ACT12 暗雲の兆し
「ヒマだ……」
蓮が珍しく単独任務に出かけて行った後、海は基本自主参加となっている学生向きの講義には出たもののまったく身が入らず、終了してからも気が抜けたように机に突っ伏していた。
「柴田の単独任務って、何か外見が事件の当事者に一番似てるとかで白羽の矢が立ったんだよな? おまえも事前の打ち合わせには加わったと聞いてるが、どんな案件なんだ?」
橙子に訊ねられて、今回特別な口止めをされていなかったことを理由に海はあっさり情報を開示した。
「そうだね、一言で言えば『自殺の真意を突き止める案件』……ってとこかな。唯一事情を知ってたと思われる人間が沈黙を守って田舎に引っ込んだんで、証言を引き出しに行くのが蓮の仕事。危険な手合いじゃないから、身の危険はないと思うけど、喋るか喋らないかは五分五分。だからまず、自殺した学生と似た容姿の人間をぶつけることで、軽く揺さぶりをかけるってわけ。そのために選ばれたのが蓮」
「ふぅん、そんなに似てるのか?」
「いや、正直それほどじゃない。黒髪・黒目って言えば日本人の殆どがそうだし。て言うか、蓮みたいな可憐で可愛い子がそうそうこの世に居るわけないし……」
「無駄口はいい、それで?」
橙子にあしらわれて、海もそれ以上は食い下がることなく妥協した。
「まあ、薄目で遠くから見れば似てたってことでいいかな」
「そうだな。少なくとも、室長が抜擢したからにはそれなりなんだろう。それに、柴田は他人の心に寄り添うのは得意な方だから、内容を聞く限りでは向いているように思う。因みにその自殺の背景には、学校自体の問題でも絡んでいるのか?」
橙子の鋭い指摘に、海は高質な相手とのやり取りを楽しむように笑った。
「と、思うよね? ところが逆で、完全に私的な理由らしい。今回のお題目は飽くまでも、息子の死の真相を知りたい両親の心の救済ってことらしいよ」
「……馬鹿な。そんな理由で特調が動くものか」
「ところが動くんだよね。自殺した学生の母親は、内調の官僚を父親に持つお嬢様だったわけだ。事件性がないから公安も警察も動かせず、秘密裏にこっちに打診があった。室長は本来業務外だと突っぱねても良かったが、保安室の実力と有用性を見せつけるため、ひいては内調に貸しを作るために敢えて本来道理でないこの案件を受けた。だから案外力が入ってるワケで、打ち合わせは綿密で詳細だったよ。両親も資料の提供は惜しまなかったから、こちらとしては万全の態勢でバックアップできた……蓮はきっと上手くやるよ」
「ここも、打算や駆け引きが横行する現世の一部だったわけだ……繋がりを絶っていたから久しく忘れていたが」
「あのね、俗世を捨てた筈の神社や寺でも世襲問題で殺し合うような世の中だよ。陰謀の中心みたいなこの場所で、そんな綺麗ごとが成り立つわけないでしょ」
夢も希望もないようなことを平然と言ってのけ、海は朝から何度も見ている携帯の時計をまた見直した。
「おまえな、五分おきに見たところで――」
「海さーん!!」
橙子の発言を、高く通る声とけたたましい足音が遮った。二人ともそちら側を見なくても近づいてくる対象を察して両極端な反応を返した。即ち、立ち去る海と窘める橙子である。
「こら、吾妻。通路は走るな。あと声が大きい」
「すみません、橙子姉。てか海さん、どこ行くんですか!?」
「場がやかましくなったから帰るんだよ、部屋に」
「ひどい! 柴田がいないなんて滅多にないから、お話ししに来たのに」
頬を染めながら上目で小首を傾げて見せたが、海は鬼の形相で振り返った。
「は? 喧嘩売ってんなら買おうか」
「ただの事実じゃないですか!」
海に気圧されて橙子の後ろに隠れたのは、海と同い年の木坂吾妻だった。どこぞのアイドルのステージ衣装のようなフリフリが付いた制服とツインテールが特徴で、当然と言うべきか女子のエージェントからは敬遠されていた。真逆とも見える橙子とは何故か馬が合うらしく、自由時間やオフの日に行動を共にすることが多い。
そして海に対しては、何度こっぴどくフラれてもめげずに恋心を抱き続けており、施設内で見かけてはこうして懲りずに纏わりついていた。
「私を挟んで揉めるな」
「だ、だって海さんがあんまり冷たいから」
「おまえの交渉術にも問題がある。不在の時に柴田の話題をわざわざ持ち出すのは、地雷を踏みに行くようなものだ」
「そう言われても室長からの伝言は柴田絡みのことなんで、結局話題には出さざるを得ないんですけど……」
「蓮がどうしたって?」
瞬時に元の椅子にかけた海に、吾妻はぎょっとした。
「は、早っ……! 本当に柴田のことしか考えてないんですねぇ」
しみじみと落胆している吾妻に、海は気にもせず詰め寄った。
「そんなことより、蓮がどうしたの? まさか、出先で何か……」
「違います、そういうことじゃなくて。室長から柴田が戻ったら、海さんとペアの任務に出すつもりだからその心づもりをしておくようにって」
「なーんだ、そんなこと? 蓮が俺と組むのは当たり前だから、いちいち言わなくても」
「や、それだけじゃなくて……ペア任務なら説明は二人一緒の方が都合がいい筈なんですけど」
「うん?」
「柴田の帰任前に、時間があったら海さんだけ先に室長室に来るようにって」
「俺だけ?」
「それは何やら、きな臭いな」
まだ初心者とは言え、蓮もそれなりに任務自体には慣れて来ているはずなのに今更先に海だけを呼び出して話をする理由。蓮には聞かせたくない、特別な事情が絡む案件であることは間違いなさそうだった。
「あのおっさん、何企んでんだ?」
「楽しい話題ではなさそうだが、行くんだろう?」
「そりゃね。仕事じゃしょうがない」
「『自分の価値は行動と成果で示すしかない』」
橙子の言葉に、海が不審そうに歩を止めた。
「なに、急に」
「いや、おまえの仕事に対する徹底した姿勢は大したものだと思うがね。あまり室長の言葉に縛られすぎるなよ。大切なもの、見つかったんだろう?」
橙子にしては珍しく、海に対して手を差し伸べるような言葉だった。それを理解した上で、海は明らかな壁を設けたような態度を示した。
「だからこそ、俺は自分の価値を下げるわけには行かない。どのみち室長命令なら、拒否権なんてないさ」
頑なな意思を思わせる声音でそう答えると、海は吾妻に言われた通り室長室に向かった。二人のやり取りをはたで見ていて不安になった吾妻が、恐る恐る橙子に訊ねた。
「あの、何ですか今の? やたら不穏て言うか意味ありげって言うか」
「……さてな、私にも今あるのは予感だけだ。できれば当たって欲しくはないが」
蓮と海のためにも。割と上手くまとまっているあの二人に、過度な試練が訪れることのないよう橙子は祈るしかなかった。