ACT31 禊
平山と話をした翌日、蓮は室長室に呼ばれていた。海は無理やり自分も付いて行くと聞かなかったが、呼ばれていないのだからと強い態度で部屋に置いて来た。
いつも通りノックをして入室すると、ドア前では佐伯が柔和に出迎えてくれた。
「室長は内調からの急な電話に対応中でして。柴田くん、こちらへどうぞ」
応接のソファに座って佐伯が出してくれたコーヒーを飲んでいると、デスク横のドアから如月が戻って来た。蓮が来ていることを認めると、急ぎ足でこちらにやって来た。
「呼び出しておいて遅れてすまない、佐伯くん私にもコーヒーを」
「承知しました」
対面に腰を下ろした如月は、疲れたようにソファに沈み込んでしばらく目を閉じていたが、運ばれたコーヒーにミルクを入れて一口飲むとようやく一息つけたのか、要件を切り出した。
「以前きみが通院していた病院で拘束したノンリミの中学生だが、外注先での更生プログラムを一通り済ませて特調の管轄に戻されることになった」
「それはつまり、エージェントとして登録されるってことですか?」
「そのつもりだ。ついてはきみに教育担当を頼みたいと思っている」
「俺が?」
「面識がある分、烏丸も馴染みやすいかと思うのでな」
「でもあいつ、俺のこと恨んだりしてないですかね」
自分を捕まえた人間ならと蓮は心配したが、如月はそれを笑い飛ばした。
「もしそんな思想が残っていれば、エージェント登録などあり得ない。全ての結果は己の行動が誤っていたせいだと、そうした正しい善悪の概念が存在していると判断されたからこそ、烏丸はここに戻ることができた」
「そういうことなら、可能な限り協力はします。ただ俺の場合、人生単位のストーカーを一人抱えているのでどこまで面倒見れるかは正直お約束できませんが」
海のことを冗談交じりに語ると、如月は神妙な顔で頷いた。
「それは無論。きみは先約の方を優先してもらって構わない。ところでその水沼はあれ以来、記憶や体調に問題はないかね?」
「異常なしです」
ミストの処遇について如月は何も言わなかったが、蓮も特調の闇を正面から突くわけにも行かずにそこは有耶無耶なままとなっている。
「内勤職員が部屋に案内してから、休憩エリアできみに引き合わせる手筈となっている。連絡は電話で入るので、よろしく頼む」
「分かりました。でも中学生って、俺たちと同じ現場には出ないですよね?」
「ペアの任務などはない。だが単独で子供だけが怪しまれずに潜入できる場所で使うケースは多々ある」
「海もそんなことを?」
「そうだな。あの子は特に未就学児の頃にここへ来たので、様々な経験を積んでいる」
「それは俺の観察も含めて、ですか?」
「その通り、それも仕事の一環だ」
「嘘ですね」
「……なに?」
「仕事の一環てのは噓でしょ、ノンリミかロスリミかどっちに転ぶか分からなかった俺の観察は正直そこまで重要なものじゃない。わざわざ海のような金の卵を使わなくても、普通の職員で十分だったはずだ。なのに敢えて海にやらせたのは、室長に別の思惑があったからじゃないですか?」
「面白いな、その思惑とは?」
「海を特調の外に出して、孤独なあいつに友人を作らせるつもりだった――違いますか?」
答える代わりに如月はコーヒーカップを深く傾け、残りのコーヒーを飲み干した。
「……話が長くなってしまったな。もう行きたまえ」
「否定しないってことは、当たりと思っていいですか?」
「私としては肯定もしていないつもりだが。何しろ水沼は、きみのことを友人だとは一言も言わなかったので」
恋人と公言していることを揶揄されても、蓮は冷静に反論した。
「それは室長の計算違いであって、俺のせいじゃありませんよ。ただ室長は、その計算違いですらシビアに仕事に利用してくれましたよね」
「恨み言かね?」
「とんでもない、特調の現実ってやつを叩きこんでいただけて光栄ですよ」
はっはっは、と口先だけで笑うと、蓮は態度だけは優良に退室した。
「柴田くん、わりと鋭いですね」
「それに思ったより図太い――水沼の横には相応しい」
「はい、お似合いですね」
大人二人にそんな評価をされていることも知らず、蓮は海の件で言質を取れなかったことを残念に思っていた。
***
「室長の話って何だったの?」
蓮の部屋の前で待ち伏せしていた海に、蓮は正直に泰一のことを話した。すると露骨に嫌そうな顔をして不平を言った。
「えー? 何で蓮があいつのためにそんな。蓮の時間は、すべからく俺のものだってことあのおっさん分かってないのかな」
「一応それは言っておいた、だからできる範囲でいいってさ」
「そんな蓮たら、愛する俺以外に割く時間なんかないってはっきり室長に?」
「いや、強烈な束縛ストーカー抱えてるから厳しいって」
「ひどーい、蓮!」
「何だよ、本当のことだろ」
戯れ交じりのやり取りをしていると、蓮の携帯に着信があった。
「はい、柴田です」
『職員の加藤木だ。烏丸泰一を今から指定の休憩エリアに連れて行こうと思うが』
「問題ありません、俺も今から向かいます」
『それでは後ほど』
通話を終わらせると、まとわりついてくる海を連れたまま蓮は休憩エリアに向かった。
休憩エリアに着くと、ちょうど反対側から黒スーツの男性と私服の少年がこちらに向かってきているところだった。蓮の姿を確認して目の前にやって来た。
「柴田くんだよな、加藤木だ。こっちが烏丸泰一、面識はあると聞いているが」
「はい。久しぶりだな、元気だったか?」
「……」
蓮の声に顔を上げた泰一は、何か言おうと口を開きかけてすぐに噤んでしまった。加藤木が少し間を読んでいたものの沈黙が続いたので、代わりに説明した。
「居住区で部屋の説明はしてきたが、施設の他部分についてはまだなんだ。良ければ案内してもらえると助かる」
「分かりました」
「ではよろしくな、俺はこれで」
泰一を蓮に託せたことで肩の荷が下りたのか、ほっとした様子で加藤木は執務エリアの方に帰って行った。
「えっと、とりあえず何か飲む? そこに自販機あるから好きなもの……」
言葉の途中で泰一が静かに泣き出したので、蓮は泰一と自販機の間でぐるぐるした後助けを求めるように海を見つめた。
「蓮、こっち」
蓮と泰一の腕を引いて、海は4~5人用の会議室に二人を連れて行った。入口のリーダーにIDパスをかざし、利用時間を打ち込んで室内に入ると二人を対面で座らせた。
「飲み物俺が買ってくるから。蓮はコーヒーでいいかな、そいつは何にする?」
「あ、いちごオレ」
「了解、少し待っててね」
海が出て行くと、蓮は見覚えのあるハンカチで涙を拭っている泰一になるべく穏やかに話しかけた。
「あのさ、もしかして俺のこと怖い? しんどいなら、室長に事情を話して他の人に交替してもらうけど」
「ち、違……」
ぶんぶんと首を振りながら泰一は一生懸命に意思を伝えようとした。
「違う、指名したの自分だから。柴田さんがいいって」
「そうなのか? じゃ、何で泣いてるの?」
「俺の日常が終わった日のこと、柴田さんの顔見たら急に思い出して、なんか」
「そっか、そうだよな」
怖がられているわけではないことに安堵して、蓮は少しだけ微笑った。そのタイミングで海が戻り、蓮の隣に座ると缶コーヒーを自分と蓮の前に置き、泰一の前にいちごオレを置いた。
「サンキュ、海」
「これ、懐かしい」
泰一の言葉に、蓮も同じ感想を抱いた。
「ストロー挿せるか? 今度は飛ばすなよ」
「やだな、大丈夫だよ」
二人だけで分かり合うような会話をしている様子を、海は面白くなさそうに眺めながらわざと大きな音を立ててプルトップを引き上げた。
「おまえはもう、帰っていいけど」
「え、やだよ。蓮をこのガキと二人っきりになんてさせられない」
じろりと睨まれて、泰一が委縮する。
「そもそも闇バイトなんて犯罪そのものなんだから。そんなものに関わったやつが――」
「海」
蓮の静かな怒気をはらんだ声音に、海も黙らざるを得なかった。
「ごめんな、変なこと言って。室長も言ってたけどとっくに禊は済んでるんだから、気にするなよ」
「ううん、更生プログラムが終わったからって帳消しになるわけじゃないってことはカウンセラーからも言われてるんだ。やったことは、なかったことにはできないって。だから忘れるんじゃなくて、定期的に向き合うことは必要なんだって」
「そういうことなら訊いてもいいか? そもそも関わることになったきっかけは何だったんだ?」
「SNSで、パワー系のバイト探してたら偶然」
「金には困ってなかったって聞いてるけど、バイトを?」
「とにかく力が発散したくて。金は二の次だった」
「一度やってみて、後悔しなかったのか?」
「あの時は俺も、ハイになってたんだと思う。なんか全力で走って警察振り切って、上手く行けば褒められるし。それからは必要とされてる実感と、持て余してた力が役に立つことがただ気持ち良くて」
「力の発散と承認欲求が同時に満たされたってわけか。倫理観もなしに突っ走るとか、ガキだねー」
「おまえ、言い方」
「でも本当のことじゃん。両親も揃った中流以上の家庭で育って一体何が不満なんだか」
「俺のことは、二人ともあんま興味なかったから。ロスリミって診断された時も、母さんが一番気にしたのは家の中の高いものには絶対触ってくれるなってことで」
「そうか……」
「へえ、くそガキの親はさすがにろくでもないんだね」
「海、おまえいい加減にしろ。黙らないなら出てけ」
「やだやだ、黙ります」
口を両手で押さえるポーズにため息を吐いて、蓮は改めて口を開いた。
「でも今は、自分の行動が間違っていたって理解してるんだよな。だったら後は、これからの行動で信頼を取り返して行けばいいさ」
「うん。でも、俺なんかに何ができるんだろう?」
「自分で考えなくても、任務は上から割り振られるから大丈夫」
「柴田さんも? 最近どんなのやった?」
ようやく見せた年相応の興味津々な表情につられて、蓮は単独やペアの任務について支障ない程度に話してやった。
「へえー……俺にもできるかな」
「できるさ。後三年もしたら、いやでもフル稼働になるんじゃないか。だからまずはここの環境に慣れることだ」
「うん。個室ももらえたんだ、ベッド以外ほとんど何にもなかったけど」
「シンプルだよな。買い物とか飲食ができるちょっとした街みたいなショッピングストリートって場所があるんだけど、俺も真っ先にテレビ買ったもんな」
「お金はどうしてるの?」
「その説明なかったのか。IDカードは?」
「それは貰った」
「月給制で給与はこのIDカードに全額反映されるから、これ一枚あれば生活には困らないよ。しばらくは初期費用と食費と家賃他で消えるだろうけど、任務をこなせば考課も付くからそれなりに貯まると思う」
「自分のお金か、なんか大人みたい」
にこりと笑った泰一に頷くと、蓮はそろそろとばかりに立ち上がった。
「それじゃ施設の場所案内と、あとはショッピングストリートにも行ってみようか」
「うん! あの、柴田さん」
「なに?」
「えっと、蓮くんて呼んだらだめ?」
「だめ!! だめに決まってんだろうが、調子に乗るなよこのくそガキ」
「ひい……っ」
「海……おまえは本当に。年下虐めて楽しいか?」
「楽しくはないけど、止めざるを得ない。だからこいつが悪いんだよ」
涙目で縮こまっている泰一と殺気を放つ海を見比べて、蓮は仕方なく言った。
「ごめん、こいつがうるさいってのもあるけど一応周囲へのけじめとして苗字で呼んでくれるか? くん付けで構わないから。それならいいだろ?」
「仕方ないなあ」
海も妥協したので、泰一もそれで納得した。
それから施設内をあちこち案内したわけだが、当然のように海も付いて来たので泰一は時々猛獣に対するようにびくびくしていた。それでも蓮にとっては、心の一部にかかっていた靄が晴れたようなそんな嬉しい出来事だった。




