第十五章 遠征に興奮する野球少年たち
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
男は目を見開き、汗だくでいきなり上体を起こした。身につけているのはトランクス一枚だけ。
また悪い夢を見たらしい。しかし、驚いて目覚めた後は何も思い出せず、耳に残るのは自分に向かって風を送る扇風機のブーンという音と、足を伸ばせばすぐに雑多な物に当たる、散らかった畳数枚分の襖のある和室の感触だけだった。
男にかろうじて残っている記憶は、昨夜残業して帰宅し、薬を飲んだあとはぼんやりして、後は何かよく分からない夢で死ぬほど怖がったということくらい。
男はあくびをしながら時計を見ると、朝の時間帯だった。土曜日なのに、久しぶりにこんな時間に起きたな、と意外に思う。普段ならこの日は午後まで寝ているはずだった。
「まさか……変な夢のせいで早起きしたのか?」
男はそう呟きながらリビングに向かうと、制服を物干し竿から外して着ている人影が見えた。
「あ……蓮か?」
男は、制服を着ている蓮と、横に置かれた年季の入った野球用ショルダーバッグを見て、思わず口をついた。
「土曜日まで部活か?本当に熱心だな。」
「いや、今日は先輩たちの試合の日で、一年生は応援だけだよ。」蓮は阪海工の制服を着ながら、無精髭と寝癖だらけの男を気にも留めずに言った。「今日は珍しく早いね。普段なら午後まで爆睡じゃん。オヤジ、昨日ちゃんと薬飲んだ?」
その顔からして、飲んでないのは明らかだった。蓮は古い冷蔵庫の上に貼ってある小さなカレンダーを指差した。そこには薬を飲む日や病院に行く日がメモされている。そして蓮は薬箱を男の前に置いて言った。
「毎回言わせないでよ。薬もタダじゃないんだから。」
「お前な、本当に親に対して少しも敬意がないんだからな……」
「パパ、尊敬できるところなんてある?」
蓮は父親の愚痴に全く動じず、淡々とそう答えた。
「……まあ、ないけど……でも、お前……口のきき方が生意気すぎる……」
子どもは大きくなるほど可愛くなくなるって本当だな、と男は蓮を見ながら思う。でも、かつては小さなガキだった蓮が、今では自分より背も高くなり、その顔――無意識に男は蓮の顔に手を伸ばし、ぼそっと呟いた。
「本当に……彼女にそっくりになってきたな……」
「……お父さん、朝からそんな嫌なこと言わないでよ。」
蓮は父親の言葉に不快そうな顔をしながら、野球バッグを背負って玄関に向かい、散らかった靴を見下ろして父に言った。
「最近、あのオバサンの靴見かけないけど、またフラれたんじゃないの?オヤジ。」
「な、何がフラれただ!あの女が悪いんだよ……って、ちょっと待て!お前、そのことどうして知ってるんだ?おい、蓮!ちゃんと説明しろ!」
男はまさか息子が自分の彼女のことを知っているとは思わず、玄関まで追いかけて問い詰めた。しかし蓮はドアを開けながらため息をつき、
「なんでオレが説明しなきゃいけないの?パパだって女を家に連れてきても、息子のオレには何も説明してくれなかったじゃん?」
と、わざと父を怒らせるようなことを言った。
最終的に父の顔は赤くなり、怒りまぎれに一言、
「じゃあ、出て行け!」
と言い放った。
「言われなくても出ていくよ、クソ親父。」
蓮は家のドアをバタンと閉めて出ていった。
浅村 蓮――中年の独身父と、どれだけ年数が経ったのか分からないほど古いアパートで暮らしている。昔は三人家族だったが、幼い頃、母親が父親と口論した後、家を出てそのまま帰ってこなかった。
蓮が中学生になってから、近所の噂話で、両親の離婚は母の浮気が原因だったことを知った。その後、父親は酒に溺れ、時折違う女性を家に連れてくるようになり、自分に息子がいることなど完全に忘れたかのような生活になった。
「ったく、昼まで寝てると思ったら、朝から顔を見る羽目になるとはな。」
蓮はそう呟きながら自転車に乗り、学校へ向かった。
通学路は必ず流星の家の前を通ることになるので、蓮はいつも流星の家に寄って、寝坊助の流星を起こしていた。
「よお、宇治川。」
蓮はすでに流星の家の前に来ていた宇治川に声をかけた。
「おう、蓮。」
同じく自転車で流星家の前の一軒家に着いた宇治川を見て、蓮は言った。
「流星、まだ寝てんじゃねえの?」
「もう起きてるよ。二階から物音がしてるし、多分今ごろ慌てて着替えてる。顔も洗わずにそのまま出てくるかもな。」
「はは、汚ねえな。てか、家に入ればいいのに。流星にドア開けさせてさ。おーい!流星、まだ?時間かかるなら、先に俺と宇治川が入るぞ。顔も洗わないでそのままかよ、汚いガキだな!」
「うるせーな、うっとうしい!」
インターホンの向こうから流星の不機嫌な声が聞こえてくる。
数分後、制服をめちゃくちゃに着て、顔には洗い残しの水滴をつけた滑稽な姿の流星が現れ、蓮と宇治川に笑われるのだった。
今日は坂海工野球部の「全国高等学校野球選手権大会・大阪大会」第二試合の日だ。午前十時半から、大阪・堺市の原池公園野球場(くら寿司スタジアム堺)で、佐野高校と対戦する。佐野高校は、野球部の雰囲気が良い、中堅クラスのチームだ。
「今年から南北の区分けがなくなったから、南のチームにはちょっと不利だな。」
バスの前の席に座る白井先生が言う。高橋監督は白井先生がまとめた対戦表を見ながら、ただ微笑んで答える。
「当たる時は当たるさ。南区だろうが北区だろうが、最後には勝負しなきゃいけないからね。」
「それはそうですけど、もし何試合か多く勝てたら、みんなの自信にもなるのに……」
白井先生は手に持った、自分と三年生の田中で何晩もかけてまとめた資料と、相手投手の攻略法を見つめている。
一年生の林友達は、野球部の仲間と一緒に、先輩たちの用具をバスのトランクに運んでいる。今回は二年生に怒鳴られることも時々あるが、明らかに前回よりも慣れてきた様子だ。
大きな荷物を片手で持ち上げる日空は、胸の高さほどしかない友達が目の前をちょこちょこと走り回るのを見て、南極にいた時に獲物を捕るペンギンを思い出し、「リーダーって本当に大変だなぁ」とぼそっと呟いた。
「日空、君はいつも林友達のことをよく見てるよね。」
「ん?ああ、台湾の小林か。」
メガネをかけた小林が荷物を運びながら声をかけてくる。小林の目線も、忙しそうな友達の方をチラチラと見ている。
「台湾の人は、何でも早く終わらせたがるみたいで、順番通りにやるのはあまり好きじゃないんだね。」
小林がそう言うと、
南極はうなずいて、友達が自主練する姿や、自分に教えてくれる時のせっかちな表情を思い出しながら、
「確かにそうかも。友達はいつも何かを急いでやろうとするよ。」
と答える。
「日空は、台湾人と一緒に暮らすのってどんな感じ?」
小林が聞き、南極の方を見る。
その質問に、南極はまた重い荷物を持ち上げながら考えた。台湾人=友達と一緒に暮らすのはどんな感じか。自分が友達を誘って一緒に床で寝ようとしても、友達は毎回断る。でも、友達が興味のある話をすると、気が付けば隣に寄ってきたりもする。
「時々は抱きしめられるけど、時々は怒って逃げていく。ほんと、分かりにくいんだよな。」
南極は、子供のころ南極基地でペンギンのヒナを抱きしめようとして、最後は無視されて通り過ぎられたことを思い出しながら、
「個性的だよ!」
と締めくくった。
「なるほど、台湾人ってツンデレ属性なんだね。」
南極の説明を聞いた小林は、また一つ奇妙な台湾知識を獲得して満足そうにうなずいた。
「小林、そんなに台湾が好きなら、友達と友達になればいいじゃん。」
「僕が?」
南極に言われて、小林は少し困惑した顔で答えた。
「僕と友達は、まだそんなに仲良くなってるわけじゃないし……それに、僕と友達になるのは、友達にとって迷惑かもしれないよ。周りの人たちは、僕のこと台湾に夢中な変なやつだって思ってるし。」
「君は台湾が好きで、友達は台湾人。それなら、友達になればいいじゃん?」
南極が明るく笑うと、小林は彼を見つめ、眼鏡を押し上げながら視線をそらし、少し恥ずかしそうにこう言った。
「好きって気持ちがあっても、距離感って大事なんだ。あまりにも近づきすぎると……いや、近づきすぎるのはちょっと恥ずかしいから。」
「そうなの?僕は友達のこと大好きだよ。抱き上げると抵抗されるけどね。」
南極が笑いながら言った。
「ある意味、君もかなり変わった人だね、日空南極。」
小林芝昭はそう言いながら、心のどこかで南極のように素直になれることを羨ましく思っていた。
―――――
高野連(日本高等学校野球連盟)のこれまでの慣例では、大阪のチーム数が多いため、南大阪と北大阪に分けて、最終的に南大阪チャンピオンと北大阪チャンピオンが対戦し、大阪代表を決めていた。昔から「北強南弱」と言われているのは、有名な私立強豪校の多くが大阪北部に集中しているためだ。たとえば大東市の大阪桐蔭高校、豊中市の履正社高校、興國高校などが挙げられる。
かつてはPL学園(名門校)が南地区にあったが、様々な問題で今はなくなっている。そのほか南地区は比較的中堅~下位クラスの野球部が多く、時折新星が現れるものの、高校野球の三年サイクルでは、なかなか戦力を維持するのが難しい。今年高野連が南北の区分をなくしたのは、北地区の強豪を分散させて戦力バランスを取るためでもあり、少子化や野球部数の減少も背景にある。コロナ禍や複数代表制を経て、今年は久々の南北混合トーナメントとなった。
だからこそ、白井先生が坂海工が早くも大阪桐蔭と当たることに眉をひそめるのも無理はなかった。着実に勝利を重ねていけば、強豪校のデータも集められ、より有効な戦術や攻略法も練りやすいのだ。
「今、桐蔭高校のことばかり考えてるんじゃないか?白井。」
「監督……それは……」
言い当てられた白井は少し気まずそうにしつつ、隣の席の高橋監督が彼の肩を軽く叩いて言った。
「今日の対戦相手は佐野高校だ。我々が時間をかけて会議を開き、佐野高校の攻撃と守備の対策を必死に考えたように、相手の選手たちもきっとこの試合に真剣に向き合っているはずだよ。白井、たとえ相手が強豪校でなくても、軽視したり油断したりするのは良い態度じゃない。君が話題にしたくないのはわかるけど、君がかつて『強豪校』で学んだ考え方は、これから少し変えていく必要があるかもしれない。」
「申し訳ありません、高橋監督。」
白井はうなずいた。確かに、今の時点で三回戦の大阪桐蔭のことを考えていたり、今日の相手には勝てるだろうと油断していたりするのは、自分が思っていた以上に傲慢なことだった。白井は、自分が卒業して何年も経っているにもかかわらず、今もなお強豪校出身の思考や価値観から抜け出せていないことに気づいた。桐蔭高校であれ、佐野高校であれ、どんな相手であっても客観的に、そして全力でぶつかるべきで、決して相手をカテゴライズしてはならない。
坂海工は一回戦で北淀高校と対戦し、最終的に『6対0』で勝利した。この試合では二年生の先発投手・藤田迅真が絶好調で、最初の三イニングで連続三振を奪った。一方、北淀高校も坂海工の投手を分析しており、「小技野球」を駆使し、バントや単打を絡めてランナーを進めて得点を狙ってきた。
小技野球――台湾では「小球戦術」とも呼ばれる――は、長打や個々の選手の技術に頼るのではなく、チーム全体の戦術を使って得点を重ねるスタイルだ。北淀高校は強打者が揃うわけではないので、こうした心理戦で坂海工に揺さぶりをかけようとした。実際、4回には内野安打と犠牲バントで一死二塁のチャンスを作り出した。
北淀高校はじっくりとランナーを進め、坂海工のペースを崩そうとしたが、藤田の我慢強さを見誤っていた。藤田は走者が出ても動じず、丁寧なピッチングでバッターを誘い出し、打者はボールを本塁後方のゴロにしてしまう。三年生捕手・佐島が素早くマスクを外し、転がった球を拾い上げて三塁・一塁へと送球し、ダブルプレーが成立した。
両校とも中堅クラスの実力を持っているが、坂海工の弱点は明らかだ。それは部員数の少なさであり、全員で約30名。スタメン9人に加え、二・三年生でベンチ入りできる控え選手も合わせて15名しかいない。
このため、二年生の藤田がローテーション入りし、三年生キャプテンの田中央一は三塁手として出場している。藤田はピッチングの合間に三塁方向をよく見ていたが、それは捕手だけでなく、キャプテンとともに球数や守備の戦術を常に確認していたからだ。案の定、相手は再びバントや犠牲打を使い、5回にも4回と同じく一死二塁の場面を作り出してきた。
「友達、また相手ランナーが出たよ!」
初めて現地で試合を観戦する南極は、まるで子供のように興奮して、坂海工の校章と同じ深海ブルーの応援バットを握りしめ、北淀高校が塁を進めるたびに少し緊張しながら友達を振り返った。
しかし、南極が気付いたのは、その時の友達がとても真剣な顔つきで試合を見つめていたことだった。日本人とは少し違う深い顔立ち、小さな体でベンチに座っている友達。その横顔が真剣そのもので、南極は思わずドキッとして、「意外とカッコいいな」と感じてしまった。
「藤田先輩と……佐島先輩なら、もう北淀の選手はこれ以上出塁させないと思う。」友達はそう言った。
友達の読みは的中していた。もう三回、北淀高校はバントや犠牲打で着実にランナーを出していたが、藤田先輩の変化球にはほとんど手が出ず、ストレートにも空振りやゴロ、ファウルが多くて、大きな脅威にはなっていなかった。
「四番と五番以外、佐島先輩は藤田先輩の得意なスライダーをほとんど配球していない。さっきからたった四球だけ、しかも内角へのスライダーは一度もない。たぶん、佐島先輩は次からこう組み立てると思う……」
まずは様子見のボール球で、相手が手を出すかどうかを誘う。
そして一球、内角への速球でゴロかファウルを打たせる。
もしバッターが手を出さなかった場合、三球目は低めのストレート。これは審判によってはボール判定されるかもしれないが、もし打ってきても内野ゴロになりやすい。三塁・一塁でダブルプレーも十分狙える。
万が一、審判がボールと判定した場合、藤田先輩はもう一度速いストレートで、バッターのタイミングを外すだろう。
南極は友達の話を聞きながら、藤田先輩の投球にじっと見入った。
三年生キャッチャーの佐島先輩が、ミットを少し外側に構えた。これは外角のボール球。しかしバッターは手を出してきた!スイングを取られてストライク。
次はやや低めの内角速球、バッターは手を出さず、審判はストライクの判定。
三球目、友達の予想通り、佐島先輩がキャッチングの動作を変えて、相手の応援が響く中、藤田先輩が投げる!低速のストレート。しかしまたしてもバッターは手を出さず、今回は審判がボールと判定。
ツーストライク・ワンボール。
そして、藤田先輩が次の投球をする前、南極は友達が身を乗り出しているのに気付き、友達が言った。「いや、違うかも。次はストレートじゃないはず。」
南極がその言葉を聞いた直後、藤田先輩はすでに投球動作に入っていて、バッターは明らかに驚いた様子でバントの構えが遅れて間に合わず、藤田先輩のギリギリのボールはしっかりと佐島先輩のミットに収まった。審判の判定はストライク!
全部的中とはいかなかったが、友達の読みはほぼ藤田と三年生キャッチャーの配球に合っていた。その洞察に南極は驚きを隠せず、さらに近くで聞いていた宇治川も思わず友達の方に目を向けた。
「緊張する?」
後ろの席の田中が笑いながら言った。「やっぱり自分もピッチャー志望だったからね。」
「小学校の時もピッチャーやりたいって言ってたな。」
宇治川が田中の小学校時代の話を持ち出す。
地方のチームはこんな感じで、昔からのことはお互いによく知っている。田中は宇治川の言葉を聞きながら、伸びをして言った。「だから早めに諦めたんだ。やっぱり兄貴やお前らみたいにはなれなかったし、投げるより打って外野に飛ばす方が最高だよ。」
「だよなー!ホームラン打つのってめっちゃカッコいいもん!」
同じくバッティング好きな流星も大きくうなずいて、隣の蓮に聞いた。「やっぱ打つのが一番だよね?」
「俺に聞くの?打つのも投げるのも悪くないけど、やっぱ一番は……ランニングだな。本塁に滑り込んで得点する瞬間が一番好きかも。」
蓮は少し考えてからそう答えた。バットに当てるかどうかより、塁に出て点を取ることが彼にとって一番の魅力だった。
この試合のあと、藤田は再び三振を奪い、この回を無失点で守り切った。その後も北淀高校はランナーを出すものの、得点には至らず、逆に坂海工は田中を中心とした三年生の打線が、五回・七回・八回・九回と計六点を奪い、初戦を突破した。
「やっぱり現地で野球を観るのは最高だな。」
二回戦の球場までは坂海工から一時間ほどかかる。バスに乗りながら南極が楽しそうに言った。先週、彼が初めて試合を観に行った時のことを思い出している。その隣で友達は、「球場に着いたら短時間でどうやって準備を進めればいいかな」と考えていたが、不意に手が伸びてきて、髪をぐしゃぐしゃに撫でられた。誰がやっているか考えるまでもなく、やっぱり南極だった。
「だから、頭を触るなって言ってるでしょ、全然聞いてないじゃん。」
とは言いつつ、別に本気で止めるつもりもないようだ。
「友達、昨日の予想すごく当たってたよね。さすがオレの師匠ッ!」
「なんか、その言い方、豊里っぽいな……」
友達は南極のちょっと中二病っぽい言葉に、「きっと流星から変なこと吹き込まれたんだな」と思いながらも、「師匠」と呼ばれるのはやっぱりちょっと恥ずかしかった。話題を変えようと、南極に聞いた。
「南極基地って、テレビとかないの?」
南極は少し考え、眉をひそめて言った。「あるにはあるけど、つまんない番組ばっかりだった。」
南極が「つまんない」と言っているのは、おそらく日米共同の南極基地で流されるNHKのニュース番組のことだ。南極は地理的な関係で、衛星の電波がほとんど届かず、低軌道衛星を使っても帯域は限られていて、軍事・科学研究が優先される。基地のテレビはほぼ毎日ニュースばかりで、年少の南極には退屈だったのも当然だ。
「観たい番組がある時は申請するんだけど、必ずしも見られるわけじゃないんだ。」
南極は少し寂しそうに、かつて野球中継を見たいと申請したことがあったが、資源が限られていたので叶わなかったことを話した。
それで、親切な自衛隊のお兄さんたちが長期休暇で日本に帰ったとき、南極のために野球のアニメや過去の試合のDVDを買ってきてくれたという。南極が一番よく話す黒川中尉も、昔使っていたグローブとバットを南極にプレゼントしてくれて、今も南極は自分の寮の机の上にそのグローブを大事に飾っている。
日空南極の野球知識は、ほとんどが基地で自衛隊員から聞いた話や、ビデオ・アニメで学んだものだ。投球の仕方もそうだし、日本のセ・リーグで阪神タイガースが日本一になったら、ファンが心斎橋の道頓堀川に飛び込む――そんな友達も知らないような不思議な知識まで持っていた。
「日空、お前はピッチャーになりたいんだよな。」
友達は南極を見て問いかけた。
「うん、エースになりたい。」
南極は即答した。友達は小さくうなずいた。
南極と競うには、自分の球速がまだまだ足りない――そう友達は思った。藤田先輩や高橋監督からフォームの改善や指導をたくさん受けて、投球に関するヒントも得てきたが、それでも坂海工で台湾から来た投手としては、林友達の球速はチームで一番遅く、最速でもまだ130キロを超えていない。
同学年で安定してスライダーを投げられる藤田先輩タイプの宇治川、そしてコントロールは荒いが一年生最速・140キロ超えのボールを投げる日空南極と比べると、このままでは2人には到底かなわないし、ましてやエースの座なんて――と思わずにはいられなかった。
「ここ、空いてるよな?村瀬。」
まだ音楽を聴いている同学年の村瀬の隣に、佐久間がどさっと腰を下ろした。その顔つきや座り方からして、村瀬智也(二年生)にもすぐ分かった――佐久間はまた何か話したいことがあるに違いない。しかも十中八九、藤田には話せない内容だろう。
こんな事は坂海工野球部の二年生・三年生ならみんな知っている「お約束」だ。一年生にはまだ分からないかもしれないが、いや、中学時代からのチームメイトなら察しがつくだろう。たとえば自分の後輩とか、田中先輩の弟の三号とか。
村瀬は、「佐久間、大丈夫か?」と聞くべきか、「藤田と何かあったのか?」と聞くべきか悩みながら……
あるいは、イヤホンをつけ直して、何も聞かないふりをし続けるのもアリか――そう思った。
「お前、あの台湾から来た一年、どう思う?」
佐久間が先に口を開いた。村瀨がどうせ知らんぷりを決め込むだろうと分かっていた様子だ。もちろん村瀨も佐久間の性格をよく分かっているが、佐久間だって長年のチームメイトの性格くらい分かっている。
村瀨は仕方なさそうにイヤホンを外し、何と言えばいいか分からない顔で、「何がどうだって?」と返した。
「藤田、あの台湾から来た一年、結構気にしてるみたいなんだよな。」と佐久間が言った。
面倒くさがりで、部内の実力も中の下くらいの村瀨は、頭をかきながら視線をキョロキョロさせて、できればこの話題を他のもっとおしゃべりな仲間に振りたいと思ったが、肝心のターゲットはこれから応援団をまとめる役目のため、ぐっすり眠っていた。
「俺さあ、お前らの三角関係とかマジで興味ないんだけど。」
村瀨は本気でそう言った。それを聞いた佐久間は、容赦なく村瀨の頭を小突き、「そっちじゃねぇよ、アホ。台湾から来たあの一年の話してんの」とツッコミを入れた。
「どうだろうなぁ、俺あんまり一年と絡まないから分かんねえよ。でも台湾の中学じゃエース級だったって聞いたし、実力は悪くないだろ。てか、そういうのは『藤田組長』に直接聞いたら?」
村瀨が答える。
『藤田組長』というのは、二年生が藤田迅真に付けたあだ名で、顔がまるで極道の親分みたいだからだ。ちなみにバッテリーを組む佐久間のことは、陰でこっそり「鬼嫁佐久間」と呼んでいるが、本人の前で言う勇気がある者はいない。
村瀨がそう言うと、佐久間の口元がピクリと引きつった。あれ、なんかまずいこと言ったか?と一瞬不安になる村瀨。
「俺も分かんねえ。ただ、なんか気になるんだよな。藤田の野郎も同じこと言ってたよ。――って、これじゃ答えになってねえよな。」
藤田のセリフをそのまま口にする佐久間、なんとも言えない顔で村瀨を見つめる。
その表情が可笑しくて、思わず村瀨は吹き出してしまった。
「はは、いかにも藤田らしいな。」村瀨は笑って言った。やっぱり佐久間に勝てるのは、社交下手な藤田くらいしかいないな――と心の中で思った。そしてふと、さっきまでぐっすり寝ていた仲間が友達のことを言っていたのを思い出した。
「これが藤田が一年の台湾のやつを気にしてる理由になるかは分からないけど、北淀とやったとき、応援団まとめてた亮太が言ってたんだよ。あの台湾の子、佐島先輩の配球とか、相手チームの戦術をけっこう正確に分析してたって。もしかして藤田も、それ聞いてるのかもな。」
「バカ中西か?」佐久間がそっちの方を見ると、まさに村瀨が見ていた通り、五分刈りの中西亮太がまだ寝ていて、しかも大きく口を開けている。隣の一年の金井榮郎が、彼が通路に転げ落ちないようにそっと頭を支えていた。
「バカだけど、亮太の言うことは飾り気ゼロだし、結構信憑性あるんだよな。」村瀨は言いながら欠伸を一つ。「でも俺には関係ないしな。てか、佐久間、お前も結局藤田組長と同じくらい台湾の子が気になるんじゃねえの?……佐久間?圭一?」
村瀨が呼びかけるが、佐久間の視線はもう中西にはなく、バスの前方、南極の隣に座る友達に向けられていた。友達は何かを南極に説明しながら、手も一緒に動かしていた。佐久間は認めたくはないが、実は入学の頃から林友達のことが気になっていた。特にあのしっかりした下半身、張ったふくらはぎやプリッとした尻の筋肉は、ピッタリとしたユニフォーム姿で一層際立って見えた。
藤田が友達をどう見ているかは分からないが、自分とは違う目線だと佐久間は思っている。藤田が投手としての友達に興味を持っている一方で、佐久間は友達のキャッチング姿勢――その安定感や確実さのほうが気になって仕方ない。
「おう、藤田組長!ご苦労さまっス!」村瀨が藤田に向かって、テレビのヤクザドラマの“仁義切り”を真似して挨拶する。
「そういうヤクザみたいな挨拶やめろよ、村瀨。」藤田が呆れた顔で言うが、村瀨は何かリアクションを期待している。隣の佐久間は腕を組んで完全に無視。その様子を見て、藤田はため息をつき、腰を落として村瀨の真似をしつつ応じる。
「失礼しやすッ!坂海工野球部・投手、藤田迅真、参上ッス。今後とも一つ、よしなにお願い申し上げやすッ!」
「ははは、本物のヤクザみたいだな!」村瀨智也は手を叩いて笑い、藤田の赤くなった顔を見てさらに面白がる。藤田は困った顔で言う。
「ちょっと佐久間と話したいんだ。村瀨、席代わってくれないか?」
「いいよ、せっかくだからな。」
村瀨は笑いながら応じる。中西と一緒に藤田にヤクザごっこをさせるのが好きなのだ。藤田は嫌そうにしつつも、ちゃんとノってくれるから、村瀨はそんな藤田の人柄がけっこう好きだった。
「黙ってどっか行くなよ。」
座席に座った藤田が佐久間に言う。
「そっちに座ってたら、先輩たちと話しづらいだろ。」
佐久間は答える。「どうせお前、もうスタメン決まってるし、三年の田中先輩だってお前を信頼してるんだろ。」
皮肉交じりの言い方だが、内容自体は事実だ。藤田は二年生ながらエース投手で、打撃も上位クラス。三年生もその実力を認めているので、スタメンに選ばれても不満は出ない。ただ、佐久間の言い方には、やはり藤田のその地位へのわだかまりがにじむ。
「うちの部は人数足りてないし、三年の捕手は佐島先輩しかいない。彼と田中先輩はバッテリーとして息が合ってるけど、俺はまだ佐島先輩とそれほどでもない。高橋監督も、もっと息を合わせろって思ってるんだと思う。」
今回のメンバー表では、二年の佐久間は控え。高橋監督も白井先生も、今は藤田と佐島先輩のバッテリーでいく方針のようだ。
佐久間も自分の実力が、同級生の藤田には及ばないと分かっている。今の坂海工の二年で他校の選手と渡り合えるのは、藤田だけだ。要するに、自分に足りないのは力――分かっていても、感情とは別問題。
その気持ちに藤田は気付きつつも、やっぱり佐久間の性格は難しい。友達や佐島先輩のことも、実は八つ当たりで口に出しているだけ。以前の藤田なら佐久間をなだめたかもしれない。みんなも、そう思ってるから村瀨も席を譲ったのだろう。
「慰めるつもりはないぞ、圭一。」
藤田は佐久間の名前を呼び、彼が窓の外を見続けている横顔をじっと見る。その言葉に佐久間は特に反応せず、ただ振り返って藤田の顔を両手でむにゅっとつまむ。元々きつい顔つきが、今はちょっと間抜けで、藤田は抵抗しないまま、ややしかめっ面になった。
「ホントにお前の顔って、見れば見るほど怖いな。」
「相手チームの選手、みんな俺の顔直視できないからな。」藤田が返す。
「そのうち、負けて悔しくて大泣きしたら、そん時は慰めてやるよ。」
「そんな日が来るのか?」
「……野球に関しては、お前の方がずっと我儘だよ、迅真。」
それでも、そこが好きなんだ――そんな思いがこもる言い方。
もしそれがなかったら、もっと気が楽だったのに。
佐久間は藤田の耳に触れ、その機械(補聴器)をちょっと整える。触られると藤田は一瞬手を掴むが、すぐに手を離す。佐久間が藤田の耳の機械をちゃんと直して、「大丈夫?」と聞く。
「大丈夫だ。」藤田は短く答えた。
「おいおい、中西、中西、アホの中西!起きろって!」
「うおっ、誰や、誰やねん!どし、どし、どしたん?」
村瀬は一年の榮郎と席を替わって、中西の隣に座り、寝ていた中西亮太を起こした。野球部の中で、村瀬は中西亮太のことを一番面白い存在だと思っている。まず中西の顔が見るだけでなんかおかしくて、まるでアニメのギャグキャラみたいだし、特にあの大きな耳。最近はなぜか坊主頭にしてて、博物館の原人像みたいで、初めて見たとき村瀬は笑いが止まらなかった。
「なんや、村瀬かいな。」
中西はおっさんみたいな大阪弁で返事して、また二度寝しようとするが、村瀬が野球ユニフォームの中に手を突っ込んで脇をくすぐり、完全に起こしてしまう。
「ほら、起きてや、ちょっと聞きたいことあんねん。」
中西はめんどくさそうに帽子を顔にかぶせて、「なんやねん?」と返す。
「一年の台湾から来た後輩、どう思う?」
村瀬はさっき佐久間に聞かれたことをそのまま中西にぶつける。
別に真面目な答えがほしいわけじゃなくて、ただ中西にこういうことを聞いたら面白いと思っただけだし、しかも今回は中西は控えにも入っておらず、チーム応援と隊呼担当として友達と接する機会が多い。
「どないやねん。ワシ、ともだちくん、けっこう可愛えぇ思てまんねん。」
中西はニヤニヤしながら言った。
いつもふざけてばっかの中西と違って、友達は日本の応援を一生懸命覚えてて、先輩の名前を大声で叫ぶのも、まるで好きな人に告白するみたいに恥ずかしがってる。でもその頑張りを中西に見せてくれて、もともと落ち着きなくて怒られがちな中西に、台湾から来た一年が本気で隊呼を学ぶ姿勢と、「えっ、全部覚えてるん?…やば、すごっ」とちょっとなまった大阪弁で褒めてくれた。
もしかしたら、初めてそんな風に本気で褒められたり、「先輩」って呼ばれたりして、小さな友達のその表情を見てると、なんか……なんかもう……
「あいつの可愛いチンチン、ぎゅーって握りたなってきたわ!」
中西は顔芸全開で言い、即座に村瀬のツボに入る。
「なに言うてんねんアホ!そんなんしたらガチで嫌われんで?」
村瀬はツッコミを入れつつ中西の頭をはたき、まるで漫才みたいなやり取りになった。
「なんで急に友達の話になったん?」中西は寝ていた時についたよだれをぬぐいながら聞いた。
「別に理由はないけど、さっき佐久間が『藤田は友達のこと気にしてる』って言い出したからさ。」
村瀬はそう言って、突然ごろんと中西の太ももに頭を乗せて枕にした。「もうすぐ、あと一年したら俺らが試合に出る番やろ。もし今年、先輩たちが甲子園行っちゃったら……ああ、もし自分たちがそれできへんかったらどうしよう、とか考え出して、プレッシャーがやばいねん。」
「そんなん関係ないやん。やれるだけやったらええだけやろ?」
中西は自分の太ももで寝転んでる村瀬に向かって言った。「あ、そうそう。友達より、俺は日空の方が気になるな。」
「日空 南極?」
村瀬が言うと、中西はうなずいた。
「なんかさ、あいつ、友達と一緒にグラウンドで練習してるの見ると、友達はいつもあいつに怒ってるけど、後輩の姿見てから自分を振り返ると、二人ともすごく楽しそうに野球やってるって思うんや。俺もああやって、楽しく野球したい。藤田みたいに二年でエースになって、あんなに活躍したいわ。」
「でも無理やろ?」
「うん、無理やな。」
「だってお前、アホ中西やもん。」
「そやな、俺はアホの中西や……村瀬!お前なぁ!」
第二試合の会場へ向かうバスの中、高校の運動部の男子たちは、やっぱりいつものように騒がしい。白井先生がちょうどいいタイミングで顔を出すので、この男子高校生たちのノリも度が過ぎないで済んでいる。
席に戻った白井先生を見て、高橋監督が言った。「青春やなぁ。」
「ちょっと青春しすぎやで。中西なんか騒いでてズボンまで脱ぎよったし。この子たち、ほんまに……」
白井先生はため息をついたが、その顔には一瞬だけ羨ましそうな表情が浮かんでいた。




