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第89話 魔王の覇道オムライスと、聖者の絶望ポトフ

【日本・横浜】


 魔王ゼファーは、己の急速な進化を実感していた。 昨日までは、指の一本一本が他人のものであるかのように、スマホのフリック入力に反乱を起こされていた。だが、王としての圧倒的な集中力(と、一晩徹夜した努力)により、彼は今や、常人オヤカタを凌駕する速度で『LINE』を操れるようになっていた。


「ふん。要は、己の指先の軌道を、この世界の物理法則(フリック操作)に最適化アジャストさせるだけの、単純な訓練であったわ」 ゼファーは、アパートの四畳半で、オヤカタ(山本権蔵)に『承知した。現場には定刻通り到着する』と、完璧なビジネス日本語(ただしフォントはなぜか極太明朝体)で返信し、満足げに頷いた。


「ま、魔王様! すごいです! あの光る板を、完全に支配下に!」 「当然だ、ギギよ」 足元で尊敬の眼差しを送るギギを一瞥し、ゼファーは立ち上がった。 「さて。知識の習得インプットは済んだ。次は、実践アウトプットだ」


 彼が向かったのは、もちろん台所(という名の聖域)だ。 「ギギよ! 昨夜、テレビという名の魔導書庫アカシックレコードから受信した、新たな叡智を再現するぞ!」 「は、はいぃ! あの、『おくさま』の、『おむらいす』ですね!」 「うむ!」


 ゼファーは、昨日覚えたばかりの『栄養学』と『調理科学』に基づき、完璧な布陣を敷いた。卵は常温に戻し(タンパク質の熱凝固を均一にするため)、鶏肉は小さく切り分け(火の通りを早くし、ケチャップライスとの一体感を高めるため)、玉ねぎはみじん切りにする(アミノ酸を引き出し、甘みを最大化するため)。


「見ておれ、ギギ。料理とは、魔術だ。そして魔術とは、緻密な理論と、絶対的な意志・・によって完成する!」 ゼファーは、フライパンに油を引き、鶏肉と玉ねぎを炒め始めた。香ばしい匂いが部屋に満ちる。 「そして、ここが肝要だ。昨夜の巫女おくさまは、『愛情』という名の、非科学的な変数を口にしていた」 「は、はいぃ! 『おいしくなーれ』のおまじない、です!」


「そうだ。だが、我は魔王。我がギギに与える『愛情』とは、すなわち――」 ゼファーは、ケチャップライスを炒めながら、低い声で呟いた。 「――『絶対的な支配』と『揺るぎなき庇護』だ!」 「(なんか思ってたのと違いますぅ!)」 ギギは心の中で叫んだが、口には出せない。


 ゼファーは完璧に炒めたチキンライスを皿に盛り、クライマックスの卵に取り掛かる。強火で熱したフライパンに、混ぜすぎなかった卵を一気に流し込む! ジュワッという音! 「ぬんっ!」 魔王の剛腕が、フライパンを神業のごとき速度で前後させる。半熟の、黄金色に輝く完璧なオムレツが完成した。


 それを、ライスの横に、そっと乗せる。 「……そして、仕上げだ」 ゼファーは、ケチャップのチューブを、まるで聖剣でも抜くかのように、厳かに構えた。 「巫女は、軟弱なうさぎを描いていた。だが、我がギギに与える『おまじない』は、これをおいて他にない!」


 ゼファーは、恐るべき集中力で、ケチャップを操る。 数秒後。ギギの目の前に差し出されたオムライスには―― ――ケチャップで描かれた、恐ろしく精巧で、威圧感に満ちた、『魔王軍の軍旗の紋章』が、あかく輝いていた。


「……さあ、食すがよい。我が『覇道オムライス』を!」 「は、はいぃぃぃぃっ!!」 ギギは、恐怖と感動で震えながら、スプーンを口に運んだ。 「!?」 (お、美味しい……! 卵はふわふわで、ご飯はパラパラで……なのに!) ギギは、一口食べるごとに、まるで魔王様に忠誠を誓わされているかのような、厳かな気持ちになっていく。 「ど、どうですか、魔王様! ぼ、僕、なんだか、すごく強くなった気がします!」 「うむ!」ゼファーは満足げに頷いた。「それこそが、我が『意志おまじない』の力よ!」


 魔王ゼファーは、料理とは「素材」と「理論」と「意志(支配力)」によって完成する、究極の統治術であると、確信を深めたのだった。


【異世界・マカイ亭】


 一方、マカイ亭の厨房は、地獄だった。 「ダメだ……! 味が、違う……!」 陽人は、ズラリと並んだ十数個の小鍋を前に、頭を抱えていた。 鍋の中身は、全て『肉じゃが』。 あの日の「奇跡の肉じゃが」を再現すべく、昨日から不眠不休で試作を繰り返しているのだ。


「シェフ、これも……美味しいですけど……」 リリアが、恐る恐る味見用のスプーンを口にする。 「美味しい。美味しいけど……あの、騎士団長様が泣き崩れた時の、『聖なる味』とは……違いますよね……」 「だよな!」


 陽人は、壁に貼られた召喚状――三日後の異端審問会への招待状――を、忌々しげに睨みつけた。 「くそっ! 何が違うんだ!? 材料も同じ! 手順も同じ! なのに、あの『魂が震える感覚』が、まったく再現できねえ!」


 陽人は、完全にスランプに陥っていた。 彼は、あの奇跡が、魔王ゼファーが遠い世界(日本)で同時に肉じゃがを作っていたことによる「時空を超えた共鳴」などとは、知る由もない。彼にとって、あの奇跡は、自分の力で起こした(起こしてしまった)もの。 そして、今、彼は「聖者」として、奇跡の再現を強要されている。


 それは、たまたまホームランを打ってしまった野球少年に、「次の打席で、予告ホームランを打て」と言うような、あまりの重圧だった。


「ひぃぃ! シェフ、顔が怖いです! あの時のボルドア子爵みたいです!」 「うるさい、ギギ! ちょっと黙ってろ!」 「(あ、ギギはこっちにいたんだった……)」陽人は、心の中でセルフツッコミを入れる。


 そこへ、店の裏口から、ギルドマスターが、変装用の怪しげなローブを羽織って入ってきた。 「……む。聖者の厨房とは、ずいぶんと焦げ臭いな。迷っておるか、マスター・ハルト」 「ギルドマスター! ちょうどよかった! ちょっと味見してください!」 陽人は、藁にもすがる思いで、最新作の肉じゃが(試作14号)を差し出した。


 ギルドマスターは、その長い眉毛をひそめながら、一口、スープをすする。 「…………」 長い沈黙。 「……甘い」 「えっ?」 「甘すぎる。これは『聖餐』ではない。ただの『おやつの煮っ転がし』だ。貴様の迷いが、味を甘ったるくしている」 「ぐっ……!」


 手厳しい批評に、陽人は言葉を失う。 ギルドマスターは、ふう、と息をついた。 「……よいか、小僧。神殿の連中は、料理の『り』の字も知らん。奴らが求めているのは、『味』ではない。『物語』だ」 「物語、ですか?」 「そうだ。『聖者が、神の叡智をもって、奇跡の料理を顕現させた』という、分かりやすい御伽噺おとぎばなしよ。……だが、貴様は今、その『物語』に、自分自身が食われかけておる」


 ギルドマスターの言葉が、陽人の胸に突き刺さる。 「……俺は……俺は、どうしたら……」


「決まっておる」 ギルドマスターは、陽人の手からスプーンを取り上げ、試作14号をもう一口味わった。 「……ふん。ジャガイモの火入れは悪くない。……小僧、貴様は、『聖者』を演じるのをやめろ」 「え?」 「貴様は、『料理人』だろうが。ならば、奇跡フロックにすがるな。己の『技術スキル』で、奴らを黙らせろ。……神殿の連中が泣いて喜ぶ『伝統の味』と、貴様が得意とする『魔界の混沌カオス』。その二つを、完璧に両立させてみせろ。それこそが、奴らの度肝を抜く、最大の『奇跡』となる」


「……伝統と、混沌……」 陽人の脳裏に、昨日の「二色鍋」の構想が、より鮮明な形で蘇ってきた。


「そうだ……。俺は、聖者じゃない。料理人だ」 陽人の目に、迷いの色が消え、再び炎が宿った。 「ありがとうございます、ギルドマスター! やるべきことが、見えました!」


 陽人が、新たなレシピ開発(という名の、神殿への反撃準備)に取り掛かろうとした、その時。


 店の扉が、ドンドン!と激しく叩かれた。 「シェフ! 開けてください! 衛兵です!」 「なっ!?」


 バルガスが扉を開けると、オルロフ公爵の使いだという衛兵が、血相を変えて飛び込んできた。 「た、大変です、ハルト殿! ボルドア子爵が、神殿の審問会を前に、新たな手を打ってきました!」 「なんだって!?」 「『聖者様の奇跡の味を、広く民衆にも分け与えるべきだ』と、公爵を通じて、王宮に圧力を……!」


「……それが、どういう……?」 衛兵は、ゴクリと喉を鳴らし、絶望的な事実を告げた。 「――三日後の審問会は、中止となりました」 「えっ!? やった!」 「代わりに! 明日! 王宮広場にて、民衆数千人の前で、『聖者の炊き出し裁判』が、執り行われることになりました! もちろん、食材は全て、ハルト殿の自腹です!」


「「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」


 陽人とリリアとギギの悲鳴が、マカイ亭の厨房に響き渡った。 聖者へのハードルが、奇跡の再現から、数千人分の炊き出し(自腹)へと、絶望的にバージョンアップした瞬間だった。

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