第38話 デザートの奇跡とエリザの正体
戦いの惨禍を辛うじて免れた大広間──そこには怯えた客や血気盛んな兵士が散在し、空気はまだ張り詰めている。打ち切るのが当然と思われた晩餐会が続行されると知り、驚きと戸惑いのざわめきが広がっていた。
「ま、まだ続けるのか?」「こんな状況で食事どころじゃ……」
ちらほら立ち去ろうとする客もいるが、騎士団や魔族兵が丁重に呼び止め、「残っていただけるなら、もう一度安全を確保します」と説得を試みている。陽人は痛む腕を押さえながら、テーブルを再び整えようとしている客や兵士たちに声をかけた。
「ごめんなさい、もう少しだけ……よかったら料理を味わっていってください。みんなのために作ったデザートが、まだ残ってるんです……」
そんな陽人の懸命な姿に、一部の客は好意的な目を向け始めた。さっきまで殺意を向け合っていた魔族と人間が、互いにけが人を助け起こす姿もちらほら見受けられ、騎士団の青年が大声で呼びかける。
「負傷者の応急処置は俺たちが担当する! 魔族の兵士も手伝ってくれている! 安全を確保するから、落ち着いて着席を……! あと、陽人のデザートは意外と……うまいぞ!」
最後の言葉に、周囲から小さな笑いが漏れる。これまでの激しい空気をわずかに柔らげる、その笑いが広がり始めたのを、陽人は見逃さなかった。
(そうだ……こういうちょっとした笑いとか、味の驚きとかが、戦いを止めるきっかけになるなら……俺、まだ頑張れる!)
陽人はこぼれた器や散乱した食器を慌てて片づけつつ、まだ出し切れていないデザートの皿を魔族助手たちと手分けして配り始めた。だいぶ数は減ってしまったが、一部の器は無事。追加分の飾り付けも残っている。
「みんな……どうか席について、残りの料理を食べてみてください!」
陽人が全力で呼びかけると、傷ついた客の一人が「こんなに苦労して作ったのか……」と呟いてスプーンを手に取る。周囲の者たちもつられるように席に戻りはじめ、魔族の幹部たちも黙ってそれを見守っている。
「ふん、ここまで強引に続行するとは。陽人も人間界も、たいした根性だな……」
ゼファーが軽く鼻を鳴らしながら、もう片方のテーブルで食べ損ねていたデザートを口に運ぶ。すると、ほかの魔族も「こ、こんな時に飯を?」と戸惑いながらも、結果的に武器を置いて椅子に腰かける者が増えていく。
やがて客の何割かは帰ってしまったが、残った面々は“とりあえず落ち着こう”という気持ちを共有しているらしく、静かにデザートの皿を囲んだ。血のにおいが残る会場に甘酸っぱい果実の香りが混ざり、妙にアンバランスな空気だ。
「これは……? あの辛いソースと同じスパイスが混ざってるのか? でも甘くて、意外なコクが……」
「うん……なんだ、悪くないな。正直この状況で食欲がある自分に驚きだけど……」
あちこちで、そんな戸惑いと微かな感嘆の声が聴こえる。大惨事寸前の緊張感を、わずかに上書きするように“美味しさ”が会場へ溶け込んでいく。
(よかった……まだ、終わりじゃない。みんなが最後に“うまい”って思ってくれたら、きっと何かが変わる……)
陽人がそう安堵の息をついた矢先、今度はエリザの足音が背後で止まった。振り向けば、彼女は夜闇のかかった窓辺に佇んでいる。どこか晴れやかな顔をして、陽人を見つめていた。
「エリザさん、さっきの説得、ありがとう。何を言ってたのか分からないけど……」
エリザは小さく首を振る。
「私は別に、あなたの料理を守るために動いたわけじゃない。ただ、これ以上無益な血を流しても得るものがないと思っただけ。……それに、あなたの必死さにほだされただけかもしれないけど」
淡々と告げるエリザの言葉には、以前の冷たさがやや和らいでいる。陽人は素直に「ありがとう」と微笑んだ。
「……で、あなたは何者なんです? 正直、まだよく分かりません。王都の侍女ってわけじゃなさそうだし、時々魔族の話にも詳しいみたいだし」
エリザは少し迷ったような顔をしつつ、肩をすくめる。
「正体を名乗る必要はないけど、強いて言うなら“ある商会”の代理。人間界と魔王領、両方の情報を集めて、戦争が続くなら続くで、商売を繁盛させようっていう思惑があったの。でも……」
そこで言葉を区切り、エリザは魔王ゼファーの姿をチラリと見やる。
「当初は、晩餐会を利用して魔族と人間の対立をさらに煽り、いろいろ利権を得ようという話もあった。だけど、あなたやゼファーたちの行動を見てたら、なんだか馬鹿らしくなってきてね」
陽人が息を呑む。エリザはまさかの“裏で暗躍していた”勢力の一員だったのかもしれないが、どうやら彼女自身は心変わりを起こしたらしい。そう思えるほど、今のエリザの表情はどこか解放感に満ちている。
「……だから、私なりに過激派を宥めることにしたの。おかげで一部は手を引いたし、さっきの騒ぎも最悪の事態にならずに済んだ。もちろん、これですべて終わるわけじゃないわ。でも、あなたの料理が思いのほか強い“力”を持っているってこと、証明になったんじゃないかしら」
エリザが軽くウインクすると、陽人は複雑な感情を抱えながらも微笑んだ。
「そっか……うん、ありがとう。何者かは分からないけど、助けてくれたことに感謝するよ。これで晩餐会がひとまず続けられそうだから……」
言い終わらないうちに、ゼファーが背後から「ふん、余計な話をしていたな」と声をかけてきた。どうやら、ほぼすべての敵対勢力が抑え込まれ、事態はほぼ収束に向かいつつあるらしい。剣を収め、ゆったりと歩を進めて来る姿は、まるで“ここが自分の城だ”という余裕を感じさせる。
「魔族も人間も、まだ落ち着かんようだが……どうやら、やる気のある客は残っているな。せっかくの料理を無駄にはしたくない。……さあ、最後まで頑張ってみせろ」
ゼファーが口元に微かな笑みを浮かべ、陽人の肩を叩く。陽人は驚きつつも深く頷いた。大広間のあちこちで、客たちがゆっくりと席に戻り、再び小声で料理について語り合う姿が見られるのだ。先ほどまでの地獄絵図が嘘のようだが、まだ終わりではない。
(あともう一押し……このデザートで、最後の一口を味わってもらえたら、きっと……)
そこへ騎士団の青年が血まみれの甲冑を拭いながら戻ってきた。幸い大けがではないらしく、苦笑いで陽人に話しかける。
「はあ……この場は何とか落ち着いたけど、客の心境は最悪だと思う。締めるなら今しかないけど、本当に続けるのか?」
陽人は意を決し、周囲に聞こえるようはっきりと答えた。
「はい。最後まで、晩餐会は続けます。……もしよければ、皆さん、まだ残っているこの“フルーツコンポート”を食べてください。味なんて二の次かもしれないけど……せめて、苦い思い出にだけはしないでほしいんです」
魔王ゼファーや騎士団、そしてエリザも含む数名の人影が、陽人の言葉に注目する。新たに料理を出す余力はないが、デザートだけはギリギリ確保できた。傷んだテーブルや倒れた椅子を、スタッフたちが必死に直している。
「ああ……これが、最後の晩餐になるか、それとも、新しい平和の始まりになるか……見せてもらおうじゃないか」
魔王ゼファーが低く呟く。そして、騎士団の青年も剣を収め、「俺も腹が減ってるんだ。少し休ませてくれよ」と照れ笑いを浮かべて席に着く。結果的に、宴は完全には解散せず、残れる者は椅子を引いて残りの料理とデザートを味わう流れとなる。
こうして、ボロボロになった大広間で、陽人が作った“最後の料理”を囲む奇妙な晩餐が再開される。過激派も強硬派も拘束され、まだ心は荒んだままの客や兵士もいるが、皿から立ち上る甘い湯気が一時的にでも彼らを落ち着かせるかもしれない。
次回、晩餐会のエピローグ。暴動の後に残された人々がどんな思いを抱え、陽人の料理をどう受け止めるのか。エリザが暗示した“商会”の陰謀は完全に消えたのか。最後の瞬間まで波乱を孕みつつ、物語は一筋の光を見出していく……。