第77話 ライバルの矜持と、魔王、テレビに遭う
【異世界・王宮大広間】
大広間は、奇妙な多幸感に包まれていた。陽人が即興で生み出した『魂のデザート(仮)』の、甘く爽やかな余韻が、先ほどの乱闘騒ぎの苦い記憶を優しく上書きしていく。貴族たちは、敵も味方もなく、ただその革新的な味の感想を小声で囁き合っていた。
「……美味かったな。まさか、デザートで弾ける感覚を味わうとは」 「ええ。グラント様の完璧なムースとは、また違う感動が…」
オルロフ公爵は、その光景に満足げに頷くと、陽人を手招きした。陽人は、まだ心臓をバクバクさせながらも、公爵の前に進み出る。 「シェフ殿。見事だった。君は、この晩餐会を『成功』させた」 公爵がそう労った、まさにその瞬間だった。
「「「待ったあっ!!」」」
ボルドア子爵が、椅子を蹴立てるように立ち上がった。その顔は、先ほどの屈辱で青筋が浮かび、怒りに歪んでいる。 「こ、この晩餐会、まだ終わっておりませんぞ!」 「ボルドア卿、何を…?」 オルロフ公爵が、冷ややかに問い返す。
「料理は! 確かに! …まあ、悪くなかったかもしれん!」 ボルドアは悔し紛れに叫ぶ。「だが、最大の疑問が残っている! なぜ、この祝宴の主役たるべき魔王ゼファー陛下が、未だお姿を見せられぬのか! 挨拶の一言すらないのは、人間界への侮辱ではないのか!」
来た。 陽人の背筋を、氷水が流れ落ちた。リリアが「ひっ」と息を呑み、ギギはバルガスの巨大な足の後ろに完全に隠れた。
会場の空気が、再び凍りつく。そうだ、誰もが忘れていた(あるいは、あえて触れなかった)最大のタブー。ボルドアは、陽人の料理の成功を逆手に取り、最大の弱点を突いてきたのだ。
「陛下は『食の叡智』の瞑想中だと? ふん! 我らが知る魔王陛下は、そのような軟弱な御方ではない! その衝立の向こうに、本当に陛下はいらっしゃるのか!?」 ボルドアは、陽人が「魔王の瞑想室」として偽装した、会場の隅にある衝立を指差した。 「あるいは、貴様ら下町の料理人が、陛下をどこかへ連れ去り、今、この国を乗っ取ろうとしているのではないか!?」
あまりに荒唐無稽な、しかし、魔王が不在という事実の前では否定しきれない疑惑。貴族たちが「まさか…」「しかし、確かに…」とざわめき始める。オルロフ公爵ですら、これには眉をひそめ、どう切り返すか言葉を探している。 (……終わった。万事休すだ) 陽人は、唇を噛み締め、目を閉じた。
その、静寂を切り裂いたのは、陽人でも、公爵でもない、第三者の声だった。
「――静粛に」
凛とした、冷たい声。声の主は、厨房の入り口で腕を組んで立っていた、王の宮廷料理人、グラントだった。 「ボルドア子爵。貴方のその言葉は、料理人に対する、最大の侮辱だ」 「な、グラント殿!? 貴方は何を…!」
グラントは、ゆっくりと大広間の中央に進み出た。その目は、もはや陽人ではなく、ボルドアを真っ直ぐに射抜いている。 「魔王陛下が『食の瞑想』に入られた、と聞いた。それが真実か否かなど、些末な問題。だが、分かるか? 料理人が、己の全てを注ぎ込み、新たな一皿を生み出そうと集中している時――その時間は、王の執務よりも、戦争の作戦会議よりも、神聖で、尊いものだ」
グラントの声が、静まり返った会場に響き渡る。 「それを、政治的憶測や、くだらぬ権力争いのために土足で踏み荒らそうとする貴方の行為こそ、この晩餐会を、そして我らが命を懸ける『食』そのものを冒涜している!」
「ぐ……!」 ボルドアが言葉に詰まる。
「この下町の料理人が作った料理は、確かに粗削りだ。品格も、伝統も、私に比べれば赤子同然」 「(あ、やっぱりそこはディスるんですね…)」と陽人が心の中でツッコむ。
「だが!」とグラントは続けた。「彼の料理には、技術を超えた『何か』があった。あの即興のデザートは、追い詰められた状況でしか生まれ得ない、料理人としての『魂の叫び』だ。その主君が、同じように『魂』を懸けて料理を探求しているというのなら、我ら料理人は、それを待ち、敬意を払うのが筋というもの!」
それは、グラントの、料理人としての揺るぎない矜持だった。彼は陽人を助けたのではない。自らの神聖な「料理」という領域を、ボルドアという名の「俗物」から守ったのだ。 あまりの気迫と正論に、ボルドア派の貴族たちさえも頷き始める。
「……見事だ、グラント殿」 オルロフ公爵が、静かに拍手を送った。 「ボルドア卿。これ以上、この神聖な宴を妨げるというのなら、それこそ王への反逆と見なすが、よろしいかな?」 ボルドア子爵は、完全に梯子を外され、怒りと屈辱に顔を真っ赤にしながら、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。 陽人たちは、最強のライバルによって、最大のピンチを救われたのだった。
【日本・横浜】
魔王ゼファーは、己の新たな探求の場を見つけていた。 それは、アパートの四畳半に鎮座する、古びたブラウン管テレビだった。
「ギギよ! 信じられん! この箱の中の小人どもが、我に『知識』を授けてくるぞ!」 「は、はいぃ! しかも、勝手に喋って、勝手に動いてます! 恐ろしい魔道具です!」 ギギが怯える隣で、ゼファーはテレビのリモコン(という名の新たな支配の杖)を片手に、興奮冷めやらぬ様子だった。
彼が偶然つけたチャンネル。そこで放送されていたのは、平日の午後の料理番組『奥様ラクラク♪ 3分クッキング』だった。
『はーい、皆さんこんにちはー! 今日は、旬のトマトを使った、簡単ラタトゥイユですよー!』 エプロン姿の、人の良さそうな女性司会者(先生)が、笑顔で語りかける。 「……らたとぅーゆ? いかなる魔術呪文だ?」 ゼファーは、昨日図書館で借りてきたノート(ギギが大学のキャンパスで拾ってきたもの)の表紙裏に、必死でメモを取り始めた。
『ポイントは、野菜を炒める順番でーす! 玉ねぎをじーっくり炒めて、甘みを引き出してあげるのが、美味しくなるコツなんですよー』 「なるほど! 甘み(糖)の抽出! メイラード反応の最適化!」
『トマトは湯むきすると、口当たりが良くなりますからねー。ちょっと面倒ですけど、この一手間が、愛情でーす♪』 「『愛情』!? また出たぞ、あの非科学的な変数!」 ゼファーは、ペン(ギギがコンビニで貰ってきたもの)を握りしめ、唸った。
テレビの中の先生は、手際よく野菜を刻み、鍋に入れていく。その無駄のない動きと、分かりやすい解説。 (……この女、できる……!) ゼファーは、その主婦(?)の卓越した技術と、知識の伝達能力に、統治者として、そして料理探求者として、純粋な敬意を抱き始めていた。
『さあ、煮込んでいる間に、今日の豆知識でーす。トマトのリコピンは、油と一緒に摂ると吸収率がアップするんですよー。美容にも健康にもバッチリ!』 「なに!? りこぴん!? 新たな栄養素か! 知らなんだ!」
ゼファーは、テレビという名の、一方的だが、あまりにも効率的な情報伝達システムに、完全に魅了されていた。 図書館で得た「静的」な知識が、テレビの中では「動的」な実践として展開されている。
「ギギよ! 我は、大きな勘違いをしていた!」 「は、はいぃ!?」 「我は、知識を『読む』ことばかりに囚われていた! だが、陽人の世界の『叡智』は、『見る』こと、『聞く』ことでも、これほどまでに深く学べるのだ!」
ゼファーは、テレビにかじりつき、目を爛々と輝かせている。 『さあ、できましたー! 美味しくなーれって、おまじないをかけると、もっと良くなりますよー♪』 「……おまじない、だと……?」
ゼファーは、テレビの中の笑顔の女性と、自分のノートに書かれた『愛情=太陽の味?』というメモを見比べ、再び深い思索の海に沈むのだった。 魔王の、料理哲学の探求は、リモコン一つで、新たな次元へと突入していた。




