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第50話 和平の鍵

 三日目の朝。陽人は厨房の片隅に設えた、昨日よりは幾分マシになった寝床で目を覚ました。カウンターで寝た時のような体の痛みは軽減されているが、頭はまだ重い。昨夜のバルガスの言葉、オルロフ公爵の謎、そして隣の貴族からの無言の圧力……考えるべきことは山積みだ。


(……まあ、でも)


 窓から差し込む朝の光を浴びながら、陽人はふっと息を吐いた。


(なるようにしかならない、か。公爵がどうだろうと、嫌がらせがどうだろうと、俺にできることは結局、美味い飯を作って、客に満足してもらうことだけだ。それだけは、誰にも文句は言わせない)


 妙なところで肝が据わっているのか、あるいは単に思考を放棄したのか。理由はともかく、陽人の心は昨日よりも少しだけ軽くなっていた。吹っ切れた、というよりは、良い意味で開き直ったのかもしれない。


「よし!」


 陽人は勢いよく立ち上がり、開店準備に取り掛かった。

 スタッフたちも時間通りに出勤してくる。リリアは相変わらず元気いっぱい、ギギも少しずつ店の雰囲気に慣れてきたのか、昨日ほど怯えた様子はない。バルガスは、いつも通り黙々と仕事を始める。


「みんな、おはよう! 今日はまず、店の裏からだ!」

 陽人の唐突な宣言に、リリアとギギは「へ?」と顔を見合わせる。


 陽人が意気揚々と向かったのは、店の裏手の小さな空き地。昨日、バルガスが積み上げてくれた生ゴミ(元・嫌がらせ)が、小さな山を作っている。陽人はどこからか調達してきた古びたくわを手に、硬くなった地面を掘り返し始めた。


「名付けて『マカイ亭リサイクル家庭菜園計画』、始動だ!」

「わー! シェフ、本気だったんですね! すごーい!」

 リリアは目を輝かせて、その様子を見守っている。バルガスは、巨大なシャベルを持ち出し、陽人の数倍のスピードで黙々と土を掘り返し始めた。その姿は、もはや農作業というより土木工事に近い。


 一方、ギギは土の中から顔を出したミミズに「ひぃぃぃぃぃ! 地底からの魔物がー!」と本気で悲鳴を上げ、リリアに「ギギ、それはミミズだよ! 畑の味方!」と呆れられている。陽人はといえば、慣れない鍬の扱いに悪戦苦闘し、早々に「ぐあっ……! こ、腰が……!」と情けない声を上げていた。


 そのドタバタ劇を、隣の貴族の館の二階の窓から、執事らしき男が苦々しい表情で監視していた。忌々しげに舌打ちするのが、ここまで聞こえてきそうな雰囲気だ。彼らにとっては、嫌がらせが全く効果を発揮せず、むしろ有効活用(?)されていることが、腹立たしくて仕方ないのだろう。


 そんなこんなで、土まみれになりながらも、ささやかな家庭菜園の第一歩を踏み出したマカイ亭。なんとか開店時間までには準備を終え、三日目の営業を開始した。


「よう、シェフ! 早速始めたな、家庭菜園! 感心じゃねえか!」

 昨日も来てくれた労働者の一人が、開店と同時に顔を出し、陽人の肩をバンバン叩いて笑う。


「公爵様が褒めていたという料理は、どれかね?」

 噂を聞きつけたのか、昨日とはまた違う、小綺麗な身なりの商人風の男も興味深そうに入ってきた。オルロフ公爵の訪問は、良くも悪くも、少しずつ店の評判に影響を与え始めているようだ。


 店は、昨日と同様か、それ以上に賑わいを見せ始めた。陽人も厨房で次々と入る注文を捌くのに追われる。家庭菜園で痛めた腰に時折顔をしかめながらも、その手際は確かだ。


 ピークタイムを迎え、厨房が最も戦場と化していた、その時だった。


 ピピピ……ピピピ……


 陽人のポケットに入れていた、掌に収まるほどの小さな黒い魔石が、微かな電子音のような音と、淡い紫色の光を発した。これは、魔王ゼファーから緊急連絡用に渡されていた、特別な通信用魔石だ。


(魔王様から!? この忙しい時に!)


 陽人は一瞬顔を引きつらせたが、無視するわけにもいかない。

「リリア、悪い、ちょっとだけ抜ける! あとは頼む!」

「えっ!? は、はい、シェフ!」


 陽人は慌てて厨房の奥、食材庫の隅へと駆け込んだ。周囲に人がいないことを確認し、魔石を手に取り、意識を集中させる。すると、直接脳内に、あの聞き慣れた、豪放磊落ごうほうらいらくな声が響いてきた。


『――陽人、聞こえるか? ゼファーだ!』

「ま、魔王様!? ご無沙汰しております! って、今、店のピークタイムで……!」

 陽人は思わず小声で答える。


『はっはっは! 忙しいところすまんな! だが、お前の店の噂が、遠く魔界にまで届いてきておるぞ! なかなか面白いことになっておるようではないか!』

 ゼファーの声は、心底楽しそうだ。


『オルロフの爺も、早々に顔を出したそうだな? さすがは鼻が利くわい』

「ええ、まあ、なんとか……って、公爵のこと、ご存知なんですか!?」

 陽人は驚きを隠せない。魔王の情報網は、一体どうなっているんだ。


『ふふん、我が情報網を侮るな。まあ、あの食い意地の張った爺のことだ、お前の料理が目当てだろうから、悪いようにはせん……とは思うがな。バルガスも言っておったろうが、油断だけはするなよ』


「は、はい……」

『それより、どうだ? 人間界の食材は。お前の魔界スパイスと、ちゃんと喧嘩せずに仲良くやっておるか?』


「ええ! なんとか! 色々試行錯誤してますけど、面白い発見もあって!」

 他愛ない料理の話題。しかし、その何気ない会話に、陽人は魔王が確かに自分を気にかけてくれていることを感じ、胸が少し熱くなった。孤独ではないのだ、と。


『そうかそうか! それは結構! 無理はするなよ、陽人。お前の作る料理は、我らが目指す和平の、重要な鍵なのだからな! では、また連絡する!』


 一方的にそう告げると、魔石の光と音は消えた。


 陽人は、まだ微かに温かい魔石を握りしめたまま、深く息をついた。

(魔王様……見ててくれてるのか……。ありがたい、けど……)


「和平の鍵」


 その言葉が、ずしりと重く陽人の肩にのしかかる。期待されているのは嬉しい。だが、その期待に応えなければならないというプレッシャーは、やはり消えない。


(結局、プレッシャーの種類が変わっただけかよ……!)


 陽人は苦笑しつつ、食材庫を出た。厨房は相変わらずの喧騒に包まれている。


「よし、オーダー溜まってるぞ! リリア、次の注文は!?」


 新たな決意(と、ある種の諦観)を胸に、陽人は再び戦場へと戻っていく。痛む腰をさすりながらも、その目は料理人としての強い光を宿していた。マカイ亭の三日目は、まだ始まったばかりだ。

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