第30話 非公式試食会──王の宮廷料理人との火花
夜の帳が下り始めた王都。照明に彩られた貴族街の一角にある、広々とした応接間で“非公式試食会”は行われることになった。そこには、ウォルター卿をはじめとする複数の貴族と高位騎士、そして王都の要人が集まりつつあった。
「ずいぶん立派な場所だな……」
陽人は準備を進めながら、改めて感嘆の声を漏らす。応接間には華やかな装飾が施され、壁には貴族の紋章や肖像画が飾られている。テーブル上には高価そうな食器が並べられ、まさに“宮廷の試食会”に相応しい雰囲気だ。
「だが、陽人よ。緊張感を忘れるなよ。彼らは実力を試すと同時に、お前の料理が本当に魔族との融和を象徴するものか見極めようとしている。ちょっとした失敗でも致命傷になりかねない」
騎士団の青年が小声で諫める。彼の目線の先では、すでに王の宮廷料理人グラントが助手を連れて立ち働いている。厳粛な面持ちで作業するその姿は、“料理”というより芸術を生み出す匠のような気迫を放っていた。
「グラントさんは……やっぱりすごいな。包丁捌き一つとっても、全然無駄がない」
陽人は思わず感心の声を上げる。グラントは一瞥もくれずに淡々と作業をこなし、優雅に鍋のソースをかき回している。その香りは上品かつ複雑で、さすが王の宮廷料理人といったところだ。
(でも、俺だって負けるわけにはいかない。魔族向けの刺激をどう落とし込むかがポイントだな……)
陽人も自分のスペースを確保し、持ち込んだ食材と調味料を確認する。魔族の助手たちが周囲を警戒しつつも、調理のサポートに回ってくれる。彼らも荒野での一悶着を経て、「料理」を大切に思う仲間として動いてくれている。
「少量試作してる余裕はなさそうだけど、塩梅は頭に叩き込んだはず……よし、やるしかない!」
陽人は深呼吸をし、まずは下ごしらえを始めた。今回は数品のコース仕立てを想定しており、前菜・スープ・メインを“人間と魔族の味覚を融合”させた形で提供する作戦だ。特にメインディッシュは、荒野で好評だった辛味+甘味+酸味の折衷ソースをベースにアレンジし、高級感を出すために厳選した肉を用いるつもりである。
「おいおい、ずいぶん珍妙なスパイスだな。魔界由来か?」
声の主は、グラントの助手らしき若い料理人。好奇心と警戒心が入り混じった表情を浮かべていた。陽人は笑顔で返す。
「ええ、魔界で手に入る辛味の強い香辛料です。人間界の酸味やハーブを合わせると、意外と上品な味に仕上がるんですよ」
「ふん……そうか。俺らも王都の食材をふんだんに使って勝負するからな。手を抜いたら、そっちが食い尽くされちまうかもよ?」
茶化すような口ぶりだが、料理人同士の火花を感じさせる。陽人は内心ドキリとしつつも、負けじと調理に集中する。まるでグラントの助手たちも陽人をライバルと見なして、舌を巻かせてやろうという意気込みが感じられた。
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そして数十分後、部屋の奥で行われる“テイスティング”に参加する貴族や騎士が勢揃いし始めた。ウォルター卿が中心となり、陽人とグラントがそれぞれの料理を運んでいく。そこに向かい合う形でテーブルが二つ設えられ、いわば“料理対決”のような構図が自然と形成されている。
「皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただき感謝いたします。……こちらが王の宮廷料理人グラント、そしてそちらが“魔王軍の料理人”だそうですな」
ウォルター卿がわざとらしく陽人を指し、“魔王軍の料理人”という言葉を強調する。そのたびに周囲の貴族や騎士たちが複雑な表情を見せ、窃 whisper like “何者だ?” “人間の裏切り者?” などの声がかすかに聞こえてくる。
「……どうも、橘陽人といいます。今日は人間と魔族が一緒に楽しめる料理を作ってきました」
陽人は深々と頭を下げ、震える声を抑えながら挨拶する。すると、一部の貴族が鼻で笑い、騎士団の上層部らしき壮年の男性が言葉をかけてきた。
「ほう、楽しみだな。もっとも、どれほどの味かは別として、魔王軍の動向を探るきっかけにはなる……。君にはいろいろ聞きたいこともあるが、まずは料理を拝見させてもらおう」
グラントは眉ひとつ動かさず、すでに手際よく配膳を始めている。彼がまず出したのは前菜の冷製スープらしく、繊細な盛り付けと淡い色合いが視覚的にも美しい。貴族の女性たちが「さすがグラントね」と囁く声が聞こえる。
(やっぱりスゴい……。俺も早く出さないと)
陽人は魔族助手たちと連携し、自分の前菜を小皿に盛り付けていく。今回は魔界の野菜を使った甘酸っぱいマリネ風サラダに、人間界のハーブドレッシングを組み合わせた一品。見た目はカラフルで、魔界特有の紫系の野菜がアクセントになっている。
「どうぞ、こちらの『紫根野菜と香草のマリネサラダ』です。魔界の食材ですが、酸味を効かせてサッパリ仕上げてみました」
貴族や騎士が訝しげに皿を覗き込む。中には紫色を敬遠する者もいるが、興味に勝てずフォークを差す姿も目立つ。
「……意外と、抵抗はない色合いだ。かすかに甘酸っぱい香りもする。どれどれ……」
一口含んだ瞬間、あちこちで小さな驚嘆の息が漏れる。魔界野菜は独特の苦味があるが、陽人が酸味や甘味で整えたことで苦味がクセとなるレベルに抑えられ、シャキシャキした食感も好感を得やすい。
「ほう、これは思ったより旨い。苦味がアクセントになっているのか……」
「ふむ、見た目に反してさっぱりしている。生臭さや泥臭さもないのは、どうやって下処理しているんだ?」
予想外の反応に、陽人は胸をなで下ろす。とはいえ、まだ貴族や騎士たちの表情には完全な信頼感は見られず、警戒しつつも“たまたま上手くいっただけでは?”と疑っている者もいるようだ。
一方、グラントが出した前菜は、王都産の新鮮な魚介類を使ったカルパッチョ風の一皿。鮮度の高い魚肉と繊細なソースの組み合わせが見事で、貴族たちからは拍手すら起こっている。さすが、長年王の舌を満足させてきた宮廷料理人だ。
(やっぱりレベルが違う……。俺も次のスープやメインで勝負しないと)
陽人は心の中で気合いを入れ直す。今度はスープを運ぶ番だ。スパイスを利かせながらも、魔族が好む辛味を少し抑え、人間にも飲みやすい程度に仕上げた“ピリ辛ポタージュ”を用意している。
「こちらは“赤根芋”と香辛料のポタージュです。少し辛味がありますが、甘味も意識して調整しました。よろしければお試しください」
すると、口にした貴族が目を見開き、「おお……」と低く唸り始める。
「辛いが、舌を刺激する心地良さがある。なにより、この甘みとコクは何だ? 不思議にまとまっている……」
騎士が「後からじんわり来る辛味だな……だが、悪くない」と頷けば、女性貴族は「甘みが強すぎないから、スパイスが活きてるのね」と上品に微笑む。陽人はホッと安堵し、控えめな笑みを浮かべる。
しかし同時に、グラントもまた華麗なスープを提供していた。スパイスを使わずとも、素材の旨味を最大限に引き出すテクニックは圧巻で、飲み口の柔らかさや後味の余韻が絶妙だ。感嘆のため息が貴族たちから漏れるのを、陽人も耳にしてしまう。
(なるほど……スパイスに頼らなくても、ここまで味を出せるんだ。王都の料理人、恐るべし……)
陽人は改めて刺激を受ける。グラントの料理は、魔族向けの要素が一切ない代わりに、人間の味覚を徹底して満足させる芸術品だ。大衆料理でもなく、まさしく“宮廷料理”の神髄を感じさせる。もし本番でも同じ路線を貫けば、人間側の心をがっちり掴むに違いない。
(俺の料理が両陣営を繋ぐためにあるなら……人間にも刺さる味を、もっと磨かなきゃ!)
陽人の決意がさらに固まったところで、いよいよメインディッシュを運ぶ段階に入る。今回のメインは、魔界の希少肉をベースに、辛味・酸味・甘味を組み合わせた折衷ソースで仕上げた“炙り風ステーキ”だ。見た目にも豪華さを持たせるため、彩り豊かな野菜とハーブを添えている。
「魔界の肉……!? 大丈夫なのか?」
「臭みがあるのでは? いや、そんな様子はないが……」
ざわつく貴族や騎士たちの前で、陽人は落ち着いた態度でプレートを差し出す。先日の荒野で従来派を魅了した技術を応用し、下味とソースのバランスを極限まで高めた一品。
「ああ……! これは……!」
一口食べた貴族が目を輝かせて声を上げる。肉のジューシーさと辛味ソースの刺激、そこに甘みと酸味が加わり、絶妙なハーモニーを奏でている。素材の力強さを際立たせつつも、スパイスが優雅さを演出している。
「ふむ、臭みがまったくないどころか、非常に食べやすい。しかも後からじんわり広がる旨味がある……こんな魔界の肉、初めて食べたぞ」
「これが本当に魔界の食材だというのか? たしかに辛さもあるが、不思議と受け入れられる。これなら人間でも十分味わえるな……」
貴族たちが口々に賞賛を口にする一方、騎士団の上層部らしき者も苦悶の表情を浮かべながら、まるで“こんな美味いとは認めたくない”といった様子で黙々と皿を平らげている。苦笑を浮かべる陽人に、僅かな勝利感が芽生えた。
だが、王の宮廷料理人グラントも負けてはいない。彼のメインは柔らかく煮込んだ牛肉のローストに、最高級の赤ワインソースを添えた逸品で、口にした貴族たちが思わず拍手するほどの完成度。洗練された技術が細部にまで行き渡り、食べた者を感嘆と多幸感へ誘う。
「グラント様の牛肉は、やはり期待を裏切らない……」「さすがですわ……このソースの深みは芸術の域……!」
歓声が上がる中、陽人のほうに目を向ける者も多くなってきた。互いに違う方向性で肉料理を仕上げているため、客の好みが二分するかもしれないが、どちらも甲乙つけがたい評価を得ているようだ。
(決定的な勝敗はないかもしれないけど、それでも俺の料理が通用してるって実感できる……よし、あと一息!)
そして、コースの締めくくりに陽人が用意したのは、デザート代わりの“甘辛ドリンク”。魔界原産の果実を煮詰めてシロップにし、スパイスをほんの少量だけ加えることで、食後にもリフレッシュできる“お茶”のような感覚を狙ったものだ。見た目は果実酒に近いが、アルコールは使っていないため、騎士や貴族夫人も安心して口にできる。
「これは……甘いだけじゃないんだな。辛味が後からくるが、サラリと流せる感じだ」「ふう、なんだか胃がすっきりするな……」
意外な仕上がりに、客たちは戸惑いつつも好意的な反応を見せる。荒野で編み出した甘辛酸の組み合わせが、デザートドリンクにも応用できるという証左だ。
一方、グラントは濃厚なチョコレート菓子や果物を使った華やかなデザートを提供し、こちらも大変な好評を博している。正統派の高級スイーツ路線と言え、王都の貴族には馴染み深く、間違いのない一品だ。
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こうして一通りの試食を終えた貴族や騎士たちは、思い思いに感想を述べ、会場内はなかなかの盛況ぶりを見せる。ウォルター卿が満足げに微笑み、陽人とグラントそれぞれに拍手を送った。
「いやあ、想像以上に刺激的な夜だった。どちらの料理も、まさに甲乙つけがたい……。王の宮廷料理人グラントの実力はもちろん認めるが、魔王軍の料理人も侮れないぞ。皆さま、どうお感じになりましたかな?」
場内からは「興味深い……」「魔族の食材がここまでとは……」など、低い声が飛び交う。好意的な意見もあれば、「認めたくないが美味い」と言わんばかりの歯ぎしり混じりの声もある。しかし、否定一辺倒ではない。それが陽人にとって最大の収穫だった。
「……まあ、この“非公式試食会”で許容できるレベルと分かった。だが、本番の晩餐会にはさらに多くの貴族や要人が集まる。失敗は許されぬ。分かっているな、魔王軍の料理人?」
ウォルター卿が陽人に向ける視線は、温かいものではないが、明らかに“期待”も含まれている。魔界の食材を取り込むことで新たな価値が生まれるかもしれない、という思惑があるのだろう。陽人は深く頭を下げた。
「はい。本番はさらに工夫を凝らしたメニューを準備して臨みます。今日のご意見を踏まえて、味付けやプレゼンも調整するつもりです」
「ふん、楽しみにしている。……グラント、お前もいいな?」
グラントは肩をすくめ、陽人のほうに歩み寄る。ゴクリと唾を飲み込む陽人に、彼は低く静かな声で告げた。
「今日は互いの良さを発揮できたようだな。だが、真の“宮廷料理”というのは、単に美味いだけではない。多くの人間が心から慕い、その記憶に刻むような華やかさや芸術性が必要だ。……本番が楽しみだよ」
それはまるで挑戦状のようでもあり、料理人としての純粋な興味の表現でもあった。陽人もまた静かに微笑み、差し出されたグラントの手を軽く握る。
「俺ももっと精進します。あなたの料理から学ぶことはたくさんありそうだ。……でも、俺は俺なりのやり方で、人間と魔族を繋ぐ食卓を作りたいんです」
二人の料理人が言葉を交わす光景を見て、貴族たちが「おお……」と興味深げに眺める。まさか、この非公式試食会が大きな火花を散らす場になるとは想定していなかったのだろう。
(よかった……ちゃんと通用した。これなら本番も何とかなるかもしれない)
陽人は胸を撫で下ろしながら、同時に新たな決意を固める。大舞台である晩餐会が成功すれば、魔王軍と人間界の間に大きな進展が見込めるはずだ。だが、その分、過激派やエリザの動向、そして政治的な駆け引きがますます複雑化するのは間違いない。
しかし今は、とりあえず一息。貴族たちの談笑を横目に、陽人は魔族助手たちと目を合わせ、笑みを交わす。彼らも誇らしげに胸を張っている。それは“戦闘”ではなく、“料理”が人々の心を動かせるという確かな手応えを示す瞬間でもあった。
――次回、晩餐会本番に向けた準備が加速し、陰で暗躍する一部貴族やエリザの企みが明らかに。陽人とグラントの対立(?)も激化し、大舞台の席で魔王ゼファーが放つ言葉が両陣営の運命を大きく左右する……。