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ACT38 非公式調査2

「資料室に行くなら、橙子サンにも声掛けた方が良かったんじゃないか? 当事者なわけだし」


 講義の後、B4へのエレベーターに乗り込みながらそう提案する蓮に、海はゆるゆると首を振った。

「逆だよ。当事者に居られたら、どうしたって訊き辛いことも言い難いこともあるだろ。それに橙子サンは一人で散々ここに来てる。今さら新情報が引き出せるとも思えない」

「今さらって言うなら、俺とおまえが行ったって同じじゃないのか?」

「そうでもないさ」

「すげー自信……」

 それが実績に裏打ちされたものだと分かってはいても、蓮は海の言葉に苦笑した。

「でも橙子サンとおまえに、そこまで能力差があるとは俺には思えないけど」

 蓮が正直に思ったことを言うと、海は薄く笑って頷いた。

「うん、蓮の感覚は正しいよ。橙子サンも俺も思考タイプは似ている。同じ材料を与えられたなら、まず同じ結論に辿り着くだろうね。そこに大きな差があるとは俺も思っていない」

「だったら」

「ただ今回のケースは、能力じゃなくて覚悟の問題だから」

「覚悟?」

「無意識に記憶を制御している時点で、橙子サンは未だ過去と対面する覚悟ができていない。知りたいけど、心のどこかで知りたくもないと思っている。そんな状態なら、俺が出し抜くのは容易い」

「はー……」

「あ、あれ? 嘘っぽかった?」

 呆れられたかと心配した海だったが、予想に反して蓮はにこりと微笑った。

「いや、感心した。エージェントの顔してるおまえ、やっぱ恰好いいな」

「!」

 不意打ちの素直な賛辞に、海は珍しく赤くなった。

「あれ、照れてんのか?」

「……だって、蓮が急に褒めるから。ねえ、キスしていい?」

「だめ。もう着いたし」

 直前の微笑を消してすたすたと先にエレベーターから下りる蓮を、海は慌てて追いかけた。


***


「あら、いらっしゃい。ちょうど文人と入れ違いね」

 資料を書棚に戻していたミストは、入って来た蓮と海を見て嬉しそうに声を掛けた。

「当然。帰るの待ってたから」

「また何か、黒歴史でも調べてるの? あんまりおかしなことに首を突っ込むと、そのうち大火傷するわよ」

「ご忠告どうも。でも今回は人助け的な?」

「人助け? 似合わない言葉ね」

「俺もそう思うよ。だけど蓮に頼まれたら嫌とは言えないでしょ」

「蓮に?」

 二人のやり取りを傍観していたところを急に注目され、蓮は軽く咳払いして頷いた。

「まあ、橙子サンにはいつも世話になってるから」

「橙子、ってことは例のことね。入院していた母親、自殺したそうね」

「うん。だからもう、二度と当事者の証言は聞けない。あの日、いったいどんなやり取りがあって、何故教授が殺されたのか……過去の記録と事実で推察するしかないわけ」

 淡々と答える海を、ミストは呆れたように見上げた。

「橙子が長年調べても分からなかった真相を、あなたが明らかにしようと言うの? それってひどく傲慢に聞こえるわ」

「蓮にも言ったけど、この件は橙子サン自身が心のどこかで無意識にブレーキを踏んでる。だから寧ろ、躊躇いのない俺の方が有利なんだよ。それに蓮は実際橙子サンから直に助力を頼まれてる。そうでしょ、蓮?」

「ああ。新聞記事のコピーデータも渡されて、何か気づいたことがあればどんな些細なことでもいいから教えて欲しいって。無意識下はどうであれ、真実を知りたいと思っているのは本当だと思う」

「当然、その後ろに海がいることも承知――って訳よね。というか、そもそも蓮を通じて海を動かしたかったのが本音でしょうね。そういうことなら私も協力してもいいけど」

「本当に? 良かった」

 あまりに素直に喜ばれて、ミストは蓮の毒気のなさに苦笑せざるを得なかった。

「でもできることは少ないと思うわ。私はずっとこのB4に囚われているわけで、B1の様子を実際見聞きできたわけじゃないから。と言うか海、あなた橙子より先に特調にいたじゃないの。彼女が保護されて来た時のこと、何か覚えていないの?」

「何も。まだ蓮に出会う前で、他人にも周囲の事象にも一切興味なかったから。でもあの人、最初からぐいぐい絡んできて正直迷惑だったよ。皆と一緒に遊ばないのかとか、少しは笑えとか……毎日何かしら話しかけてきた」

「ここに来て私と出会ったのも、海を尾けてきた結果だものね。あなたあの時、初めて大きな声出してたわね」

 その時の情景を思い出したミストは、おかしそうにくすくすと笑った。海は肩をすくめながら、強めの口調で分かりやすく話題を変えた。

「そんなことより。あんたにしかできないことで、もっと重要なことが他にあるだろ。橙子サンに見せた過去の資料、俺にも見せて」

 当然のように手を差し出す海をゆっくりと見上げながら、ミストはにこりと微笑んだ。

「だめ」

「は?」

「室長許可がなければ、ここにある資料は一切見せられない。そんなこと、今さらあなたに言うまでもないことよね」

「それは……でも、橙子サンには見せたんだろ?」

「ええ。けどそれは、決して個人的感情からではないわ。あくまでルールに則ってのことよ」

「ルール?」

「原則、資料の閲覧には室長許可を必要とする。但し例外として、閲覧者が過去に担当した案件と、閲覧者自身もしくはその親族が案件に関わっている場合のファイルの閲覧に関してのみ、許可を必要とせず提示要求が可能。資料室の管理規則にそう明示されているわ――そして」

 一度言葉を切ると、ミストはいつになく厳しい口調で続けた。

「私はここの司書であり管理人。ルールを逸脱してまであなたたちに協力する義理はない。資料を見たければ橙子を連れて出直すか、如月から正式に許可をもらってきなさい」

 凛として告げるミストの言葉に、ミストなら何でもありだろうと勝手に考えていた海は当てが外れて絶句した。そんな海に、蓮が気遣うように耳打ちした。

「そうなんだ。俺はともかく、海も知らなかったのか?」

「知らなかった。そもそも、ここの資料なんて一度も見たことないし。特に必要じゃなかったから」

 むくれたように呟くと、海はため息を吐いた。いきなり出鼻をくじかれてしまった二人を少し憐れに思ったミストは、少し考えてから別のことを提案した。

「蓮がノンリミ推定として保護された時、如月が現場に出動するほどの事態になったこと覚えているでしょ? あれもまた一つの案件として、ナンバーが割り振られているわ。当事者のあなたたちならもちろん見せてあげられるから、参考までに見てみる?」

 そう言うと迷いもなく一つの書架の前に立ち、黒いビニール製の表紙のファイルがいくつも並ぶ中から、一冊抜いて机の方に歩いた。

「立ってないで、座りましょうか」

 ミストに誘導され、以前保安室の成り立ちについて話を聞いた四人がけの席に、蓮と海は並んで座った。前に置かれた資料の表紙を捲ると、案件ナンバーと担当職員の名前の横に如月の名も記されている。そこを指さして、ミストが説明した。

「ここには実際の担当者が記入される。だからここに如月の名前が入ることは、かなり珍しいことよ」

「ふーん……」

 興味なさげに返事をする海だったが、それが自分のやらかした結果であることは承知している。きまり悪げにページをめくって行くと、通学路と例の路地裏の写真が現れて横から見ていた蓮は密かにドキリとした。蓮のそんな様子には気づかず、ざっと目を通した最後のページに見覚えのある筆跡を見つけて手を止めた。

「げ、俺の始末書のコピー。こんなもんまで綴じられてんのか」

「そう。関係書類は全てね」

「でもこの資料、本当にあの日の乱闘のことしか記述がない。蓮の観察の一部なのに、これだけ切り離されて別ファイルになってる?」

「そうよ。順当な任務と、突発的な任務では案件ナンバーが配列からして異なるからファイルも別になるの。因みに黒が突発、青が順当。蓮の観察の方は、青のファイル。見る?」

「うん」

 二人の視線の先で蓮が頷いたので、ミストは再び立ち上がって書架からもう少し厚めの青のファイルを引き抜き、すぐに戻って来た。

「よくまあ、あれだけある中から迷わず一瞬で手に取るよな」

「ナンバーさえ頭に入っていれば簡単よ。まあ、あなたたちのことは私にとっても特別ではあるから」

 表紙を捲ってすぐ、当然ながら海と本郷の名があった。更に読み進むと、蓮の観察当初の写真が載っていた。

「うわ、蓮可愛い……! 懐かしいなー」

「完全に隠し撮りじゃんか、怖」

「撮ったの俺じゃないよ。多分このあたり、全部本郷さん」

 きゃっきゃしている二人を、ミストは冷めた口調で注意した。

「元気が出たのはいいけど、全力で脱線し過ぎじゃない? 橙子のことはどうするのよ、これでお終い?」

「あ……ごめん」

「そうは言ってもなー。やっぱり橙子サン連れてくるしかないかな。あ、因みにさ。片桐教授の殺害時のファイルも存在する?」

「ええ」

「それは、案件の名目としては橙子サンの保護?」

「そうなるわね。殺人事件の捜査は警察の仕事だから。あくまで目的は、その場に居合わせたノンリミの保護」

「ふーん……ん?」

 ミストの言葉に疑問を感じた海は、蓮の保護時の資料を再び読み返した。そして確信を持って言い放つ。

「今あんた、ノンリミの保護って言ったよな。でもさっきの蓮の時は推定が付いてた、それって単なる言い間違い?」

 海の指摘に、ミストは髪を払いながら艶然と笑った。

「あら、失礼ね。私の仕事に関する記憶と言葉は正確よ。蓮は候補だったけれど、橙子は保護の前からノンリミと断定されていた。それは間違いないわ。橙子は比較するものがなかったから、特段疑問には思わなかったようだけど」

「でもそれっておかしくないか? 確信を持って保護されるにしても、ノン・リミッターだってことは誰でもここで検査を受けて初めて認定されるんだろ? 保護の前から分かってるなんて、あり得ない……」

「そう言われても、私は事実を伝えているだけ。海、あなたもあり得ないって思う?」

「いや、それで一つの可能性が見えてきた。因みに、橙子サンがここで閲覧したファイルは何冊? そのくらいは教えてもらえるんだろ?」

「二冊よ」

「黒と青、一冊ずつ?」

「ええ、そう」

「じゃあもう一つ質問。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「当たり。やっぱりあなた、怖い子ね」

 海の指摘を、ミストはどこか空恐ろし気に肯定した。

「え? ど、どういうこと?」

 すっかり置いてけぼりになっていた蓮はきょろきょろ交互にと二人を見たが、海は答えず蓮の手を取って出口に向かった。

「帰るよ、蓮。室長の許可がない以上、俺たちにできるのはここまで。じゃあね、ミスト」

「ええ、またいつでも来てちょうだい。待ってるわ」

 戸惑う蓮を扉から連れ出し、海はエレベーターのボタンを押した。到着を待ちながら、蓮は遠慮がちに海に訊ねた。

「なあ、俺にはさっぱりなんだけど。さっきの話でおまえには何か掴めたのか?」

「まあ、大まかにではあるけどね。出来る範囲で裏を取ったら、あとは全体像の再構築。任務が入ったら後回しになるけど、近いうちに一つの仮説くらいは提示できるかもしれない」

「……」

「蓮?」

「いや、感心するばっかじゃダメなんだろうけど。やっぱりおまえすごいな」

「……っ!」

 言葉と共に熱っぽい眼差しを注がれ、海は来た時のようには我慢することなく開いたエレベーターのドアに蓮を引っ張り込むと、今度は許可を問うことなく口づけた。

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