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第43話 お客様第一号

 カラン――。


 軽やかなベルの音に、店内の空気がピンと張り詰めた。陽人もリリアも、そしてカウンターの陰のギギも、固唾を飲んで入り口を見つめる。バルガスだけは相変わらずの無表情で、入り口近くに仁王立ちしている。


 そこに現れたのは……お世辞にも裕福とは言えない風体の男だった。擦り切れた革鎧かわよろいはところどころ油で汚れ、腰に差した剣はさやこそ立派だが、つかの装飾は剥げ落ちている。見るからに懐の寂しそうな、日雇いの冒険者といったところか。だが、その態度は妙にふてぶてしく、鷹のような目で店内をぐるりと見回した。


「ふん、ここが噂の『マカイ亭』か。思ったより小綺麗こぎれいじゃねえか」


 その尊大な物言いに、陽人は内心「うわ、なんか面倒くさそうなのが来た……!」と顔を引きつらせた。記念すべき最初の客がこれか。


「い、いらっしゃいませー! あ、あの、お客様第一号様でございます! 大変光栄です! どうぞこちらのお席へ! おすすめメニューもございます!」


 リリアが満面の笑顔で駆け寄るが、緊張と張り切りすぎで声は上擦り、異様に早口になっている。目がキラキラしているが、どこか必死さが滲み出ているのは否めない。


 一方、カウンターの陰では、ギギが客の威圧感(本人は特に威圧しているつもりはないだろうが)に完全に縮み上がり、ぶるぶると震えている。客と目が合った瞬間、「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて、完全にカウンターの下に潜ってしまった。


 そしてバルガス。彼は入り口近くで腕組みしたまま、微動だにせず、ただ無言で男をジッと見つめている。その巨躯と無表情も相まって、まるで「一歩でも動いたら捻り潰す」と言わんばかりの威圧感を放っていた。


「……へ、へい、いらっしゃい! お、お好きな席へどうぞ!」


 陽人はなんとか平静を装って声を出すが、自分でも声が少し裏返っているのが分かった。スタッフたちの珍行動に、早くも眩暈めまいがしそうだ。


 男はそんな店内の奇妙な空気を気にするでもなく、一番手前の席にドカッと腰を下ろした。


「おう。で、何が食えるんだ? まさか、本当に魔族が食ってるようなゲテモノ料理でもあるのか?」


 陽人が差し出した手書きのメニューを、男は疑わしげな手つきで受け取る。


「なになに……『獄炎鶏ごくえんどりの唐揚げ・涙目注意』? 『沼地の粘液風・滋養満点スープ』? 『絶望きのこのアヒージョ』……おいおい、ネーミングセンスどうなってんだ、ここは。食欲無くすぞ」


(うっ……やっぱりそう思うか……。魔界じゃ普通だったんだが……)

 陽人は内心で冷や汗をかいた。


 しかし、男は各メニューの横に書かれた値段を見て、少し目を見開いた。


「……ほう、安いじゃねえか。この界隈にしちゃ良心的だな」

 男は顎を撫でながら、しばし考え込み、「よし」と手を打った。


「じゃあ、一番安いの……この『ゴブリンも大好き! 日替わりパンセット』とやらを一つ。それから……まあ、話のタネだ。この『獄炎鶏の唐揚げ』ってやつも食ってみるか。死にはしねえだろ」


「は、はい! かしこまりました!」

 リリアが元気よくオーダーを取り、陽人は厨房へと駆け込んだ。

(よし、最初が肝心だ……! 人間の舌にも合うように、涙目唐辛子の量は少し控えめに……いや、でも名前が『涙目注意』だしな……よし、通常通りで!)


 ややあって、料理が運ばれてきた。パンセットは見た目も普通で美味しそうだ。問題は唐揚げ。見るからに辛そうな、禍々しいほどの赤い衣を纏っている。そして、セットのスープ。これはメニューにないサービス品だが……色は鮮やかな緑色で、わずかにとろみがある。


 男はまず、唐揚げをいぶかしげにつまみ上げ、匂いを嗅ぎ、「ふん」と鼻を鳴らしてから、恐る恐る口へと運んだ。


 次の瞬間。


「ん…んぐっ!?!? か、からーーーーーーーーっっっ!!!!」


 男は椅子から飛び上がらんばかりの勢いで叫び、顔を真っ赤にして口を押さえた。目からは生理的な涙がボロボロと溢れている。


「み、水! 水をよこせぇっ!!」

「は、はいっ! ただいま!」

 リリアが慌てて水の入ったピッチャーを差し出す。男はそれを奪い取るように受け取り、ラッパ飲みした。ぜぇぜぇと肩で息をしながら、涙目で陽人を睨みつける。


「て、てめえ……! 何しやがる! 殺す気か!」

「い、いえ、ですから『涙目注意』って書いてあったじゃないですか!」

「限度があるだろうが、限度が! ああもう、舌が痺れて……ん?」


 男は口をもぐもぐさせながら、ふと動きを止めた。そして、おそるおそる、もう一つ唐揚げをつまむ。


「……いや、辛い! やっぱりめちゃくちゃ辛い! なのに……あれ? なんだこれ……美味い……?」


 男は混乱した表情で、しかし確実に、三つ目の唐揚げを口に運んだ。辛さに顔を歪め、時折水を飲みながらも、その手は止まらない。


「は、はい! サービススープもどうぞ!」

 リリアがおずおずと緑色のスープを差し出す。男は「こんな色のスープ飲めるか!」と一瞬睨んだが、唐揚げの辛さを和らげたい一心か、スプーンで一口すすった。


「……うおっ!? なんだこれ! 見た目に反して、妙にサッパリしてて……これも……イケるぞ!?」


 結局、男は汗だくになり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、唐揚げとスープ、パンセットを綺麗に完食した。


「ふん……まあ、悪くはなかったぜ。特にあの緑のスープはな」男は立ち上がり、懐から銅貨を数枚取り出す。「次はもっとマシな名前の料理にしとけよ! 心臓に悪い!」


 そう捨て台詞を残し、(しかし会計はきっちりと払い)、男は少しだけ満足げな、しかし疲労困憊といった様子で店を出て行った。


 カラン――。


 再び鳴ったベルの音とともに、店内には静寂が戻る。


 陽人、リリア、そしていつの間にかカウンターから顔を出していたギギは、男が出て行った扉を、ただ呆然と見送っていた。バルガスだけが、ほんの少しだけ口角を上げたように見えたのは、気のせいだろうか。


「……嵐のような、お客さんでしたね」リリアがぽつりと言った。

「で、でも、美味しいって言ってくれました! 全部食べてくれました!」

「ひ、ひぃ……お、お金もちゃんと払ってくれました……怖かったけど……」


 陽人は、どっと押し寄せた疲労感に、思わず近くのカウンターに手をついた。


「…………先が思いやられる……」


 しかし、男が座っていたテーブルの上には、綺麗に空になった皿が残されている。そこに確かな手応えを感じて、陽人は疲れ切った顔の中に、ほんの少しだけ、笑みを浮かべた。


 マカイ亭、波乱含みながらも、確かな一歩を踏み出した瞬間だった。

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