第83話 魔王、治水を語り、料理人、戦場(ギルド)を睨む
【日本・横浜・鶴見川氾濫現場】
「うおおおっ! 押せ押せ! 土嚢が流されるぞ!」 「ダメだオヤカタ! 水位が上がりすぎてる! 事務所まであと数メートルだ!」
現場は、豪雨と濁流が支配する地獄絵図だった。オヤカタ率いる作業員たちが、必死に土嚢を積み上げるが、自然の猛威の前には、それは焼け石に水。絶望的な空気が、土砂降りの雨と共に、現場作業員たちの心を叩いていた。
その、絶望の最前線に、魔王ゼファーは降り立った。 黄色いヘルメットに安全ベストという、あまりにも場違いな(しかし完璧な現場スタイル)出で立ちで。
「――騒がしいぞ、オヤカタよ」 「ぜ、ゼファーさん!? なんでここに! いや、来てくれたのは助かるが、もうダメだ! この濁流は、人間の力じゃ…!」 オヤカタは、顔面蒼白で叫ぶ。
ゼファーは、その隣に立つと、荒れ狂う川面を、王の冷徹な瞳で一瞥した。 「……ふん。この程度で絶望するか。我が魔界の『溶岩津波』に比べれば、ただの泥水遊びよ」 「はあ!? あんた、何言って……!」 「黙って聞け」
ゼファーの声は、轟音の雨の中でも、不思議とよく通った。彼は、オヤカタの肩を掴むと、現場事務所のプレハブ小屋と、積み上げられた資材を指差した。 「問題は、水の『量』ではない。流れの『道筋』だ。あそこの窪地に水流が集中し、防衛線が一点突破されている。魔王軍の戦術で言えば、愚の骨頂だ」 「せ、戦術!?」
「ギギ!」 「は、はいぃぃっ!」 ゼファーの背後に隠れていたギギが、雨に打たれてネズミのように濡れながら飛び出す。 「貴様は、その小さな体躯を活かし、土嚢の隙間という隙間に、泥を詰め込め! 浸水を一秒でも遅らせるのだ!」 「ひぃぃ! 泥ですか!? ぼ、僕の得意分野ですぅ!」 ギギは、恐怖よりも使命感が勝ったのか、小さなバケツを手に、決死の表情で走り出した。
「オヤカタ! あの鉄板と杭を使わせてもらうぞ!」 ゼファーは、工事用の分厚い鉄板数枚を指差す。 「お、おい、あれは一人じゃ…!」 オヤカタの制止も聞かず、ゼファーは「ぬんっ!」という気合と共に、数百キロはあろうかという鉄板を、一人で担ぎ上げた。その姿に、作業員たちの目が点になる。
「水流が集中する地点に、簡易的な『堰』を作る! 流れを分散させ、威力を殺すのだ!」 ゼファーは、濁流に足を踏み入れながら、オヤカタたちに的確な指示を飛ばす。その姿は、もはや警備員「ゼファーさん」ではなかった。幾多の戦場を指揮し、勝利をもたらしてきた「魔王」そのものだった。
「お、お前ら! 何ぼーっとしてんだ! ゼファーさんに続け! 鉄板を支えろ!」 オヤカタの檄が飛ぶ。作業員たちも、目の前の超常的な光景に気圧されながらも、ゼファーの圧倒的なリーダーシップに引かれるように、一斉に動き出した。 「うおおおっ!」「魔王様(?)バンザーイ!」(※一部、混乱している)
ゼファーの「魔界流治水術(という名のただの怪力と戦術応用)」によって、絶望的だった戦線は、奇跡的に持ちこたえ始めたのだった。
【異世界・マカイ亭】
厨房には、陽人が作った「決起集会スープ」――魔界薬膳鶏スープの、滋味深い香りが満ちていた。四人は、店のテーブルを囲み、真剣な(しかし、どこかズレている)作戦会議を繰り広げていた。
「……うまい。五臓六腑に染み渡る……。このスープだけで、ギルドの連中を黙らせられませんかね?」 陽人が、現実逃避気味に呟く。 「ダメですよ、シェフ!」リリアが、空になったスープ皿をカタンと置いて、勢いよく立ち上がった。 「相手は『品格』でいちゃもんをつけてくるんです! こっちも、見た目で黙らせるしかありません! 私のアイデア、聞いてください!」 「……おう」
リリアは、店のナプキンに、サラサラと何かを描き始めた。 「ジャーン! これです! 『マカイ亭・黄金城パフェ』!」 そこに描かれていたのは、天に向かってそびえ立つ、巨大なパフェの塔だった。アイスクリーム、大量のフルーツ、そして、頂上にはなぜか(食べられる)金箔が貼られた城が鎮座している。 「どうです!? これでもかってくらい豪華絢爛! これで『品格がない』なんて、言わせませんよ!」 「……リリア。これは……品格っていうか……悪趣味の城だな。あと、原価で店が潰れる」
陽人がこめかみを押さえていると、ギギが恐る恐る手を挙げた。 「あ、あの……ぼ、僕は、逆だと思いますぅ……」 「逆?」 「は、はいぃ……。豪華さで勝負したら、王宮のグラント様には勝てません…。だったら、いっそ、究極に『地味』で、究極に『優しい』料理は、どうでしょう……?」 ギギは、震える声で続ける。 「……これは、僕の故郷(ゴブリンの里)で、風邪をひいた時に、ばあちゃんが作ってくれた……『千年キノコの白粥』です……。食べたら、どんな悪い人でも、赤ちゃんの頃の純粋な心を思い出すって……」 「……ギギ。いい話だけど、あの石頭のジジイどもが、お粥食って赤ちゃん返りするとは思えんな……」
陽人が頭を悩ませていると、それまで黙ってスープのおかわりをしていたバルガスが、ぽつりと言った。 「……殴る」 「はい、却下」 陽人は、即座にツッコんだ。
「……いや、待てよ」 だが、陽人の脳内で、三人のバラバラな意見が、不思議と一つの形を結び始めた。 リリアの言う『豪華さ(見た目のインパクト)』。 ギギの言う『優しさ(内面への訴えかけ)』。 バルガスの言う『殴る(ガツンと来る衝撃)』。
「……そうか。どっちもだ」 陽人は、ポン、と手を打った。 「あいつらが求める『品格』。それは、グラントさんが得意とするような、伝統的で、豪華絢爛な料理だろう。だが、俺がそれを作っても、二番煎じだ」 「じゃあ、どうするんですか?」
陽人は、にやりと笑った。その顔は、悪戯を思いついた少年のようだ。 「俺は、あいつらの目の前で、料理を作る」 「えっ!? 審査会でですか!?」 「ああ。審査員全員の目の前で、一つの鍋で、二つの料理を同時に作るんだ」
陽人は、ナプキンの裏に、素早く構想を描き始めた。 「まず、鍋の中央を仕切る。片方では、ギルドの連中が文句を言えないよう、王宮のレシピを参考にした、最高級の『コンソメ・ロワイヤル』を作る。完璧な『品格』のスープだ」 「おお……!」
「だが、同時に、もう片方では――」 陽人の目が、ギラリと光った。 「俺たちの店の魂。魔界の食材をごった煮にした、下品で、荒々しいが、最高に美味い『マカイ亭・闇鍋ボルシチ』を作る」
「『品格』と『混沌』。その二つを、あいつらの目の前に同時に叩きつけてやるんだ」 陽人は、立ち上がった。その顔には、もはや迷いはない。 「『どちらが優れているか』じゃない。『どちらもが、俺の料理だ』って、証明してやる。ギルドの連中が求める『品格』も、俺たちが届けたい『癒し』も、俺の一皿の鍋で、全部見せてやるんだよ」
その、あまりにも大胆不敵で、挑戦的な作戦。 リリアとギギは、呆気に取られ、そして、次の瞬間、最高の笑顔で頷いた。 「「さっ、さすがシェフ(聖者様)です!」」 「……合理的だ」 バルガスも、静かに同意した。
三日後。王都料理ギルド本部。 陽人は、愛用の包丁セットと、一つの奇妙な「真ん中で仕切られた鍋」を手に、敵意渦巻く「魔女裁判」の会場へと、足を踏み入れていくのだった。




