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ACT23 カルテット・ライン3

「失礼します」


 ノックをして保健室に入ると、白衣の養護教諭、松下梓(まつしたあずさ)が書類を手にこちらを振り向いた。

「あら、見ない制服ね。転入生かしら」

「はい、今週の初めに。薬を頂きたいのですが、宜しいですか?」

「もう閉めようと思っていたのだけれど。授業は終わりでしょう、帰れないほど具合が悪いの?」

「いいえ」

「だったら、帰って早く休むかちゃんと病院に……」

「どこも悪くはありません。私は先生の特別な薬を頂きたいんです」

 橙子の言葉に、松下は軽く目を見張り、それからすぐにうっすらと微笑った。

「なに? 転入早々おかしなことを言うのね。特別な薬って何のこと?」

「PTSDにも良く効くとか。塚本くんから、そう教わったものですから」

「塚本くん? へえ、彼があなたに私のことを? ありえないわね。少なくとも、友好的に訊き出したわけではなさそう」

「それは彼を信頼している、という意味ですか?」

「まさか」

 松下は芝居がかった様子で手を振ると、椅子に改めて腰かけた。

「私と彼、別にビジネスパートナーじゃないわ。誤解しているようだからはっきり言うけど、私はあの薬を無償で提供しているの。お金を受け取ったことなんて一度だってないわ。だから自分を介さなければ一銭も懐に入らない以上、塚本がわざわざ私のことを他人に話すはずがない。それだけの話よ」

「……無償で? そんなことをして何の得になる」

「塚本もそう言った。だったら自分が代わりに売っても構わないかって。だから好きにしろって言ったわ。私はこれが、自分の作品が必要とされる相手の手に渡ればそれで満足だった」

 そう言いながら白とエメラルドグリーンの二色で構成されたカプセルを小さな小瓶から取り出し、華奢な手の上で転がすと、反対の手でつまんで橙子の目の前に翳した。

「一粒でいい夢が見られるわよ……試してみる?」

「遠慮しておく。ただ、証拠としては受け取ろう」

「何だか警察みたいなこと言うのね。あなた、いったい何者?」

「死人だよ」

「え?」

 虚を突かれたような松下から、瓶もろとも一瞬で薬を奪うと、蓋を開けて外に出ていた一粒も放り込んだ。それから用心しながらポケットに仕舞うと、厳しい眼差しを注いだ。

「養護教諭という学生を導く立場でありながら、その健全な育成を妨げるような薬を自ら作ってばら撒くなんて、常軌を逸している。いったい動機は何なんだ?」

「随分と固い喋り方をするのね、あなた。本当に何者なのかしら。私はただ、教育だけで救えない子供たちに、比較的安全な逃げ道を与えてあげたかっただけ。それから、みんながその子を必要としてくれたら嬉しかった」

「その子?」

 薬のことを指していると気づき、思い入れの強さに薄気味悪い気分になってポケットのあたりを見つめた。その橙子とは真逆に、松下は陶酔した眼差しでうっとりと微笑うと、白衣の内側に差し入れた手を橙子の目の前で開いた。掌に、さきほどと同じ瓶がさらに二つ乗っているのを認め、うんざりしたようにため息をついた。

「いくつあるんだ……」

「小さな瓶だから、身に着けておくには都合が良くて。持っているだけで心が落ち着くの」

「それはもう病気だ」

「そう? でも私、薬物依存ではないわよ。作るのは愉しいけど、自分ではあまり使わないの」

「体ではなくて、心の病気だ」

 二つの瓶も奪いながら憐れむように言うと、橙子は携帯を取り出した。蓮にメールを送ると、松下に向き直った。

「本来ならこの場に警察を呼ぶところだが、こちらにも事情がある。このまま黙って私と来てもらいたい」

「あなたが何者かも分からないのに? もしかしたら、この子目当ての暴力団関係者かもしれないじゃない」

「妙な正論を言うんだな。確かに明かせる身分は、ここの学生としか言いようがない。が、それでも来てもらう他はない。大人しく来てもらえるなら手荒な扱いはしないと約束しよう」

「殆ど脅迫ね……でもいいわ。本当のところ、あなたからは役所の人間と同じような匂いがする。たぶん、あなたの言葉に嘘はないんでしょうね。ねえ、そう言えば名前は? 名前くらい教えてくれてもいいでしょう」

「……片桐橙子」

 真顔でじっと見つめられ、ため息まじりに早口で答えると松下はその響きを確かめるようにゆっくりと復唱した。


「片桐、橙子……」


「そんなに珍しい名前でもないだろう」

「そうね、でもどこかで……」

「?」

「いえ、何でもないわ。ねえ、私これからどうなるの?」

「専門家ではないから、罪状について詳しくは言えないが……薬の内容にもよるだろう。材料そのものが検挙の対象になるものであれば、所持しているだけでも罪に問われる」

「規制はされていないわ」

「そうすると薬事法違反――か? どちらにしても、司法の前に警察の取り調べが待っているさ。あとはそちらに任せよう」

「この子たちと引き離されて? それは困るわ」

 ぽつりと呟くと、驚くほど俊敏に立ち上がって入口と逆に窓がある壁際に寄った。ここまで赤裸々に語った以上、今さら逃れるつもりがあるとも思えず意図を量りかねていると、見慣れた小瓶を右手に持ち、ざらざらと中味を左手に空けて瓶を投げ捨てた。

「最後は、やっぱりこれよね?」

「おい――!」

 カプセルを口にすべて流し込んだと見えた瞬間、背後の窓から伸びた手が松下の手と顔を容赦なく払い、派手な音と共に白とカプセルが床にバラバラと散った。

「な、なんてこと……を」

 タイルの床に膝を突き、慌てて拾い集めようとする松下の手を、窓から身軽に室内に入った蓮がしっかりとつかんだ。その光景に、橙子は安堵のあまり大きく息を吐き出した。


「柴田、ナイスタイミング。良くやってくれた」


「車を誘導してたら遅くなっちゃってさ、ごめん。間に合って良かった」


 未だ床の薬に意識を注いでいる松下を強引に立ち上がらせ、蓮は足元のカプセルを忌まわしげに足で軽く蹴った。


***


 すっかり呆けたようになってしまった松下を裏門から連れ出して特調の職員に引き渡した後、蓮は橙子に直前に仕入れた情報を共有した。

「特調から連絡あったけど、ダチュラだってさ、あれの主成分」

「ダチュラ? 聞いた事があるような……」

「ちょっと前、ニュースになったよな。別名チョウセンアサガオ。規制の対象じゃないけど、幻覚作用と危険性は違法薬物にも勝るとも劣らないって。一錠なら数時間幻覚見る程度だけど、一瓶飲んだら間違いなく致死量だろうね」

「実際、柴田がいなければ死なせていたかもしれない。助かったよ、本当に」

「いや、むしろもっと早く合流してれば良かった」

 照れたように頬をかきながら、蓮はそれでも嬉しそうに笑った。それから少し難しい顔をしてことばを続けた。

「あの人、昔それで一度死にかけて病院に運ばれたことがあるらしい。それ以来、部屋中鉢だらけにして栽培してたって。県警の刑事が部屋の中見て驚いたってさ」

 白い釣り鐘型の花に囲まれ、あの危うい笑みを浮かべている松下の姿を想像し、橙子はぞっとした。

「……魅せられた、ということか」

「そういうもん? 俺には、良く分からない」

「柴田は、本質が健全そのものだからな。あの水沼とあれだけ一緒に居ても汚染されないほどに」

「さすがに毒扱いはひどいんじゃないの?」

 憮然とした蓮が海をやんわり擁護すると、橙子は悪びれもせず蓮のことばを訂正した。

「毒、じゃない。あの男はどちらかと言えば麻薬だよ」

「同じようなもんでしょ」

「違うな。毒はすぐに殺すが、麻薬は思考を狂わせる。そして一つの物に過剰に執着し憑りつかれているという意味では、水沼はあの女と通じるところがあるかもしれないな」

「それって、結局どういうこと?」

「なんでもない、ただの戯言だよ」

 橙子は微笑って、蓮の肩を軽く叩いた。

結局、自身が薬物と同列に譬えられたことには気づかず、蓮は橙子と共に遅れてきた迎えの車に乗り込んだ。発車しようとしたところで、窓を不意にコツコツと叩かれたる。窓を少し下げると、職員が橙子に向かって話しかけた。

「ちょっといいか? 被疑者が、最後にもう一度君と話がしたいと言って乗車を拒否している。穏便に済ませたいので、協力してもらえると助かるが」

「私に?」

 訝りながらも素直に車を降りると、橙子は一人で連行用の車に向かったが、何か心配だったので蓮もワンテンポ遅れて後ろをついて行った。手錠をされて、後部ドアに寄りかかるように立っていた松下は、橙子を視界に入れると食いつくように声を掛けてきた。


「ねえ、あなた……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 橙子はその場にぴたりと歩を止めると、普段よりトーンを落とした声で相手の問いに応じた。


「人違いだ。彼の娘はとうの昔に死んでいるよ」


「そうね……でもだからこそ。だってあなた、さっき自分を死人だって言ったわ。それに生きていれば彼女は高校生くらいの年でしょう。今のあなたと、ちょうと同じくらいよ」


「……話は終わりだ。連行してください」


 職員に冷静に告げると、橙子は踵を返した。その拍子で蓮を目が合うと、彼女は僅かに目を見開いて苦笑した。

「心配させてしまったかな?」

「あ……うん、でも余計だったかも。ごめん」

「話を聞いていたか?」

「……うん」

「私の名前は、父の『とうや』から二文字、音をもらって『とうこ』になったんだ。父はとても私のことを可愛がってくれて、私も博識で優しい父が大好きだった――でも」

「?」

「父がある日突然亡くなって、気がついたら私は保安室に保護されていた。誇張でも省略でもなく、本当にそれしか覚えていないんだ。父の死は事実として理解していても、状況は後から新聞や資料で読んだ程度のことしか知らない。とても大事なことの筈なのにどうしてそこまで記憶が抜け落ちているのか、自分でも未だによく分からない」

「それって……」

「すまない、おかしな話をしてしまったな。帰ろう柴田」


 きゅっと悪戯っぽく手を握られて、蓮はびっくりしながらもその手を振りほどくことはできず、橙子のしたいようにさせていた。

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