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第41話 波乱万丈の開店準備

「……で、この板をここに打ち付ければ、とりあえず埃は防げる、はずだ」


 陽人は額の汗を手の甲で拭い、即席の天井板を見上げた。バルガスが怪力ではりを支え、陽人が慣れない手つきで釘を打ち付けるという、ちぐはぐな共同作業の末、なんとか穴は塞がった。とはいえ、素人仕事であることは否めない。いつまた崩れてきてもおかしくない、という不安は残る。


「お前、意外と役に立つな。力だけじゃなくて」

 陽人がぽつりと言うと、バルガスは太い眉を僅かに動かし、

「……ウス」

 とだけ答えた。肯定なのか否定なのか、あるいは単なる相槌なのか。付き合いは長いが、彼の感情を読むのは至難の業だ。だが、陽人の指示を黙って聞き、不器用ながらも手伝ってくれた事実は、少しだけ彼の心を温かくした。


「シェフ! おはようございまーす!」


 その時、店の扉が勢いよく開き、快活な声が飛び込んできた。赤毛をポニーテールにした快活な少女、リリアだ。彼女は、このマカイ亭で働くことになった数少ない人間スタッフの一人である。


「おはよう、リリア。朝早くから悪いな」

「いえっ! 開店準備、ワクワクしますから! ……って、あれ? シェフ、なんだか埃っぽくないですか?」

「ああ、ちょっとな。天井と軽いスキンシップを……」

 陽人が苦笑いで誤魔化していると、リリアの後ろから、小さな影がおずおずと顔を出した。緑色の肌をした小柄なゴブリン、ギギだ。彼も魔族スタッフの一員だが、バルガスとは対照的に気が弱く、常に何かに怯えているような節がある。


「ギ、ギギも……お、おはよう、ございます……シェフ……」

「おはよう、ギギ。ちゃんと来れたか」

「は、はい……市場の人混みが、こ、怖かったですけど……」


(……前途多難だな、こりゃ)

 陽人は内心でため息をついた。バルガスは無口すぎ、ギギは臆病すぎる。接客業として、このメンバーで本当にやっていけるのだろうか。リリアの明るさだけが救いだ。


「よし、リリア! ちょっと接客の練習してみるか? ギギも見てろよ」

「はいっ! いらっしゃいませー! マカイ亭へようこそ! こちらのお席へどうぞ!」

 リリアは満面の笑顔で、完璧な接客を披露する。

「……ギギ、次は君の番だ」

「ひっ……!?」ギギはびくりと肩を震わせ、「い、いい、いらっしゃ……ませぇ……」と蚊の鳴くような声で呟き、すぐに近くのテーブルの陰に隠れてしまった。バルガスは相変わらず黙々と床を磨いている。


 陽人はこめかみを押さえた。「……まあ、追々な」


 気を取り直し、陽人は財布と買い物籠を手にした。

「よし、ちょっと市場に行って、スパイスと新鮮な野菜を仕入れてくる。リリア、一緒に来てくれるか? 荷物持ち頼む」

「はい、シェフ!」

 リリアは元気よく返事をし、ギギは「いってらっしゃいませ……」と物陰から小さく手を振った。


 アルネリオン下町の市場は、朝の活気に満ち溢れていた。様々な種族――人間、ドワーフ、獣人、そして数は少ないが魔族の姿もちらほら見える――が行き交い、露店の威勢の良い呼び声と、香辛料や焼き菓子の匂いが混じり合っている。陽人は人混みをかき分け、馴染みの八百屋「マギル」を目指した。


「マギルのおばちゃん、いるー?」

「あら、陽人ちゃん! いらっしゃい!」

 店の奥から、恰幅かっぷくの良い、太陽のような笑顔のおばちゃんが現れた。マギルだ。


「今日は開店前日だっていうのに、仕入れかい? 大丈夫なのかい、準備は」

「まあ、なんとか……。それより、頼んでおいた野菜、できてる?」

「もちろんさ! とびっきり新鮮なやつ、用意しといたよ!」

 マギルはそう言って、瑞々(みずみず)しい野菜が詰まった籠を差し出した。だが、その笑顔の裏に、わずかな心配の色が浮かんでいるのを陽人は見逃さなかった。

「……しかし、陽人ちゃんも物好きだねぇ。わざわざ魔族なんか雇ってさ。この辺りじゃ、まだ怖がってる人も多いんだよ?」

 周囲の客たちが、少し距離を置いてこちらをうかがっているのが分かる。好奇心と、それ以上の警戒心。


「大丈夫ですよ、マギルさん。みんないい奴らですから。それに、俺の料理を食べれば、魔族も人間も関係ないって分かってもらえますよ」

 陽人は自信を持って答えた。マギルは「ふーん……」と顎に手を当てたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。


「まあ、あんたの料理は美味いからね! それで皆が仲良くなるなら、おばちゃんは応援するよ!」


 野菜とスパイスを受け取り、リリアと二人で店への帰り道を急ぐ。途中、隣接する貴族の館の前を通りかかった。古いが、手入れの行き届いた立派な石造りの館だ。代々「反魔族」を掲げる家柄だと聞いている。


 ふと、二階の窓の一つに人影が見えた気がした。こちらを冷ややかに見下ろすような、鋭い視線。

「……シェフ、なんだか、あの館の人たち、私たちを睨んでませんか?」

 リリアが不安そうに陽人の袖を引いた。


「気のせいだろ。それより、ほら、急ぐぞ」

 陽人は努めて明るく言い、足早にその場を離れた。だが、背中に突き刺さるような感覚は、気のせいではないと分かっていた。


 店が見えてきたところで、陽人は抱えた野菜の籠に目を落とした。土の匂いがする、新鮮な野菜。見ているだけで、どんな料理を作ろうか、どんなソースと合わせようか、アイデアが次々と湧き上がってくる。

(そうだ、このカボチャなら、あの魔界風の甘辛いソースに合うかもしれない……)

 疲労も、不安も、貴族からの圧力も、この瞬間だけは忘れられる。やはり自分は根っからの料理人なのだと、陽人は再確認した。


「シェフ、なんだか嬉しそうですね!」隣を歩くリリアが声をかける。

「ああ、やっぱり良い食材を見るとワクワクするんだ。腕が鳴る!」


 希望を胸に店の扉を開けた陽人が見たものは――店の真ん中で、巨大なバルガスが、小さな花瓶に繊細な野の花を生けようと四苦八苦し、その傍らでギギが「ひぃぃ! その花、人食い花じゃないですよねぇ!?」と怯えて腰を抜かしている、カオスな光景だった。


「…………」


 陽人は、本日何度目か分からない深いため息を、静かに吐き出した。


「……開店、本当に間に合うのか、これ?」


 マカイ亭、波乱万丈の開店準備は、まだまだ続く。

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