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ACT19 世界は君色に染まる2

 翌朝、約束通り蓮は海を家まで迎えに来た。由真にくれぐれもよろしくと言われ、それに頷くと海を伴って学校へ向かった。道すがら引かれていた手を、海はやんわりとほどいた。

「そこまでしなくていいよ、子供じゃないし」

 観察対象であることを考慮し、嫌われては意味がないとできるだけ気分を害さないような言い方を試みる。すると、蓮は不思議そうに首を傾げた。

「何で? 子供だろ、俺たち」

 変に大人ぶらないところが、この年頃にしては珍しいと海は思った。それにとても律儀で、美里や由真の見ていないところでも彼は全く態度が変わらない。最初の施設にいた頃の、大人の視線の届かないところでだけ嫌がらせをする、周りの「お友達」とは根本から異なるとすぐに理解した。

「でも大丈夫だから。ありがと」

 気持ちは汲み取ったと示しながら、並んで歩く。車の多い大通りではないので、子供の足でも歩きやすかった。一部で、それぞれの子供の母親が交代でやっているのだろう、蓮と同世代の母やらしき女性が、学校近くの横断歩道を旗を持って立っていた。いずれは由真もそれをやらされるのかと思うと、戸惑う姿を想像して少し笑えた。学校に着くまで、蓮は海の様子を気遣いながら時折横や後ろを振り返りつつ先導して歩いた。同世代に気を遣われるのは初めての経験で、それだけで海は何だかくすぐったいような気持ちになった。


***


「それで? 初めての学校はどうだった?」

 蓮に送られて帰ってきた海を玄関で迎え、リビングに入りながら由真は明るい調子で訊ねた。

海はランドセルを煩わしそうに床に置き、何でもなさそうに答えた。

「別に。何か転校生が珍しいのかヘンに構われたけど、一過性のものですぐに飽きるでしょ」

「蓮くんは、学校ではどんな?」

「見た通り、だよ。学校でも真面目で目立った行動はしない。それでも、来るものは拒まずって感じかな? 休み時間はひっきりなしに誰かしら話しかけに来る。信頼は厚いのかもしれないね。あ、あと昨日は母親が何も言わなかったけど、体育はさすがに見学してた。だからずっと二人で木陰にいたよ」

「そう、それもそうよね。蓮くんはそれについて何て?」

「一応、『蓮もどこか悪いの』って訊いてみたけど、曖昧に濁された。まあ本当にロスリミだったとして、世間的な認知度は低いし、説明は難しいだろうね。本当は運動は好きなんだけど、って残念そうに言ってた」

「そうね……」

 ロスリミであればもってあと十年程度。ノンリミであれば家族と引き離されて当たり前の日常を失う。どちらにしても、蓮にとって幸福な結末はないように思われた。昏い想いを振り払って、由真はランドセルを部屋に片づけて、手を洗ってくるよう海に促した。

「そしたら、冷蔵庫にプリンがあるから食べなさいね」

「は、何で?」

「何でって、子供は帰ったらおやつを食べるものなの。夕飯までのつなぎに」

「別に、夕飯まで待てるし。てか、夕飯てまさかあんたが……」

「あんた?」

咎めるように聞き返され、海は言い直した。

「いや、おかあさんが作るんじゃないよね?」

「もちろん、私が作るわよ?」

「……」

「なに、その顔?」

「いや無理だから、出前でも宅配でも何でもいいから外部に頼んで」

「毎日それじゃ、栄養が偏るし第一、この辺りで噂になるでしょ? ちゃんと今日はスーパーに買い物行ったんだから、任せて」

 自信満々に胸を叩いた由真だったが、現在も実家暮らしで母親にすべての家事を丸投げしている彼女に当然そんなスキルはなく、食材を無駄にした結果、その日は買い置きのインスタントラーメンで夕飯を終えた。それから紆余曲折と試行錯誤の結果、料理の素質は海の方が向いていることが判明し、由真は朝の目玉焼き程度を習得するに至り、夕食に関しては海が二人分を作り続ける結果となったことは余談である。


***


 一般的に「平和」とも呼べる日々がしばらく続いたある日のこと。

 学校で数人の男子が集まって、一人が昨日買った新しいゲームの話題で盛り上がっていた。その勢いで学校帰りにみんなで家に集まろうと言う話になり、買った本人が蓮にも声を掛けてきた。

「――てわけだからさ、蓮も学校終わったらそのままうちに来いよ」

「あー……俺、いいや。海を家まで送ってやらなきゃだし」

「水沼? だったら水沼も一緒に来ればいいだろ。なあ水沼、おまえも放課後……」

何の気なく海を誘おうとしたクラスメートを、蓮は慌てて制した。

「よせって。海は発作が起きるかもしれないから、学校終わったらちゃんとまっすぐ帰らなきゃいけないんだよ。おばさんとも約束してるんだから、困らせるようなことすんな」

「え、そうなのか? 悪い、俺知らなかったから」

ばつが悪そうに頭をかくクラスメートに、海は仕事用のスマイルを浮かべて見せる。

「ううん、気にしないで。こっちこそ誘ってくれたのにごめんね? でも蓮は行っておいでよ。俺は今日くらい一人でも帰れるから」

「ほら、水沼もああ言ってるし、やっぱ来いよ蓮」

「おまえな、ちっとも反省してないだろ」

 じろりと調子のいいクラスメートを睨み付け、海にも続けて口を開きかけたが、すぐにチャイムが鳴って先生が入ってきてしまったので仕方なくそのまま口を噤んだ。


 放課後、蓮が昼の件で呼び止められているうちに、海はひっそりと教室を後にした。本当は悪くもない体のことで気を遣わせるのは嫌だったし、子供ならたまにはああして皆で遊ぶのが当たり前だ。蓮だって、本心では最初から行きたかったはずだが、彼の中の義務感から一度は断ったのだろう。これからどの程度彼に張り付いて観察を続けるのかは知らないが、来たるべき時が来るまではできるだけ普通の生活をさせてやりたい。海は珍しく、相手の立場に立ってそんなことを思った。


(普通の生活、か)


 あの輪の中に、自分は決して入ることはできない。それを少しばかり寂しいと感じたことに、海は愕然とした。施設の人間同様、クラスメートや教師に愛着など微塵も感じてはいない。それは間違いなく断言できる。だとすれば、そんな風に感じたイレギュラーな要因はただ一つ――


「しばた、れん……」


「呼んだか?」


 口に出して呟いた直後、横に突然本人が現れた。気配に全く気付かなかった海は、かつてないほど本気で驚いて横の電柱まで飛び退った。

「あ、驚かした? ごめん、でもおまえどんどん先行っちゃうから。意外と足早いな」

「な、何でいるの?」

「何でって、おまえと一緒に帰るの、いつものことだろ?」

「だって今日、帰りにあの子の家に」

「あれは断ったろ、おまえも見てたじゃん」

「何で? 俺、一人で帰れるって言ったよね。蓮だって、ゲームは嫌いじゃないでしょ。なのにどうして行かなかったの?」

「だって、海との約束が先だし」

「約束……?」

 思わずポカンと口を開けた後、海は驚いてまくし立てた。

「約束って、最初に蓮の家でケーキ食べた時の? 別に、あれは君を縛るような強制力のあるものじゃなくて、できる範囲でってうちのかあさんが勝手に頼んだだけのことでしょ。こういう時は、他の友達を優先したって誰も責めたりしないし、それこそ子供にとって普通のことだよ。君は普通の子供なんだから、もっと周りを優先して、俺のことなんか……」


「おまえの言う普通って何?」


「え?」


 突然真顔で振られた質問に、海は即答できなかった。大人相手だろうが子供だろうが、こんなに自分の方がペースを乱される相手は目の前の子供が初めてだった。

「普通、ってさ、何かつまんない言葉だよな。それが周りと同じにするって意味なら、俺は別に普通じゃなくても構わない。おまえ、さっきから俺が我慢して誘いを断ったって決めつけてるけど、それ違うし。俺は海といつも通り一緒に帰る方が自分のしたいことだったから、そうしてるだけ。俺の言ってること、おかしい?」

「おかしくはないけど、でも……」

「おまえは、テレビゲームやったことある?」

 またしても不意を突かれて、海はどぎまぎと首を振った。

「え? な、ないけど」

「じゃあさ、帰って荷物置いたらうち来いよ。最新じゃないけど、古いゲームならうちにもある。一緒にやろうぜ」

 にこりと明るい笑顔を向けられ、海は心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。そこには、打算も建前も存在しない純粋な好意しか存在していなかったから。混じりけなしのそれを一気に致死量まで注ぎ込まれて、心が溺れてしまいそうだった。今まで灰色だった視界が、蓮を含めたその周りだけが明るい色彩を放ち輝いているように見える。

「うん。うん、行く」

 辛うじてそれだけ言うと、嬉しそうに繋いできた蓮の手を素直に握り返した。


***


 家に帰って鞄を置くと、由真に事情を説明しすぐに蓮の家に行った。蓮の母親は優しく迎えてくれ、二人にロールケーキとホットミルクのおやつを出してくれた。それを食べながら、蓮の部屋でテレビゲームをやった。コントローラーのヒビを見つけて疑問を投げると、蓮は困ったように笑った。

「あはは……ついつい夢中になった時に、加減できなくてうっかり自分でやっちゃってさ。詳しく言えないけど、俺ちょっとそういう、何て言うか変な癖みたいなのあるんだわ。今日も実は、あいつん家でうっかり壊したらいやだなーと思ったのもあって断った。これ、学校では内緒な?」

「うん、分かった。内緒ね」

 ロスリミのことを誰にも言っていないはずの蓮が、一部とは言え秘密を打ち明けてくれたことが何より嬉しかった。自分が観察対象であるはずの柴田蓮に本気で惹かれ始めていることを、海は既に認めていた。もし彼が本当にノンリミだったなら、家族と離れていずれは自分と共にあることになる。そうなればいいと、家族との別れや蓮の気持ちはこの際無視して、海は切に願っていた。


(だって、生まれて来て……たった一つ欲しい物くらい、俺にだってあってもいいじゃないか)


「海?」

 手が止まっていた海を気遣う様に、蓮が横から覗き込んでいた。

「疲れた? あんまり目にも良くないし、休憩しようか。あのさ、良かったら夕飯食べてけよ。今日は得意のブイヤベースだからって、母さんさっき自慢してたから」

「ねえ、蓮」

「ん?」

「俺と……ずっと一緒に、いてくれる?」

「ずっと? どした急に」

 話の展開について行けず、ぱちくりと目を瞬く蓮に海は縋るように言った。

「ごめん、俺おかしなことを言ってるのかもしれない。でも、それでも俺にとって蓮は特別なんだ。今まで会った、誰よりも。だから、俺は蓮と離れたくない。俺が側にいること……許してくれる?」

「いや、許すとか許さないとか……俺そんな偉くないし。でも友達なんだから、側にいるの当たり前だろ?」

「友達……」

 嫌と言うほど聞かされた「お友達」の言葉と、蓮の発するそれは全然違って聞こえた。

「うん、友達。それに俺は海といるの落ち着くから好き。俺にとっても、海は特別かも」

「本……当?」

 頬を染めて目を輝かせる海から、蓮は眩しいように目を逸らした。

「う、うん」

 明後日の方向を見ながら頷いた蓮を、海は衝動的に抱きしめていた。

「わっ、海?」

「ありがとう……蓮。大好き」

 人と触れ合う温もりが、こんなに心地良いなんて知らなかった。この時、この瞬間から、彼にとって世界はまるで違ったものに映り始める――


***


(あの時、一番最初に抱いた想いは、たぶんもっと純粋だった……)


 かなり礼節を欠いて退室した室長室から歩いて行く蓮の後ろ姿を眺めながら、海はしみじみと思い出す。初めは、「特別な」友達で十分だった。でも、そのうち学校で異性と触れ合う蓮を見た時、その自分とは全く違う筈のポジションにさえ、誰も置きたくないと思う自分に気づいてしまった。


 彼女とか、恋人とか。そんな公然とした肩書を持って、蓮の隣に居座る女が現れたら。その想像は海にとって、絶望以外の何物でもなかった。


 渡したくない――誰にも。


 己の気持ちが、その時既に親愛を超えた恋情であることに海は気づいていた。一方的に恋して、恋い焦がれて……ずっと親友として側にありながら、それ以上の形で蓮に触れたいと常に願っていた。ただそれをいつ、どうやって蓮に伝えるべきなのか頭の中で何度もシュミレートしたが答えは得られず。結局、後に保安室に迎えた際、暴走しかけた海を諭し包み込んだのはやっぱり蓮という存在だった。


「蓮はすごいなあ」

「何だよそれ、嫌味か? やっぱ減給とか食らうのかな……くそ、まだバージョンアップのテレビ買える目標額まで貯まってないのに」

 今になって室長への宣戦布告をやり過ぎたかと悔いているようだが、その理由が立場云々ではなく欲しい物の取得に起因するというのはさすがだった。

「そんなの俺が買ってあげるのに」

「駄目、海の貯金は海のものだろ。自分のために使わないと」

「潔癖なんだから。あ、だったら接触禁止の取り下げと交換はどう?」

「う……却下だ!」

 逡巡するところが素直で可愛いと思う。

「本っ当に可愛いなあ、蓮は」

「あ、こら! ペナルティでパフェ奢れ」

 思わず触れてしまった蓮に叱られながら、出会った時と変わらぬ鮮やかな色彩を纏い続ける愛しい恋人を、海は存在を確かめるように抱きしめた。

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