第32話 晩餐会前夜の深まる陰謀
翌日、陽人は早朝から厨房にこもり、試作と盛り付け演出の準備に追われていた。晩餐会まで残された猶予はあと一日しかない。表には近衛騎士や魔族兵が厳重に詰めているが、町中の不穏な気配が増していることは誰の目にも明らかだった。
「さて……これは魔界の角をモチーフにした皿の意匠。派手になりすぎないように、縁取り程度にとどめて……」
陽人は幾つもの紙に描いたデザインを吟味しながら、実際の器や盛り付けとのバランスをイメージしている。隣では魔族の助手たちが果物や野菜を彫刻し、品良く“角”をアレンジした飾り細工を作成中だ。
「兄貴、この角みたいな飾り付けをすると、ちょっと怖い印象になりませんかね? 人間は大丈夫でしょうか?」
小柄な魔族助手が心配そうに尋ねる。陽人は唇を噛んで首を振った。
「多少の恐ろしさも“かっこいい”と感じてもらえればいいんだけど……色合いを落ち着かせたり、フチの丸みを加えたりすれば威圧感が減るかな。ちゃんと“魔族の誇り”を示す形でもあるし……難しいね」
悩みながらも手は止めず、次々とオーダーをまとめていく。完成までは時間との戦いだ。だが、アイデアが形になっていく過程は、やはり料理人としての創造意欲を満たしてくれる。
「俺たち、なんだか工芸職人みたいになってますね……」
助手が苦笑しながら作業を続ける。だが、その空気を破るように、宿舎の廊下から険しい声が聞こえてきた。
「どこへ行くつもりだ、あんたは! 勝手な行動は困る!」
騎士団の青年の怒声。続いて聞き慣れた冷ややかな声が応じる。
「……うるさいわね。私はちょっと散策するだけ。王都の様子を見て、晩餐会がどう評価されるか確認したいのよ」
エリザだ。陽人は怪訝な表情で筆を置き、厨房を出る。すると廊下の突き当たりで、騎士団の青年がエリザの腕を掴んで引き止めているところに遭遇した。
「ちょっと落ち着いて、二人とも……どうしたんですか?」
陽人が割って入ると、エリザは腕を振りほどくように青年の手を離し、目を伏せながら唇を尖らせる。
「どうもこうも、私が外へ出るのを止めるのよ。まるで囚われの身扱いじゃないの。監視役はそちらの担当ではなくて?」
騎士団の青年は苦々しい表情を浮かべる。
「あなたが監視してた側じゃないのか? ……とにかく、危険だ。王都には反魔族集会の連中がうようよいるし、昨日から怪しい動きもある。魔王軍の関係者と見られたら、一発で絡まれるぞ」
「だからこそ、私は自分の足で状況を確かめたいの。晩餐会が成功したら平和への道が開ける……なんていう甘い幻想を、私は鵜呑みにするつもりはないから」
エリザの冷徹な瞳は相変わらず何を考えているか読めない。陽人は慌てて口を挟む。
「そりゃ王都は危険ですけど……エリザさん、一人で行動するのはリスクが大きいです。もし何かあったら、俺たちも困るし……」
エリザは一瞬眉をひそめるが、やがて諦めたように嘆息する。
「……分かったわ。じゃあ、あなたが一緒に来る?」
唐突な提案に、騎士団の青年が「ちょっと待て」と抗議の声を上げる。
「陽人が外を出歩くなんてもっと危険だろう! 料理本番を目前に控えてるんだぞ。暗殺の的になるかもしれないってのに……」
「むしろ陽人がいれば『料理の買い出し』だとか表向きの理由がつけられるでしょ? 騎士や魔族兵を大勢連れて行くより、二人のほうが動きやすいと思うわ」
エリザの言葉に、陽人は一瞬逡巡する。確かに外に出るのは危険だが、このまま宿舎にこもったままで王都の情勢や過激派の動きを把握できないと、晩餐会の準備にも支障が出そうだ。演出の材料を追加で仕入れたい気持ちもある。
「……分かりました。すぐに戻ってきますから、少しだけ街を見てきますよ。騎士団の彼も、任せて大丈夫?」
騎士団の青年は苦い顔だが、半ば渋々と折れる。
「くそ、俺も同行したいが、ゼファー様に報告があるし……分かった。早めに戻れよ。もしもの時は叫んでくれ。すぐ駆けつけるから」
こうして陽人はエリザと連れ立って、最低限の変装を施して宿舎を出ることになった。魔族兵や騎士を大勢引き連れると目立つため、あえて二人きりでという形だ。
「行きましょう。……私が事前に情報を集めておいたから、とりあえず安全なルートは把握しているつもりよ」
エリザがそっけなく言い捨て、宿舎の門を出る。陽人は心臓をバクバク鳴らしながら、街の通りへと足を踏み入れた。周囲には人間たちが行き交い、誰もが異国や魔王領の関係者に警戒するような視線を送ってくる。
(変装してるとはいえ、バレたらまずいな……。それに、エリザさんは本当に何が目的なんだろう?)
疑問を抱きながらも、陽人はエリザの後をついて歩く。洒落た商店が並ぶ通りを抜け、裏路地に差しかかると、ぐっと人通りが減った。そこには小さな露店や行商人が所狭しと店を広げている。
「ここの商人たちは、表通りでは扱えない珍しい食材や道具を売ってるらしいわ。魔界と取引している連中もいるとか」
エリザの案内に、陽人は目を輝かせる。もし魔族の演出や調理で使えるアイテムが見つかれば、晩餐会の成功率はさらに高まるだろう。
「でも、治安はよろしくないわよ。過激派の手先がうろついているかもしれないから、気を付けて」
エリザが低く呟いた矢先、裏路地の奥で何やら言い争う声が聞こえてきた。陽人が覗き込むと、怪しげな男たちが集まり、何かの取引をしているようだ。魔族由来の道具らしきものもチラリと見えたが、陽人が足を踏み入れようとした瞬間、エリザが腕を掴んで止めた。
「下手に近づかないで。あれは闇商売よ。私たちが顔を出したら厄介になるわ」
「そ、そうですね……」
陽人は身を引き、別の露店を見回ることにした。そこには皿やカトラリー、調理道具などが並んでいて、中には魔界産の素材を混ぜ込んだという珍しい装飾品もある。
「すみませーん、この皿、角みたいなデザインをもう少し細工できたりしますか?」
店主は面倒くさそうな表情を浮かべたが、「追加料金を払えば可能」と言う。陽人は熱心に注文内容を伝え、帰りがけに受け取れるよう手配してみた。少々高額だが、これで晩餐会の目玉演出の一部が整うはずだ。
「ふう……これで一歩前進かな」
安堵する陽人に、エリザは淡々と尋ねる。
「あなた、本気で『魔族の意匠』を取り入れようとしているのね? さっきの話、聞いていたわよ。誇りを損なわないようにって、簡単ではないと思うけれど……」
陽人は苦笑して肩をすくめる。
「そうだけど、やるしかないんです。魔族と人間が一緒に楽しめる“演出”を作るのが、今回の目的だから。もし失敗したら、俺の料理人生も終わりかもだけど……」
エリザはしばし沈黙し、何かを決断したように口を開く。
「……正直、私はこの世界がそう簡単に平和になるとは思っていない。ましてや料理だけで長年の溝を埋められるなんて、理想論が過ぎるわ」
陽人は少しだけ眉を下げて笑う。
「そうかもしれません。でも、エリザさんだって、まったく期待してないわけじゃないでしょ? だからこそ、こうして俺と一緒に出かけてくれたんじゃないんですか?」
驚いたように目を見開くエリザに、陽人はごく控えめに微笑む。彼女の真意は依然として読めないが、この動きがまったくの敵対行為だとも思えない。
「……余計な詮索はしないで。私はただ、確かめたいの。あの晩餐会が本当に人間と魔族を繋ぐきっかけになるのか、それとも……」
エリザが言葉を曖昧に濁すと、陽人もそれ以上は聞き返さず、露店を回って追加のアイテムや食材を物色する。皿の細工だけでなく、魔界由来のハーブを売っている店などもあり、交渉次第で晩餐会に使えるかもしれない。
――そうして裏路地を巡り、十分な収穫を得た陽人とエリザは、日が沈む前に宿舎へ戻ることにした。幸い大きなトラブルには遭遇せず、過激派に絡まれることもなかったが、街の空気はやはり張り詰めている。少しのきっかけで暴動が起きそうな、不安定な雰囲気だ。
「ただいま戻りました……。結構いい買い物ができましたよ」
宿舎の門をくぐると、騎士団の青年が待ち構えていて、息を詰めた表情で出迎える。
「無事でよかった……。実はさっき、急に大使や貴族が押し掛けてきて、魔王ゼファー様と何やら話し込んでいる。晩餐会の段取りに変更があるとか……」
陽人は嫌な胸騒ぎを覚える。追加の要望や変更がさらに来るようなら、準備がギリギリを越えてしまう可能性もあるだろう。
「分かりました。そっちの対応が落ち着いたら、俺も話を聞きに行きます。とりあえず仕入れたものを確認して、すぐに明日の調整に取りかかりますから……」
陽人があわただしく厨房へ走り去るのを見送って、エリザは黙って見つめる。その目には微かな迷いが宿っているが、誰にもそれを悟らせないまま、再びひそやかな足取りで宿舎の奥へ姿を消した。
(あと一日……本当に上手くいくのかしら。もし何かが起これば、せっかくの料理も台無しになる)
エリザは心の中でそう呟き、静かに息を吐く。“最後の晩餐”になるのか、それとも“新しい始まり”になるのか。その決断は、まだ闇の中だ。
次回、晩餐会当日。貴族や騎士、大使、そして魔王軍幹部が一堂に会する中で、新たな波乱が待ち受ける。陽人が用意した“魔族演出”と料理は果たして受け入れられるのか、エリザや過激派の動きはどう決着するのか──最終舞台が幕を開ける。