ACT36 ロスト・リミットの真実
「さて、と。何から話せば良いのかしら」
パチリと人形のように見開いた瞳に正面から見つめられ、蓮は幾分気後れしながらも言葉を返した。
「訊きたいことは沢山あるけど、まず初めに。ミストがロスト・リミット症候群て言うのは、本当?」
「本当よ。尤も公式には認められていないことだけど。私はその存在全てがオフレコなの」
「それは俺たちと同じだろ。戸籍上は、俺も事故で死んだことになってる」
「それでも、特調保安室の公務員としての存在は認められている。私にはそれさえない。表でも裏でも非公式の本来はいない筈の幽霊のような人間。だからIDカードも与えられていないし、基本的にはパスワードで管理された扉の外に出ることも許されない」
「それは、どうして?」
「私が生きていることで、都合の悪い人や組織が未だに存在するからでしょうね。それでも私がある程度この中でだけでも自由に行動できるのは、如月のおかげ」
「室長の?」
「そう。海は彼を煙たがるけど、如月は私がこれまで見てきた中では間違いなく最高クラスの上司よ。采配も判断力も、リスクや責任を引き受ける度量も覚悟も備えている。もう少し、優しくしてあげてもいいんじゃなくて?」
「あのおっさんに俺が? 気持ち悪いこと言うなよ」
「親の心、子知らずとはこのことね」
「親じゃねーし」
海のすげない返事に肩をすくめると、ミストは蓮に向き直った。
「ごめんなさい、話が逸れてしまったわね。とにかく、珍しさだけに論点を絞るなら、私はあなたたち以上に稀有な存在。この姿が、何よりの証明だとは思うけれど」
そっとドレスの胸元に置かれた手は、白くて華奢で折れてしまいそうなほどだった。やはりどう見ても十代にしか見えないその姿に、蓮は好奇心を抑えきれず口を開いた。
「あのさ、ミストは実際何歳――」
「あー、柴田。それ以上はやめておけ。話どころでなくなる」
禁断の質問をしかけた蓮を制して、橙子が横から口を挟んだ。
「ただ私も、これまでうやむやにしてきたことについてこの際だから知りたい。ロスリミでありながら、身体の故障もなく五体満足で生きていることとその不老の姿。無関係ではないんだろう?」
するとミストは、時折見せる不似合いなほど老成した笑みを浮かべて三人の顔を順番に眺めた。
「橙子と海は、薄々感づいているんでしょう? それでも今まで、一度もそのことについて触れなかったわね。私のこの姿とかつてのLLユニットと更にそ以前の軍の研究。それらは正式な記録からは抹消された黒歴史であり、全てが一本の線で繋がっている。でも、あなたたち本当に――知りたいの?」
静かな声音に、本能的に背筋が震えた。
それは間違いなく、実際にあった過去であり現実を生きてきた人間の、限りなく重みのある問だったから。息苦しいような思いでふと救いを求めるように隣の海を見つめると、海は優しい眼差しを返しながら包み込むように肩と手に自分の手を添えてくれた。
「大丈夫、蓮は一人じゃないから。どんなに重くても、俺が一緒に背負ってあげる」
「海……」
「あらあら、見せつけてくれるわね。橙子、あなたは一人みたいだけど大丈夫?」
「余計な世話だ。私は良いことも悪いことも独り占めが信条なんだよ」
「うわ、橙子サン寂し……」
「黙れ、水沼」
緊張感のないやり取りにミストはくすくすと微笑うと、仕切り直すように姿勢を正して口を開いた。
「さて、あなたたちの覚悟の程は分かったわ。それなら聞かせてあげる、嘘偽りのない真実を」
***
正確な年月ははぐらかされたものの、大正時代に生を受けたことと、橙子からも事前に教えられていた軍人の家系であったことなどを当人の口から改めて聞かされた。症状が進み、屋敷の座敷牢で寝かされていたという話に蓮は衝撃を受けた。
「牢って、家族なのに?」
「当時は今以上に異質なものを忌み嫌う風潮があったのよ。私は鬼子と呼ばれて、父や姉からまるで化け物のような目で見られていたし実際そういう風に扱われていた」
「ただの病気なのに」
自身の家族とのあまりの違いに、愕然としている蓮にミストは苦笑しながら蓮の手をつついた。
「ほらほら、こんなところで挫けてたら、この先もっとしんどいわよ。蓮だったら泣いちゃうかも?」
「泣かねえよ」
「その時は俺が慰めてあげるからね、蓮」
「離せ、鬱陶しい。邪魔するならおまえだけ帰れ」
海の顔を押して引き離すと、海は途端に泣きついた。
「やだやだ、大人しくしてるから許して」
「海にこんな扱いができる子、初めて見たわ」
感心したように呟いた後、ミストは話を続けた。
「無駄にに名家だったものだから、世間体を気にした父が私の存在を持て余していたそんな頃だった。家に田口という軍医が訪ねて来たの。そいつがね、父に私の正式な病名を教えたの。その上で、陸軍の研究施設に引き渡すよう要請した。その結果、父は私を軍に売り渡したというわけ」
「売った? 治療ってわけじゃなくて?」
「蓮は人がいいのね。私の身柄が移って即日大佐に昇進したそうだから、間違いなくそれは対価でしょう。邪魔者を厄介払いできた挙句、見返りに出世が約束されるなんてまるで夢のような話よね?」
「……」
「ごめんなさい、答えに困るようなことを言ったわ。とにかく、そこから私は一切の人権を失くした。貴重な実験体として、毎日血を抜かれ、ありとあらゆる検査にかけられた。何故だと思う?」
「軍が引き取った以上、当然それは軍事目的だろう? つまりはロスリミの軍事転用。制御をなくして並以上の力を発揮できる戦闘員を作り、戦地に送り込むこと。それが、当時の軍の本来の計画だったというわけ?」
海の推論に、ミストは満足したように頷いた。
「さすがね、その通りよ。ただそのままでは余りにも私たちの身体は脆すぎる。だから、彼らは何とかして反動によるダメージをなくそうとした。長年研究されていた筈のロスリミが、今も治療法が確立していないのも当然よ。だって、そもそも治療する気なんて初めからなかったのだから。制御を元通りにするためでなく、外したまま生かすことのためにのみ研究はなされた。その中の一つのバグが私。私は摩耗する細胞の異常再生に特化した薬を投与され続けて、それが体質に合ったのか合わなかったのか……結果として細胞の死滅が止まり、成長も止まってしまった。おまけに異常再生の副産物で、外れた筈のリミッターさえ戻り私はロスリミですらなくなった」
凄絶な話を、どこか他人事のように音楽的な声で語るミストの姿はひどく不思議なものに見えた。
「もちろん、私の姿に不老不死の可能性を求めて色めき立つ人間も存在した。でもね、その後どんなに他の個体に同じ実験を繰り返しても、ただの一度も私と同様のケースは生まれなかった。それどころか、結果を焦った科学者の無理な実験のせいで、大半のロスリミは死んでしまった。第二次世界大戦の敗戦後、軍が解体された時に、私は無駄に唯一生き残った異種として、またも厄介者扱いされた。非人道的な実験の事実を表に出す訳にも行かず、政府の別機関に負の遺産として引き継がれた」
「それが……『LLユニット』?」
「ええ。直後はまだ所属は公安で、正式な名前もなかったけれど。数年後に独立してその名を冠したわ。でも結局、その時になってもまだロスリミは純粋な病としての研究はしてもらえなかった。それどころか――」
一度言葉を切ると、ここに来て躊躇うようにミストは小さく息を吐いた。
「よしましょうか、さすがに推論が過ぎるわ」
「え、今さら? 今までのだって、あんたの体験と主観で、公式な話じゃないだろ?」
「それでも九割以上の確信あってのことよ。これは良くて五割、だからやめておきましょう」
海の不服そうな視線を受け流して、ミストは話の軌道を改めた。
「とにかく時代が変わって軍がなくなり組織が変わっても、ロスリミに対する方針は変わらなかった。力のコントロールと身体の強化について様々な研究と実験が繰り返されるうち――世界にとんでもないものが現れた。何だか分かる?」
「ノン・リミッター?」
「正解。あなたたちの存在は、正に青天の霹靂だった。これまで何人の科学者がどれだけ時間とお金と被験者の命を費やしても成し得なかった成果を、神が容易く叶えてしまったというわけ。まるで、人間の無駄な努力を嘲笑うかのように。その後すぐに研究は打ち切り。LLユニットは瞬く間に解体され、施設は凍結された。誰も居なくなった地下の空間で、私はしばらく一人で気ままに過ごしていたのだけれど。数年後に、再び施設は稼働した。今度は内閣直下の所属として、稀有で貴重な人種を保護し、監督する機関『内閣情報調査室付特別調査部保安管理室』と名を新たにし、クリーンな存在として確立した。そして今のところ、その共存関係は上手く行っていると言えるのではないかしら」
「……今のところは、そうかもね」
海の呟きに、ミストは面白そうに言葉を返した。
「あら、不穏なことを言うのね。新人類の王子様は、人類に対して反乱のご予定でも?」
「よせよ、そんな呼び方……あるわけないだろ。俺の願いは至ってささやかだ。蓮と一緒に居られたらそれだけで満足。それ以上は何も望まない」
「本当に変わったわね、海」
かつて虚無を映していた瞳を眩しそうに一瞥して、ミストは横の蓮に向き直った。
「さて、私の話はこれで全部。あなたの知りたかったことは、この中にあったかしら?」
「最後にあと一つだけ。結局、ロスリミとここは最終的にどういう位置付けになったの?」
「無関係」
あっさり一言で片づけたミストは、ぽかんとした蓮の表情を楽しんでから言葉を続けた。
「最初から、政府も公安も一切関与していなかったという姿勢よ。研究結果は闇に葬られ、全てなかったことにされた。その代わり、ようやく正当な医療に戻されたとも言える。近年になって一からの研究だしそもそも罹患者は多くないから、決して迅速な変化は期待できないかも知れないけど、別の病の研究が突然汎用性を持つ場合もある。きっとそう遠くない未来に、彼らが本当に救われる手段も生まれるわ。そう信じましょう」
「ミストがそれで良いなら……」
彼女の口から個人的な感情が殆ど伝わってこなかったことに違和感を覚えながらも、蓮の心の中でようやく長谷部の事件に対する幕引きができた気がした。忘れられるものではないが、これで一度区切りをつけて進むことはできる。蓮の表情を嬉しそうに見つめていた海は、自分もこの際だから訊けることを訊いておくことにした。
「ところで、あんたは結局のところ本当に不老不死なの?」
「さあ、どうかしら? 不老不死の定義自体曖昧だし。毒を飲んだり、致命傷を受ければ普通に死ねるとは思うけど、試してみたことはないわ」
「殺されかけたことないの? あんたの口さえ封じれば、当時のことを知る人間は誰もいなくなるわけだし。内調や公安があんたを生かすメリットが俺にはさっぱり分からない」
「おい、水沼」
さすがに口が過ぎると橙子が窘めたが、ミストは気を悪くした風もなく笑っていた。
「良いのよ、橙子。海、私もね。これだけ長く生きていれば、たとえ実験体だったとしても、繋がりと呼べるものはどうしたってあるの。それこそ水面下で交わった糸がどこでどんな風に絡んで悪戯をするか……上席の人達にも分からない。把握できないものには、手を出さないほうが無難だと思わない? 彼らの選択は、至極当然だと思うわよ」
「ふーん。この間の薬みたいな、妙な差し入れをしてくれる知り合いがいるってことも上を牽制し得るファクターってわけだ」
「そうした損得勘定だけでなく、存在自体が心の支えになること。今のあなたなら、理解できるでしょう?」
蓮をちらりと眺めながらミストがそう言うと、海は素直に頷いて蓮を熱っぽく見つめた。二人の視線を困ったように受け止めている蓮を微笑ましく思いながら、今度こそ最後とばかりに改めてゆっくりと口を開いた。
「自分たちの立っている場所が、多くのロスリミの屍の上に成り立っていること。できれば忘れて欲しくない。だけどそれを知って尚、何事もなかったかのような顔で生きて行くことがあなたにできる? それができないのであれば、今の話は全て忘れてしまいなさい。罪を負うべきなのは、あなたたちのような未来ある子供たちではないのだから」
慈愛を湛えた眼差しに、一瞬だけ母親の面影が重なって見えた気がした。その幻影を振り払うように、蓮は強く頭を振った。
「俺は器用な方じゃないから、何事もなかったようにはできない。正直室の歴史は、俺が思っていたより遥かに重くて残酷だった。それでも、忘れようとは思わない。ミストのことも他のロスリミのことも……少なくとも俺たちだけは心に刻むべきだと思う。だって俺には、それしかできないから」
「そうだね、蓮」
「そうだな、柴田の言う通りだ。私たちにできることは、そのくらいだ」
海と橙子も賛同すると、ミスト――日鶴は嬉しそうに微笑した。
「十分よ、それで。それしかなんて謙遜してくれなくていい……ありがとう」
それは紛れもない心からの感謝の言葉で、混じりけのないそれは三人の胸に確実に響いた。
***
「じゃあね蓮、今日は来てくれてありがとう」
帰り際ミストは扉の前まで三人を見送り、蓮に向けて手を差し出した。その白く華奢な手を注意深く握ると、彼女は子供じみた仕草で上下に振りそっと放した。
「いや、こっちこそ。今度また話の礼に差し入れ持って来るから、その時はお茶でも出してよ」
「あら、でも」
ミ ストがちらりと海を窺うと、海は渋い顔を作りながらため息を吐いた。
「蓮のお人好しは相変わらずだな、どうせ止めても聞かないんでしょ。その代わり一人で来るのは禁止、必ず俺と一緒に来ること。分かった?」
「うん、サンキュ」
「ああもう……可愛い」
「だからやめろってのに」
堪らず蓮に抱き着いている海を見て、橙子が呆れたように肩をすくめて歩き出した。
「やれやれ、緊張感のない奴だ。私は先に戻るからな。またな、日鶴」
「ええ、橙子。あなたもありがとう」
「あ、待って橙子サン。俺も一緒に帰る」
海の腕を振りほどくと、蓮は慌てて橙子を追いかけた。
「えー蓮、置いてくなんてひどい」
目前で金属製の扉が閉まり、ぽつんと取り残された海にミストはどこか残念そうに言った。
「あなた本当に変わったわ」
「そう? だとしたら、俺は蓮に出会ってからの自分の方が遥かにましだと思うけどね。それよりさ、さっき言いかけたこと、良かったら当てて見せようか」
「さっき? ああ……でもさすがのあなたでも、何のヒントもなしには難しいと思うけど」
半信半疑のミストに海がこそりと耳打ちすると、彼女は驚愕のあまり思わず目を見張った。
「……怖い子ね、あなた。忠告しておくけど、そのことだけは絶対誰にも言っちゃだめよ」
「分かってる。俺もそこまで馬鹿じゃないよ。じゃあね」
ひらひらと手を振り、海はパスワードを打ち込むと扉の向こうに消えて行った。
静寂が訪れた後、冷や汗が滲んだ手を握るミストの耳に海の囁きが蘇った。
『LLユニットでの最大の非道は、人為的にロスリミを作り出していたことだったんじゃないの? あんたと同じ人間を作るために、軍は一度ロスリミを殺し過ぎた。研究を進めるには明らかに数が足りなかっただろうね。だとしたら現在のロスリミ罹患者の何割かは、過去の遺伝子操作の犠牲者なのかもしれない』
***
一方、先に帰った橙子の電話にエレベーター内で着信があったため、彼女はその場で応じた。
「室長? はい、はい。 ……っ!!」
絶句した後、エレベーターがB1に着いたため扉が開くと橙子はくずおれるように外の床にへたり込んだ。
「橙子サン!?」
慌てて駆け寄ると、橙子は横に膝を突いた蓮の肩に縋りながらこちらを見た。白い顔が、血の気が引いて青ざめて見えた。
「どうしたの、大丈夫?」
「……母が」
「え?」
「入院していた母が死んだそうだ、首を吊って自殺した」
毅然とそう言った橙子の表情は、驚愕と怒りに彩られていた。




