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ACT44 東都大学教授殺害事件 エピローグ

 あの事件の振り返りから一週間ほど後のこと。

海と蓮は橙子に誘われて、ショッピングストリートにある個室焼肉店の一室で炭火を囲んでいた。

「私の奢りだから、遠慮するな」

 そう言いながら焼くのは一切人任せな橙子の代わりに、蓮がせっせと薄切りタン塩を並べているのを横目で見つつ海がぼやいた。

「要するに、俺と蓮が骨を折ったことに対する報酬だろ? だったら別に遠慮しないけど、あんまり俺たち世間の高校生ほど肉食じゃないんだよね。何で焼肉?」

「私が食べたかったからに決まっている。それにおまえは実際肉食系だろうが」

「意味が違う。その場合俺が食べるのは蓮で――」

「あーほら、焼けたぞ」

 海の下ネタ発言を意図的に遮ると、蓮は二人の皿にタン塩を放り込んだ。早速橙子がレモンを絞ってから口に入れると、幸福そうに微笑んだ。

「美味いなー。そっちの厚切りも焼いて、柴田」

「はいはい」

「ちょっと、あんまり蓮を働かせないでよ」

「いいから、おまえも食べろよ。味どう?」

「まあ確かに美味いけど。俺はどっちかって言うと焼肉より寿司の方が……って肉寿司あるじゃんここ。A5和牛と桜肉の握り、俺と蓮に追加で」

「あ、俺ユッケも食いたい。あと参鶏湯」

 呼び鈴を鳴らして追加オーダーすると、カルピスソーダを一口飲んだ橙子が急に真面目な口調で話し出した。

「あの後、日鶴のところに行って来た。水沼が言っていたファイルは確かにあったよ。間違いなく、父は民間協力者だった」

「ふーん」

「なんだ、感動のない奴だな。自分の推論が正しかったかどうか気にならないのか?」

「だって大方の確信がなきゃ、わざわざああいう場で言わないって。俺にとっては裏を取るまでもないことだよ」

「大した自信だ。だがおまえの場合は、相応だよ。柴田手が止まってる、もっと焼いて」

 話に遠慮していた蓮は手持ちぶさたにトングを弄んでいたが、橙子に急かされて厚切りタン塩を網に乗せた。部屋に響く肉のじゅうじゅうと焼ける音に、被せるように橙子が話を続けるので海が呆れて口を挟んだ。

「あのさ、そういう報告がてらの夕食ならもっと静かな店いくらでもあったと思うけど。何でわざわざここ?」

「だからだよ。それだと却って話し難いから、敢えて焼肉にした」

 そう言って少しばかりレア気味な厚切りタン塩を口に運ぶと、嬉しそうに目を閉じた。

「柴田、これ終わったら次カルビな。それで、一昨日は室長にも面談して当時のこともこちらから話して間違いがないか確認した。ほぼ事実通りだったんだろうな、記憶が戻ったのかと訊かれたから、そこは否定しておいた。それなら水沼が絡んでいるのかとも重ねて訊かれたが、言われた通り情報元は平山だと伝えておいた。それで良かったのか?」

「いいよ、それが平山との約束だからね。どっちにしても橙子サンが壊れなかったんだからペナルティもお叱りもないけど、一応俺は表立って関わったことにはして欲しくない」

「壊れるって、人を物みたいに言うな。にしても今回は平山にも世話になったな」

「そう思うなら、あいつにも奢ってやれば良かったのに」

「おまえと平山を一緒にすると、却ってストレスかと思ってな。心配しなくても別に礼はするから」

 ひたすら焼き係になっている蓮のおかげで、網の上は賑やかだった。一度空になったタイミングで店員が肉寿司やユッケを運んできたので、蓮もトングを箸に持ち替えて寿司をぱくりと頬張った。

「何コレ、旨! 和牛ってかマグロのトロみたい……」

「うん、俺も焼いたのよりこっちのが好みだな。脂が少なくてさっぱりしてる。蓮、こっちもあげる。代わるからゆっくり食べな」

 目を輝かせて生肉を食べている蓮の頭をよしよしと撫でると、網の上に海が雑に肉を転がし始めた。その光景を見て、橙子がため息を吐く。

「ああ、センスのない。食に興味のない奴はこれだから」

「文句言うなら、自分で焼けよ」

「何で金を出した上、そこまでしないといけないんだ」

 そう言いながら、橙子は結局海の手に任せておけず自力で肉をひっくり返した。焦げそうだったので二人にも勧めたが、海は結局カルビにもハラミにも手をつけず馬刺しを追加でオーダーした。

「邪道め」

「いいじゃん、メニューにあるんだから。だから平山も呼べば良かったのに。あいつなら絶対黙って焼いてくれる」

「ろくに食べもせずにな。それだと意味ない」

 ジンジャーエールのジョッキを傾けながら難しい表情をしている橙子に、海が何気ない様子で訊ねた。

「橙子サンてさ、平山のことどう思ってんの?」

「どう? いいやつだと思ってるけど。誠実だし、仲間想いで信頼できる」

「そういうんじゃなくてさ。あいつの気持ちには、さすがに気づいてるんだろ?」

「おい、海」

「なに?」

「そういうのは、外野が余計な口出しすることじゃないって」

「このくらいは許容範囲でしょ。だって本人たちに任せておいたら、爺さんと婆さんになるまでこのままかもしれないし」

「だとしても」

 海の袖を引いてひそひそと話しかけている蓮を、橙子はどこか羨まし気に眺めた。

「何か、柴田って本当に……」

「え?」

「いや、水沼は幸せなやつだなと思ってな。さてと、私はそろそろ帰る。後は二人でゆっくりやってくれ」

「え、でもまだ」

「あ、そう? 悪いねー橙子サン。支払いよろしく」

「おい、海」

「ああ、心配するな。柴田、ここはデザートもレベルが高い。余分に払って行くから、遠慮なく頼むと良い」

「ありがと、本当にもういいの?」

「うん、ちょっと食べ過ぎた。やっぱりこういうところは、食べ専も連れて来ないとだめだな」

 そう言って卓の隅に置かれた伝票を手に取ると、橙子は手を振って個室を出て行った。それを見届けて蓮は隣の海を軽く睨んだ。

「おまえが変なこと訊くから、橙子サン居づらくなったんじゃないのか?」

「ま、逃げたってのはあるかもだけど。三人前のカルビとハラミ、ほとんど一人で平らげたら実際食べ過ぎじゃない?」

「それは確かに」

 思わず蓮も納得してしまったので、橙子の話は結局それきりになり二人は食事の続きを楽しんだ。


***


「デザートを食べそこねたのは失敗だったかな……水沼め」

 店一押しの生フルーツがこれでもかと盛りつけられたフルーツみつ豆のビジュアルを思い浮かべた橙子は、少々恨めしそうだった。「デザートは別腹」というご都合主義に聞こえる言葉に医学的根拠があることを、父と昔テレビの映像で見たことを思い出す。

 それでもあのまま話を続けたくなかったのも事実で、その結果甘味は諦めざるを得なかった。

 ずっと、両親の関係性から夫婦というものに嫌悪感を抱いていた。そこに至る過程の、恋とか愛とかそういうものにも。母に疎まれていることを辛いと感じないために、父と同じように蔑視することで心の均衡を保とうとした。大好きな父が居ればそれで良い。そう思いながら、本当は父が母に優しくしないことが全ての原因ではないかということにも気が付いていた。それでも結局切り捨てた自分を、母は最後に守ろうとしてくれた。

 それが例え見当違いな方法だったとしても。

 父と見知らぬ特調の人間に立ち向かって行った時、彼女がどんな気持ちだったかを考えるとやり切れない思いがする。恐らく初めから刺す気など無かったに違いない。まともに取り合ってもらえず、娘が連れて行かれる様を見て思い余って隠し持っていた刃物で父を刺した――

 室長の許可を受け、再度話を聞いた担当エージェントの証言を構築するとそんなところだった。

『最初はただ背中に飛びついたように見えた。だけど教授が膝から崩れ落ちて、見る見るうちに血だまりが広がって行った。その壮絶な光景に、君は意識を失った。凶器が抜かれてしまったことで出血がひどく、到底助かりそうもない教授のことは諦め、君の保護を最優先にした』

 まるで目に見えるようなのに、未だにその時の記憶は戻っていない。それが意思によるものか、それとも脳の加減によるものなのか橙子には分からなかった。それでも、過去について考えることにもう恐れはなかった。

 携帯を取り出すと、躊躇しながら時間をかけてメッセージを入力する。けれど思い直してそれを破棄し、代わりに電話を掛けた。2コールですぐに出た相手に、橙子は何げない口調で切り出した。

「ああ、平山。今大丈夫か? 良かったら明日あたり、外で食事でもしないか。私が奢るから。いや、そうじゃなくて――二人で」


「二人で」と言った時の電話の向こう側の慌てたような気配がおかしくて、橙子は堪えきれずに電話口で笑ってしまった。

いったんここで区切りですが、この先も続けて行きたい所存です。

一番ありがたいのが読んでいただけることですね。

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