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ACT26 時の停まった箱庭

 あの書架がある空間の一体どこでお茶をするのだろうと疑問に思ったが、ミストはさらに奥の私室に二人を招いた。殺風景な資料室と違って、アンティークとパステルカラーの壁紙やクッションに彩られた部屋の中は部屋の主に相応しく愛らしい。


(でもファンシーすぎて落ち着かね……)


 ソファに腰かけながら固まっていると、海が横合いから蓮の頬をぷにぷにと突いてきた。

「そんな緊張しなくていいよ、別に取って食われたりしないから」

「いや、そんなこと心配してねーし。けど俺、あんまり女子の部屋って来たことないから、何か落ち着かない」

「そうだね、蓮は彼女もいたことないもんね」

「……悪いか」

「悪くない、だって俺がそうしてきたから」

「どういう意味?」

 きょとんとしている蓮を、海はたまらず抱きしめた。

「ああもう、蓮はこういうニブいとこも含めて可愛い……」

「ちょ、急に何だよ離せ」

 抱きつかれて蓮が慌てていると、お茶のポットとカップをトレーに載せたミストが部屋に戻って来た。

「本当に、海は蓮が大好きなのね。こんなにあなたが特定の人間に夢中になるなんて、以前は想像もしなかったわ。人間嫌いは克服できたのかしら?」

「そっちは相変わらず。俺は蓮のこと、人だと思ってないから」

「いや、思えよ。人間だから俺」

「いやー、こんなに可愛い生き物、同じ人類のわけがないよ」

 言いながらちゅっと頬にキスしてくる海を、蓮は鬱陶しそうに押し返した。

「離れろって」

「ほら、危ないからじゃれるの止めなさい。お茶が零れたらどうするの」

 まるで母親のように注意をしてくる少女に気恥ずかしくなり、蓮は黙ってテーブルの方を向いた。目の前に置かれた花模様のカップからは上品な紅茶の香りが立ち上り、中央の皿に盛られた色とりどりのマカロンは持参したものながらひどく魅力的に映った。

「さ、どうぞ遠慮なく召し上がれ」

 ミストに勧められるまま、蓮はまずお茶を一口飲んだ。明らかに上等な茶葉の香り高さに、蓮は純粋に驚いた。

「これ、美味い。俺、普段コーヒーしか飲まないけどこれは好き」

「紅茶は茶葉の量と、温度と、淹れ方が大事なの」

 褒められたことが嬉しそうに、ミストはピンクのマカロンをつまんで口に入れた。サクリと心地良い音と共に、中のクリームが口いっぱいに広がる感覚に自然と笑顔になる。

「美味しい、これはラズベリーね。緑のはピスタチオ?」

「うん、あとレモンとチョコと、オレンジとストロベリーとヘーゼルナッツ……だったかな? 一応店と俺のオススメ両方取り混ぜて詰めてもらった」

「ふーん、蓮はスイーツに関しては詳しいしこだわり強いよね」

 海はチョコレートのマカロンを手に取ると、無造作に口に放り込んだ。食感は確かに独特で味も悪くないが、値段に相応しいかどうかはよく分からなかった。ただ二人が妙に気が合っている様子なのが面白くなかったけれど、さすがにそれは口に出さずに黙ってマカロンを噛み砕いた。


 やがてマカロンの山がすっかり崩され、各自のポットからお茶のお代わりを注いでもらった頃合いで、蓮は気になっていたことを口にした。

「あのさ、二人が初めて会ったのって何年前?」

「んー……俺がまだここに来て間もない頃? 当然、蓮にもまだ出会ってない時で、いくつだったかな」

「九年前よ、海は七歳でしょ。あの時は、小さくて可愛かった。顔立ちも女の子みたいで、最初はお人形さんが迷い込んだのかと思ったわ」

「誰が。そっちこそ昔はもっと嫌味もなくて親切だった気がするけどね」

「私の反応は鏡のようなもの。だからそうさせる自分をこそ省みるべきじゃない?」


(九年前って……)


 どう見ても十歳前後にしか見えないこの少女と、九年前に出会っているという事実。二人の会話から推察しても、赤ん坊だったわけではないだろう。寧ろ、九年前の二人の身長差は今と逆転していたと思われる。だとすれば――


(九年前から、ミストは年を取っていない)


 恐らくはそれ以前から。彼女が一体何者で、本当は何歳で、どうしてこの特調の地下で暮らし、司書をしているのか。

 気になることは多々あったが、今それを訊ねたところで素直に教えてもらえるとは思わなかったし、海がどこまで何を知っているのかも疑問だった。不意に難しい顔で沈黙した蓮の顔を、ミストが向かいから興味深そうに覗き込んだ。

「蓮は素直なのね、すぐに顔に出てしまう。私が一体何者なのか……気になって仕方がない?」

「あ、うん、まあ……」

「直球なのが蓮のいいところだからね。でも、彼女に歳を訊くのはやめておきな。命が惜しければね」

「……」

 揶揄うような口調でありながら、海の目はひどく真剣だったので蓮は大人しく口を噤んだ。


***


「また近いうちにいつでもお茶に来て。いいわね、絶対よ?」

 念を押しながら扉の内側で手を振るミストに別れを告げて、蓮は海とエレベーターに乗った。二人きりになると、蓮は閉ざしていた口を待ちきれないように開いた。

「なあ、おまえはミストのこと、実際どこまで知ってるんだ?」

 蓮に問われて、海はどこか曖昧に笑った。

「俺も深く知ってるわけじゃない。彼女の存在は、公然の秘密のようなもので、誰かに大っぴらに訊けることでもないから。ただ、初めて会った時からあの姿なのは間違いない。だから俺にとって最初の印象は年上の姉のような人で、自分が成長するにつれ彼女を見下ろすようになって行くのが、正直何だかとても嫌だった。だからあの日を境に、俺はここに来ることをやめた」

「敢えて、だったのか。俺そんなこと知らなかったから、今日もしかして無理に……」

「あ、それはいいんだ。一人で来る勇気がなかっただけで、蓮が一緒に来てくれるなら、もう一度向き合ってみようって思えたから。だから蓮には感謝してる、ありがと蓮」


「海……」


 何だかいつもより寂しげに見える海の笑顔に、蓮は思わず自分から海を抱きしめた。


「蓮?」


「おまえは、一人じゃない……から」


「うん、分かってるよ」


 ポンポン、と蓮の背中に優しく触れると蓮はいっそう強く抱きついてくる。心地良く目を閉じるうち、エレベーターがB1に到着した。


 通路を歩きながら、蓮はまだ資料室のことを引きずっているのか、沈んだ口調で語り続けた。

「ミストは一人なのかな。あの扉、本当は資料を守ってるんじゃなくて、ミストを閉じ込めるためにあるんじゃないのか」

 蓮の真剣な様子に、海は少し考えてから手を引き、念のためあちこちに設置してある監視カメラの死角に連れ込んでからことばを返した。

「そうかもしれないね。彼女は多分、純粋なノンリミとも違う、同種の存在しないたった一人の人間なのかも。蓮はさ、特調がこの形になる前の組織が、古くは何て呼ばれてたか知ってる?」

「前の? 知らない、何?」

「『LLユニット』……そう呼ばれていたらしい。蓮なら、何の略かは分かるよね」

「……ロスト・リミット?」

「そう。先に公安が注目していたのは、実はロスリミの方だった。けど、後年ノンリミの存在が確認された直後、そのユニットは解体され、まるで何事もなかったかのように記録からも抹消されている。今、ただの疾患として扱われているロスリミに対して、いったい政府が秘密裏に何を研究していたのか……気になるところではあるよね」

「それは、純粋に治療に対しての研究をしてたんじゃないのか?」

「だったらそもそも、世間の目から隠れるように活動する必要はない。それにもしその頃から政府が治療に特化した研究を行っていたのなら、蓮が大学病院にかかった時にだって、もう少し対処法が確立していてもいいはずだ。なのに治療らしい治療は未だ不明ときた。古くから症例があったにしては、あまりに不自然だと思わない?」

「……」

 漠然とした薄気味の悪い感覚にぞっとして身を引いた蓮の、不安そうな顔に慌てて海は取り繕うような笑顔を浮かべた。

「あ、ごめん。怖がらせちゃった? でも少なくとも、今の組織がノンリミのためにあるのは事実だから。今話したことは俺の憶測も多分にあるから、あんまり鵜呑みにしないでね」

「う……ん」

「それよりほら、蓮の部屋に行こうよ。何だかってドラマ今日じゃなかったっけ?」

「そうだった! 今回佳境だから見過ごせないんだ。やっぱり早く録画機能付きのテレビ欲しいよな……あ、おやつ買って行こうぜ」

 話を逸らすことに成功した海は、すっかりドラマのことで夢中になっている蓮を微笑ましく思いながらそっと胸の内でつぶやいていた。


(保安室の闇はいずれ蓮も背負うことにはなる。だとしても、まだ知るには早いよね)


 蓮のことを案じていた海は、明日自身に起きる異変についてまったく予測もしていなかった。

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