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第67話 聖者の重圧と、愛情の定量実験

【異世界・マカイ亭】


 翌朝、陽人は店の扉を開けて、絶句した。

 店の前には、昨日までの比ではない、黒山の人だかりができていたのだ。彼らは食事を求める客ではなかった。その目には、熱狂と、畏敬と、そして何よりも強烈な好奇心が渦巻いている。


「あの方が……奇跡の料理人……」

「『聖なる肉じゃが』を拝みにまいりました!」

「一口いただければ、病が治ると聞きまして!」


 巡礼である。マカイ亭は、いつの間にか下町の食堂から、怪しげな新興宗教の聖地へと変貌を遂げていた。


「ひ、ひぃぃ! 人がいっぱいです! 食べられちゃいますぅ!」

「落ち着けギギ! ……じゃなくて、リリア! バルガス! どうなってんだこれは!」

 陽人が厨房から飛び出すと、リリアが困惑と興奮が入り混じった顔で駆け寄ってきた。


「シェフ! 大変です! 昨夜のうちに噂が広まって、『マカイ亭のシェフは、魔王陛下の叡智を料理に顕現させる聖者様だ』ってことに……!」

「聖者様!?」

 陽人の頭がクラクラする。嘘から出た誠どころの騒ぎではない。嘘が暴走して、神話を創り出してしまった。


 店の入り口では、バルガスがその巨体で門番のように立ち、殺到する人々を無言で押し留めている。その姿は、まるで聖域を守るガーディアンのようであり、噂にさらなる信憑性を与えていた。


「困った……。これじゃ、普通の営業ができない……」

 陽人が頭を抱えた、その時だった。人だかりが、モーゼの海割り(?)のように、すっと左右に分かれた。現れたのは、優雅な仕立ての馬車。そして、中から降りてきたのは、オルロフ公爵その人だった。


「やあ、シェフ殿。いや、『聖者殿』と呼ぶべきかな?」

 公爵は、悪戯っぽく笑いながら、陽人に近づく。

「こ、公爵様! からかわないでください! 俺はただの料理人です!」

「ふむ。だが、民はそうは思っておらんようだ。君の一皿が、ボルドアの権威を打ち砕き、騎士団長の心を動かした。これは、政治的には千の兵に勝る成果だよ」


 公爵は、店の喧騒を一瞥すると、声を潜めた。

「……少し、厄介なことになった。君の『奇跡』は、我々和平派にとって強力な象徴シンボルとなった。だが同時に、ボルドアをはじめとする強硬派にとっては、何としても破壊すべき偶像アイドルにもなったのだ」

「……俺が、狙われるってことですか?」

「左様。君はもはや、ただの料理人ではない。この国の和平を左右する、重要人物になってしまった。……好むと好まざるとに関わらず、な」


 その言葉の重みに、陽人は息を呑んだ。ただ、魔王様が帰ってくるまでの時間稼ぎがしたかっただけなのに。いつの間にか、自分はとんでもない政治の舞台のど真ん中に立たされていた。


(奇跡の肉じゃが……? 俺は、何が起きたのか、自分でも分かってないのに……)


 プレッシャーで押し潰されそうになる陽人に、公爵は一枚の羊皮紙を差し出した。

「これは、王宮からの召喚状だ。近々、君の料理を正式に評価するための晩餐会が開かれる。強硬派の貴族たちを前に、もう一度、君の『奇跡』を見せてもらいたい」

「む、無理です! あんなの、二度と作れません!」

「ふふ、そう言うな。君ならできるさ。……なに、これは政治的なパフォーマンスだ。味は二の次でも良い。大事なのは、君が『聖者』として、そこに立つことなのだから」


 公爵はそう言うと、陽人の肩をぽんと叩き、馬車へと戻っていった。

 後に残されたのは、一枚の召喚状と、聖者という重すぎる称号を背負わされた、一人の料理人だった。


【日本・横浜】


 魔王ゼファーは、台所で腕を組み、深刻な顔で目の前のフライパンを睨みつけていた。

 傍らには、ギギが固唾を飲んで主君の実験を見守っている。


「……よし。これより、『愛情の定量化』に関する実証実験を開始する」

 ゼファーは、料理本に書かれていた『愛情という最高の隠し味』という非科学的な一文を、科学的・魔術的に解明しようと試みていた。


「まず、統制群コントロールグループの作成だ。ギギよ、よく見ておれ」

 ゼファーは、料理本の手順通り、寸分の狂いもなく、一つ目の卵をフライパンに割り入れた。油の温度、火加-減、塩を振るタイミング、全てが完璧だ。

 完成したのは、黄身が半熟に輝く、見た目も美しい模範的な目玉焼きだった。


「ふむ。これが、何の感情も介在せぬ、純粋な技術によって生成された『基準値エッグ』だ」

「は、はいぃ! 美味しそうです!」


 次に、ゼファーは二つ目の卵を手に取った。

「そして、これより、実験群テストグループの作成に移る。この卵に、『愛情』という変数を付与する」

「あいじょう……」


 ゼファーは、目を閉じ、精神を集中させた。

(愛情……あいじょうとは、なんだ? ギギに対する……想い……?)

 彼の脳裏に、これまでのギギの姿が浮かぶ。怯え、震え、しかし常に自分の傍らを離れなかった、忠実な部下。


(……うむ。ギギよ。貴様は……魔王軍の中でも、最も……生存能力が高い。ゴブリンとしては、まあ、及第点を与えよう。我が不在の間、魔王軍を任せても……いや、それは無理か。だが、床掃除の腕は、確かだ……)


 ゼファーは、彼なりに、最大限の慈愛とねぎらいの念を、心の中で紡ぎ出していた。それは、魔王流の、あまりにも不器用で、どこか上から目線の「愛情」だった。


「ぬんっ! 我が慈悲、この卵に宿れ!」

 気合と共に、彼は二つ目の卵をフライパンに割り入れた。


 しかし、彼の意識は「愛情を込める」という観念的な行為に集中するあまり、物理的な調理への注意が、僅かに散漫になっていた。


 数分後。完成した二つの目玉焼きが、皿に並べられた。

 一つは、完璧な「基準値エッグ」。

 もう一つは、愛情を込めようとしたあまり、少しだけ白身の縁が焦げ付いてしまった、「実験群エッグ」だった。


「……よし。ギギよ、食せ。そして、二つの個体がもたらす、精神的な効能の違いを、詳細に報告せよ」

「は、はいぃ! いただきます!」


 ギギは、まず完璧な「基準値エッグ」を一口食べた。

「! おいしいです、魔王様! 塩加減が絶妙です!」


 次に、少しだけ焦げ付いた「実験群エッグ」を、恐る恐る口に運ぶ。


「…………」

 ギギは、もぐもぐと口を動かし、やがて、ぽろりと一筋の涙をこぼした。

「ど、どうしたギギ! 精神に異常をきたしたか!?」

 ゼファーが慌てて身を乗り出す。


「い、いえ……! 魔王様……! こちらの卵……なんだか、とても……」

 ギギは、言葉を探すように、懸命に首を捻った。

「……少し、しょっぱいです。でも……太陽の味がします……!」

「……太陽?」

「はい……! なんだか、心が……ポカポカします……!」


 ギギの、あまりに詩的で、そして非科学的な感想。

 だが、ゼファーは、その言葉に、何か真理に近いものを感じていた。

 技術的には失敗作。だが、想いは、確かに味を変え、人の心を動かすのかもしれない。


「……ふむ」

 ゼファーは、腕を組み、深く、深く、思考の海に沈んでいった。

「……なるほどな。太陽の味、か。……再現性が、極めて低いな……」


 魔王の、料理という未知の魔法への探求は、まだ始まったばかりだった。

 そして、彼はまだ知らない。彼が今、掴みかけたこの「想いの力」こそが、時空を超え、もう一つの世界で奇跡を起こした、本当の理由であることを。

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