち着いた様子で、眼鏡をくいっと押し上げた。
「たぶん台湾の“体育班”制度の違いでしょうね。
日本の部活動とは違って、台湾では運動選手は
専用の体育クラスで授業を受ける。
試験内容も普通科とかなり異なると聞きました。」
「おお、なるほどな。」
「ねえねえ、みんな聞いて。
友友さ、前に“試験のときいつもカンニングしてた”って言ってたよ。」
「してないってば!」
友達は即座に反論した。
「ただ、先生が“落第されたら困るから”って、
試験の答えを全部暗記させただけだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、場が一瞬静まり返った。
……それ、どう聞いてもカンニングだよな。
日本の学制では、そんな“答え暗記で全員合格”なんてありえない。
補習や再試験はあっても、“答案丸暗記”なんて――。
その場の全員が、無言で“事実確認”を終えた。
「でも、前の期末テストでは友達、結構いい点取ってたじゃん?」
南極が口を挟んで、話題をそらすように言った。
確かにそのとき、友達は流星よりもいい点数を取っていた。
それを聞いた柴門玉里は、さらに頭が痛くなる。
「……お前さ、日本人なのに国語で台湾人に負けるって、どういうこと?」
「うるせぇな! 合格したんだからいいだろ!」
流星は顔を真っ赤にして反論した。
「まあ、豊里は日本人というより“流星族”の末裔だからな。」
「日本語は流星族には難しすぎるんだよ。
俺たちも流星族の言葉、解読できねーし。」
「お前ら……そんなにふざけてると、マジでぶっ飛ばすぞ!」
流星は横でちゃかす蓮と宇治川をにらみつけた。
「と、とにかく! 豊里くんの担当は僕がやります。
他の人は柴門くんに質問して。
全部分かるわけじゃないけど、できるだけ説明するからね。」
「うん、よろしく頼むよ。」
豊里流星は素直に頷いた。
だが、ふと気になって尋ねる。
「金井って、期末テスト何点くらいだったの?
そんなに勉強できるなら、相当高いんじゃ?」
「き、期末テスト……それは……」
「彼は一年生で学年一位だ。」
小林が静かに補足した。
「――え、えええええ!? マジかよ!?
お前、めっちゃすげぇじゃん!」
「い、いや……そんな……」
金井榮郎は照れくさそうに俯いた。
場の全員が一斉に驚きの声を上げる中、
ただ一人、柴門だけが冷静にため息をついた。
「だから言っただろ。
白井先生と片岡先生がこの“勉強会”を許可した理由、
ちゃんと考えてみろって。
野球だけじゃなく、勉強もちゃんとやれ。まったく……」
部屋の中は笑い声とざわめきでいっぱいだったが――
誰も気づかなかった。
その賑やかな空間から、
一人、そっと立ち上がって出て行く影があった。
※※※※
「はぁ……」
友達はため息をつき、皆の視線が豊里に集中している隙にそっと部屋を抜け出した。
正直なところ、台湾にいた頃から成績はあまり良くなかった。
ましてや日本に来てからは、母語の中国語ですら怪しいのに、
日本語の試験なんて読んで答えるだけでも一苦労だ。
いつもギリギリ、紙一重で不合格を免れているようなものだった。
それでも最近は、野球の成績と体力は確実に伸びている。
二年の先輩たちと一緒にウェイトをこなし、藤田先輩にも教わり、
投球の安定性も変化球の精度も目に見えて上がってきた。
南極も同じだ。いや、彼はやっぱり天性の才能がある。
重訓のときに見たあの集中力――まるで別のレベルの人間みたいだった。
南極は昔、南極基地で自衛隊員たちにいろんな訓練を教わっていたらしい。
だから時々、彼の方がフォームや呼吸のアドバイスをくれる。
でも――なぜだろう。
友達は、そんな南極の好意を素直に受け取れない自分がいた。
南極が悪いわけじゃない。
むしろ彼も野球のことでは友達を頼ってくれる。
それなのに、どうしても「頼られる」側でいたくなる。
もしかして、自分は……南極に嫉妬しているのかもしれない。
どこかで「彼より上に立ちたい」と思っているのかもしれない。
「友達。」
「……あ、南極?」
男子寮の裏手にある古い自販機。
三年の柔道部の石川先輩に教えてもらった“秘密の場所”だ。
南極が笑いながら歩み寄ってくる。
「俺も一本買おうっと。」
硬貨を入れ、ガシャンという音が夜の静けさに響く。
二人は並んでソファに腰を下ろした。
いつもなら当然のように友達の隣にくっついてくる南極が、
今夜は珍しく少し距離を置いて座っていた。
「どうしたの? なんか、やけに離れてない?」
「そ、その……今そっちに寄ったら、たぶん嫌がられる気がして。」
「俺が怒ってても、どうせいつも通り寄ってくるくせに。」
「うーん……そうなんだけど、今日の友達はちょっと違う。」
南極はスポーツドリンクを一口飲んで、静かに言った。
「友達って、難しいこと考えてるとき、泣きそうな顔してるんだよ。」
「え、そうなの? 全然気づかなかった。」
南極がそんなことを言うとは思ってもみなかった。
友達は苦笑して、わざと南極の膝の上にドスンと座る。
南極は何も言わず、自然に腕を動かして場所を空けた。
「俺さ、分かってるんだ。
自分じゃまだ全然ダメなのに、
どうしても自分の力だけでやりたくなる。
日本語、やっぱ難しい。
喋るのは平気でも、試験の問題読むと全然頭に入らない。」
「……友達、答案まだ持ってる?」
「え? うん、でも何で?」
「ちょっと見せて。」
友達は手の中のくしゃくしゃになった答案を見つめて、
顔をしかめた。点数を見られるのが恥ずかしい。
「大丈夫、恥ずかしがらなくていいよ。」
南極はいつもの太陽みたいな笑顔で言った。
その笑顔を、友達はどうしても嫌いになれない。
南極は友達の手を取り、答案を広げて肩を寄せて覗き込む。
「うん……“分からない”んじゃなくて、読むのが遅いだけか。」
「まあ、そうかも……間違ってるところも多いけど。」
「なら簡単だ!」南極は嬉しそうに言った。
「問題に慣れれば、きっとすぐ早くなる。
友達が俺に教えてくれたみたいにさ。
何回もやれば、できるようになるでしょ?」
「俺が……教えた?」
友達は目を瞬かせた。
自分が南極に、何かを教えたことなんて――あっただろうか。
「南極、野球のルールだって、何度もやれば覚えられる。
そうやって俺に言ってくれたでしょ?」
「え、ああ……あれはちょっと違うよ。
だって、実際にやらないと説明しにくいし……」
「同じだよ。」南極は真っ直ぐに言った。
「問題を解くのも、やってみれば慣れる。
友達は“できない”んじゃなくて、“まだ慣れてない”だけ。」
その素直な言葉に、友達は何も返せなかった。
「だからさ……」南極はそっと友達を抱きしめた。
「友達が困ったら、俺がまた手伝うから。」
――だから、そう言うなよ。
そう言われると、余計に苦しくなる。
嫉妬と依存が、胸の奥で何度もぶつかり合う。
このまま続けていたら、いつか自分の手で
この関係を壊してしまうんじゃないか。
佐久間先輩の言葉が頭をよぎる。
「投手は二人いても、最後にマウンドに立つのは一人だけだ。」
南極との距離が近づくほど、
その現実が、少しずつ怖くなっていく。
十六歳の友達には、その感情が何なのか分からなかった。
そして――南極が同じことを感じているのかどうかも。
「うわっ、びっくりした……人いたのか。」
「……藤田先輩?」
「おう、南極に友達か。」
突然、寮の角にある自販機の方から声がして、
二人は同時に飛び上がった。
すぐに体が離れる。
幸い、藤田先輩は佐久間先輩みたいに
からかったり冷やかしたりするタイプではない。
彼の頭の中は、いつだって野球でいっぱいだ。
「今、二年はグラウンドじゃなかったんですか?」
「どうして寮に?」
友達が尋ねると、藤田は腕と太腿に貼られた
テーピングを見せながら苦笑した。
「今日の練習で、ちょっと腕に違和感があってな。
大したことないって言ったら、佐久間が怒鳴り散らしてさ。」
“なんでそんな大事なこと黙ってんだよ! 迅真のバカ!”
その声が聞こえた気がして、
友達と南極は顔を見合わせた。
佐久間の怒りっぷりが、容易に想像できる。
あの表情は、片岡先生の笑顔よりも怖い。
結局、佐久間が白井と片岡に報告し、
白井先生の判断で藤田はその日の全メニューを中止。
野球も筋トレも禁止され、寮での休養命令が出たという。
「今は握力トレと、あと“原稿読み”だけ。」
「……原稿読み?」
友達が首をかしげる。
藤田は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「秋の大会ベスト8になっただろ?
それで記者が取材に来るんだ。
片岡先生が“エースでキャプテンなら、
メディア対応の練習もしとけ”ってさ。」
その話を聞いて、友達はようやく思い出した。
そういえば、前に二年の先輩たちが新聞を見て爆笑していた――
たぶん、あれは藤田先輩のインタビュー記事のことだ。
秋季大会では、ベスト8に進出したチームが
試合後に記者の取材を受けるのが恒例だ。
人前に出るのが得意ではない藤田迅真にとって、
それが人生初めてのメディア対応だった。
あまりの緊張で顔はさらに怖くなり、
受け答えも、見事にボロボロだった。
記者:「五回の勝負打の場面、どんな気持ちでしたか?」
藤田:「……その、みんなが繋いでくれたので、自分は打つだけでした。」
記者:「なるほど。普段の練習で意識していることは?」
藤田:「……その、自分は打つだけでした。」
記者:「では、ベスト8入りを決めた今の心境を。」
藤田:「そ、その……打球が、出ました。ありがとうございます。」
翌日の地方紙には、
そのままのコメントが堂々と掲載された。
決勝打を放ったのは主将の藤田迅真(二年)。
八回表、センターオーバーの二塁打で勝利を呼び込んだ。
試合後、藤田主将はやや緊張した面持ちで、
「……その、みんなが繋いでくれたので、自分は打つだけでした」
と控えめに語った。
「だから今回は、田中先輩に頼んで
“インタビュー模範回答ノート”を作ってもらったんだ。」
藤田は大きくため息をついた。
キャプテンになるとは思ってもみなかったが、
まさか“取材練習”まで課されるとは夢にも思わなかった。
「みんなが戻ってくる前に、ここで練習しておくつもり。
……だから、見るなよ?
あと、誰にも言うな。」
そう言って顔を赤らめる藤田の表情は、
普段の“恐面”と相まって
なんとも言えない違和感を放っていた。
南極と友達は思わず目を合わせ、
吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「エースって、こんなに大変なんだね。」南極が言った。
「まあ、藤田先輩は野球のことしか考えてないし。」友達も笑いながら返す。
二人は歩きながら、藤田のことを思い出していた。
新聞の小さな記事に“坂海工ベスト8”と書かれているだけでも嬉しい。
けれど、ネットニュースでわざわざ藤田迅真を取り上げたということは、
彼がこの坂海工という町の中でも、確かに“高校野球”の世界で知られているという証拠だ。
――どこにいるかじゃなくて、“見られること”。
「南極も、エースを目指してるんでしょ?」
「うん! 俺、もっと投げたい!」
「じゃあ、いつか南極と俺と、あと宇治川。
その時はライバル同士だな。」
そう言って笑う友達の顔を見て、
南極は何故かその言葉の意味を考えた。
「……ライバル?」
「そう。俺、本気で投げ合いたいから。
その時は、手加減すんなよ。
俺、全力でお前を倒す。」
「……え?」
※※※※
南極は思わず立ち止まった。
友達が読書会の部屋の引き戸を開けると、
流星たちが一斉に顔を上げた。
「どこ行ってたんだよ! 一番危ない成績のくせに!」
「次のテスト、落ちたら部活禁止だぞ!」
友達は苦笑しながら席に戻り、
南極もその隣に腰を下ろした。
けれど、頭の中ではまだ
“俺、全力でお前を倒す”という言葉が鳴り響いていた。
「……大丈夫?」隣の小林が、水筒を差し出す。
「台湾の高山茶。飲む?」
「ねぇ、小林。野球って、一度に投げられるのって一人だけ?」
「ん? 試合中の話? まあ、そうだね。
でも投手にもいろいろいるよ。先発、中継ぎ、抑え……。
でも一番注目されるのは、やっぱり“エース”かな。
――飲む? これ、友達の味だよ。台湾のお茶葉。」
「友達の味……?」
南極は湯気の向こうに、
淡い金色の液体を見つめた。
小林の言葉はどこか変だったけど、
南極は素直に受け取って一口飲んだ。
日本茶よりも軽く、ほんのり甘い。
(やっぱり……)
友達は新しい参考書を開き、黙々とノートを取っている。
南極はどうしても、そこから離れられなかった。
気づけば、また少し身体を寄せていた。
「うるさい。今集中してる。」
友達に押し返されながらも、南極は小さく笑う。
(やっぱり俺は――)
――友達とは、ライバルになりたくない。
もしできるなら。
二人で、エースになれたら。
そう思っていると、
友達の小さな声が聞こえた。
「あ、答え間違えた。」




