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ACT40 東都大学教授殺害事件1

「また会議室か」

 コーヒーを片手に足を踏み入れた海がぼやくと、平山はお茶のペットボトルを振りながら応じた。

「周りを気にせず話に集中するにはここが一番だろう」

「あんまり集中されても話し辛いんだよな。それに……」

「痕跡のことを気にしているなら、俺の名義で予約しているから問題ない。それより、木坂まで呼ぶ必要があったのか?」

 蓮と橙子に続いて部屋に入って来た吾妻は、二人の視線に気づいて首を傾げた。それに何でもないと海が軽く手を振りながら、周囲に聞こえないように平山に囁いた。

「冷たいこと言うなよ、あづだって関係者だろ。仲間外れにしたら可哀想じゃん」

「真実味の欠片もない言葉だな。本当のところは何だ?」

「ま、賑やかしと言うか緩衝材みたいなもんかな。あんまり重い雰囲気になるのもごめんでね」

 ひそひそと会話をしている二人を他の三人は黙って見ていたが、蓮が橙子の側に座ろうとしているのを認めて海が慌てて立ち上がって蓮の手を掴んだ。

「蓮はこっち、俺の隣に座って。おまえはさっさと向こう行けよ」

 平山に雑に言い放つと、蓮を強引に自分の横に座らせた。その様子に羨まし気な目線を注ぎながら、それまで大人しくしていた吾妻が口を開いた。

「あのーこれって、何の会なんですか?」

「何も聞いてないの? とある事件のことを振り返ろうって話なんだけど」

「事件?」

「そう。橙子サンが特調に保護された経緯の話」

「橙子姉の……私、それ聞いてもいいんですか?」

「おまえがいてくれたら心強い」

 橙子自身に肯定されて、吾妻は重い雰囲気を感じ取りながらも殊勝に頷いた。


***


「さて、それじゃ早速。『東都大学教授殺害事件』について、橙子サン側の事実を再確認しながら俺なりの解釈を説明しようと思う。始めていい?」

「うん、よろしく頼む」

 一人息を飲んだ吾妻に黙る様に目配せすると、橙子は冷静に頷いた。それを確認して、海は改めて口を開いた。

「事件が起きたのは、今から八年前の○月×日。場所は東都大学の一研究室、時間は午後六時二十分頃。被害者は教授室の主である片桐透哉教授自身、容疑者はその妻の綾女あやめ。凶器は自宅から持ち出した包丁で、死因は背後からの刺傷による出血死。第一発見者は警備の人間で、警報異常を調べに来たところ、血を流して倒れている片桐教授と凶器の傍で蹲っている被疑者を発見し、その場で救急と警察に通報。すぐに救急隊員が駆け付けて処置を施したが、蘇生は叶わず死亡を確認。同時に現れた警察は被疑者の身柄を確保――てことで合ってるかな」

「ああ。良く空でそこまでスラスラと言えるもんだな。感心した」

「橙子サンが手元に置いてた警察の調書のコピーも読んだからね。さて、前にも訊いたけど被疑者の綾女が大学を訪れた理由について、橙子サンはまったく心当たりはないの?」

「ないな。私が知る限り、一度も行ったことはなかったと思う。だから警察が、最初から殺人目的で来訪したと断定するのは自然だろう」

「それでも橙子サンは納得いかないんでしょ? 少しでも事実をって、ずっとこの事件を調べていたのはそういうことだよね」

「あれでも母は、父を愛していたからな。自分より確実に愛情を注がれていた私に嫉妬するほど。なのに、きっかけもなく突然父を刺し殺したりするだろうかと」

「まあきっかけなんてものは、本人にしか分からなかったりするからね。橙子サンが見ていないところで、愛情が殺意に変わるような一言を突きつけられたのかもしれない」

「出かける直前の母は、そんな様子でもなかったんだが。自分もついて行っては駄目かと父に訊ねて、すぐ断られてしゅんとしていた」

 事前の記憶は却って鮮明なようで、橙子はその日のことを思い返しながら腑に落ちないように呟いた。

「教授はその日、橙子サンを大学に連れて行ったんだよね。そういうことはそれまでにもあったの?」

「いいや、私自身も初めてだったよ。ただ前から仕事している父を見たいとねだったことはあるんだが、そのうちと言われて保留になっていた。だから一週間前に予告されて、単純に浮かれていた」

「ふぅん、その日の動向は?」

「昼から出かけて、デパート内のレストランで好きなものを食べさせてもらってから博物館に行き、休憩しようとカフェでお茶をしてから夕方大学に連れて行かれた」

「休日だから構内に人は少なく、橙子サンも目撃されることがなかった。だから観察中の特調が、橙子サンはその場にいなかったものとして処理できた。これは偶然だと思う?」

「え?」

「休日に職場に連れて行った理由。働いているところを見せるなら、平日の方が都合は良かったと思うけど」

「そうでもないだろ。普段は授業や学生からの質問も多い。私を構っている時間がないと思ったんじゃないかな。だから人のいない日に、雰囲気だけ味わわせてやろうと考えても不思議はない」

「そう言われればそうか。どちらにとっても都合が良くなければ、意味がない」

「?」

「ところで、その日のことで橙子サンが覚えているのは正確にどこまで?」

 海に改めて確認され、橙子はこれまで幾度となく繰り返し再生した記憶を淡々と口にした。

「父に手を引かれて、構内に入ったところまで。まるでトリミングしたみたいにその後の時間は飛んでいて、目を開けたらここの医療棟にいた」

「怪我はしてた? なかったとしても、どこか痛んだとか」

「いや、何も。医師と面談の後、すぐに室長室に連れて行かれた。自身のこと、ノンリミのこと……説明を受けて今日からここで生きて行くのだと理解した。その辺りは、皆と同じだよ」

「そして事件のことを知ったのはその半年先――か。ちょっとした浦島太郎気分だね」

「竜宮城のように楽しい状況でもなかったけどな」

 橙子はそう言うと、自嘲的に笑った。

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