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ACT39 依頼と報酬

 蓮が単独任務で二日間室を離れることになり、久し振りに吾妻にしつこく追い回された海は撒いた挙句の行き先として図書室に来ていた。


(静かだ……)


 図書室とは言っても、ドアで隔てられた個室ではなく通路と直結した一角にあるのだが、私語禁止のためシンとしている。特調に所属した当初から蓮はここを良く利用しているが、海は最近過去の新聞記事を読みに来た以外、殆ど足を向けることがなかった。それでも一人でいることに違和感を覚えずに済むこの空気は悪くないと思う。


(部屋に帰ると、妙に寂しいしな)


 周囲を軽く見回したものの、既にここでの用は済んでいたので、特に本にもパソコンにも触れることなく椅子にかけてそのまま机に突っ伏した。眠る気はなかったが、このところ集めた情報をまとめるのに視界を遮断した方が都合が良かった。

 十分ほどそうしていた頃、真横に人の気配を感じて顔を上げると、海にとってある意味吾妻以上に面倒な相手が隣の椅子に座っていた。

「げ……妙に威圧的な空気だと思ったら、おまえかよ」

「木坂でなくて悪かったな」

「いや、俺的にはどっちも変わんないけど」

 腕を組んで黙ってこちらを見ている平山にうんざりしながらそう言うと、海は頬杖を突きながら訊ねた。

「……なんか用?」

「用がなければ、わざわざおまえに近づいたりはしない」

「あっそ。でもここ、私語禁止だけど」

「だから起きるまで待ってやったんだろうが。行くぞ」

「俺の意見はハナから無視かよ……」

 二の腕をぐっと掴まれて強制的に立たされると、まるで連行されるように連れ出された。


***


「逃げやしないから、いい加減離せよ」

 通路を進んだ先で平山の手を振りほどくと、海は軽く肩を回して伸びをした。平山は海を一瞥したが何も言わず背を向けて一歩先を歩いた。ほどなく辿り着いたのは小さめの会議室だった。

「座れ」

「何で俺の時間をおまえに使わなきゃいけないんだ」

 ぶつぶつ言いながらも、平山の斜め向かいに腰を下ろした。

「で、なに?」

「片桐の両親の件だが」

「それか。ま、おまえが俺に用なんてそれ以外ないわな」

「情報を集めている、というのは本当なんだな?」

「だとしたら? おまえが俺に代わって調べ直すって言うなら、喜んで手を引くけど」

 挑発するように言ってみたが、平山はひどく冷静にこちらを見返した。

「いや。俺はおまえと違って、推理だとかロジックだとか頭を使うのは得意じゃない。だから頼みに来た。事実を明らかにして、片桐の心を救ってやってくれ」

 頭を下げる平山を、海はまったく温かみの感じられない眼差しで見つめた。

「事実を明かすことが、正しいとは限らないだろ。そもそも自身が忘れたくて忘れたことを、他人が強制的に掘り返して突きつけるなんて、本当に必要なのかね」

「それでも、いつまでも捕われ続けるよりはいいはずだ。何より片桐がそう望むなら」

「そうかな? そもそも、室長の手元には最初から全ての情報があるだろ。なのにそれを開示しようとしないのは、室にとって不都合だからだ。それは単に知られて困ることだけじゃなくて、今問題なく機能している橙子サンのエージェントとしての価値を、損なう危険性があることも含まれる」

「だとしても、それはきっと片桐には必要なことだ。たとえ一度躓いても、あいつは必ず自分の足で立ち上がる。そういう人間だ」

「そのためのサポートなら全力でする――か。ま、おまえらしい判断ではあるけど」

 平山の言葉に微塵も共感した様子はなく、海は極めて事務的に言った。

「正直、俺はそこまで付き合う気はない。室の判断で伏せていたことを、個人が掘り返した挙句に有能なエージェントに支障を来したともなれば、確実に責任を問われる。おまえと橙子サンの自己満足のために、自分のキャリアを犠牲にはできない。俺がこれまでここで実績を積んで来たのは、全部自分と蓮のためだから。その蓮に頼まれたから一応ここまで動いてはみたけど、実際のとこリスクが高すぎると思う。おまえに呼び止められたのがいい機会だ、やっぱり俺は降りると橙子サンに伝えてくれ」

 即決して立ち上がった海の手首を、平山が掴んだ。

「何の真似だよ」

「おまえの言い分は正しい。だが曲げて頼む。責任は全て俺に押し付けて構わないから、分かったことがあるなら片桐に話をしてやってくれ」

「押し付けるって言っても、俺が情報収集してたことはバレバレだと思うけど」

「情報を得ること自体は何も問題ないだろう。それも俺がおまえに頼んだことにすればいい。それを片桐に伝える判断をしたのが俺だとするなら、責任の所在はやはり俺になる。おまえに迷惑は掛からない」


(この時点でもう迷惑なんだけど)


 そう思ったものの、海は珍しくそれを口には出さない代わりに別のことを言った。

「何でそこまでするの? 橙子サンにとって、おまえはただの同僚でしかない。気持ちを伝えるつもりがないなら尚更だ。どれだけ尽くしても、報われないと思うけど」

「俺はそれでいい、見返りが欲しいと思ったことは一度もない」

「……やっぱり、おまえとは相容れないな。俺は尽くしたら尽くした分だけ見返りは欲しい。自分が好きな分だけ相手にも想って欲しい。じゃなきゃ、しんどいだろ」

「別におまえの価値観は否定しない。だから俺のこともそういうものと思って受け入れろ」

「まったく理解はできないけどね」

 それでも妥協した様子の海に、平山は急に思いついたように自分の携帯を取り出した。

「おまえの主張に沿うなら、依頼への対価は必要だな。こんなのはどうだ?」

「は? 携帯がどうかした……って! 何だよコレ!!」

大きな声と共に平山の手から携帯を奪うと、海はその画面に釘付けになった。そこには、大き目のスウェットを着て袖を持て余した蓮が苦笑しながら可愛らしく写っていた。

「先日、柴田が部屋に泊まった時に」

「泊まった!? 聞いてないし」

「おまえと片桐が不在の時だ、わざわざ言う必要もないだろう。どうせおまえが不快になるだけだ」

「今言われた方がもっと不快なんですけど!?」

「とにかく、俺のを貸してやったら絵面が面白かったんでな。おまえに見せるつもりもなかったが、報酬と言うならこれ以上のものもないだろう」

「萌え袖……彼シャツ……って彼じゃねーし!! ああでも、あざといほど可愛い。俺と蓮は服のサイズ殆ど一緒だから、これはやろうと思ってもできない、悔しい」

 食い入るように画面を見つめている海に、平山がダメ押しのように言った。

「画像は今この場でおまえの携帯に送ってやる。今回のことはそれで貸し借りなしってことでいいな?」

「もう一つ要求追加、転送した後のデータは削除しろ。その条件でなら受けてやる」

「分かった。交渉成立だな」

 早速データを受け取ると、確認した後に平山の携帯からは蓮の画像を手ずから消した。


***


 蓮が戻った日の夜に、海はこれまでの進捗を伝えた。一度は手を引こうとしたことに加え平山からの交渉の件も隠さず伝えると、蓮は写真の件は複雑に思いながらも謝罪の言葉を口にした。

「ごめん。おまえのキャリアのこととか、深く考えないで頼んだ」

「いいよ、そもそも橙子サンのためだろ。そういう優しいところが蓮の長所なんだから。素直に俺を頼ってくれたのも嬉しいし」

「それでおまえに迷惑かけてたら意味ないだろ。リスクがあるなら、自分で負わなきゃ。今度からもっと考える。俺だってべつに、おまえに無理させたいわけじゃないから」

「分かってる。でも俺じゃなくて自分なら構わない、みたいな考え方もやめてね。言っとくけど蓮は俺のものだよ。他人のために損なうなんて、それこそ俺が許さない」

「分かったよ、自分のことも気を付ける」

 蓮が素直に頷いたので、海もそれ以上の諌言はやめて今後の予定についておおまかに話した。

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