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第48話 オルロフ公爵家の紋章

「こ、これって……まさか……オルロフ公爵家の紋章……!?」


 陽人の呟きに、リリアが息を呑んで頷いた。

「は、はい! 間違いありません! 私、貴族の紋章にはちょっとだけ詳しいんです! 王都創建以来の名門中の名門、オルロフ公爵家ですよ! 今はたしか、改革派の中心人物だって……!」


「改革派……?」陽人は眉をひそめた。「じゃあ、俺たちの敵じゃない、のか? お隣さんは保守派だって聞いたぞ。魔族嫌いの」

 リリアは興奮気味に続ける。

「敵じゃない、はずです! それに、今のオルロフ公爵は大変な食通としても有名で、時々こうして身分を隠して市井の店を訪れては、有望な料理人を発掘している、なんて噂もあるくらいで……!」


「じゃあ、味方なんですか? それとも、やっぱり偉い人だから怖いんですか? ゴブリンより怖いですか?」

 ギギはカウンターの陰から、怯えと好奇心が入り混じった顔で問いかける。貴族とゴブリンを比較するあたりが彼らしい。


 陽人は、黙って成り行きを見ていたバルガスに視線を向けた。

「バルガス、お前、何か知ってるか? オルロフ公爵って」

 バルガスは、その大きな緑色の顔で、しばし考えるような素振りを見せた後、低い声で答えた。

「……オルロフ。…名前は、聞いたことがある。魔王軍でも……」

「えっ、魔王軍でも?」

「……いや、古い話だ」

 バルガスはそれ以上語ろうとはせず、再び口を閉ざしてしまった。何か知っているのは間違いなさそうだが、彼から情報を引き出すのは容易ではない。


「……まあ、考えても仕方ないか」陽人は、混乱する頭を無理やり切り替えるように言った。「憶測で騒いでも意味ないしな。今は目の前の店に集中だ! ほら、客が待ってるぞ!」


 陽人は紋章カードをそっとポケットにしまい、営業に戻った。しかし、頭の片隅には常に「オルロフ公爵」の存在が引っかかっている。一体何が目的なのか? 味方なのか、それとも新たな厄介事の始まりなのか?


 そんな陽人の内心の動揺を知ってか知らずか、マカイ亭の二日目の営業は、昨日にも増して賑わいを見せていた。


「よう、シェフ! 今日も来たぜ!」昨日来た労働者たちが、仲間を連れて再びやってきた。「しかし、さっきの爺さん、凄かったなあ! 服装からしてただ者じゃねえと思ったが、一体何者なんだ? あんた、知り合いか?」

「いや、俺も初対面で……」陽人は言葉を濁すしかない。


「すみませーん! あの『闇色ベリーのムース』、今日も食べたくて来ちゃいました!」

 昨日の若いカップルも、笑顔で再来店してくれた。リピーターの存在は、素直に嬉しい。


 しかし、陽人の集中力はどこか散漫だった。

「よし、この『絶望きのこ』に隠し味の……っと!」

 危うく塩の代わりに砂糖を大量投入しそうになったところを、隣にいたリリアが慌てて止めた。

「わわっ! シェフ、それ砂糖です! きのこが甘くなっちゃいます!」

「お、おお、悪い! 助かった、リリア!」

「もう、しっかりしてくださいよ、シェフ!」

 リリアにたしなめられ、陽人は頭を掻いた。公爵様のことで、完全に上の空になってしまっている。


 昼の休憩時間、陽人はいてもたってもいられず、市場のマギルの元へと足を運んだ。

「おばちゃん、ちょっと聞きたいんだけど、オルロフ公爵って知ってる?」

「ん? 陽人ちゃん、どうしたんだい、急にそんな偉い人の名前なんか出して」マギルは野菜を並べながら、怪訝そうな顔をする。「まあ、名前くらいは知ってるけどねぇ。雲の上の、お貴族様だよ」


「何か、噂とか……どんな人かとか、知らないかな?」

「さあねぇ」マギルは肩をすくめる。「あたしたち下々の者には、関係のない世界の話さね。下手に首突っ込むもんじゃないよ」

 結局、市場では何の有力な情報も得られなかった。


 夕方、店の片付けをしていると、隣の貴族の館から、昨日も見かけた執事らしき男が出てきて、マカイ亭の方をジロリと一瞥し、意味ありげに鼻を鳴らして去っていった。あの老紳士の来店が、すでに彼らの耳にも入っているのかもしれない。陽人は、背筋に冷たいものを感じた。


 その日の営業も無事に(?)終わり、スタッフたちも帰っていった後、陽人は一人、静まり返った店内で今日の売上を計算していた。木箱の中の銅貨と銀貨は、昨日よりも確実に増えている。店の経営としては順調な滑り出しと言えるだろう。


 だが、陽人の心は晴れなかった。

 厨房の隅、薄暗い照明の下で、ポケットからあの紋章カードを取り出す。金の紋章が鈍く光る。


(公爵様、か……。なんでまた、こんな面倒なことになりそうな……)


「食で平和を」なんて、大きな理想を掲げてこの店を始めたけれど、現実は貴族の思惑や嫌がらせに翻弄されそうだ。


(ああもう……ただ、美味い飯を作って、客に喜んでもらって、それで普通に生活したいだけなんだよな……。日本に帰って、あったかいラーメンでもすすりたい……)


 弱音が、ポロリと口をついて出る。異世界での成功も名声も、今の陽人には重荷でしかないのかもしれない。


 陽人は深いため息をつき、紋章カードをテーブルに置いた。金の紋章が、まるで未来の波乱を予言するように、不気味に光っているように見えた。


「オルロフ公爵……一体、何が目的なんだ……?」


 陽人が呟いた、その時だった。

 背後に人の気配を感じて振り返ると、そこには、まだ帰らずに残っていたバルガスが、静かに立っていた。そして、その大きな緑色の瞳は、テーブルの上の紋章カードと、陽人の顔を、何か言いたげに、じっと見つめていた。

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