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第65話 肉じゃがの共鳴

【異世界・マカイ亭】


「魔王陛下・食の叡智探求メニュー」の第一弾、『天上の甘露・水晶玉葱の丸ごと焼き』の大成功から数日が経った。

 マカイ亭は連日、その「魔王様が考案した」という触れ込みの料理を求める客で賑わい、陽人の「影魔王作戦」は、滑り出しとしては完璧すぎると言ってよかった。


 だが、陽人の心は晴れなかった。むしろ、プレッシャーは日に日に増している。


「シェフ、次は何を作るんですか!? 『叡智探求メニュー』第二弾! お客様たち、すごく楽しみにしてますよ!」

「う、うん……今、考えてる……」


 厨房の片隅で、陽人は腕を組んでうんうん唸っていた。

 成功すればするほど、次への期待値は上がる。一度上げたハードルは、もう下げられない。しかも、それはただの料理ではない。「魔王が瞑想の中で考案した」という、途方もない肩書きを背負った一皿なのだ。


(どうする……。水晶玉葱以上にインパクトがあって、魔王様が考えたと言っても誰も疑わないような、革新的で、それでいてどこか威厳のある料理……)


 悩みに悩んだ末、陽人は一つの結論に達した。

 原点回帰だ。


「……よし、決めた」

 陽人は顔を上げ、リリアとバルガスに向かって宣言した。

「第二弾は、『肉じゃが』でいく」

「えっ、肉じゃが……ですか?」

 リリアが目をぱちくりさせる。それは、陽人が時々まかないで作る、日本の家庭料理の名前だった。美味しくて温かいが、「叡智探-求」というには、あまりに素朴で地味ではないか。


「ああ。全ての始まりになった、あの料理だ」

 陽人の脳裏には、自分がこの作戦を思いついた瞬間の、苦し紛れの言い訳が浮かんでいた。『究極の肉じゃが』。その嘘を、今こそ本当にしてやる。魔王ゼファーへの、せめてもの罪滅ぼしと、敬意を込めて。


 陽人は、これまで培った知識と技術の全てを注ぎ込み、最高の肉じゃが作りにとりかかった。

 異世界産の、霜降りが美しい牛肉。ホクホクとした食感のジャガイモ。そして、あの水晶玉葱も、味の深みを出すために少しだけ加える。味付けのベースは、もちろん醤油とみりん風の調味料だ。


 鍋に油を引き、肉を炒める。香ばしい匂いが立ち上る。野菜を加え、出汁を注ぎ、煮込み始める。

 ここまでは、いつも通りの手順だった。だが、アクを取り、コトコトと煮込むその最中、事件は起きた。


 ふわり、と。

 陽人の手元が、鍋が、淡い金色の光に包まれたのだ。


「え……?」

 陽人は、自分の目を疑った。幻覚か? 疲れが溜まっているのか?

 だが、光は消えない。それどころか、鍋の中から立ち上る湯気が、キラキラと光の粒子を放ち始めた。厨房に満ちる香りが、ただの肉じゃがのそれではない。嗅いだこともないほどに、豊潤で、甘く、そしてどこか神々しい芳香へと変化していく。


「し、シェフ……! な、なんですか、これ……! 鍋が、光って……!?」

 リリアが震える声を上げる。バルガスも、その巨体から驚きの色を隠せず、鍋を凝視している。


 陽人には、何が起きているのか分からなかった。だが、感じていた。

(……誰かが……俺に、教えてくれている……?)

 まるで、天啓のように、次々とインスピレーションが湧き上がってくるのだ。

「……隠し味に、これを……。いや、火加減は今、一瞬だけ強く……」

 陽人は、何かに憑かれたように、無意識に調理を続けていた。それは、もはや料理ではなかった。光と香りを紡ぎ出す、一種の儀式のようだった。


【同時刻・日本・横浜】


「――むんっ!」

 魔王ゼファーは、真剣な眼差しで、まな板の上のジャガイモに包丁を入れていた。

 あの日、本屋で手に入れた料理本『誰でも作れる!基本の和食』を傍らに置き、彼は今、生まれて初めての本格的な「調理」に挑戦していたのだ。メニューは、なぜか無性に惹かれた「肉じゃが」。


「ギギよ、見たか! 我が剣術の応用だ! この薄さ、この均一さ! まるで芸術であろう!」

「は、はいぃ! 素晴らしき包丁さばきにございます、魔王様!」

 ゼファーは、不慣れながらも、その規格外の身体能力と集中力で、着々と下ごしらえを進めていく。玉ねぎを切っては目に涙を浮かべ、「くっ…! 玉ねぎめ、小賢しい精神攻撃を…!」と憤慨したり、しらたきの扱いに手こずり、床にぶちまけてギギと二人で拾い集めたりと、その道のりは決して平坦ではなかった。


 そして、全ての具材を鍋に入れ、煮込み始めた、その時だった。


「……む? このコンロ、火力が弱いな……」

 ゼファーは、アパートのガスコンロの、ちろちろと頼りない炎に眉をひそめた。

(我が魔王城の厨房ならば、獄炎竜ヘルフレイムドラゴンの吐息で、一瞬で仕上げてやれるものを……)


 苛立ちが募る。もっと、こう、素材の魂を揺さぶり、その奥底にある旨味を根こそぎ引きずり出すような、圧倒的な熱量が欲しい。

 そう強く念じた、瞬間。


 カッ!


 ガスコンロの炎が、一瞬だけ、ありえないほどの金色の輝きを放った。

 ゼファーの手のひらから、彼自身も気づかぬうちに、回復しつつあった魔力が、微かに溢れ出ていたのだ。それは、破壊のための魔力ではない。彼が日本で感じた「生かす」「育む」という想いが、無意識のうちに炎へと注ぎ込まれたものだった。


 金色の炎は、鍋の底を優しく、しかし力強く包み込む。

 鍋の中の肉じゃがは、ただ煮込まれているのではなかった。ゼファーの王としての魔力、そして、初めての料理に込めた純粋な想いによって、「聖別」されているかのようだった。


「……なんだ、今の光は……?」

 ゼファーは自分の手のひらを見つめ、首を傾げた。だが、鍋から立ち上り始めた、信じられないほどの芳香に、すぐに思考を奪われる。


 やがて、肉じゃがは完成した。

 見た目は、本に載っていた写真とさほど変わらない、ごく普通の肉じゃが。

 だが、その味は、普通ではなかった。


「…………っっ!!」


 一口食べたゼファーは、言葉を失い、目を見開いたまま硬直した。

 美味い。

 そんな陳腐な言葉では、表現できない。

 ジャガイモは、星屑のように舌の上で溶け、牛肉は、生命の歓喜そのもののような旨味を放つ。その一皿に、陽人の世界と魔界の、全ての食材への感謝と祝福が凝縮されているかのようだった。


 それは、もはや料理ではなかった。低級の回復薬ポーションを遥かに凌駕する、魂を癒やす霊薬エリクサーだった。

「ま、魔王様……! お、お体が……光って……!?」

 ギギの驚愕の声に、ゼファーは我に返り、己の体を見下ろした。失われたはずの魔力が、体の内側から、温かい光となって溢れ出している。この肉じゃがが、彼の魔力を、魂を、癒やし、回復させているのだ。


 ゼファーは、ただ呆然と、自分の手のひらを見つめた。

(……我は……一体、何を作ってしまったのだ……?)


【異世界・マカイ亭】


 光が収まった時、鍋の中には、見た目は普通の、しかし、ありえないほどの神々しい香りを放つ肉じゃがが完成していた。

 陽人は、恐る恐るその味見をする。


「…………うそだろ……」


 声が、漏れた。

 人生で、一番美味い。自分が作ったとは、到底信じられない。全ての味が完璧に調和し、食べただけで、疲労が消え、心が幸福で満たされる。


(……魔王様……?)


 陽人は、なぜか、そう思った。

 この肉じゃがは、自分が作ったものではない。遠いどこかにいる、あの不器用で、尊大で、そして誰よりも食いしん坊な魔王が、時空を超えて、自分に「答え」を教えてくれたような気がしたのだ。


 その時、店の外を見張っていたバルガスが、血相を変えて厨房に飛び込んできた。

「シェフ! 大変だ! ボルドアの奴が、騎士団を連れて、こっちへ……!」


 店の外が、にわかに騒がしくなる。

 だが、陽人はもう、動揺していなかった。

 彼は、完成した「奇跡の肉じゃが」の皿を手に取り、静かに、しかし力強く、こう言った。


「……ああ。丁度いい。味見、してもらおうじゃないか」


 その顔には、もはや一人の料理人を超えた、絶対的な自信と覚悟が宿っていた。

 二つの世界で同時に生まれた奇跡の料理が、今、運命を大きく動かそうとしていた。

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