第36話 陰謀とデザート――危機の幕開け
大広間の隅からかすかに聞こえてくる悲鳴と口論。それはまだ小競り合いの段階だが、宴全体がきな臭い空気をはらみ始めているのを、陽人は肌で感じ取っていた。
「ここで収まってくれればいいんだけど……」
デザートを差し出された魔族の男は、ゼファーの言葉に反応して一瞬言葉を失う。彼の隣で怒りに任せて叫んでいた人間の貴族も、今や騎士団に取り押さえられ、バツの悪そうに視線を逸らしていた。
「……ち、ちくしょう……だが、料理など食ってたまるか……」
魔族の男は視線を泳がせながらも、そのフルーツコンポートの甘い香りに意識を揺さぶられている様子。ゼファーがすかさず声を重ねる。
「本当に、ただ食べるだけだ。味が気に入らなければ、すぐに席を立っても構わん。だが、噛みつく前に知っておくべきこともあるんじゃないか? この料理がどう作られたか……」
その一言に、男の動揺がさらに増す。周囲で見守る客たちは好奇心を抑えられず、じりじりと距離を詰めていく。騎士団の青年は苦笑いしつつ、身構えた姿勢を解かないままだ。
「……くっ、分かった。そこまで言うなら、だが……」
魔族の男が皿に手を伸ばしかけたその時、突然、大広間の正面扉がドン! と大きな音を立てて開いた。パニックになった客たちが悲鳴を上げて扉を振り返ると、数名の人影が勢いよく飛び込んでくる。
「闖入者……!?」「なにごとだ!」
「王都の貴族と魔族……どいつもこいつも偽りの平和を演じやがって!」
荒々しい声を放ったのは、人間の男たちだ。服装は貴族風だが、目つきや動きはどこか殺気立っている。すぐさま騎士団が駆け寄るが、彼らは懐から何かを取り出し……
「危ない、伏せろ!」
騎士の怒声と同時に、男たちが瓶のようなものを放り投げる。グラスが割れたような音がし、そこから濃厚な煙がボワッと立ち昇った。辺り一面が白い煙に包まれ、客たちはたまらず咳き込み、目を覆う。
「毒ガス!? いや、くさいけど無害か……?」
陽人は慌てて鼻を押さえる。化学的な臭いなのか、香辛料を焦がしたような刺激臭が漂い、視界が白黒する。どうやら致死性の毒ではないようだが、相手の狙いは混乱を作り出すことなのだろう。
「みんな、落ち着いてください! 外へ出ないで、その場で低姿勢を!」
騎士団の青年が叫び、部下たちが誘導を始める。大広間は大混乱に陥り、悲鳴や怒号が渦を巻く。マントで口を覆うゼファーが目を細め、周囲を警戒する。
「フッ……この程度の煙幕、たいしたことはないが……どこにいる、強硬派の魔族どもも乗り込んできているはずだ」
ゼファーは魔族幹部たちに目配せし、騎士団の動きと合わせて混乱を最小限に抑えようとする。だが、視界の悪さと人々のパニックで思うように動けない。
「みんな、大丈夫か……?」
陽人も手探り状態で人々を助け起こしながら、ふと近くのテーブルで先ほどの魔族の男がうずくまっているのを見つけた。
「大丈夫ですか!? けがは……」
男はむせながら顔を上げる。先ほどは怒りに満ちていた瞳が、不安定な揺らぎを帯びていた。
「……くそ、まさか人間側が先に仕掛けてくるとは……俺たちの出る幕がないじゃないか」
「え? まさか、あなた……強硬派?」
陽人が愕然とする。男はハッとした顔で口をつぐむが、もはや煙幕の中で正体を隠しても意味がないらしい。すぐに唇を噛んで言葉を吐き出す。
「俺たちも、この晩餐会に乗じて王都を混乱させようと思っていた……が、先に人間の過激派が同じような計画を立てていたとはな。こんな茶番、どう転んだって平和にはならんのさ」
混乱の中、男は苦しそうに咳き込みながらも、テーブル上のデザート皿を強く睨む。その姿に、陽人は再び問いかけた。
「……でも、あなたはまだ手を出していない。先に人間の過激派が騒ぎを起こしたからかもしれないけど、止める理由もなかったはず。なぜ攻撃しないんです?」
男は無言を貫く。だが、ふと皿の上で崩れかけていたフルーツコンポートを掴むと、ぐっと舌に運んでみせた。煙幕に交じって甘酸っぱい香りが漂う。
「……っ、うまいじゃないか……こんなバカバカしい宴に、本気で料理を出してくるとは……ふん、何を考えている」
苦味を帯びた言葉とは裏腹に、男の表情は少しだけ和らいでいる。陽人は安堵を覚えつつも、まだ状況は何も好転していない。大広間のあちこちで騎士団が煙幕を掃除し、過激派の捕縛を進めているが、人混みに紛れた刺客が潜んでいてもおかしくない。
「そいつを食べて、ちょっとでも気が楽になるなら……僕はそれだけで嬉しいです。だって、戦っても結局何も生まれないじゃないですか」
陽人が苦笑混じりに言うと、男は舌打ちして顔を背ける。だが、もう闘争心はかなり削がれているように見える。
(よかった……少しは事態を落ち着かせられたかもしれない。でも、まだ人間の過激派は……)
周囲を見回すが、煙が晴れてきた大広間には倒れた者や悲鳴を上げる客、怒声を張り上げる貴族や魔族など、混沌が渦巻いている。と、その時、中央付近で鋭い金属音がした。
「剣……!? 騎士団が交戦中か……!」
騎士団の青年が叫ぶ。どうやら人間の過激派がナイフか短剣を隠し持っていたらしく、今まさに護衛騎士と刃を交えているらしい。さらにその横で魔族の強硬派らしき者も乱入し、三つ巴の乱戦になっている光景が見えた。
「こ、ここまで来ると、料理でどうにかできるレベルじゃない……!」
陽人の背筋が凍る。もはや暴力が暴力を呼び込む最悪の事態に突入しかけている。せっかくの晩餐会が完全に台無しだ。魔王ゼファーがどう動くのか、あるいは人間側の貴族が何をするのか、混乱に拍車がかかる一方。
(でも、諦めない! まだ……まだ手はあるはず!)
自分の料理を信じ、両陣営が分かり合うと願った陽人。今このとき、料理はほとんど通用しないかもしれないが、ただ傍観するわけにもいかない。
次回、最終的な衝突と陰謀の全貌が明らかに。陽人の懸命な行動、ゼファーや仲間たちの奮闘、そしてエリザの計略が交錯する中、晩餐会は果たして平和への架け橋となるのか、あるいは再び大きな戦火を呼ぶのか──まさにクライマックスが待ち受ける。