第十四章 野球場の空襲警報
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
「……あっ。」
昼休み、女子トイレから出てきた青木陽奈は、ちょうど男子トイレから出てきた柴門玉里とばったり鉢合わせした。女装姿の玉里は、端正な顔立ちでまるで第二次性徴前の少年のようなあどけなさが残っているが、身長も性格もどう見ても子どものレベルじゃない。
陽奈と玉里は目が合い、思わず「……あ」と声を漏らす。
岬阪町出身ではない陽奈だが、ある縁で玉里のことは知っている。友達とまではいかないが、何度か顔を合わせたことがあり、微妙な距離感の知り合い。だから、こうして不意に鉢合わせしても、気まずさは感じない。
「もうすぐだよね?」と陽奈が切り出す。
「何が?」と玉里がしらばくれる。
「試合のことだよ。」陽奈が玉里を見ながら言う。その態度から、玉里がわざととぼけているのが分かる。
「そっちもでしょ?府大会——全日本吹奏楽コンクール大阪府予選。」と玉里が返す。
全国高校野球選手権大会、全日本吹奏楽コンクール——野球部も吹奏楽部も、どちらも7月下旬から大会シーズンに入る。坂海工吹奏楽部で一番実力があるとされる陽奈だが、今回のコンクールでは首席トランペットの座は三年生の先輩に譲られている。そのことに陽奈は特に不満はない。初めての府大会、経験のある先輩たちに引っ張ってもらうほうが良い、と納得していたからだ。
少なくとも、吹奏楽部の顧問もそう考えている。だが、陽奈は唯一選ばれた一年生であり、先輩たちと一緒に朝から晩まで練習に参加していた。
「へえ、そりゃ大変だね。」玉里はまったく気にしない様子で言う。
陽奈はその無頓着な表情を見て、特に何も感じない。というのも、柴門玉里はもともと興味のないことには顔に出るタイプで、陽奈自身もどちらかというとそういう性格。だからこそ、お互い干渉しない関係で気まずさもないのだろう。
「そういえば、あの人、この数ヶ月ずっと暇があれば私のこと愚痴ってたよ。」
陽奈は玉里を見ながら、どこか挑発的な笑みを浮かべる。その長い茶色の髪と合わさって、まるでアニメに出てくる悪役女子みたいな雰囲気だ。陽奈はわざと無関心を装って答える。「ふーん……」
「お願いだから、君たちの問題に関係ない人を巻き込まないでくれる?」
「無関係でもないでしょ。だって、彼、前にあなたに告白してなかった?」
陽奈がそう言うと、玉里が彼女の方を見る。
今度は陽奈がいやらしい顔を浮かべたが、玉里は悪態をつきながら、その本人が電話で言っていたことをそのまま伝える。「とにかく、あいつは絶対認めないって、スマホで結構熱くなってたよ。」
「今の状況になったのは、全部自分のせいなのに。」陽奈は冷たく返す。「いつも余計なことばかり考えてるから、そのうちスタメンも取られちゃうんじゃない?」
「あれれ?でも一番悪いのは、君じゃないの〜?」
「その喋り方やめろ。コナンかよ。」
「とにかく、私はただ彼が言いたいことを伝えただけ。嫌ならブロックしなければいいじゃん。あの人、一日にスマホ使えるの一時間だけなんだよ?かわいそうでしょ?」と玉里が言った。
「その時間、全部あなたとイチャイチャするのに使ってるんでしょ。いいじゃない。」陽奈が返す。
「私はただ面倒なだけだよ。だって……」玉里は続ける。「彼、岬阪町で初めて桐蔭に進学した人なんだ。友達もいないし、彼女もいない。毎日臭い男たちと一緒にいるだけなんて、絶対寂しいよ。」
「ふーん、でもそれで満足してるんじゃない?」陽奈は冷たく言い放つ。「野球さえあれば、それで十分なはずでしょ。あの野球バカはバットとずっといちゃいちゃしてればいいの。死ぬまでね。」そう言って、水道を止めて、陽奈はその場を離れる。
「…………女って時々本当に怖いな。」柴門は先ほどの話を思い返しながら、「バットといちゃいちゃ……本当にそれを突っ込んだら死ぬよな……」と小声でつぶやいた。
柴門の「突っ込む」とは一体どこに……?それは誰にも分からない。
今年の全国高校野球選手権大会は七月中旬に開幕。大阪では例年通り、何百もの学校が代表の座を争う激戦が繰り広げられる。林友達が通う市立岬阪高等海洋工業学校は大阪府の最南端、和歌山県に近い場所にあるため、府内でもアクセスが不便な学校だ。最寄りの地区大会会場「住之江公園野球場」までも、バスで一時間近くかかる。
坂海工野球部は特に強豪校というわけではなく、毎年地元の商店街や漁場、造船所などのスポンサーからの支援で、どうにか遠征用のバス代を賄っている。地区大会ということもあり、試合を観に来るのは選手の保護者くらいで、その他は地元の高校野球専門紙や熱心なファンが時々写真を撮りに来る程度だった。
「友達!早く給水箱!學長の水持ってきて!」
「友達、何してるの?タオルはまだ?學長のバットは打順ごとに並べないとダメだよ!」
「友達、學長の野球バッグ点検した?君、俺を怒らせたいのか?」
「す、すみません先輩っ!今すぐやります!」
慌てて中に走っていく友達は、つまずきそうになりながら必死で作業をこなす。その姿に二、三年生の先輩たちは笑いながら見ていて、友達は恥ずかしい気持ちになった。そんなとき、背後から声がかかって場の雰囲気が少し和らぐ。
「友達、大丈夫だよ。初めてなんだから慣れてないのは当たり前だし、そんなに緊張しなくていいよ。」
藤田がそう言ってくれた。見ると、藤田先輩はもうボールを持ってウォーミングアップしていた。近くには三年生の田中先輩や、記録用紙の下書きをしている佐久間もいる。佐久間はメガネをクイッと上げて物を片付け、三人でグラウンドの反対側へと向かった。
そのとき、友達の背中を軽く叩いたのは南極だった。
「野球バッグ、バット、キャッチャー道具、トレーニング器具、給水箱は、俺と流星がちゃんと確認したよ。蓮はもう応援スティックを座席ごとに配っておいたし、田中も先輩の用具を全部運んでくれた。大丈夫、大丈夫、友達。」
「ありがとう、日空……はあ……」林友達はため息をついた。
疲れというより、緊張で汗びっしょりの友達は、なぜ会議の時に佐久間が「一年生の責任者やる人は?」と聞いた時、現場があんなに静まり返ったのか、やっと理解した。普段は騒がしい流星ですら、あの時は大人しくなっていたのは、みんな一年生の担当になりたくなかったからだったのだ。
「南極、手を下ろしちゃダメ。」佐久間が手を振って注意すると、隣で手を挙げていた南極が残念そうに声をあげた。
佐久間:「なにが“えー”だよ。お前みたいにすでに公式戦の球場を経験した奴に、學長たちの大事な試合を任せられるわけないだろ?友達、お前ちゃんと南極に教えてるか?お前のルームメイトなんだから、こんな時に問題起こすなよ。」
「はい……」また俺か……?南極とセットにされるのもだんだん慣れてきたけど、やっぱり心の中で「なんで俺だけ……」とぼやきたくなる。
佐久間先輩はもう一度一年生に問いかけたが、誰も反応しない。このままではまずいのでは?友達はコーチを見るが、高橋監督も白井先生も黙って野球部の様子を見ているだけ。
でも友達は先輩たちへの返答がないのがどうにも落ち着かなかった。
「最初からこうなると思って、一番公平な方法を用意した。」
そこで田中先輩が口火を切り、二・三年生が示し合わせたように、佐久間がくじ引き用の筒を取り出した。そして「いいか、赤いくじを引いた人が担当、後戻りはできないからな。……さて、誰から引く?」
佐久間先輩が周囲を見回して、友達と目が合う。目をそらそうとしたけどもう遅い。佐久間は、入学してからずっと苦手だったあの笑みを浮かべてこう言った。
「友達君、引いてもらおうか?」
くじ筒が差し出され、友達は佐久間のにこやかな顔、そして他の先輩たちも皆にこにこして見ているのを見て、藤田先輩だけは少し複雑そうな顔をしているのを感じながら――
「はい……わかりました。」と答えて、くじを引いた。
「一発で当たっちゃったか。」
準備を終え、頭をかきながら自分のくじ運の悪さを恨む友達。
九本のくじのうち、まさか一番目で当たりを引くなんて――
この運の悪さは一体なんなんだ……。林友達は心の中でため息をついた。少し気が緩んだ瞬間、またすぐに二年生の先輩の呼び声が響いてきて、すぐに気を引き締めた。
「友達!」
「は、はいっ!先輩!すぐやります!」
大きな声で答えると、周りのみんなの視線が集まった。近くで他の部員のユニフォームの破れを縫っていた榮郎は、驚いたように友達を見て言った。
「林くん、声が大きくなったね。」
「ははっ、練習の成果かな。」田中廉太が言った。流星の家での練習は、明らかに遊び半分だったけど、少なくとも無駄じゃなかったらしい。
「元気でいいね。はい、水筒、ちゃんと入れておいたよ。」
二年生の先輩が友達の元気な声にちょっと驚いたようにしたが、にこやかに水筒を手渡し、頭を軽く撫でてくれた。「お疲れさま。高橋監督が“もっと経験積ませろ”ってさ。」
「え? 経験?」
「なんでもない、なんでもない、かわいいなぁ。」
先輩が友達のほっぺをつまむようにしてからかった。友達は「やめてください」とお願いしたが、先輩のイタズラには逆らえなかった。
「やっぱり悪い気がするな……」
「何が?」
藤田は息を吸って、足を大きく踏み出しながら腕を振ると、140キロ近い速球を佐久間のミットめがけて投げ込んだ。ミットの中で響く重たい音――今日は藤田の調子がかなり良いと佐久間にはわかる。
今年はまだ三年生の田中先輩が主戦だが、中継ぎで唯一しっかりした力を持つ藤田は、白井先生から「いつでも出られる準備を」と言われている。来年以降、坂海工は藤田と佐久間を中心にした新世代になる。二人のバッテリーはもっと経験とコンビネーションを積まなければいけない。
「そういえば、白井先生ってやっぱり野球経験者だよな?しかも、ただの経験者じゃなさそう……」
佐久間圭一はそう言いながら球を藤田迅真に返したが、藤田は曖昧に「うん、まあ……」と答えつつ、まだ何か考え込んでいるようだった。
「なんか友達には悪いことしちゃった気がするな。」
「またその話?監督の指示だし、やらないわけにはいかないだろ?」
「それにしても、友達に対するお前の態度はひどいよな……佐久間。」
「今さら気付いた?」佐久間はニヤニヤしながら、すぐさま藤田の渾身のボールを受けた。
――重っ、このボール。藤田のやつ、わざと俺の嫌いなコースに投げてきたな。
佐久間はそう思い、もう一球キャッチ。これは明らかに「説明しろ」って圧だな……。
正直すぎて面倒くさいやつだ、と思いながら、佐久間は面を外して藤田の元へ歩み寄り、彼の投手帽を取って言った。
「確かに俺はあいつをいじってるけど、別に台湾から来たあの子が嫌いなわけじゃないよ。」
「分かってるよ、お前がそんな奴じゃないって。でも……もうちょっと友達への“愛”を控えてほしいな。」
藤田は佐久間のプロテクターを掴みながら言った。「白井先生にも言われてるだろ。ああいう使い走りみたいな扱い、今はもう昭和じゃないし。」
「白井はちょっとした声かけでもすぐうるさいからな。『下級生イジメだ』だの『先輩風吹かすな』だの。正直、俺が本気出したら三年も監督も止められないぞ?」
佐久間は藤田が苦手な目つきでそう言った。
「お前、それどういう意味だよ、圭一。」
「冗談だって。顔が怖いぞ、藤田。表情ゆるめなって。」
「あ、ごめん……」
藤田は自分の表情が相当険しかったことに気づき、慌てて謝ったが、次の瞬間、佐久間の手が不意に頬をつかみ、顎から頬までをぐにぐにと揉み始めた。
「なんで友達にだけきつく当たるかって?」
佐久間は藤田との距離を詰め、最終的には抱きついてこう囁いた。
「……つまりさ、俺のことも、ちょっとは気にかけてほしいんだけど、ダンナ?」
「……もしかして、やきもち焼いてる?」
藤田は抵抗もせず、佐久間に抱きしめられ、彼の汗や体温、熱い息遣いを感じていた。
「興味ないって感じ?迅真?」
「やきもち焼いてくれるの、お前くらいだし……」
藤田はそう言って、片腕で佐久間を抱き返した。「……ありがとう。」
「うわ、そんなに素直に言われると逆にキモいって、藤田。」
藤田の言葉を聞いた佐久間は、すぐに腕をほどいてそっぽを向き、「お前、本当に冗談が通じないな」と呟いた。
「ごめん。もう八年くらい冗談が苦手なんだ、あと少しだけ我慢してくれ。」
藤田がそう言うと、佐久間は舌打ちして、プロテクターをつけ直し、元の位置に戻った。二人は何もなかったかのようにピッチング練習を再開する。
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最初にくじを引かされた友達だったが、実は九本すべてが赤い札で、最初から誰が引いても一年生のまとめ役に決まっていた。これは高橋監督の意向であり、三年生全体で話し合って決めたことで、二年生も異論はなかった。
もちろん、友達をからかうためではない。監督は「岬阪町出身じゃない選手」にこの役目を任せることで、地元出身の部員たちの間で変な派閥や身内びいきが起きないようにしたかったのだ。坂海工の野球部は、ほぼ全員が地元の小・中学校からの持ち上がりで、昔からの知り合い同士。でも、逆にそれが原因で内輪意識や“自分たちだけ”の空気が強くなってしまうこともある。
そうした「輪の外」の林友達を中心に据えることで、むしろチームが公平になる――それが監督の狙いだった。ただし、逆に「外様」扱いされるリスクもあり、白井先生は高橋監督に「しばらく友達君にチームメイトと親しくなる時間を与えてほしい」と提案した。結果として、今の友達は部員たちともかなり打ち解けてきている。
ちなみに、日空南極も候補には上がっていたが、白井先生はそれに反対した。
「日空はそれ自体が特別な存在だし、おそらく二年生になれば主力になるだろう。あまりに目立ちすぎるのは、決してチームにとって良いことじゃない」と、会議の場で白井先生は主張した。
高橋監督もその意見には一理あると認めつつ、こうも語った。
「日空南極は、普段は明るく振る舞っているが、実はすごく落ち着いている子だ。友達が周りの空気を読みながら人と付き合うタイプなら、南極はもっとリーダーシップがあって、年上とも平気で話せる。それはたぶん、彼の生い立ちによるものだろう。白井、突出しているからといって悪いことだと決めつけるのは、南極にはちょっと不公平じゃないか?」
「……僕が一番望むのは、坂海工の生徒たちが、野球の思い出を“楽しかった”と感じてくれることです。」
白井は少し考え込んだ後、静かにそう答えた。
南極と友達が入学する前、白井は二人の面接にも同席していた。日空南極が現れた時、あの身長、あの体格――どんなスポーツでも通用しそうな逸材だとすぐに分かった。それに、彼は有名な南極研究者であり、強気な女博士として知られる日空博士の息子。教師たちの間でも大きな話題になっていた。
だが、その時の白井にもっと強い印象を残したのは、林友達だった。
台湾のぴったりとした制服に身を包み、小柄な体格。それなのに太腿や臀部の筋肉はしっかりしていて、一目で長く何かスポーツをやってきたと分かった。ラグビーか、サッカーか、あるいは野球かもしれない。
「甲子園に行きたい」と真剣な顔で語った友達の言葉は、後ろで面接を見ていた白井の心に強く残った。坂海工でも「甲子園」「甲子園」と口にする生徒は多いが、本気で野球部に入り、甲子園を目指すと言い切る新入生は珍しい。正直、秋の明治神宮大会で運も実力も認められない限り、春に甲子園に立つのは難しい現実がある。
そんな友達を見て、白井は少し昔の自分を思い出した。
「白井先生、もっとこの子たちを信じてあげてもいいんじゃないか?」
高橋監督は、やわらかな笑顔で白井の肩を叩いた。
「はい……すみません、高橋監督。自分の判断をもう一度考え直します。」
高橋監督の言葉に、白井は少し悩んだ表情を浮かべた。さっきから、二年生が一年生を使うやり方――特に佐久間と数人の二年生が浮かべる、あの悪戯っぽい笑顔――がどうにも気にかかっていた。三年生も以前はよくやっていたが、白井はそれを見ると必ずこう叱ったものだ。
「部活は後輩をこき使う場所じゃない!」
「自分が偉いと勘違いするな!」
学生たちに悪意がないのは分かっている。ただの冗談や、ちょっとした上下関係であることも。でも、こうした悪ふざけや階級意識が当たり前になるのは白井には耐えられなかった。
だが高橋監督は、そういうことにはあまり口を挟まず、逆に白井の叱責をやんわりと止めることさえあった。
――これは昭和世代と平成世代の違いなのかもしれない。
昔の坂海工の高橋監督は『ヤンキー泣かす勢い』で有名な厳しさだったと聞く。でも今の彼は、どう見てもただの穏やかな“おじいちゃん”でしかなかった。
「友達、応援は大丈夫か?」
住之江公園野球場の簡易ベンチ席。観客はちらほら数えるほどしかいなくて、あまりの空きっぷりに、おばちゃんたちは日傘をさして野球そっちのけで世間話をしているくらいだった。二年生の先輩が少し心配そうに友達に声をかけた。もともと緊張していなかった友達も、その言葉を聞いた瞬間、無意識に緊張し始めて「たぶん大丈夫……だと思います?」と返した。
「大丈夫、大丈夫!先輩、友達は俺たちがちゃんと訓練したから!」
友達の不安げな言葉を無視して、南極はぬいぐるみのように友達を抱き寄せて、先輩に謎の自信満々な笑顔を見せた。友達は南極の答えを聞いてますます混乱し、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいだったが、先輩はそんな二人に「頼んだぞ。自分からやりたくてやるわけじゃないってのは分かってるけど、やっぱり先輩たちにとっては最後の夏だから、せめて応援ぐらいは全力で頼むよ」と優しく言った。
「え?」
二年生の先輩がそう言ったとき、友達は意外だった。先輩も自分と同じく、ただ叱られたくないからこの面倒な役割を頑張っているだけだと思っていた。でも、そうじゃなかった。先輩は本当に三年生のことを思ってやっているのだ。
「先輩、もし僕が最後までうまくできなかったら、どうしたらいいですか?」
友達がそう尋ねると、先輩はため息をついた。
そしてすぐに、笑顔でこう答えた。
「それはしょうがないよ。もう一生懸命やったなら仕方ない!あとは田中先輩たちが勝つように祈るしかないな!勝てば誰にも怒られない。田中先輩はみんなに優しいし。とにかく頑張ろう!阪海工野球部、オーッ!」
「……オ、オーッ!」
「オーッ!阪海工!」
先輩が突然元気よく大声を出したので、友達は数秒間ぽかんとした後、何かを思い出したかのように慌てて声を合わせて叫んだ。
声は訓練のおかげでちゃんと出せたけど、それでもやっぱり恥ずかしかった。でもすぐに南極も大きな声で叫び、その迫力に周りの一年生や二年生が振り向き、さらには下のグラウンドで準備していた三年生までこちらを見上げてきた。
「南極!大きすぎるよ!」
友達は小声で背後の南極に注意したが、南極は「え、俺何か悪いことした?」という顔で首を傾げている。するとすぐ横からも「おーっ!」という声が上がった。盛り上げ役の豊川流星だ。そのあと、他の部員も「おー!」と声を重ね、二年生も大声で叫び始めた。
「阪海工、頑張れ!おーっ!甲子園!」
「絶対甲子園行くぞ!阪海工!」
場が一気に盛り上がり、横の保護者たちも「元気だねえ」「青春だねえ」と微笑みながらささやき合う。その応援の声はもう気まずいものではなく、自分たちを鼓舞するエネルギーになっていた。友達はまだ興奮している南極を見て、「本当にすごいな、君は」と言った。
南極は「へへっ」と笑って、「もう緊張してないだろ、友達」と聞いてきた。
「う、うん、君のおかげだよ。」
林友達は南極に苦笑いしながらも、口元に少し微笑みを浮かべていた。
「整列!」
その時、下のグラウンドで田中先輩が大きな声で号令をかけた。三年生の選手たちは手にしていた道具を置き、田中央一のいる場所へ素早く並び、観客席の方を向いた。
「礼ッ!」
「よろしくお願いします!」
田中先輩が先頭で号令しながら深くお辞儀をする。他の三年生もそれに続いて大きな声で挨拶し、一斉に頭を下げた。二年生の藤田先輩も列の中にいる。そして数秒も経たないうちに、田中先輩と他の三年生たちはランナーのようにスタートの体勢をとった。藤田先輩も同じく、静かに準備を整えていた。
「友達、先輩たちは何してるの?」
南極も友達と同じように首を伸ばしてグラウンドの様子を見ている。
友達は首を振って、「さあ……わかんない」と答えた。
南極と友達がまだ何が始まるのか分からず見ていると、田中先輩が大きな声で号令をかけ、全員が本塁前まで走っていき、数歩手前でピタッと止まり、一列に並んだ。対戦相手も同じように並び、審判たちが両チームの前に立って選手たちを見渡している。
「よろしくお願いします!」
両チームが帽子を取って深く礼を交わした。
ウーーーン──ウーーーン──!
その時、球場に警報のような長いサイレンが鳴り響いた。友達と南極は顔を見合わせる。友達は「空襲警報?あれ、日空?南極、何してるの?」と戸惑いながら聞いた。
その瞬間、南極はさらに身をかがめ、友達も一緒に引きずり下ろしながら、真剣な顔で周囲を見回し、「非常呼集発令!」と叫んだ。
けれどその緊張感も束の間、周りの選手たちや観客が拍手を始めた。南極は「え?」とキョトンとした顔になる。
「何してんだ、お前ら?早くこっちに座れ、もうすぐお前らの番だぞ!」
二年生の先輩が呆れ顔で声をかけてくる。友達と南極は「はい!」と返事をして、慌てて一年生の列に戻った。
「なんだ、開会式だったのか。びっくりした~」と南極が息をついた。
「日空、君も空襲警報だと思った?」と友達が聞くと、南極は少し考えてから「似てたけど、基地の発進警報とか非常呼集にしか聞こえなかったな。ああいう音が鳴る時は、大抵基地で何か大きなことが起きる時だからさ」と答えた。
「非常呼集?発進警報?」と友達が首をかしげる。
林友達は南極が何を言っているのか、最初はよく分からなかったが、自分の席に戻った時になってやっと思い出した。南極はもともと軍事基地で育った子で、こういう音が聞こえると、反射的に「事故発生だ!大変なことが起きる!」と思ってしまうのだ。だからさっき、自分の体をものすごい力で押さえつけて、真剣な顔をしていたのも無理はない。
あとでみんなに、南極が「球場のあの音は、敵機接近時のスクランブル発進警報だ」と言った話をすると、全員が大笑いした。南極は「別にふざけてるわけじゃない!自衛隊の飛行機が発進する時は本当にあの音なんだ!」と必死に説明した。
「怖いよ、怖い……試合開始の音なんて」と南極はぶつぶつ言い続ける。
「そんなに考えすぎるなよ」と友達は、腕を組んでベンチに座っている南極を見て、その大きな体なのに怖がっている様子がなんだか面白くて笑ってしまった。
その時、下の方から歓声が上がるのを耳にした。審判が手を挙げてアウトのサインを出し、観客から歓声が巻き起こる。
「ピッチャーは藤田先輩だよ」と宇治川が友達に教えてくれた。
友達はマウンドをじっと見つめた。藤田先輩が肩を回し、打者をにらみつけるその目は、まるで本当に相手を倒しにいくみたいで、思わずごくりと唾を飲み込んだ。みんなが「藤田先輩は生まれつきの悪役顔」だって言うのも納得だな、と友達は思う。雑誌や地元新聞で見る藤田先輩は、写真ではすごくイケメンなのに、グラウンドでは……
シューンッ、パーンッ!「ストライク!」
投球フォームは一連の流れで美しく、しなやかな腕の振りに友達は釘付けになった。藤田先輩のあの殺気のこもった表情や、ヤンキーみたいな歪んだ笑顔すら、今はすっかり忘れてしまっている。
――やっぱり、藤田先輩はどこにいても……超カッコいい!
何球か鋭い内角スライダーを続け、藤田迅真のピッチングは相手打者に全く塁に出る隙を与えなかった。
三者凡退。
誰も出塁できず、藤田は手を挙げてマウンドを降り、初回の相手の攻撃をきっちりと締めくくった。




