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ACT30 橙子のルーツ

「平山さんは、橙子姉に告白ってしないんですか?」


「……!!」


 吾妻に直球で切り込まれて、平山は吹き出しかけたお茶を無理やり喉の奥に流し込んだ。口に当てていた掌を外して息を整えると、少し疲れたように無邪気な瞳を見返した。

「……水沼が、おまえに何か吹き込んだのか?」

「吹き込んだ、なんて人聞き悪いっすよ。ただ四回目の告白の後、『平山もあづみたいに行動できればいいのにね』って海さんが言ってたから、食い下がって色々訊いてみました」

「なるほどな。確かにおまえのその全く空気を読まない、ひたすら我が道を行く精神力の強さには恐れ入る」

「そんなぁ、褒め過ぎですよー」


(褒めてねーし……吾妻って存外爆弾だな)


 海は急遽会議に参加中、橙子は単独任務で不在だったため珍しく自分を含むこの三人で休憩エリアに来ていた蓮は、突っ込みが不在のこの状況を幾分持て余していた。平山の橙子に対する想いは自身も海から聞かされていたものの、本人の醸し出す威圧感と橙子の平山に対する態度から何となく触れてはいけない気がしていた。元々発言については遠慮がないと周囲から言われている蓮でさえそうだと言うのに、そのデリケートな部分にガンガン踏み込む吾妻の言動はもはや暴挙とも言えた。

 それでもいきなり話題を変える方が却って不自然な上、蓮としても気になっていたことではあるので、吾妻の作り出した土台にこの際乗っかることにした。

「でも橙子サンの周辺てさ、親しくしてるの平山くらいしか目に付かないし。俺も行っといた方がいいんじゃないかなーとは思う」

「柴田……」

 おまえもかとばかりに軽く睨まれたが、蓮は苦笑して肩をすくめた。

「そうですよー。早くしないと、とんだダークホースに持ってかれちゃうかもしれないですよ?」

「俺を見ながら言うな」

 巻き込んでくる吾妻にクレームをつけると、空っとぼけた様子で平山に向き直った。年下の二人に揃って焚きつけられ、憮然としながら平山はぼそぼそと答えた。

「片桐は面と向かって告白する奴がいないだけで、影ながら憧れたり懸想している奴はごまんといる。そいつらを刺激するような真似はしたくない」

「あー……」

 アイドルを相手にファンの一人が突進する状況を想定して蓮は思わず頷きそうになったが、吾妻は真向から否定するようにテーブルを叩いて身を乗り出した。

「でもそんなの、その他大勢じゃないですか! 普段近くにいる平山さんとは明らかに違いますって」

 学年が一緒という理由だけではなく、橙子が平山と共にあるのはきっとそれが居心地が良いからだろう。

「確かに。特別、と思っていいんじゃないかな」

 鼓舞されている状況を歓迎するでもなく、平山は寧ろ重いため息を吐いた。

「……確かに俺は、片桐のことを特別に思っている。これが恋愛感情だと言われれば多分そうなんだろう。だが俺は別に、片桐とこれ以上どうなりたいと思っているわけじゃない。今のまま傍で見守ることができればそれでいい」

「そこまで気づいてるのに、何で」

「それが、片桐の望みだから」

「橙子姉の?」

 少し躊躇うような間が空いてから、平山は再び言葉を選ぶようにして話し出した。

「これは俺が話して良いことかどうか正直なところ分からないが……おまえたちは知っておくべきかもしれない。片桐はな、自分の両親を間近で見ていたせいで、結婚だの愛だのに夢を持てずにいる」

「両親――て、何かあったの?」

「その前に、あいつの父親の話は聞いたことがあるか?」

 二人の顔を窺うように交互に見ると、吾妻がいち早く反応した。

「あります。大学教授で、頭も良くて優しい人だったって橙子姉が」

「俺もペアを組んだ時に少しだけ。被疑者が偶然橙子サンのお父さんを知ってて、片桐教授って呼んでた。橙子サンの名前は、お父さんから音の一部をもらったって」

「ああ。片桐透哉教授――社会学やマスメディアの研究者だった方でな。片桐の価値観や周囲に踊らされない物の見方は、全て父親からの影響と言ってもいい。そのくらい、あいつにとって父親は自分の中で偉大な存在であり、今も世界で一番尊敬している人間だ。だが母親は、その真逆だった」

「真逆?」

「元々、上司の娘でな。時代遅れな言い方だが政略結婚のような縁組だったらしい。凡庸で、特筆するべきこともない普通の女性だった。それでも母親は教授にベタ惚れだったそうだが、教授は彼女のことなどまるで眼中になかった」

「奥さんなのに?」

「そもそも恋愛ごとなど二の次だったんだろう。結婚はただの人生設計の一つの手段で、誰でも一緒だったんだよ。それでも教授の話を理解できるだけの頭を持っていたら少しは違ったんだろうが、生憎中身も外見同様だった」

「それはでも、お父さんの方がひどくありませんか?」

「片桐もそこは認めていた。父親としては満点でも、夫としては0点どころかマイナスだとな。片桐のことは自身に色々と似ていたせいか大層可愛がって、休日も時間を惜しまず己の知識を分け与えたそうだが、母親に対してはかなりドライだったようだ」

「……」

「でも、それって橙子姉が二人の間に入ってあげたら上手く行く部分もあったんじゃないですか? 橋渡しって言うか……」

「それを受け入れられるほど、母親に度量がなかったのさ。母親は、自分に欠片も向けられない愛情が全て片桐に注がれていることに嫉妬した。父親のいないところで、感情をむき出しにしてあたることも度々だった。そうされることで、片桐の母親に対する印象は悪化する一方だったし、父親と同様に母親を蔑視するようにもなって行った。その悪循環のせいで、後に母親は――」

 そこで一度言葉を切ると、平山は逡巡するように片手で額を押さえた。


「平山?」


「いや……結論だけ言うと、教授は片桐がここに来た年に亡くなっている。正確に言うと、殺された」


「……殺された? 誰に。まさか――」

「ああ、容疑者として真っ先に挙がったのが件の母親だった。だが証拠不十分と責任能力なしということで不起訴になっている。このことは当時の新聞やテレビでも少し報道されたが、片桐の室への保護と同時だったこともあって最小限に抑えられていた。詳しい経緯は知らないが、この時に片桐も世間的には死んだことになっている。事件とは別枠の事故という形だったがな」

「お父さんが、お母さんに。これって本当のことなんですか?」

「すまん、俺が話せるのは一般的な事実だけだ。これ以上のことが知りたければ、自分で調べるか片桐から直接聞いてくれ。とにかく、片桐にとって最も身近な結婚の終着点が最悪な形だったわけだ。加えてノンリミとしてのこの境遇……惚れた腫れたと浮かれていられない事情も分かるだろう。理解できたら、俺たちのことは放っておいてくれ」

 きつい言い方ではなかったが、有無を言わせぬ強制力がその言葉から感じられた。蓮も吾妻も黙って頷くしかなく、あの優しくて強く聡明な橙子にこんな凄惨な過去があったことに少なからず驚いていた。

「茶を飲みながらする話でもなかったな。それより、今の話のせいで片桐への態度を変えたり、あまり根掘り葉掘り訊ねたりしてくれるなよ。俺が叱られる」

「約束する」

「分かりました」

 二人が真摯に頷くのを確認すると、平山はお茶のペットボトルを持って先に席を立った。

「そうだ、柴田」

「なに?」

「風の噂で聞いたんだが、例のやつが処分を終えて学生組に配属されるかもしれんぞ」

「例のやつって?」

「闇バイトで捕まえたノンリミだ」

「え!!」

 驚きとどこか嬉しそうな表情に、平山もつられてふっと微笑った。

「近いうちに再会できるかもな。俺は明日からしばらく任務が入っている、何か変化があったら教えてくれ」

 そう言うと、平山は去り際子供にするように蓮の頭を撫でた。

「子供扱いかよ」

「その身長差じゃ仕方ないんじゃないの」

 一瞬憮然としたものの、最後に残してくれた明るいニュースに蓮は再び相好を崩した。

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