第十八章 期待されない公立校
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
連続で日本の高校野球の試合を観てきた林友達は、もうこういう雰囲気に慣れると思っていたけど、それは思い上がりやった。
今日は平日。台湾の高校野球やったら、地区大会で観客が百人も来たら十分やし、たいていは選手の親か友達くらいや。休日やとまだマシやけど、平日なんて観客席はガラガラで、野球部員と猫二、三匹しかおらんのが普通や。
坂海工の最初の二試合もまさにそんな感じで、せいぜい数百人の観客が球場に来て、友達たちは自分たちの野球服か制服で、ママ応援団と一緒に先輩たちを応援してた。
けど今日は全然ちゃう。バスを降りて、慣れた手つきで先輩たちの道具やクーラーボックスを球場に運び込んでたら、観客席が人で埋まってて、前の試合にはなかったガヤガヤした空気が満ちていた。
「今日って、休日ちゃうよね?」
友達は席がいっぱいになってる様子に目を丸くしながら、信じられへんって顔して言う。
「友達くん、こんな雰囲気、初めてか?毎年、強豪校と当たる時はだいたいこうなるで。」
応援担当の中西先輩が笑いながら言う。「心配せんでええわ、ここにおる人ら、みーんな桐蔭目当てやから。」
「桐蔭…桐蔭高校か?めっちゃすごいやん!」
横の南極も初めての大観衆にワクワクした顔してる。
一年生の友達と南極が初大舞台に圧倒されてるのを見て、中西は得意げに「そのうち自分らも強豪と当たるたび、こんな空気経験するで。しかも桐蔭の吹奏楽部も出て応援してるやろ、あっちに楽器運んでる女子ら見えるやん?」と指差す。
友達も目で追うと、確かにその通りで、桐蔭の選手の後ろには、楽器を運ぶ女子たちがずらっと並んでる。
「……これ、あんまりよろしくないんちゃう?」
ふと誰かが呟いた。
声の主は柴門玉里。栗色の長髪をさっと束ね、ゴムを口で咥えてぱっと結びながら、友達たちを見ずに独り言のように言う。
「ウチら、二試合とも観客おらんかったやん。けど桐蔭出てきた瞬間この人だかり、分かる?…これ、みんな桐蔭見に来てるだけやで。ウチらのこと、誰も気にしてへんねん。」
友達は玉里の言葉を聞いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
つまり、今この球場を埋め尽くしてる人たちって、みんな「大阪桐蔭がうちらをコテンパンにする」とこ見に来てるんやな――
坂海工を応援する人なんて、ほとんどおらへん。
何でもない普通の日やのに、友達は初めて「自分の学校」と「強豪校」との距離を思い知らされた気がした。
「なんや、たかが大阪の常勝チームやろ。他の人らも、そんなに持ち上げんでもええやん。」
髪をまとめ終えた玉里がぼそっと言う。「どうせ、あっちも全国から選手引っ張ってきてるし、お金あるからやん?」
「し、柴門さん、ちょっと言い過ぎちゃいますか……」
隣の榮郎が焦って玉里の袖を引っ張り、
田中まで「ちょ、玉里、声!」って慌ててるけど、玉里は全然気にせえへん。そのまま、南極の隣に座ってる宇治川翔二をじっと見た。
宇治川は、グラウンドに出てる桐蔭の選手をじっと睨んでいる。
玉里が小声で、「誰か探してんの?」と聞く。
「いや、さすがに一年で出番はないやろ。」宇治川が小さく首を振る。
「え、誰のこと?宇治川、桐蔭に知り合いおるん?」
空気を読まず流星が割り込むと、
隣の蓮が「お前、ほんま空気読めや……」とため息。
「え、なんかまずいこと言った?」
流星がきょとんとして言う。その様子は、隣にいる友達や南極も同じく「???」という顔。
小林が説明しようと眼鏡を直しかけたけど、田中廉太がそれを手で制して首を横に振った。
周りの観客席がガヤガヤしてるのに、坂海工側だけ、妙に静かやった。
「……まあ、しゃーないやろ。」
最後に場をまとめたのは、二年の中西亮太先輩だった。
「ウチ、一回も甲子園行ったことないし。相手は短期間で六回も出てるからな。そら、応援の数も桁がちゃうわ。誰もウチらのことなんて見てへんのも、仕方ないかもな。」
友達は中西先輩の苦笑いを見て思った。
――誰やって、「応援されへん」って、ほんまは嬉しいもんちゃうやろうな。でも現実は、坂海工と桐蔭が並んだら、そりゃみんな桐蔭につく。坂海工に野球部があるってことすら、知らん人の方が多いんやろな。
「せやけどな、今日はしっかり先輩ら応援するで!分かったか!」
中西先輩が、いつもより大きい声でみんなを鼓舞する。
「はいっ!」
みんな元気よく返事して、友達も声を合わせる。
――一年生の応援リーダーは中西先輩やし、自分が元気ない返事したら、せっかく盛り上げようとしてる先輩に悪いもんな。
でも、やっぱり……
(中西先輩……?)
ふと隣を見ると、あの能天気な中西先輩が、珍しく真剣な顔でグラウンドを見つめていた。
「……一回でええからな、桐蔭に勝ってみたいな。甲子園、行ってみたいな……」
ぽつりと、本音がこぼれる。
中西先輩のそんなボソッとした独り言を聞いて、友達はどんな顔をしていいか分からなかった。
そのとき、背中をバンッと叩かれ、振り返るとニコニコ笑ってる南極だった。
「もしかしたら田中先輩たち、勝つかもしれへんやん?先輩ら、めっちゃ頑張ってるし。」
「ほんまやな。」友達も相槌を打つ。
三年生の田中先輩も、二年の藤田先輩も、みんな毎晩遅くまで必死に練習してたし、何回も戦術会議や反省会をして、課題も修正してきた。運動のスタミナも、テクニックも、確実にレベルアップしてる。
今の先輩たちのチームなら、ほんまに大阪桐蔭とええ勝負できるかもしれへん……そう友達は思った。
入場後の礼と、南極が苦手な球場のサイレンが鳴り響き、大阪大会三回戦「坂海工 vs 大阪桐蔭」が、ついに始まった。
すぐさま目に入ったのは、桐蔭の応援団のすごい迫力。
ブラスバンドが鳴り響き、うちら坂海工の野球部員の人数と変わらんぐらいの応援団が加油棒をガンガン叩きまくってる。まるで甲子園みたいやった。
坂海工の先発は、二年の藤田じゃなくて、三年キャプテン・背番号1の田中央一。
桐蔭相手に本気やな、ってみんな思った。
田中廉太も、スタンドから兄の緊張した顔をじっと見つめている。普段の柔らかい兄貴とは全然違う。
久々に見る大兄のあの表情――
央一は捕手・佐島真晴先輩のサインに頷き、最初の球を投げる。低めのボール球でバッターを誘ったが、相手は見逃し。二球目も同じコースの速いスライダー、これも見送り。三球目、さっきより速い球を投げ込むと、桐蔭のバッターが振って空振り!
球速は146km。田中、今日めっちゃ調子いいみたいやな。
白井先生も、田中のピッチングを食い入るように見ている。
藤田迅真は、早々にブルペンで肩を温めてる。
万が一に備えて、三振を奪えるのはもう彼しかおらん。
白井先生は、田中に一イニング20球以内、できれば15球以内に抑えてほしいと願ってる。でもすぐにまたボール球が増え、カウントはツーツー(2ボール2ストライク)になった。
三球目、またもスライダーで見事三振!坂海工ベンチとスタンドは大歓声に包まれる。
「ふぅー……」田中央一は深呼吸しながら、一死を示すハンドサインを出す。
次にバッターボックスに立つのは、体格のいい桐蔭の強打者。まさにホームランを狙うタイプや。
――やっぱ、桐蔭って化けもん揃いやな。
捕手・佐島はそう思いながらも、絶対に退かんと自分に言い聞かせてた。止瀉薬まで飲んで、央一と甲子園行くって中学のとき約束したしな。
案の定、またボール球で打者を誘うけど、これがヒットになった!
外野が素早く処理してセカンドへ送球、一死一塁に。
桐蔭応援団が「ドッツ」と呼ばれる短いファンファーレを10秒ほど演奏。
これはヒットの時によく鳴らされるお祝いの曲や。
「やっぱり振ってきたか。」白井先生はつぶやく。
昔から私学では「ボール球を打つ」練習は当たり前。
打撃の幅が広がるし、「処理できるなら打つ」という方針。
田中のボール球も、桐蔭クラスには通じへんみたいやな――
「本当は田中も相手を探ってるつもりやろうけど、逆に相手も田中を試してるわけやな、白井先生。」
「高橋監督……」
監督・高橋城之が横から声をかける。
白井先生は、監督がキャップを外して顎を撫でるのを見ながら、耳を傾ける。
「君も分かってるやろう。こういう強豪校には、必ず“ボール球攻略専門”のコーチがいて、壊れたボールの徹底指導をしてる。言い換えれば、“対策班”や。相手は、田中の本当の実力を逆に探ってきてるわけやな。」
ボール球(壞球)は、相手を欺く戦術でもあり、打者を試す方法でもあるけど、同時に「こっちにも脅威があるぞ」ってアピールできる球種や。捕手と投手のコンビネーションと経験値も問われる場面やな。
白井先生は、桐蔭が坂海工のピッチャーに脅威があるか見極めようとしているのを感じてた。
さっき田中の投げたボール球――あれは相手からしたら「拾って打てる美味しい球」に分類されたやろう。
これは坂海工にとって、あんまり良い傾向じゃない。
続くバッターにも田中のボールが打たれて、一死一二塁に。
応援の声もどんどん大きくなって、守備側の友達はめっちゃ緊張し始めた。
でも南極は、逆に相手の応援音楽を聞けば聞くほどテンションが上がってるみたいで、二人のテンションが全然ちゃう。
「田中先輩のストレート、全然伸びてへんなあ。」宇治川が言い出した。
一年生の投手候補三人組――宇治川、友達、南極で、内心そわそわ議論が始まる。
南極は経験が浅いけど、友達は投球の話題になると宇治川と意外と気が合う。
「遅いわけやないけど、140キロ近く投げても、強豪校には“おいしい”ストレートやねん。さっきから田中先輩、ほとんどカーブばっか投げてるやろ。
一番安定してる持ち球やから、勝負に使ってるんやろな。」
安定感だけで言えば、田中先輩のカーブもスライダーも抜群やけど、その分だけ弱点もはっきり出てくる。
「安定してるってことは、軌道の変化が――」
「うん、逆に“見慣れる”とか“得意な打者”にとっちゃ打てない球やない。打球の落ちどころ次第ってことやな。あっ!」
再び打球が飛んだ!今度は高めのフライ、坂海工の外野がしっかりキャッチしてツーアウト。でも桐蔭のランナーは二三塁へ進塁。どんどんピンチが広がっていく。
「まだ一回やで……」宇治川は思わずぼやいた。
桐蔭の三年生、ほんまに強い。
やばいな――自分のカーブを見切られるのは、時間の問題って思ってたけど、まさか一回で来るとは。
田中央一は腕で汗を拭き、捕手・佐島のサインに首を振った。「これ、試してみたい」って仕草。
佐島は内心渋い顔してたけど、防具で隠れて誰にも見えへん。
――もうそれ出すんか?
佐島は思ったが、まだ一回やし、全部見せるタイミングやないと思ってた。
「うーん……わからん。」
南極は田中先輩の投球をじっと見ていて、今回はボール球じゃなくて内角チェンジアップを選択。
相手の四番がスイングしたが、ファウルボール。
友達と宇治川は、南極が何に悩んでいるのか気になって尋ねた。
「日空、どないしたん?」
「田中先輩、なんでボール球やめてしもたんやろ……?」
南極は、不思議そうな顔で問い返した。
「せやけど、相手にはもう“うちらの初球は大体ボール球や”ってバレてるから、続けても意味ないんちゃう?」宇治川が言う。
「やっぱり、まだ様子見したほうがええんかな?」友達が言う。
二人のやり取りに対し、南極は首を横に振った。「うーん……」とうなって、どう説明すればいいのか悩む様子。
「打たれてもええやん?フライでアウトになれば十分やろ?」と、南極がつぶやいた。
「どういう意味?」
友達も宇治川も首をかしげる。南極は懸命に伝えようとして、困ったように笑った。
「僕は大暴投しかできへん人やけど、もし田中先輩やったら……相手が初球ボール球って知ってて、なおかつ“ボール球でも打てる”感じなら、ちょっとだけ調整してストライクゾーンに近づけて……」
もともとボール球やったものを、ちょっとだけ“ストライクっぽく”することで、打者にとって“打つべきか、見送るべきか”を迷わせる。その結果、打ってもフライアウトになる可能性が上がるし、迷って見送ればボール判定。でも振ればポップフライにもなる――南極はそう言いたかった。
「なんで田中先輩は、そうせえへんやろな?」南極はマウンド上の田中をじっと見つめる。
「いや、それは……ちょうどバッターのスイートスポットに入ったら、自殺行為やで。」
宇治川がやや鋭い口調で言い、友達の方を見る。宇治川は、友達も自分と同じ考えやと思ってた。
けど、友達は少し違う意見だった。
「ちゃうで。もし田中先輩が“ストライクに近づける”やなくて、逆に佐島先輩がもっと分かりやすいボール球にしたとしたら……次の球で変化球かストレートを混ぜて、相手のタイミングを崩せるやろ?」
南極の“打者誘導”の意図に気づきかける友達。自分が思っていた“打たせてアウト”とはちょっと違う。南極は「打たせる/打たせない」じゃなくて、「リズムを崩す」ことにこだわっているのかもしれない。
「やっぱ、俺、考え甘かったんかなぁ。相手に打たせて、なんか変な感じにさせるだけやと思っててんけど。」
南極は頭をかきながら苦笑した。「やっぱり、もっと勉強せなアカンな。」
「リズム崩せたら、一気にこの回終わるかもな……」
友達がぼそっとつぶやく。南極から「三振を取る」や「絶対打たれない」みたいな発想じゃなく、“攻撃側のリズムをいかに壊すか”という話が出てきたのは、ちょっと意外だった。
……だって南極が本格的に野球始めて、まだ三ヶ月ちょいやのに。
そのとき、バットが再び快音を残して球をはじき返した。
打球は内野を抜け、外野手が追いかけるが捕球できず――大阪桐蔭のランナーがホームイン。スタンドには桐蔭応援団の大歓声が響き渡る。
人数の少ない坂海工サイドは、完全にその声援に飲み込まれてしまった。
なんとか次のバッターを内野ゴロで抑え、ピンチはしのいだが、第一回は大阪桐蔭が1点先制。
たしかに一点失ったものの、なんとかこの回は切り抜けた。友達はホッと胸をなでおろす。しかし、大阪桐蔭の本当の強さは、まだまだこんなもんじゃない。試合が進むにつれて、坂海工の打線は全くつながらず、ほとんど三者凡退で終わってしまう。逆に、田中先輩の投球は徐々に打たれるようになり、ボールも増えてきた。一回の投球数は二十球をあっという間に超え、三十球近くにもなった。田中は肩で息をしながら、桐蔭打線をどうしても抑えきれない。
「白井。」
高橋監督が静かに言う。白井先生は頷き、球審にタイムを告げに行く。その間、監督はベンチの選手に声をかけた。
「藤田、用意せえ。交代や。」
「ここにいます、高橋監督。」
藤田と、一緒にブルペンで肩を作っていた佐久間が現れる。監督の声が聞こえた瞬間、田中と目が合う。田中は汗だくで、せめて七回までは……と思っていたが、もう五回で限界だった。
五回裏、坂海工は依然として無得点。大阪桐蔭は既に六点目を挙げていた。スコアボードの数字は大きく開き、スタンドからは桐蔭の応援団や観客の声援がさらに響き渡る。場内アナウンスが優しく告げる。
【ピッチャー交代のお知らせです。坂海工業高校、ピッチャー田中くんに代わりまして、背番号10番、二年生・藤田迅真くん。】
「悪いな、藤田。こんな状況で投げさせてしまって、情けない……」
「いえ、先輩お疲れさまでした。試合はまだ終わってません。」
「そうや、試合はこれからや。頼むで、迅真!」
「はい!」
田中央一は藤田迅真にボールを託し、藤田は一礼してマウンドに上がる。捕手の佐島先輩と軽くキャッチボールで肩を慣らす。その姿をベンチで見守る佐久間の表情は硬い。
「本塁に立てへんのが悔しいんやったら、自分が本塁に立てる捕手になるよう努力せえ。」
隣に座った高橋監督が佐久間に声をかける。「怒りたい時は怒ってええ。でも、お前が本当にわかってる人間やって、俺は信じてるで、佐久間。」
「……はい。」
佐久間には、監督が言いたいことは痛いほどわかっている。捕手の佐島先輩が6点差でも落ち着いて試合を仕切る一方、今の自分にはその冷静さがない。藤田と本当のバッテリーになれない自分への苛立ちだ。
これは佐島、田中だけじゃなく、白井先生や田中龍二からも何度も言われてきたことだ。
「いくら言うても無駄やろけどな。佐久間、今マスクかぶってるのはお前や。迅真に合わせてやるんやなくて、お前自身がバッテリーを引っ張る捕手になれ。変わるのは自分やで?」
龍二はそう言った。
バッテリーは「夫婦」と呼ばれる。それはお互いに“我慢”する関係やなく、“阿吽の呼吸”でつながる関係やからや。
頭では分かっている。けど――
「おっしゃ!やったー!」
「おおお、ナイスや!迅真アニキ!」
村瀨の声と、ブルペンの二、三年生、そしてスタンドの一年生たちの歓声が重なる。みんな、藤田迅真のピッチングに釘付けだ。藤田は力強く腕と肩を振り、大きな一歩を踏み込んで、150キロ近いインコースのスライダーを投げ込む。そのボールに、相手打者は全く手が出なかった。
【ピッチャー藤田、セットポジション……投げた!スイング、ストライクーッ!見事な三振!ワンアウト!】
男性アナウンサーが興奮気味に実況する。藤田は続けてインコースのスライダーで桐蔭の二番打者を三振、三番打者も同じくインコースから一球ストライク。しかし次もインコースなのか……?おっと、また145キロのインスライダーだが、今回は低すぎてボールの判定。さあ、ここでまた勝負球はインコースか……!おお、来た!同じくインコース、だが今度は打たれた――が、ファウル!阪海工の外野手がダッシュで追いかけて――どうだ!? おっと、レフトが手を挙げて――キャッチ!ナイスキャッチ!これで阪海工は、藤田選手と外野手の連携で六回表をしのぎ切った!
「やっぱり藤田を出してきたな……」
シャツの袖をまくった、どこかタバコのにおいを纏った中年のおっさんが記者席でつぶやく。首には記者証、手には小さなノートでメモを取っている。その隣では、巨大な望遠レンズのカメラを構えた女性カメラマンが、藤田のアップを何枚も撮っていた。攻守交代の合間、カメラを下ろして顔を見せる。キャップ姿の女性だ。
「さっき先輩が『惜しい』って言ってたの、あの子ですよね?」
彼女は藤田の投球時の殺気立った表情を見て、ぽつりと呟いた。「まるで誰かを殺しにいく顔。」
「武士や、ほんまに。時代劇の侍が斬りかかるときの顔してるやろ。」
メモを取りながらおっさんは言う。カメラマンが撮った写真を覗きこみ、「ええ表情やな、でもな、坂海工やと力出しきられへんやろな。惜しいわ。」
「谷口さんもやっぱり、『強豪校が一番』派ですか?」
女性カメラマンは軽く笑って、ちょうど顔が歪んだ藤田の写真をモニターに出した。
「強豪校至上っていうより、現実やな、安藤。現実は今の坂海工と桐蔭のスコアそのまんまや。もし藤田が履正社や智辯和歌山にいたら、今ごろ甲子園で桐蔭とバチバチやり合ってる――そんな想像したら、ほんまにもったいない思うんや。」
谷口編集とカメラマン安藤は、『潜入!野球郎ジャーナル』大阪支部の取材班だ。高校や大学野球を専門に追っかけるネットメディアで、近年はSNSやネット記事の拡散で話題になることも多い。友達が春のセンバツで田中先輩の取材記事や藤田迅真の写真を見たのも、実はこの二人の仕事だった。
「先輩の言うことも分かるけど、毎年おんなじ強豪校ばっか出てきても、正直ちょっと飽きるっちゅうか……」安藤が帽子をくいっと上げて言う。「努力は認めるけど、やっぱり“ジャイアントキリング”みたいな番狂わせが欲しいんすよね。最近アクセス数もパッとせぇへんし……」
「おっ、やっぱりおるわな。学生野球取材といえば『野球郎』抜きじゃ語れんわ。」
「原さん!お疲れさまです!」
歩いてきたのは、小太りで白髪交じり、白シャツにスラックス、眼鏡の“原さん”。老舗高校野球雑誌の近畿地方総編集長で、もう何十年も高校野球一筋の伝説的な人物。谷口や安藤なんてキャリアもまだ浅い若手編集者に過ぎない。
「もう、敬語やめろって何回言わせんねん。」原さんはニコニコしながら、コンビニの袋からアイスパック付きのペットボトルを取り出し、手渡してくれる。「最近の夏はほんまに暑いからな。球児だけやのうて、われら取材班も水分補給せんと、熱中症で倒れるで。」
「ありがとうございます、原さん。」谷口はやっぱり敬語を崩せない。
(いくら原さんが「敬語やめろ」言うても、職場では無理やわ……大先輩やし。うちみたいなベンチャーが、老舗雑誌編集長と仲良うしときたいのも、当然や。)
「編集部から聞いてんけど、桐蔭ばっかり注目される中で、谷口くんは坂海工業に目を向けてるって。」
「いえ、そんな大げさなもんやないですよ。ただ……最近は、強豪校からのスカウト断って地元公立に残る選手も増えてきてますし、坂海工もここ数年、ちょっとずつ勢い出てるんです。特に今投げてる二年生――藤田迅真くん、将来的にエースになると思いますよ。」
「藤田くん、か……」原さんはグラウンドに目をやる。今は坂海工の攻撃だが、あっという間に一人アウト、桐蔭の投手から点を取る気配はまだない。
そして原さんは再び谷口に微笑みかけ、「今日ここで阪海工を話題にしたの、君と俺ぐらいやな。なんや、ちょっと面白なってきたわ。」
「唯二?」谷口が首を傾げると、原さんの隣にいた若い男の子が、ちょっと恥ずかしそうに手を挙げて言った。「あの、すみません、僕も今日原さんと坂海工について話してました。」
その声に反応したのは、さっきまで撮影してた安藤。「あっ、あなた、『吉田珈琲野球屋』の配信主さんじゃないですか!」
「はい、どうも吉田珈琲です。こんばんは、吉田珈琲野球屋へようこそ。今夜も一杯のコーヒーとともに、今週のプロ野球をゆったり語っていきましょう。」
「そうそう、それそれ!私、あなたのチャンネル登録してますよ!」安藤カメラマンが思わずテンション上がる。
吉田珈琲――ネットで日本のプロ野球・アマ野球を語る配信主。チャンネル名は「吉田珈琲野球屋」。カフェのカウンターでコーヒーを淹れつつ、野球の話をするのが定番だったが、最近は高校・大学野球も幅広く取り上げ始めている。
(誰や……?)谷口はぽかんとしながら、「ネット配信って?」
「谷口さん、今はこういう自分で情報発信するYouTuberとか配信者が、若い子にめっちゃ人気やで。吉田くんなんか、さっきスタンドで学生に囲まれてサイン攻めにあっとったわ。」原さんが楽しそうに言う。
「そうなんや……吉田さん、すまんな。ワシみたいなオッサン、動画とかよう分からへんのや。」谷口は名刺入れから名刺を取り出す。ところが、意外にも吉田もカラフルな名刺をスッと差し出した。「あ、野球郎さんですね!実は僕、メンバー登録してます。ご挨拶遅れてすみません!」
「えっ、ウチのこと知ってるん?」谷口は驚いた。
「はい、いつも拝見してます。強豪校だけじゃなくて、いろんな地方校や公立校も取材されてるので、すごく参考になります。僕も、そういう学校にこそ隠れた逸材がいると思ってて。」
(面白い奴やな……)
最初は「若い子やな」と思っていた谷口も、一気に親近感が湧いた。早速、核心を訊く。「原さんから聞いたけど、君も坂海工を注目してるんやろ? 何か面白い選手でも見つけたんか?」
そう聞かれた吉田は、さっきまでの軽い雰囲気から一転、真剣な目で胸の記者証をもてあそびながら言った。「今回は田中央一が中心選手ですが、春のセンバツのパフォーマンスを見る限り、藤田迅真の方がポテンシャルを感じます。投球の力や技術は、強豪校のエースに負けてない。でも……今の坂海工には、藤田くんと噛み合う捕手がいない気がして。」
「確かになぁ。捕手って、投手やバッターよりも、強豪校から公立校で目立つのは難しいポジションやしな。」谷口がうなずくと、吉田もまた静かにうなずいた。
「じゃあ、君は藤田迅真のバッテリーが、今後の坂海工の中心になると思ってるのか?」谷口編集長が尋ねたが、吉田は少し黙り込む。数秒してから、静かに口を開いた。
「実は……僕、藤田くんの後輩――坂海工の一年生について、もっと語りたいことがあるんです。」
「藤田の後輩?」谷口も少し考え込む。確かに、一年生、それも公立の地方校となると、今この段階で注目されることはまずない。普通は、来年以降の秋の明治神宮大会や冬の交流戦、春のセンバツのタイミングで取り上げられる存在だ。
「今、藤田くんの後輩に注目するのは、正直早すぎるんちゃうか?」隣の原さんもそう言う。
「最初は僕もそう思ってました。でも、僕のチャンネルによくコメントくれる常連のリスナーさんがいて、その人から有料メッセージが届いたんです。めっちゃ野球好きな方で、南大阪の高校野球に詳しい。その方がこう書いてたんですよ……」
南大阪の公立校は北大阪ほど注目されへんけど、実はこの春、南極基地から帰国したある少年が大阪南部の高校に入学する。その子は現地生まれで、野球大好き。中三の時点で140キロ以上投げる「化け物」らしい。南極基地にいた自衛隊のお兄さんたちの間で、彼はこう呼ばれてた――
「令和の怪物。」
「れいわの……かいぶつ?」谷口と原が思わず声を揃える。
吉田は頷く。「このメッセージ、スクショして今でも大事に残してます。実はずっと選手データも探してたけど、なかなか見つからなくて……でも今日、ついに会えた気がするんです。」
その時は、トイレに行った後やった。手を洗っていると、後ろから子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。最初は気にも留めなかったけど、ふと鏡越しに巨大な野球バッグを背負った男子生徒が通り過ぎるのが目に入って。
「今の高校生、発育すごいなぁ……」と半分呆れて見てたら、その大きな子がバッグを外して、背中の汚れを落とそうと洗面台で一緒になったんです。
思わず目が合って、ちょっと気まずかったけど、その子は満面の笑みで「こんにちは!」って元気よく挨拶してくれて――
「こんにちは。」
「うん、こんにちは。」
少し気まずい感じで挨拶したあと、吉田珈啡はその生徒の野球バッグに付いた名札に気づいた。そこには、こう書かれていた――
『日空 南極』
「日空南極……令和の怪物やな。」
谷口編集長は呟きながら、手元の双眼鏡を取って、スタンドの端にいる坂海工の選手たちを探した。ユニフォーム姿の生徒たちは数えるほどしかいない。その中に、吉田が言っていた背の高い少年の姿を発見する。その隣には、どう見てもひときわ小柄な選手が並んでいる。……あれ、あの子、165センチもあるかな?
谷口はぼんやり考えながら、吉田に聞いた。
「吉田くん、どう思う?こういう異名を持つ選手、高校野球で旋風を起こすこと、あるんやろか。大社とか金足農の時みたいにさ。」
吉田は軽く笑いながら答えた。
「いや、それ以上かもしれませんよ。もし本当に彼らが大阪の桐蔭を倒して、甲子園で優勝したら――それはもう、旋風どころやなくて……」
「……台風襲来やな。」




