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第86話 聖者の重圧と、魔王、契約(スマホ)に挑む

【異世界・マカイ亭】


 陽人が善意(と、食材の有効活用)で始めた「聖者の炊き出しスープ」は、結果として、燃え盛るフィーバーに最高級の魔界オイルを注ぎ込むこととなった。


「おお……! なんという慈悲深きお味だ……!」 「一口飲んだだけで、長年の肩こりが消えた気がする……!」 「ありがとう聖者様! 我ら下々の民に、無償の愛を!」


 店の前には、もはや行列というよりは「信者の集会」が形成され、スープを受け取った人々が、マカイ亭の方角に向かって十字のようなものを切る始末。


「……リリア。あれ、どう見てもただの野菜スープだよな?」 「は、はい……。昨日のお供え物の……」 厨房の窓から、その異様な光景を眺めながら、陽人は顔を引きつらせていた。ギギは「ぼ、僕なんかがよそって、バチが当たりませんか?」と、お玉を持つ手をガタガタ震わせている。


(聖者、聖者って……俺はただの料理人だっつーの!)


 陽人の心は、名声とは裏腹に、鉛のように重くなっていた。「影魔王」として国を騙している罪悪感と、「聖者」として民を騙している(?)罪悪感。二重の嘘が、彼の精神を確実に蝕み始めていた。


 そんな彼の元へ、唯一の現実を知る男、オルロフ公爵が、お忍びで裏口から訪ねてきた。 「やあ、シェフ殿。いや、『聖者殿』。大した人気ではないか」 「公爵様! からかわないでください! 俺はもう、胃が痛くて死にそうです……!」


 陽人が泣きつくと、公爵はいつもの笑みを消し、静かな声で告げた。 「……無理もない。だが、君の人気は、今や最大の『盾』となっている」 「盾、ですか?」 「うむ。ボルドアが、ギルドの次に、王宮の保守派貴族たちを動かし始めた。君を『魔王を誑かした不届き者』として、王宮の名で裁こうと画策しておる。だが、彼らも『聖者』として民衆の支持を得た君を、今は表立って攻撃できずにいる」


 公爵は、厨房の外の熱狂的な群衆を一瞥した。 「君の炊き出しは、ボルドアの陰謀に対する、最大のカウンターとなったわけだ。……意図せずとも、な」 「……そんな」


 陽人は、自分が無意識のうちに、さらに巨大な政治の渦の中心に立たされていることを知り、眩暈を覚えた。 (俺は、ただ、みんなに美味いメシを食わせたいだけなのに……) だが、逃げることは許されない。魔王が帰ってくる、その日まで。


「……分かりました。やりますよ。聖者でも何でも、なってやります」 陽人は、腹を括った。 「……ただし! 次は有料です! 『聖者の気まぐれ薬膳粥、一杯銀貨三枚』でどうだ!」 「はっはっは! 商魂たくましい聖者様だ! よかろう、その意気だ!」


 二人が笑い合ったその時、バルガスが「……肉が、来た」と低い声で報告する。新たな供物(高級肉)が、店の前に積まれたらしい。 陽人の受難と繁盛は、まだ始まったばかりだった。


【日本・横浜】


 魔王ゼファーは、己の手にした、薄く四角いカードを、神妙な面持ちで見つめていた。 プラスチック製のそのカードには、彼の新たな名前――『ゼファー』(カタカナ)――と、『山本建設』という所属ギルド、そして『健康保険』という文字が刻まれている。


「……これが……『けんこう・ほけんしょう』……」 「や、やりましたね、魔王様! ついに、最強の護符アミュレットを!」 ギギが、隣で自分のことのように興奮している。オヤカタ(山本権蔵)の絶大な「身元保証」パワーにより、彼らはついに、横浜市民として正式に登録され、この世界の「法」の庇護下に入ったのだ。


「うむ」ゼファーは、厳かに頷いた。「これで我らも、あの『びょういん』という名の回復のダンジョンに、3割のコストで挑戦する権利を得たわけだ。実に合理的だ」


 彼が、最強のアミュレットの効能(?)に満足していると、事務所のオヤカタが、タバコをふかしながら声をかけてきた。 「おー、ゼファーさん、保険証もらえたか! よかったな! ……で、悪いんだけどよ」 「なんだ、オヤカタよ。新たな任務か?」 「いや、任務っていうか……」オヤカタは、頭をガシガシとかいた。「現場の連絡、今どき全部『LINE』なんだよ。ゼファーさんだけ、いちいち電話すんのも面倒でよ。……悪いけど、『スマホ』、契約してくんねえか?」


「……すまほ?」 ゼファーの眉がピクリと動いた。テレビ、図書館に続く、第三の叡智の源。オヤカタが時折操作している、あの光る板だ。 「ギギよ。聞いたか」 「は、はいぃ! あの魔導通信機、ついに我らも!」


 その日の夕方。 日給(と、治水の手当て)で、わずかに潤った財布を握りしめ、二人は駅前の中古スマホショップに立っていた。 『衝撃価格! スマホ本体 0円!』 『月額利用料 ずーっと980円!』


「……ゼロ円……だと?」 ゼファーの目が、ギラリと光った。王として、統治者として、「タダ(無償)」という言葉の裏にある危険性を、彼は本能で知っている。 「いらっしゃいませー! お客様、スマホお探しですかー?」 やけにテンションの高い店員が、ゼファーに近づいてくる。


「うむ。この『ゼロ円』というのを所望する」 「あ、はい! こちらですね! ただ、こちらは『二年契約』というお約束・・・が必要になりまして…」 店員は、早口で契約内容の説明を始めた。


「……つまり」ゼファーは、その難解な呪文(専門用語)を、必死に脳内で反芻した。「……二年間の『魂の隷属契約』を結ぶ代わりに、この魔導具スマホをゼロ円で下賜かしするというわけか?」 「あ、はは! 隷属だなんて、大げさっスよー! でも、まあ、そんな感じです!」 店員は、ゼファーの真剣すぎる顔に引きつった笑いを浮かべる。


「ま、魔王様……! 二年も、この世界に……!?」 ギギが、絶望的な声を上げる。元の世界へ帰るという目標が、遠のいた気がしたのだ。 ゼファーは、しばし沈黙した。二年。それは、王の生涯から見れば一瞬。だが、未知の世界での二年は、永遠にも等しい。 しかし、オヤカタの顔が浮かぶ。現場の連絡。そして何より、この魔導具が秘める、「知識」への渇望。


「……よかろう。契約しよう」 ゼファーは、横浜市民として、この世界の理に従うことを決意した。 「情報こそ、力だ。この『すまほ』を使いこなし、この世界の全てを解析してやるわ」


 こうして、魔王ゼファーは、ついに現代魔術の結晶(中古のiPhone)を手に入れた。 アパートに帰り、さっそく起動する。 「ぬるぬる動くぞ、ギギよ!」「は、はいぃ!」


 だが、喜びも束の間、彼は最初の壁に激突する。 「……『ふりっく入力』……? 我が指が! 我が意のままに動かぬ!」 渾身の力で画面を押すせいで、「あああああいいいいいううう」と、謎の文字列が入力されるばかり。


「ええい、ままよ!」 ゼファーが苛立ち紛れに画面をスワイプした瞬間、誤って『カメラ』が起動した。 そして、画面いっぱいに映し出されたのは――眉間にシワを寄せ、スマホにガンを飛ばしている、己のドアップだった。


「なっ……!?」 ゼファーは、驚きのあまり、スマホを取り落とした。 「ば、馬鹿な!? 我が魂が、この板に封印されただと!?」 「ひぃぃぃぃぃぃ! 魔王様の、お顔が! 吸い込まれますぅぅぅ!」


 魔王、人生初の「自撮り」との遭遇。 彼の、現代日本への適応(という名の悪戦苦闘)は、まだ始まったばかりだった。

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